[4a-33] 三ノ獄 咎贄③
帝国兵たちは目配せし合い、無数に吊り下げられた死体袋の中から手近な一つを引き下ろす。
巾着状に絞られた口を開くと、その中には。
「メイリッジさん!?」
死体。
全身を切り刻まれ、苦悶の表情を貼り付けたまま事切れたニールの死体が入っていた。
皆が絶句し、息を呑む。
だが同時に思うことがあった。
何故、適当に選んで下ろしたはずの死体袋から一発で当たりを引けたのか?
何故、大量の死体袋はどれもこれも同じくらいの大きさなのか?
嫌な予感を覚えながらウィルフレッドは、さらに一つ死体袋を引き下ろす。
その中には、想定外だけれど予想通りではあるものが入っていた。
「……嘘だろ。双子だったのか?」
半面を叩き潰され、全身紫色に腫れ上がらせたニールの死体が、二つ目の袋には入っていた。
帝国兵たちは戸惑った様子で次々に死体袋を確認していく。
刺殺体。轢殺体。斬殺体。毒殺体。焼殺体。絞殺体。呪殺体。
バリエーションに富んだ死に様の死体が。
全てニール・メイリッジのものである死体が。
「全部……メイリッジさん、だなんて」
「なんだよ、これ。何がどうなってやがるんだ」
ウィルフレッドは呆然と周囲を見渡した。
空間が歪んでいるのか、倉庫めいた石造りの部屋は異様に広い。
そこには少なく見積もっても300を超える数の死体袋が整然と吊されていて、きっと、その、どれもが。
その時だ。
「ぎゃああああああ!」
どこか奥の方から悲鳴が響いた。
「悲鳴!?」
今居る部屋自体が広すぎるせいで気が付かなかったのだが、どこか奥へ続く通路が死体袋の向こうにあった。悲鳴はそこから聞こえてきたのだ。
ウィルフレッドはカタナに手を置いたまま、薄暗く窓の無い通路に踏み入る。
背後からキャサリンが魔力灯照明で先を照らした。ここまで使っていたジレシュハタールの軍用照明器ではなく、『黒狐の捧げ火』と呼ばれるマジックアイテムだ。この明かりは遠くからだと見えないという性質を持ち、隠密行動に適している。こんなものまで準備していたらしい。
窓というものが存在しない、地上にある筈なのに地下建造物のような廊下を一行は進む。
すると、ほどなく奇妙な部屋に行き当たった。
「しっ」
異形の影をいくつも見て取り、ウィルフレッドは後に続く者らを止めた。
その部屋は余りにも広大で、劇場か闘技場のようにすり鉢状に掘り下げられていた。
朧なロウソクの明かりだけが星のように点在し、奈落の如き深さを感じさせる。
痛々しい姿の亡霊たちは皆、最外縁のウィルフレッドらに気が付く様子も無く、じっと一番下の『ステージ』を見ていた。
その数は数百か、いや、数千か。
「そりゃあ……居るよな。真っ暗な洞窟の中なんかは昼閒でも悪霊が活発に動いたりする。ここは条件が整ってるんだ」
「昼閒、悪霊たちはここに居たんですね」
王城の周囲にばかり悪霊が多いという話だったが、つまり悪霊たちは昼の間、この空間が歪んだ留置場の中で闇に潜んでいたのだ。
『日帰り』となる以上、あまり遠くまで行くことは難しい。
「いだぃい! うげっ、ぎゃあああ! たず、だずげでぇ! やべでぐでえええ!!」
広大な空間に反響するのは、何者かが苦しむ声だ。
最下段、亡者たちが見つめる先には多くの拷問器具が並んでいた。
鎖があり、枷があり、車輪があり、油があり、刃があり、水があり、鞭があり、針があり、焼きごてがあり。
そこには人を苦しめるためのあらゆる道具が存在した。
数人の亡者が、生きた一人の男を捕らえ、苛んでいた。
彼らは鋭いナイフを持っていた。そして、鎖に吊した男に寄ってたかって、その肉体を削ぎ取っているところだった。
ウィルフレッドがポーチから小型の魔動望遠鏡を取り出して観察すると、それがニールであることは分かった。
即ちこれは、処刑場か。
しかも、殺すことを見世物とする類の。
『……苦しみ……』
『……捧げよ……』
観衆たる亡者たちは朦朧と呻く。
『死ね』
「ぐはっ!」
そして、ほどよく痛めつけられたニールは、さしたる盛り上がりも無く淡々と斬首されてトドメを刺された。
