[3-61] 救世主は3日、イカは8.5秒
床に適当に置かれたミスリル製の魔力導線コードに、ミアランゼがじゃれついていた。
『戦乙女?』
スチームパンク系物体が散乱するエヴェリスの研究室で、いつぞやのように蛍光グリーンの液体シリンダーに漬かっていたルネの所にエヴェリスが報告を持ってきたのは、ルネがサーレサーヤを喰らってから6日目のことだった。
最初は気絶しているか絶叫しているかどちらかで記憶も曖昧、シリンダーには気が付けば内側からの傷がいくつも付いていたが容器をぶち破らないだけの理性は辛うじて残っていたらしい。
喰らった魂もようやく馴染んできて苦痛が治まりつつあり、ルネも話を聞く余裕ができていた。
「そ。要するに天使兵ってとこかな。神が地上に遣わし、人々のために戦わせる神の手先。
そいつが一匹、ディレッタに遣わされるって情報を掴んだんだ。
ディレッタではあっちこっちの神官が託宣を受けたって」
『……強いの?』
謎の薬液の中に居るルネは≪念話≫の魔法でエヴェリスに言葉を伝える。
「ピンキリ。神秘の量だけなら間違いなく姫様が数段上。神器やら持たされたら厄介だけど、そりゃ人族の戦士でも同じことだし……
いくら天使っても、数を出してナンボの雑兵だからね。私も四百年前の戦いでは結構見たよ」
神々は滅多に地上へ顕現せず、その代わりに人と神の間を取り持つのも天使や悪魔の役目だった。
先日、エヴェリスのお得意様の悪魔がルネの前に姿を現したように、天使も何か用があれば人族の前に姿を現し助力や助成を行うものだ。
天使は神の奇跡を授かるための御用聞きだったりもするのだろうけれど、エヴェリスの話を聞く限りでは、ヴァルキリーはもっと直接的に天の尖兵となり人族のために戦う役回りということか。
「姫様が青軍をこっぴどく負かしたから、この世界は邪神勢力がちょっと持ち直した。
その揺り戻し……世界のバランス取りで、大神側は神様ポイントがちょっと入ったわけね。
それでヴァルキリーを遣わしたみたい。
もうちょっと溜めてからデカイ加護を出してくると思ってたんだけどなー」
胸の部分がキツくて閉まらないらしい白衣姿のエヴェリスは、ディレッタで発行されているらしき新聞を何部かまとめてルネに示す。
どれもこれも一面に大きな文字で『ヴァルキリー』という言葉が踊っていた。
「人族超優勢の世の中だから、久々に加護が下されるってことでディレッタはお祭り騒ぎだけどねー……
ま、ヴァルキリー一匹が脅威になる公算は低いから、そこまで気にしなくていいと思う。
地上への伝令係として、とりあえず一匹出しといたんでしょってのが現状の私の見立てね。
念のためご報告まで」
『そう……分かったわ』
新聞を机の上に放り出し、エヴェリスは肩をすくめる。
その新聞は荒れ放題だった机への最後のトドメとなり、直後、山積みの資料を巻き込んだ雪崩が発生した。
* * *
白い石と黄金の装飾によって築かれた輝かしいばかりの礼拝堂には、冬の朝のように厳粛な空気が立ちこめていた。
ディレッタ神聖王国の要人という要人が参列する向こう、二段ほど高くなった広いステージ上の空間に魔法陣が敷かれ、白く輝かしい光が舞い飛んでいた。
「主よ。天の門を開きて、その御手を我らに差し伸べたまえ。
その威光を我らに崇めさせたまえ。その全知を以て我らを導きたまえ……」
供物を並べた祭壇の前に跪くのは教皇ナザニエル三世。
神の威光を示すかの如き豪奢な装束の彼は、禿げ上がった頭を垂れて朗々と祈りの文句を唱えていた。
「貴方様の忠実なる下僕が、貴方様の御使いを歓喜と共に迎えます。
願わくばその恩寵にて我らの命を贖いたまえ……」
魔法陣の光は徐々に強まり、ステンドグラスから差し込む陽光さえも霞むほどになった。
「おお……」
「光が!」
見守る者たちは高揚した様子でざわめき声を上げる。
青白く神々しい輝きが、やがて全てを埋め尽くしたその時、突風のような聖気の圧力をその場に居た誰もが感じた。
そして光が収まった時、人に近い姿をしたものが魔法陣の中に立っていた。
「あれが……戦乙女……」
