[4b-8] ホワイト職場のブラックワーク
そのエルフの名はガトルシャード。
ゲーゼンフォール大森林で暮らしていた、“岩壁に這う白蛇”の部族の一人だ。
部族の中ではこれと言って目立った者ではなく、戦士として狩人として、ただ日々を生きていた。
ケーニス帝国軍との戦いの中でも目立った戦果を上げることは無かったが、人並みに勇敢に戦った。生き残ったのは自分の実力が中途半端だったからだと思っている。傑出した者のほとんどは、最前線に立って侵略と戦い、そして死んでいったから。
そんな所へやって来たのが“怨獄の薔薇姫”だ。
長老衆と彼女の間に何があったのか、全て分かってはいなかったが、とにかく長老衆は一度“怨獄の薔薇姫”と手を結びながら裏切り、“怨獄の薔薇姫”がそれに報いたのだという事は聞き及んだ。
そして、部族を掌握した“怨獄の薔薇姫”は、エルフらをダークエルフに変えていった。それも……驚いたことに、あくまでも志願者を募るという形で、誰にも強制せず。
ガトルシャードは祖先と森を敬い、エルフとしての己に誇りを抱いていた。故に戸惑い、エルフとしての己を守った。ダークエルフになった同胞たちが、愚かなのか勇敢なのか、ガトルシャードには分からなかった。
だが、それから間もなくのことだった。
友が死んだ。
決定的に帝国青軍を打ち負かし、彼らを退けたトラウニルの戦いで、ガトルシャードの友は死んだ。
激しい戦いだったそうだ。結果的には大勝利だったと言えど、味方も損害を被った。
“怨獄の薔薇姫”はダークエルフとなって恭順を誓った者のみ、その戦いに引き連れていった。ガトルシャードの友も、その一人だった。そして、死んだ。
戦いの後、彼はアンデッドにならず、肉体は埋葬され、魂も邪神とかいう者の処へ旅立った。
生前、彼がそう望んでいたからだ。
友に置いていかれたガトルシャードは、苦虫の汁みたいな気持ちをずっと抱えていた。
彼はきっと全て納得した上で戦い、死んだのだろう。その結果をどうこうは言わない。だが肩を並べるべき時に共に戦えなかったという後悔があった。
森を守ったのも、部族を守ったのも、“怨獄の薔薇姫”であり、ダークエルフになった友ではないか。その間、自分は何をしていたというのか。何もしなかった。できなかった。何をしていいのか分からなかった。
だからあの時、ダークエルフにならなかった事に。
理由が欲しかった。
意味を、与えたかった。
* * *
ガトルシャードは隠密として見いだされた。
樹上を駆けて生きるエルフらは、人が作った石の砦など容易くよじ登り、細くしなやかな身体は忍び込みにも適性を発揮する。
そういう意味でエルフは皆、同じようなものだ。
だが訓練の中で、ガトルシャードは自身でも気が付いていなかった才能を示し、頭角を現した。
己を消し、偽ることに長けていたのだ。
森の匂いを削ぎ落とし、人間の街に溶け込めるよう努力した。
人間語も最も早く習得し、今は訛り無く喋ることができる。
そして今。
「胸を張りなよ。君らの一派はダークエルフになることを良しとしなかったけれど、だからこそ今、ここで仕事をして……姫様と亡国に貢献できるのさ」
「そう。君の後に他のエルフたちも、人間も続くだろう、ドワーフも続くだろう。君はそのための道を拓く一人目になるんだ」
大富豪の愛人ジャスミン・レイの従僕に扮したガトルシャードは、休憩時間を装って街をうろつき、今、報告のためトレイシーとエヴェリスの前に跪いていた。
未だ、己は至らぬところがあると自分でも分かっている。
それでも期待を掛け、用いてくれるというのは光栄で、身の引き締まる思いだった。
シエル=テイラ亡国の諜報体制は、まだ人材育成の途上……撒いた種がようやく芽吹いたくらいだ。上に立つ二人が優秀であっても、組織としての力は小さい。
そんな中でガトルシャードは『一期生の星』だった。
此度の作戦でも実働部隊の一員として抜擢されている。
人間の社会に紛れ込むなら、やはり人間の方が目立たなくて良いのだろうとは思うが、人間の街で仕事をするエルフは、田舎の村ならともかく、都会ではそこまで珍しくない。
ノアキュリオ王国の方でも、貴族らの間で、見目麗しいエルフを使用人とする事が流行ったくらいだ。
亡国の『諜報局』は、現在占領しているルガルット王国で行き場も生き場も無い人間たちを拾い上げ、隠密としての教育を施している。
その中でも見込みのある者を此度の遠征に何人か連れてきているが……彼らの実力はまだガトルシャードにも及ばない。
仕事はガトルシャードに任された。それは痺れながら燃えているような心地だった。
「さて、そんなわけで報告を聞こうか」
「はい。地下の魔力導線配管に忍び込んだ結果ですが……
埋蔵魔力量計測器に、やはり細工がされています。常に設定した値を指し示すようになっていました」
これはエヴェリスの予想通り。真っ先に調べるように言われていたポイントだ。
どんな街でも普通は、地脈の魔力量を常に計測し、魔力を取り過ぎていないか(あるいは取る量を増やしても大丈夫なのか)を確認している。
既に龍律極の制御は公的機関の預かりとなっていたが、そもそもこの街のインフラを作ったのは全てウィズダム商会だ。数ヶ月誤魔化す程度の細工は仕込めるだろう。
さらに、ほとんどの土地や建物は政府競売で他所に取られたのに、それでもウィズダム商会が死守したのは保守点検も含めたインフラ事業だったりする。
