[4a-27] 二ノ獄 道標⑤
「あなたは、本当にディアナさんですか!?
私です、キャサリンです! キャサリン・マルガレータ・キーリーです!」
キャサリンは、突然声を上げた銀色のアクセサリー目がけて話し掛ける。
謎の声はすぐさま感激した様子で応えた。
『キャサリンだって!?
おっどろいたね、こりゃ! うんうん、声だけで分かる。あんたイイ女になったじゃないか』
キャサリンがディアナと呼ぶ彼女は、何やら豪放な女性という印象だ。
ディアナはカラカラと笑って、キャサリンもつられたようにはにかむ。状況も忘れて魅入ってしまいそうな可愛らしい笑顔だった。全く屈託の無い、純粋な、『キャサリンもこんな風に笑えたのだな』と思わせるような笑顔だった。
『にしても、なんでまたあたしに声を? あんた魔法は使えなかったはずだろ?』
「あの、こちらの状況が分かりますか?」
『いいや、さっぱり。
……なんだい、もしかしてそっちもあたしが見えてるわけじゃないのかい?』
ディアナとキャサリンの会話はもどかしく噛み合わない。
世の中には『知性を持つ武器』というのもあって、冒険者の間では度々語られるのだが、どうもディアナはその手の存在ではないようだ。
キャサリンもディアナも与り知らぬ謎の力によって声が届いているらしい。
「で、では、順を追って説明しますが……」
* * *
ここがファライーヤ共和国であること。
奇妙な異界に囚われてしまったこと。
謎の少女の導き。
ウェサラと思しき街と城の廃墟。
未だキャサリンやウィルフレッドも状況を理解できていない段階だが、起こったことを順番に説明していくと、ディアナは訝しんだり驚いたり息を呑んだりと、話しやすい相槌を打ちながら聞き入っていた。
そして、キャサリンの話を聞き終えると大きな溜息をついた。
『……正直、よく分からんね。
ファライーヤ共和国にウェサラとテイラ=ルアーレがあって、そこにあたしの銀鞭が?
しかも、そいつであたしと喋ってるだなんて。
何がどうなってるのかちんぷんかんぷんだ』
「そうですか……」
ディアナも特に何かを知っているわけではなく、この異界について解明する鍵にはならなそうだった。
キャサリンは少し落胆した様子だったが、それでも彼女は嬉しそうだった。
「でも、良かった。ウェサラに向かったあなたが行方知れずになって、私……てっきり死んだものかと」
『あ。んー、それはちょっとややこしい事になっててさ……』
ディアナは何故だか少し気まずそうに言葉を濁す。
そこにキャサリンが何かを重ねて問おうとしたときだった。
「なんだ?」
ズ……と重く響くような音をウィルフレッドは聞いた。
世界の全てが軋むような。
地震が発生した瞬間、今立っている場所が揺れ始める前にどこか遠くから聞こえる音に似ていた。
そして、全てがブレた。
荒れ果てたホール。割れたステンドグラス。半壊した二階部分の手すり。散乱する瓦礫。焦げ千切れた絨毯。
全てが泡立つように輪郭を溶かし始め、雲の上に立っているかのようにウィルフレッドの足の感覚もあやふやになる。
『キャサリン、何が起こってる!?
あんたが居る場所とあたしの繋がりが断たれようとしてるよ!』
「分かりません、世界が震えて……!」
『ちっ……
いいかい!?