亡者たちは僅かに、歓声めいたうめき声を立てたが、しかしそれだけだ。
『次……だ……』
直後。
ステージの端からは、未だ無傷のニールが引っ立てられてきた。
「これは!?」
ウィルフレッドは手の平サイズの望遠鏡を覗きながら、戦慄した。
確かに処刑場にはまだ、肉を削がれた末に斬首されたニールの死体が転がっている。
だというのにまたニールが現れたではないか。
ニールの来た方へ望遠鏡の視線を動かして……ウィルフレッドは心臓が止まるかと思った。
ニールが、沢山居る。
眠るように微動だにしないニールの肉体が、処刑場の隅には雑に積み上げられていたのだ。
ウィルフレッドから見えるだけでも、少なくとも十人は。
その中の一人が新たに処刑場へ連れ出されてきたのだ。
「い、嫌だ……頼む、もうやめてくれぇ……ひと思いに殺してくれよ。
い、いや、死んでもダメなのか。いっそ消し去ってくれぇ、もう嫌だ、嫌だ……」
『……苦しみ……』
『……捧げよ……』
悲壮に泣きわめくニールの声には構わず、刑吏たる亡者たちは彼を車輪に繋ぎ止めていく。
「ウィルフレッドさん。ルネは……憑依能力を持つ霊体系アンデッドであり、戦いの中で次々肉体を乗り換えることでダメージを踏み倒す戦法を採っているものと、私は思っています」
「そ、そうなのか」
「それと同じ事を他人に対して行っているのだとしたら?」
傍らのキャサリンは暗視機能を備えた魔動双眼鏡にて、処刑場の有様を観察していた。
流石の彼女もあまりの事に顔面蒼白となっている。
「ここは神の手も届かぬ閉ざされた異界。死者の魂すらルネの掌中にあり逃れること叶いません。
それを、つまり……何らかの手段で換えの肉体を用立てれば何百回でも死ぬまで苦しめることができる」
その、あまりにも冒涜的な予想にウィルフレッドは吐いてしまいそうになった。
生きることも死ぬことも貶めるようなやり口だ。どれほど憎んで怨み抜けば、こんなえげつない手段で他人を痛めつけようと思うのか。
「おそらく材料は死者たちの肉体でしょう。
錬金術の外法には、死者の肉体をこね合わせて全く別人の肉体を再生させる技があると聞きます。
無論、そのような肉体で神の奇跡に縋った蘇生は望めませんが、このような用途であれば……」
「それで、肉体を奪われて残った霊体は、悪霊となって彼女の走狗か。
……まったく、惚れ惚れするほど無駄がない」
「おそらく先程の死体群も、また再利用されるのでしょう。使えなくなった部分を取り除いて、こね合わせて」
冬黎すらも自らを落ち着けるかのように細長く息を吐いていた。
ニールを括り付けた車輪はそのまま、湯気立つ熱湯をなみなみとたたえた巨大な桶の上に設置された。
車輪に取り付けられたハンドルを刑吏たちは回し始める。
すると車輪は水車のように回転し、ニールは熱湯に突っ込んでは反対側から顔を出す動きを延々繰り返し始めた。
「うぶをっ! ぐぎいい! 熱ぁあ! ぐぼがぼっ!」
あれが水であったとしても緩慢に窒息させる拷問になっただろう。
まして熱湯だ。突っ込む度に火傷する。
傍らでは首をもがれた術師(帝国兵の格好をしている……)が杖を振り、湯が冷めてしまわないよう魔法を使っていた。
「助けますか」
「彼を助けることで何か分かるかも知れんが……
状況が悪すぎるな。いくら悪霊に攻撃が通じると言えど、多勢に無勢。
まして“怨獄の薔薇姫”がしてみせたように、こちらの倒した悪霊が次々戦線復帰してきたら目も当てられん」
部下からの問いに冬黎は首を振る。
確かに、この場には数千の悪霊が群れ集っているのだ。いくらなんでもこれを一気に相手するのは現実的でない。
「ここは夜を待って再度潜入すべきであろう。
我らは、外が安全な昼のうちにそこで休むべきだ。
それに夜になれば悪霊どもはここから出て行って、いくらか安全になるやも知れん」
冬黎の判断に皆が頷き、気付かれぬようそっと、後ずさった。
「……あああああ……! ぎゃああ……あああああ……!」
悲痛な叫び声だけが、どこまでもウィルフレッドたちを追いかけて来た。