[3-51] 私は偶然ここへ来て、戦って、います。エルフは無関係。
樹雫の懸念はすぐに裏付けられた。
イール川の上流からは、地脈そのものであるかの如き多量の魔力が検出された。
ただし、その魔力は川の水を街の傍らで調べてもほぼ検出されず、どこかで……つまり、あの水門のような設備を使って……抜き取られている様子だった。
川は、道である。
概念として道である以上、それは確かに魔法的に何かを通す経路として利用できる。物理的に水が流れているのだから、上流から下流へ魔力を流す分には適していると言えるほどだ。
可能だとしても普通そんなことを思いついて実行するか、という異論は大いに認められることであろうが。
つまり魔物たちの軍は、勢力下に置いたルガルット王国の地脈に大森林から魔力を流し、それを何らかの手段でイール川へ落とし込んで下流たるトラウニルの目前まで運んでいるわけだ。
本来、都市防衛戦において地脈を確保している防御側は圧倒的な魔力リソースの優位を得る。
だが今やそれが完全に逆転していた。
落雷の如き発射音と共に、色とりどりの光が宙を舞う。
実体弾を用いない、魔力投射砲による攻撃だ。
光の砲弾は真昼の流星の如く飛翔し、街壁や塁壁にぶち当たっては防御機構によって相殺される。壁の内側を狙う弾道で放たれた魔法弾は、街を覆うように展開される光の壁によって阻まれて散った。
当然、街側からも反撃を加えてはみたが、攻囲する魔物たちも防御用の防衛設備を……本来都市防衛に使われる、大規模に魔力を消費する障壁展開装置を備え、反撃を防いでいる。街側と同じように光の壁が展開されては、砲撃を弾いて砲や兵を守っていた。
敵の防御を貫けないなら魔力の無駄だ。青軍はすぐに反撃を止め、防御に徹する判断を下した。
* * *
攻囲開始から二日。
絶え間の無い砲声は市民の眠りすら妨げ、不安と絶望を煽っていた。
岩の砦の司令官室の壁には、右肩下がりのグラフが描かれている。
都市が貯蔵する魔石の残量だ。
魔力が尽きて防御ができなくなった時、魔物どもの大砲は全てを焼き払うだろう。
その前に状況を打開しなければならない。しかし、絶え間なく砲火に晒され、さらに対人攻撃用の兵器もちらほら見える中、無策に打って出るわけにはいかない。
「やはり援軍は間に合わぬか……」
樹雫はグラフを見て唸る。
既に通信によって青軍本体からの援軍を要請していたが、おそらく増援が辿り着く前に魔力が尽きるだろう。
と、なれば手元の戦力と、大森林の拠点に展開している戦力でどうにか攻囲を破るしかない。既に森側の部隊にはトラウニル救援の準備を進めさせている。
いざという時に使える魔力の量は、時間が経つほどに減っていくのだから、行動は可能な限り早くすべきだった。
「司令官殿、少しよろしいでしょうか」
「入りたまえ」
岩の壁に嵌め込まれた扉を叩く者がある。
司令官室に入ってきたのは樹雫の副官、燕昇だ。中年の人間である彼は帝国に征服された国の元軍人で、類い希な軍才を持ちながらも家柄のせいで出世が叶わず帝国軍に移ってより頭角を現した男だった。
「……こちらをご覧ください」
燕昇が樹雫に手渡したのは、馬にでも踏まれたかのように皺が寄った新聞だった。
「『トラウニル陥落間近!』『青軍は市民を見捨てたか』……何だこれは?」
「『カムルハーン日報』の偽物です。一昨日付で、本物とほぼ同じ内容ですが、一部の記事のみがこの街の戦闘に関するものに差し替えられております。
先程、街の上空を巨大な鳥の魔物が横切りまして、そこから街にばらまかれました」
いかにも新聞らしい文体で現在の戦況が解説され、敵軍の奇策と街側の魔石の枯渇について風刺画か浮世絵のような図まで添えられている。新聞自体は偽物でも、記事の内容自体には嘘が無いというのが禍々しい。
『このままでは死ぬ』という恐怖を煽るには十分な内容だった。冷静な者ならば偽物だと気が付くかも知れないが、今冷静な者は少ない。
「他に、このようなものも」
燕昇は、『降伏勧告』と赤字で大きく印刷されたチラシを取り出す。
青軍ではなく市民に向けたものであるらしく、降伏して街の門を開くのであれば命を助けるという事、さらに街を疫病から救うためポーションを提供すること。
さもなくば青軍諸共皆殺しにして、死者としてシエル=テイラ亡国に仕えてもらうという冒涜的な内容が書かれていた。
「このチラシと一緒に、疫病の治療に用いるポーションが100本ほど投げ落とされました。
全て落下の衝撃で割れましたが……」
「街を焼く準備だけはさせておけ」
うんざりした気持ちで樹雫は命じる。
「嫌な揺さぶりを掛けてくるものだ。
だが、まともに取り合わなければいい。こちらも形振り構ってはいられないのだから、合理的に戦うだけだ」
もしまともに街を守る気があるのなら、こうした揺さぶりは効果的に機能したかも知れない。
だが、樹雫は既に市民を見捨てる構えだ。敵に回すことすら織り込んで動いている。
今、街への砲撃を防いでいるのだって、相手の狙いが魔力枯渇である以上、街を見捨てても陣を集中攻撃されるようになるだけだからに過ぎない。
疫病の流行で、街と陣地の分離が進んでいたことも幸いした。街を切り捨てたところで青軍が籠城するには問題無く、魔力を回さぬようにするだけで街は無力化する。