繋がり……閉じる前に……銀鞭……ありったけの力を……あんたを守る……!』
水に滲むかのように景色は霞み、それと同時、ディアナの声も急速に遠のいていた。
切れ切れの声でディアナが叫ぶ。
水の流れに全身を舐められるかのような一瞬の感覚があり、まばたきをした次の瞬間、全ては消えていた。
そこは、ただの四辻だった。
どこまでも広がる黒々とした市街が前後左右のどこにも続き、潔癖な無人の建物だけが迷路を形作るだけ。
「これは!?」
「『ウェサラ』が消えた……ここも無限に広がる王都の一部に過ぎなかったんですね。
でも、これだけは残った……」
ミスリルが眩しく連邦風の真鍮意匠も用いられたウェサラの街並みは消え、壊れた領城も溶けるように散った。
しかし、キャサリンの手の中には未だ、銀色の輝きが残っていた。
そして景色が変わるなり、意外なほど近くから数人分の足音が聞こえた。
「冬黎様!」
「おお、アークライト殿。何か収穫はありましたかな?」
ウェサラの幻影など見えていなかったのか、呑気にすら思える調子で、冬黎と他三人の帝国兵が姿を現した。
そして、ウィルフレッドたちが何か説明するより前に、帝国兵の一人が目を見張ってこちらにやってくる。
「失敬、そちらは……」
冬黎に随伴している帝国兵たちは全員が空行騎兵だ。
しかし『空行騎兵』という兵科の中でも各々には違う役割があり、保有技能も一様ではない。
腰に聖印を提げ、聖なる触媒を収めるためのポーチを身につけた彼は、神聖魔法の使い手だ。
「それはよもや、滅月会の使う神聖武器の一種では?」
そんな彼はキャサリンが手にしている銀色の茨を見て、息を呑む。
「銀鞭……確かに滅月会が使う武器には、そういったものがあると聞き及んでおりますが」
「間違いありません。私は実物を見た事があります。
何より、魂が震えるほどのこの神気……
天より賜りし奇跡としか思えません」
ウィルフレッドもキャサリンが持つ銀色の茨から、自然と背筋が伸びてしまうような聖なる気配を感じてはいた。
だがそれは、神に仕え神聖魔法を操る術師にとっては、遥かに明瞭に異質で尊いものであるらしかった。
状況から類推すればウィルフレッドにも分かる。
もしこの妙なアクセサリー……帝国兵が言う所に依れば『銀鞭』……が、この異界に穴を開けてどこか別の場所に居るディアナなる者に声を届けたのだとすれば、それはこの異界の法則を構成する力に対抗する、つまりは神秘に属する力を宿していることになる。
滅月会と言えば良くも悪くも名前だけは知れている、ディレッタ神聖王国が誇る地上最強の『対邪悪』戦闘部隊だ。
その武器だと言うのなら神秘に関わる何かがあってもおかしくない。
「……この銀鞭なら、あの奇妙なアンデッドたちにも立ち向かえるのでしょうか」
「おそらく……」
「誰か鞭を使える人は?」
ウィルフレッドは鞭など使えない。
そこで帝国兵の誰かに使わせることになるかと問うたのだが、その答えがあるより先にキャサリンは首を振る。
「いえ、ウィルフレッドさん。これは私が使うべきかと思います」
「アンデッドと戦うのか?」
「ここは概念の世界ですから。私が託されたものであるなら、私が使わなければいけないのだと思います。鞭の振るい方など分かりませんが、だとしても私が使うことで意味を持つのではないかと」
「……分かった。
なるべく守れるよう頑張るけど、本当に気をつけて」
「はい、もちろん」
これから自分自身も戦うのだという話をしているのに、キャサリンはむしろ安堵している様子だ。
信念による猛進ではなく、安堵。ディアナの助力を信じている様子だった。
「しかし仮にそれでアンデッドと戦えるとしても、どうすれば良いものか」
冬黎は首を捻るが、キャサリンとウィルフレッドは決意を確認するように頷き合う。
「……心当たりはあります」
「みんな考えてはいるだろうと思いますよ。実行したくないだけで」
「む……」
冬黎も思い当たった様子だった。
「ここが王都であるからには王城がある。
そこには絶対、何かがある筈なんだ」
聖気を退ける奇妙なアンデッドたちは、王城を中心に活動している。
安全を確保するためには王城からなるべく離れるしかなかったのだが、今は違った。