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[4a-4] スゴイ・シツレイ

 冒険者ギルドの朝は早い。

 管理官たちは、昼閒は冒険者たちの応対に当たることが多く、その合間に種々の事務仕事をこなすことになる。

 そのため窓口が開く前に出勤して、夜勤担当者から連絡事項があればそれを受け、前日分の諸手続などを終わらせておくというスタイルで仕事をする者が多かった。


 ロビーからカウンターを隔てた反対側は、机の島がいくつも並んでいる広大なオフィス。

 管理官たちの机はカウンターに近い場所で、一般事務職員のものよりも二回りほど大きい。直接的に冒険者を管理する担当者であることから、他の職員よりも多くの資料を扱う必要がある……というのが理由だが、その机の大きさはそのまま、職員の中での管理官の地位を示してもいた。


 いまだ人影もまばらなオフィスで、各々資料の束を手にした数人の女性管理官が立ち話をしていた。

 キャサリンが近づくと、何しろ静かなものだから、彼女らは足音で気付く。


「おはようございます、皆さん」


 いつものようにキャサリンは挨拶をした。


 静かなオフィスにキャサリンの声は、虚しいほどに明るく響く。

 立ち話をしていた管理官たちは、虫の死骸でも見たような顔で目配せをし合った。


「チッ……」


 一人が小さく、聞こえよがしな舌打ちをする。

 それが合図であったかのように、彼女らは解散し、それぞれの机に戻って行った。


 冒険者ギルドの朝は、早い。


 * * *


 それはウィルフレッドが、前回の依頼クエストの報告書に必要事項を記入して、ちょうど窓口業務担当中だったキャサリンにそれを引き渡した時だった。


「報告書の確認お願いします」

「はい、それではしばしお待ちください」


 特に誰かが騒いでいるわけではないが、ギルド本部のロビーは多くの人が出入りして話もしているのでなかなか騒がしい。

 そんな中でもズンズンと響くような重低音の足音を立て、こちらへやってくる者があった。


「アークライト」


 キャサリンの背後に立ったのは、まるで自身が冒険者であるかのような……実際ギルド職員には引退した冒険者も多い……ガタイの良い男性職員。

 ただでさえ厳めしい顔つきの彼が、顔をしかめて見下ろすものだから、さながらオーガか何かのようだった。

 ウィルフレッドは彼の名前を知らないが、管理官たちに『係長』と呼ばれている彼は、本部で仕事をする管理官たちのボスであるらしい。


「はい、何かご用でしょうか?」

「どうしたもこうしたもあるものか!

 お前は、言わなければならないことを黙っているのではないか!?

 自分の胸に聞いてみろ!」


 落雷の如き怒鳴り声だった。

 歴戦の冒険者たちさえも竦み上がり、オフィスは一瞬、無音になる。それから徐々に、憚るように少しずつ音が戻り始めたが、先程よりもだいぶ静かになっていた。


 間近でその声を聞いてしまったウィルフレッドは、師匠の喝を思い出して震え上がった。

 しかし怒鳴られた当のキャサリンは、もちろん驚いた様子ではあったが萎縮した様子も無く、むしろ困惑しきりだった。


「……ごめんなさい、全く心当たりが……」

「向こうの廊下の花瓶だ! お前が割ったのだろう!?」

「はっ……?」


 係長の太い指が壁を指差した。

 その壁の向こうには、一階の会議スペースや食堂に通じる大きな廊下がある。


「黙っていれば分からんとでも思ったか!? 子どもか、お前は!?

 失敗したのなら正直に謝って償うのが世の中のルールだろう!

 しかも黙っているだけならまだしも、散らかったままで放り出していくとはどういう神経だ!

 冒険者も、依頼者も、誰もが通る場所なのだぞ! お前の部屋ではない!」

「そ、そんな、私には何の事か……」


 さながら雷の土砂降りだ。

 ガミガミと頭ごなしの叱責を受けながらも、キャサリンは何ひとつ心当たりが無い様子。

 これが演技だとしたらキャサリンはサクタムブルクで一番の女優になれるだろう。


「おい、待てよ。管理官さんの言い分も聞いてやったらどうだ」

「……口を挟まんでいただこう。これはギルドの規律の問題だ。

 彼女には前科がありすぎる。ギルド職員に相応しい心構えを、いい加減身につけて貰わねばならん」


 たまらずウィルフレッドは口を挟むが、係長は眼光でウィルフレッドを制する。

 取り付く島も無いとはこのことだ。


「最年少満点合格者、か。

 だからっていつまでも子どもの遊びみたいな気分でやってちゃ困るんだ。

 お前今年いくつだ? 19だったか? ふん! もう大人としての責任を身につけるべき歳だな」


 キャサリンは俯いていた。

 叱られて萎れているわけではなさそうだ。ただ、こうして耐える以外にできることは無いのだと悟った様子だった。


「それともお前は、こういう教育を受けていたのか?

