[4a-41] 終ノ獄 怨獄の薔薇姫①
二人のルネが、そこに居た。
騎士によって捕らえられた『ルネ』は、顔を地べたに押しつけられたまま、それでも。
処刑台に腰掛けるルネを見上げて毅然と声を上げる。
「お願い。二人を帰してあげて」
必死の懇願だった。だがルネは不快げに眉根を寄せただけだ。
「貴女への譲歩として、二人を解放する道もあった。
だけど……もう駄目よ。だって、この二人は貴女を助けてしまったじゃない」
ルネはそれが当然の帰結だと言わんばかりだったけれど、ウィルフレッドには意味が分からないし、今回に限ってはキャサリンもピンと来ない様子だった。
「どういう意味?」
「わたしは、誰かに助けてほしかった。だけど誰もわたしを助けに来なかった。
それが全てだったの。
だけど今、あなたは……証明したわ。あなたなら、きっとわたしの声に応えてくれたと」
「愚かな真似をしたものね。
世界に捨てられた孤独こそが、わたし。
心の平穏を得て、捨てたはずの良心を肥え太らせることに何の意味があるの?」
謎かけか禅問答の如き会話だったが、事情を察することはできた。
怒りと焦燥を滲ませるルネは、己の『孤独』を崩されることを恐れている。
きっと、それが、“怨獄の薔薇姫”の原点だから。
狂気の復讐劇を推し進める燃料……怨みの炎に焼べる焚き付けだ。
それが尽きたとき、ルネは歩みを進められなくなるのか。刃が鈍り、討たれるのか。ともあれルネは、それだけ自分の精神がギリギリの所で均衡を保っていると考えている様子だ。
救いを求める『ルネ』と、復讐を求めるルネが居て。
相反する想いを抱えた彼女は、なんでも思い通りになるこの世界で、各々思い通りにしようとして……遂には、別々の存在になってしまったのだ。
「だからわたしは、その二人を殺す。貴女が拾ってきた余計なものを捨て去って、わたしは強くなる」
そしてルネは処刑台を飛び降りて。
宝石を切り出したかのように禍々しく赤い剣の切っ先を、キャサリンとウィルフレッドに向けた。
「だめ……
今さら二人を殺しても、何も元通りにはならない。
辛くなるだけじゃない! そんなの、誰も幸せにならない……!」
拘束されたまま『ルネ』が悲痛に叫ぶと、ルネは油を注がれた炎のように、殺気を爆発させた。
「よくも『幸せ』なんて言えたわね!?
わたしという犠牲の上に存在する、不当で偏った幸せなど許さない!
驕れる正義に悪の鉄槌を下し、世界の全てに等しき不幸を!
それが……! わたしの願いだったはずじゃない!!」
「だめ……!」
『ルネ』の小さな身体に力がこもった。
彼女は全く非力に思われたが、次の瞬間、『ルネ』をグルグル巻きにしていた鎖が千切れ飛んだ。
そして、自らを抑え付ける騎士たちを引きずるように身を起こす。
乾いた血の付いた裸足で、『ルネ』は一歩一歩、ルネの方へ向かって行く。
騎士たちは寄ってたかって抑え付けようとしていたが、奇妙なことに僅か、小さな『ルネ』一人の方が勝っていた。
「そこを、どきなさい!」
何の前触れも無く、深紅の魔剣が一閃。
剣閃は騎士を一体巻き添えにして『ルネ』を袈裟懸けに斬り裂いた。
血飛沫が交差した。
「……え?」
ウィルフレッドは、驚き戦く。
『ルネ』を斬ったはずのルネにも同じ傷が付き、純白のドレスを引き裂いて、鮮血に濡らしていたのだから。
「どきなさい!」
「嫌だ!」
さらに一撃。腹部への刺突!
『ルネ』は血を吐きながらよろめき、ルネもまたドレスの腹部に赤いものが滲む!
ルネは、ぎりりと歯を食いしばる。それは痛みに耐えているのか、苛立ちのためか。
「ああ、そう、分かったわ!
ならばここで微塵に斬り裂いてやる!