ほんの僅かでも聖職者として修行したことがあるなら……つまりこの場に居るほとんどの者が……魂で感じ取れるほどの神々しさに打たれたようになり、自然と居住まいを正していた。
それは、不思議な輝きの鎧を身に纏う有翼の女性だった。
僧衣の如き丈の長い装束の上に、乳白色に近い色の胸甲とスカート状の鎧を身につけている。
背中の羽は一切の瑕疵を持たぬ無垢なる純白。柔らかな質感ながらも骨太な印象で、決してこの天使が無垢なだけではないのだと思わせる。
聖印を象った面覆いによって顔は覆われ、表情は口元しか窺い知れない。
「偉大なる御方の御使いよ。ようこそ罷り越してくださいました。
……地上に生きる者らは闇に脅かされております。どうぞ我らの戦いをお導きください」
地上に顕現した天使と会ったことがある者など、ディレッタ神聖王国のお偉方であっても今はそうそう居ない。
さしものナザニエルと言えど緊張の滲む声音で出迎えた。
しばし直立不動で、ヴァルキリーはナザニエルを観察していた。
「チッ……」
そして彼女は、舌打ちをした。
「叩けばいくらでも埃が出るくせに、口だけはご立派なことを言いやがる……あたしが居た頃と一個も変わっちゃいない」
「え?」
「臭くてたまらないよ、教皇サマ。罪のニオイだ。禊ぎの一つも済ませてから出迎えてほしかったもんだね。
仕事上がりに女の子と遊ぶのはもう止めな。子どもは早寝に限る!」
「な……に!?」
開口一番、彼女はナザニエルを指弾する。
若々しくも少し掠れた彼女の声音は、慈母の包容と厳母の冷徹を感じさせるものだった。
唐突な罪の告発にナザニエルは腰を抜かした様子で、儀式に参列している者らも……ナザニエルのそれは知り得ている者も多かったので、そういう意味で驚く者は少なかったが……雲行きが怪しいことを察してざわつき始める。
「あぁ!? よく見りゃそこのハゲ、マルコ・レッペルトじゃんか!」
ヴァルキリーは急に、祭壇の下に並んで座っていた者のうち一人、僧衣を着た中年の男を指差して叫ぶ。
「隊のカネに手ぇ出して左遷されたはずのあんたがなんでここに居る? 結局出世しやがったのか」
「なななっ、何故そのような、いや、これは……」
いきなり指名された男、マルコは泡を食ってしどろもどろに何か呟くことしかできなかった。
雲行きが怪しいどころの話ではない。何かがおかしい。
その場に居た者たちのほとんどがそれを理解しつつあった。
「まあ随分と豪勢な出迎えだこと。つっても人数からするに、あくまで内々の儀式か。
あたしを見世物にしなかったことだけは褒めてやろう。
でも捧げ物が気取った木の実だけってのはちと勘弁してほしいね。貯め込んでんだろ? あんたら」
ヴァルキリーは魔法陣前の祭壇に並んだ供物を見て、聖別された数種の木の実を行儀良く盛り付けた金の皿から、指先ほどの大きさの木の実を何粒か頬張る。そして聖水で満たされた小さな金の杯を摘まみ上げると、軽く飲み干して口元を歪めた。
彼女は供物をどけて祭壇に座り、行儀悪く足を組んで人々を睨め回した。
「こちとら何ヶ月ぶりかの娑婆なんだ、ちったあ羽を伸ばさせとくれよ。
美味い酒でも出してくれないかい? ツマミに煙草の一服もあれば最高だね」
挑発するような彼女の物言いに、誰も彼もが唖然となっていた。
ここまでお読みになってくださいましてありがとうございます!
第三部・遷都転進編は以上をもちまして完結となります。
第四部A・薔薇姫の呼び声編は近日投稿開始予定です。
今しばらくお待ちください。
・第四部は主にファライーヤ共和国が舞台です。AB二分割してお届けします。
・時間が数年ジャンプします。ルネサイドは年取らない族ばっかだけどね!
・A面は第三部で出番が無かったキャサリン重点です。と言うか今回主人公です(ルネの出番がまた減る……)
・ルネが逃げた後、シエル=テイラがどうなったかという辺りの話も出ます。
・共和国編と言いつつジレシュハタール連邦も舞台になります。
・B面はハリウッドめいたなんかになりそうなので、A面はジメっと和製ホラーゲームめいたなんかをやりたいです。(具体的なプランを詰めるために多少のネタ出し期間をいただきます)