街の者がとち狂って蜂起するようなことがあれば、処理するだけのこと。
後はアンデッドにならぬよう浄化すればいい。
それくらいしかやりようが無いし、それで十分だと樹雫は思っていた。
◇
「うっぷ……」
玉座を収めた黄金の輿から砲撃戦を鑑賞していたルネは、胸から込み上げるものがあるように感じてえづく。
「姫様? いかがなさいました?」
「ただの食べ過ぎだから気にしないで。
……これなら十全に戦えると思う」
「左様でございますか」
傍らのアラスターが気遣うが、ルネは体調がおかしくなったわけではなく、むしろ回復中だった。
エルフたちが蔵していた、過去の大戦で大神より賜ったとかいう奇跡の武器によってルネは傷付けられた。
それらの武器はかつての戦いで酷使され、さらに長い時間を経て力が薄れていたとは言え、普通のアンデッドなら消滅していてもおかしくない攻撃だった。
この傷から回復するためには上質の魂を喰うのが最も良いのだろうが、ルネにとって次の獲物であるサーレサーヤを喰えるのは、おそらくこの戦いが終わってからだろう。そこで、攻囲作戦のついでに講じた次善の策がこれだった。
トラウニルの人々は疫病に恐怖しつつ、青軍の不十分な対応にやきもきしつつ、攻め寄せるシエル=テイラ亡国を恐れつつ、見殺しにされることに怯えながら怒っている。
閉じた壁の中でエコーチェンバーのように高められていく複合的で強烈な負の感情は、ルネにとって最高の食事だった。
ルネの本体は霊体であり、人の負の感情を食らう、アビススピリットという魔物だ。
これほど濃密な大量の感情に晒されれば、少なくとも短時間の戦闘は問題無く行える状態になるだろう。痛み止めとカンフル剤で無理やり身体を動かしているようなものではあるが……
「やはり敵軍は市民を見捨てる魂胆のようですな」
アラスターは報告がまとめられていると思しき紙束をめくりつつ所感を述べる。
「足手まといにはなってくれなさそうね。暴動は?」
「街に潜り込んでいる商人に金と薬を握らせ情報を得ているのですが、どうも青軍がかなりきつく脅しているようです。主導的立場になれるであろう者がことごとく抑えられております。
なんらかの事件が起こるのは時間の問題と思われますが、致命的な規模となるかは不明です」
「この国、青軍に負けたばかりだものね。反抗できる気力のある人は少ないか……」
ルネは白昼の花火大会めいた様相を呈する街を眺め、そこから吹き出してくる感情を味わう。
それは確かに、為す術が無いからこその抑圧された怒り、踏み躙られた屈辱であるのかも知れなかった。浮き足立つほどに美味だが、のんびり味わってばかりも居られない。
本当なら青軍が出てくるのと同時に暴動でも起きたら最高だったのだが、そう上手くは行かなそうだ。
「まあ、最低限の役割は果たしているから良しとするわ。
二日以内に相手の魔石を枯渇させるつもりで攻撃を続けなさい」
「御意に。
……もうじき、痺れを切らして仕掛けてくることでしょう」
ルネは頷く。
大森林内部の陣地を固めていた部隊が、こちらを狙って動こうとしていることは既に掴んでいた。
攻囲を破るには、その部隊を使うより他にないだろう。
そして、さらに一手。
「……帝国では、無双レベルの強者を『特殊戦闘兵』って言うんだっけ?」
「はい。同じく敵方の突出した強者を叩くため用いられる兵科です」
「ちゃんとそういう分類を作ってるのね。領主にそれぞれ家臣を指揮させるよりは先進的だわ」
「旧シエル=テイラの王宮騎士団も似たようなものではありました。
国中から出自を問わず秀でた兵を集めたもので、言うなれば騎士団全体が『特殊戦闘兵』であったと申しましょうか……数を揃えた分、帝国のそれに比べれば遥かに質で劣っておりましたが」
ルネが前世を生きた某太陽系の第三惑星とは異なり、この世界では鋼の鎧を拳でかち割り、象に踏まれても擦り傷で済むような化け物級の強者が人族の中にさえ存在する。戦いの経験を積む中で、物理法則を超えた魔法的身体能力を獲得していく者たちだ。
戦場における彼らは人の形をした戦略級兵器であり、雑兵相手なら百や二百を容易く蹴散らす最大級の脅威となる。
彼らを暴れさせたら勝負が決まってしまう。その対策としては同等の強者をぶつけるのが定石だ。
規格化された兵たちが集団戦を繰り広げる傍らで、超常的強者のぶつかり合いが起こる(その余波だけで兵の数百は吹き飛びかねないが……)のが戦場の風景だった。
いくら一方的な戦いができると言っても、戦えば傷は負うし疲労もする。そこを敵方の切り札に狙われたらひとたまりもないので、無双の強者であっても扱いには気を遣うものだ。
彼らが雑兵相手に投入されるのは、優勢となった戦いに決着を付ける時か……あるいは、リスクを承知で無茶な戦いをしなければならない時か。
「我が軍も『特殊戦闘兵』の準備を致しましょう」
「そのようになさい」
周囲の感情を吸い上げているルネには、トラウニルの街だけでなく、それに隣接して築かれた青軍陣地の様子もある程度分かる。
希望を抱いている、とまでは言えないが、しかし彼らはまだ絶望していなかった。