わたしの心から貴女という『弱さ』を消し去って、わたしはわたしを完成させる!!」
「……っあ……!」
目にも留まらぬ早業が『ルネ』を見舞う。
自分自身を抱えるように、身体を硬くして身を守る『ルネ』だが、ただされるがままだ。
腕が肩が髪が頬が切り刻まれて鮮血に染まりゆき、全く同じ傷がルネの側にも現れる。
「もうやめて!」
キャサリンが飛び出していきそうになったので、ウィルフレッドはとっさに彼女を抱えて制止した。
「ダメだ、キャサリン! 見境を無くしてるが……あれは強い!
あっちの『ルネ』が耐えてるのは、多分、この世界の力か何かだ。俺らじゃひとたまりもない。
今近づいたら、斬られたことにすら気が付かないうちに殺されるぞ!」
「でも、あんな、あんな……!」
キャサリンの顔が歪み、涙が頬を伝う。
「あんな風にずっと……自分を傷付け続けてきたの? ルネ……!」
街の景色は、残雪の白と石の黒。
そこに鮮血の赤が舞い散る。
嬲り殺しのような様相だった。
その攻撃は一方的なのに、双方がボロボロに傷ついていく。
負わせた傷と同じだけのダメージを受けたルネの攻撃は、その動きも少し緩慢になる。
このまま自滅してくれれば助かるのではないかと、ウィルフレッドは一瞬考えた。
そしてすぐ、そんな自分の考えが嫌になった。
こんな惨劇を看過するのはサムライの道にももとるだろう。
だがこのままでは、どうすれば己が生き延びられるかも分からない。
ウィルフレッドたちを包囲する悪霊の群れは、主の号令が無いためか様子をうかがっている状態だが、だからと言ってそれを避けて逃げ出すような隙間は無い。
個々の動きは確かに鈍いが、あの怪力は脅威であり、これほどの数に寄ってたかって攻撃されたら全て回避するのは不可能。ましてキャサリンを連れて逃げるには、どうすれば……
『……や……と繋が……た!
落ち着け! 聞こえるか、少年少女!』
「なんっ?」
突如。
ウィルフレッドの頭の中に念話が届いた。
――俺、少年って歳か……?
疑問はともあれ、それは男の声だ。先程、留置所迷宮の中で道を示した、あの男の声だった。
『亡霊たちの戦意を削ぐんだ。奴らが“怨獄の薔薇姫”に力を与えてる!
乱戦になってからじゃ遅い。どうにかこいつらを……脅しでも交渉でも土下座でも、やる気を無くさせる手段は無いか!?』
『んな無茶な! こんな圧倒的優勢の状況でやる気を…………』
男の言っていることが正しいかはさておき。
ウィルフレッドの父は騎士の端くれだったし、ドージョーでは兵法も教わったので、ウィルフレッドはそちらの心得もある。
勝ち戦で勢いに乗っている側の戦意を挫くことは難しいはず。
圧倒的多数で包囲状態を築いた彼らは、ルネの号令一下、襲いかかるだけで勝利が約束されている。
それをいくら脅したところで、恐れるはずは……
――そうだ。こいつらは……多すぎる。
その時ウィルフレッドの頭をよぎったのは、師範から聞いた逸話。
功を争う二人のサムライが敵将の首を奪い合ったとき、その場に居た奉行は先に手を離した方の手柄としたと。
圧倒的優勢となった勝ち戦で起こるのは何か?
……功名争いだ!
その時、味方は競争相手となる!
ウィルフレッドはその場にどっかりと座り込み、カタナを腰から外して置く。
「おい、お前らよく聞け!」
そして周囲に向かって声を張り上げた。
悪霊の垣根が、何事かと訝る様子で、蠢く。
二人のルネも、妙なことを始めたウィルフレッドの方を見ていた。
ルネがウィルフレッドの動きに即応しなかったのは……『敵意』が無いからだろう。
実際、これはルネへの攻撃ではない。
「ハラキリって知ってるか!?」
ちょっとFILEの並びを修正するかも知れません。内容は変わりませんが。