[4a-1] 伯爵家の黄昏
ディレッタ神聖王国による『シエル=テイラ解放軍』の派遣は成功裏に終わった。
"怨獄の薔薇姫"と、彼女の率いるアンデッド軍団は王都テイラ=ルアーレを放棄して脱出。
その後、東の果てで一騒動起こすことになるがそれはまた別の話である。
これに喝采を送ったのが、ジスランの死によって窮地に立たされていたシエル=テイラの東側諸侯である。ディレッタの後ろ盾を得た彼らは、既に立候補期限が過ぎていた王太子選定会議に新たな候補を擁立。横暴を指摘する西側諸侯の抗議も意に介さず、ある程度の体裁のみは整えて王太子選定を強行した。
西側諸侯は選定会議の無効を訴え、さらにジスランの死に関して『ディレッタ神聖王国によるおぞましき介入』を主張。
ジスランがディレッタの技術によって聖獣と融合させられ、操り人形にされていたという(仮に事実だとしてもどこから情報を掴んだのか不明な)陰謀論的批難を展開した。
西側諸侯の強気で強硬な態度は、ディレッタを後ろ盾とした東側に対し、ジレシュハタール連邦の後ろ盾を得ているためでもあった。
ディレッタの仲介によって協議の席も設けられたが東西諸侯のミゾは埋まらず、遂にシエル=テイラ王国は、各々が正統王権を主張しながらの東西分裂へと至った。
王都を含む東側にはディレッタ神聖王国の庇護を受けた『シエル=テイラ王国』。
西側にはジレシュハタール連邦と繋がりの深い『西アユルサ王国』。正統王権を主張しながら『シエル=テイラ』の名を冠していないことは揶揄の対象にもなったが、『国家が本来の形となるまでシエル=テイラの名を名乗るべきではない』と説明したきり、西アユルサは沈黙を貫いている。一説には、西側へ付いた元第二王宮騎士団長バーティル・ラーゲルベックがこの国名を強く推していたともされるが、あくまでも噂の域を出ない情報だった。
かくして、シエル=テイラ王国の鉱物資源を巡る混乱と列強の争いは、多くのグラセルム鉱山が位置する東側をディレッタ神聖王国が勢力圏に収めたことで、一応の決着を見た。
……結果はどうあれ戦いは終わったのだと、一部の人々を除いては思っていた。
* * *
西アユルサ王国の建国より、少し前のこと。
キーリー伯爵領、領都エルタレフ、『薄暮の歌声』城。その談話室にて。
北国の雪もようやく溶けて、暖かな日差しの中で、しかしその部屋の空気は鉛のように重かった。
部屋の中には二人きり。
片や濃紺のスーツを身に纏う、全身に針金でも入っているかのように四角四面のキビキビした動作の青年。トレヴァー・ヘンリック・キーリー。前領主オズワルド・ミカル・キーリーの長男であり、彼の死によってキーリー伯爵家の当主、そしてこの伯爵領の領主となった。
対するは キャサリン・マルガレータ・キーリー。伯爵家の次女であり、トレヴァーの妹だ。
「……では、キーリー伯爵家お取り潰しの結論は変わらないのですか?」
キャサリンが言うと、トレヴァーは瞑目して重く頷く。
「父上がノアキュリオに味方したことがまずかったらしい。
西アユルサ王国の後ろ盾となる上で、これは絶対に外せない条件だと連邦から伝えられたと。
第二騎士団長……いや、今はもう違うか。ラーゲルベック卿もとりなしてくださったが結論は変わらなかった」
国家の東西分裂という大混乱の中では枝葉に過ぎないのかも知れないが、それでも当事者にとっては全てが変わってしまう決定だった。
西側諸侯の後ろ盾となるジレシュハタール連邦は、キーリー伯爵家の存続を認めなかった。
クーデターの際にヒルベルト側に付いた諸侯も同じように取り潰しに遭っており、その一環だった。
ジレシュハタール連邦にしてみれば、旧シエル=テイラの西側だけでも再獲得する上でヒルベルトのような問題が二度と出てこないよう、不穏分子を一掃しておきたいのだろう。
そしてキーリー伯爵家は不穏分子と見做された。
「お父様は、そのようなつもりでエドフェルト侯爵に味方したわけではありませんのに……」
「ああ。ヒルベルト二世陛下からもあからさまに敵視を受けていたわけだからな。
だが、ジレシュハタール連邦にとって所詮は他国のこと。そのように細かい事情を酌んでやる義理も無いのだろう。それよりもリスクを潰す事を優先したわけだ。