 お前が何かやらかした時、責任を負うのも片付けをするのも召使いか!?

 自分がもう伯爵令嬢なんかじゃないってことをよく頭に叩き込んどけ!

 全く、親の顔が見てみたいとはこのこと……」

「お父様への侮辱は許しません!」

「黙れ!!」


 親の話が出るや、キャサリンはさっと顔を上げて言い返す。

 だがそれは当然、係長の怒りの火に油を注いだ。


「ならせめてオトウサマに恥じないだけの分別を身につけるんだな!

 窓口業務なら他の者が代わる。まずは自分の不始末を自分の手で片付けてこい!」


 大声の余韻がウィルフレッドの耳に響いていた。


 キャサリンは無言だった。

 静かに席を立つとウィルフレッドにお辞儀をして、オフィスの奥へ消えていく。


 カウンター向こうの机に座っている女性管理官たちが目配せし合い、声を殺して笑っていた。


 * * *


 船窓の如き意匠をした大きな窓がいくつも並び、広い廊下には東からの光が差し込んでいた。


 いつもは塵一つ無く磨き上げられている床に、割れた花瓶の破片と、その中に生けられていた花が散らばり、水たまりができていた。

 ちりとりと箒を手にしたキャサリンは、花瓶の破片を掃き集めていた。


 廊下を通る者はその姿を見て、侮蔑なり苦笑なりの表情を浮かべる。

 先程のロビーでの騒動は、居合わせた者皆が把握していた。

 晒し者同然だった。


「これ、本当に管理官さんがやったんですか」

「違います」


 思わずウィルフレッドが声を掛けると、即座に明瞭な答えがあった。


「……だよな」

「こういうことがよく起こるんです。

 最初は、資料を読む時間が減ってしまうので煩わしいと思ったりもしたものですが、慣れてしまいました」

「ひっでえな。どうにかなんないのかよ」

「やりようはあります。

 ただ、黙って後始末をしておく方が安く済むので……

 エスカレートするようなら、それはそれで手を打ちますよ」


 キャサリンはウィルフレッドの予想を裏切り、消沈した様子も、ショックを受けた様子も無く、ただ淡々としていた。

 慣れたというのは本当なのだろう。慣れるほど何度もこういう目に遭ってしまった。


 ぶつける先のない怒りがウィルフレッドの臓腑を焼く。

 こんな神殿学校のイジメみたいなことが、あろうことか栄えある連邦冒険者ギルド本部で。あんな、人とは思えないほど優秀で誠実なキャサリンに。

 何か、明らかにおかしな事が起こっているのに、それをウィルフレッドにはどうにもできない。


「手伝ったら、余計なお世話ですか」

「えっ?」


 それくらいしかウィルフレッドにできることも、言える事も無かった。

 キャサリンはいきなり叱られた時よりも、よっぽど驚いた顔をした。


 頭をぶん殴られたような衝撃をウィルフレッドは感じた。

 彼女は管理官という仕事柄か、それとも貴族としての教育の賜物か、いつも自分が完璧に見えるよう取り繕っていたのだとウィルフレッドは気付く。演じられた虚像としての完璧な淑女だ。

 しかし、ほんの一瞬、彼女の仮面が剥げた。

 戸惑いつつも安堵した様子の、偽らざる表情。


 彼女もまた人であるのだと知った瞬間、ウィルフレッドの心臓が弾む。

 偶像でも幻でもなく、手を伸ばせば触れられる場所に彼女は居る。


「いいえ、そんなことはありません。

 ありがとうございます」


 すぐまたキャサリンはいつもの調子で礼を言った。

 炎と灰燼の色をした目を細めて。花弁のような唇を綻ばせ。


 ウィルフレッドは素手のまま、割れた花瓶の破片ごと、何かを誤魔化すように散らばった花を拾い始める。

 彼女の顔が見られない。


「あー……強くなったな俺。

 花瓶の欠片程度じゃ指切れねえや」


 濡れた陶片をちりとりへ放り込む。

 まだ少しだけ鼓動が早い。

 己の剣腕に自信を持っていたはずのウィルフレッドは、久々に無力を感じていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] さらっと「一線越えたら対処できる」みたいなこと言ってるキャサリン凄いな(虚勢でないなら) 帳簿と照らし合わせて不正とか見つけてそう
[良い点] 弱いもの集まれば より弱いものを叩く どこまで流れても 差別はある 人は誰もが弱く 臆病だから目を閉じる 《ポッと出の没落貴族の子女より劣る自分[ほんとうのせかい]》など 見たくはない
[一言] いつも100点をとる子って疎ましがられますからね。女性の管理官の方達の連携もしっかりしているようで。係長も損な役回りですね(悲しみ。 さてさて、素敵な出会いがキャサリンにありそうですね。彼が…
2020/11/20 22:32 退会済み
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