理由は、真実を知る者にとっては明瞭だ。全てが終わるまでの短い間、魔力溜まりが『もどき』であると気付かれないためなのだろう。
「ウィズダム商会は頃合いを見て、正常な計測器とすり替えるつもりだろうね。準備が終わるまでは魔力溜まりが偽物だってバレちゃいけないもん。私らにとっても非常に都合がよろしい。
警備はどうだった?」
「地下への入り口は施錠されておりますが、それだけです。
政府機関が諜報員を送り込んで調べるわけでもなし、そもそも疑われた時点で終わりですからな。
ただ、インフラの一部に偽装された地下設備はその限りではありません。
可能なら調査を、と考えましたが多数の警備ゴーレムを確認し、退却しました」
「いいよいいよ、無理して捕まったりしたら最悪だからそれでいい」
ガトルシャードの上司である、華やかな少女にしか見えぬ男……トレイシーは、優しく労う。
それが単に作戦をつつがなく進めるため、そして育成途上の貴重な人材を浪費しないための合理的判断だと分かっていても、ガトルシャードは安堵した。
おぞましき不死の軍勢の手先だと、世人は言うのかも知れない。だがここには情がある。少なくとも、働き蜂のように尽くすのが当然とばかり、戦士たちを使ってきた部族よりは。
「にしてもなー、ウィズダム商会は元々何のためにそんなもの作ってたんだろ。
ま、街独り占め計画が頓挫した今、怪しい地下施設の跡地を倉庫にしてるのは間違い無さそうだね」
トレイシーは椅子に飛び乗るように座って、肩をすくめる。
この街の地下に謎の設備があるというのは、魔力溜まり(もどき)の秘匿開発が政府に露見して街が買い上げられ、調査が進む中で発覚したことだ。
魔物が攻めてきた時にウィズダム商会の幹部が逃げ込む方舟だとか、違法合成獣を生み出すための錬金術研究所だとか世間には騒がれたが、商会は『倉庫にする予定だった』の一点張りで押し通した。
かつての目的が何であったかはともかく、この設備はウィズダム商会が買い戻し、そして、金貨を積んだ馬車は地下へと消えたわけだ。
「参謀閣下のお考え通り……」
「その『参謀閣下』って呼び方やめない?
胸の谷間が痒くなるんだけど」
「は、では……魔女様と。
魔女様のお考え通り、ここが金貨の保管場所と見るべきでしょう」
ガトルシャードがちょっと顔を上げると、エヴェリスは本当に豊満な胸のふくらみの間に指を突っ込んで掻いていたので、ガトルシャードは慌ててまた目を伏せた。
「色籠をご確認ください。地下の魔力導線に関して私では構造が分からなかった部分と、重要そうな部分は撮影しておきました」
「はいよ。
あと今日調べた範囲で、他に何か気になった事は?」
「……そうですね。地下に関することではなく……ホテルで奇妙な客を見ました」
ガトルシャードは、わざわざ報告すべき事案か迷ったが、それでも奇妙に浮いた雰囲気の警察官僚二人組の事が意識の片隅に引っかかっていた。
盗み聞いた事と、隣に座ってルーレットのゲームをしながら話した事を伝えると、エヴェリスは数秒思案する。
「マドリャ・ダドルヴィック警部に、スティーブ・クロックフォード警部補ね……
名前に覚えは無いけれど……
ま、報告ご苦労様。気がかりなことがあったら報告するのは良いことよ」
音に聞こえた危険人物なら、この参謀殿が把握しているはず。
では自分の心配は杞憂だったのかと、ガトルシャードはホッとした。
同時に、なるほど、危険かどうかは自分には判断できないのだからまずは聞いてみるべきだろうと納得する。
「私からは以上です」
「分かったわ。
基本方針は変わらず。導線を破壊して警備への魔力供給を断つ感じで行くわ。
もちろん連中も非常事態には備えてるはずだから、その態勢を探らなきゃならないわけだけど……」
「そしたら次はボクの番だ」
トレイシーは言うなり、使用人用の宿泊室に引っ込んだ。
そして、エヴェリスとガトルシャードが色籠の写真を確認していた数十分で、別人になって戻って来た。
「私は明日、街に到着する予定だから、今日はこっそり街を抜け出して野宿するわ」
姿を現したのは、真鍮色の飾りを多用した革のコートを着ている、やや小柄な女だ。
キャスケット帽にゴーグルまで引っかけた、コテコテで伝統的なジレシュハタール連邦ファッションだった。
身長が10センチは伸びたように思えたし、声など全く変わっていた。普段は無邪気な少女を思わせるものなのに、今はどこか大人びた甘ったるいものとなっている。
顔も、よく見れば元の面影を感じるが、ぱっと見の印象はまるで別人。妖艶さすら漂わせる、エキゾチックな東洋系の美女だ。
変装や変身の魔法も世の中にはあるが、トレイシーの場合、恐ろしいのはメイクや人相を変える小細工などを駆使し、魔法抜きでここまでやれてしまうということだった。魔法による変装は、魔力を感知する手段で気付かれてしまう。それを警戒するのであれば物理的な変装をする事になるが、普通はこう上手く行かない。
そしてトレイシーはおそらく、自分自身を騙すことさえできる。
彼は変装によって、普段より温和にも冷酷にも勇敢にも臆病にも賢明にも幼稚にもなれるのだろう。
ひょっとしたら、自分は何者で目的は何なのか、必要な時まで忘れていることさえできるのかも知れない。
まだまだ自分の及ばない高みがあるのだと、ガトルシャードは思い知る。
それは森の中で戦士として狩人として一生を終えていたら、決して見ることも知ることも無いだろう何かで……ガトルシャードはほんの少し、昂揚していた。