政治とは……少々無情で雑な方が、効率は良くなるものだ。我らに叛意無くとも、それを連邦側が確かめることは難しいのだから」
無念の滲む声音でトレヴァーは言う。
微に入り細を穿ち人心を把握・掌握する政治は理想だろう。だがそれはコストとリスクを背負うことでもある。
キーリー伯爵家に叛意は無いか。跡目を継いだトレヴァーはどのように思っているのか。調べ、監視し、幾許かの危険を承知の上で信頼する必要がある。
それほどの価値は無いと、ジレシュハタール連邦は見做した。
「私は、受け容れるしかないと思っている」
突き刺されて血を吐くような口調でトレヴァーは言う。
ふと、キャサリンは深く暗い奈落の上に腰掛けているような心地になった。トレヴァーは……自分たちは、このキーリー伯爵家を消し去ろうとしているのだ。
「何が民のためであるかと考えれば、この混乱を一刻も早く収めねばならぬ。父上であれど、そうお考えになったことだろう」
「私も……そう思いますわ、お兄様」
トレヴァーは辛そうではあったが、揺らいではいなかった。
トレヴァーとキャサリンは共に、父の背中を見て育ったという点で通底するものがある。
民と共に在る民の英雄だった建国の祖たちとは違う、生まれついて身分を持つ者であるからには、生まれ持った己の責務を理解し、民を導き尽くさねばならぬのだと。
その考えに照らせば結論は一つだ。
この国を混乱から立ち直らせるためには再び、大国が布く秩序の下に入ることが最善。そのための障害は取り除かなければならない。たとえそれが伯爵家そのものであったとしても。
「連邦からは、我々一家の生活は保障すると申し出がある。
これは私を野に放つより手元で管理しておきたいと考えたためだろうがな」
「使用人の皆は……」
「流石に養いきれぬ。
これから私は一生分の紹介状を書くことになりそうだ。
働き口を見つけられるだけ見つけてやりたいが、新たな統治がどのような形になるかも分からぬからな……今の時点ではなんとも言えないか」
見知った使用人たちの顔がキャサリンの脳裏をよぎる。
彼らのほとんどはこのシエル=テイラ……もとい、西アユルサ王国に残ってそこで働き口を探すのだろう。
伯爵家の居城に勤めていたとあれば通りは良いから、次の仕事を見つけるにも苦労はしないと思いたいが。
「何より大切なのは統治と行政の引き継ぎだな。問題が起これば苦しむのは民だ。
可能な限りの準備を整えねば」
「お兄様。私にできることは?」
キャサリンは当然の質問のつもりで聞いたが、トレヴァーは少しばかり虚を突かれた様子で寸の間、考え込む。
「私の名代として別れの挨拶回りに出てくれると助かる。本当に重要な相手は私が会わねばなるまいが、それ以外は構わぬだろう。
本来これは夫人の役目だが、私は未婚だ。事情も事情だし理解も得られよう……
それに私は、お前なら立派なレディとして役目を果たせると確信している」
「分かりましたわ、お兄様」
レディと言われたことがキャサリンには嬉しくて、重い。
もはやキャサリンは、キーリー伯爵家という揺り籠の中には居られないのだ。
僅かな時間とは言え伯爵家を本当の意味で背負って立ち、そして捨てなければならない。
「それが終わったら、一足早く連邦へ行って、母上に付いていてほしい。
……やはり心労が祟ったのだろう。また体調を崩されたそうだ」
「はい……」
温かな日中の日差しはいつしか赤く燃え上がり、談話室に落ちる影は徐々に濃くなっていた。
* * *
キーリー伯爵領は、後にシエル=テイラの建国王となるエドワード一世がかつて人魔の戦争において切り取った土地の中から、仲間であった"戦場の歌姫"ジャネット・キーリーに分け与えた領土だ。
それ以来100年ほどにわたって、キーリー伯爵家は王家に仕えると共にこの地を治めてきた。
西アユルサ王国の成立と共に、その領地は改易の対象となり、キーリー伯爵領は歴史に幕を下ろした。
領主であった伯爵家との別れに際しては多くの領民が涙し、"怨獄の薔薇姫"との戦いで命を落とした前領主オズワルド・ミカル・キーリーがどれほど慕われていたか、その証左となった。
第四部もがんばっていきます。
とりあえず10話くらいまでは静かな展開ですが、どうぞお付き合いください。