ミックスナッツ
「この中で、何が一番好きだと思う?」
運ばれてきたミックスナッツを指先でいじりながら彼女は言った。指先には花柄のような絵が描かれているが、薄暗いバーの照明ではその色鮮やかさまで分からなかったので、僕は話題の一つを失って損した気分になった。
僕は彼女の質問を頭の中で反復してみた。「この中で、何が一番好きだと思う?」ミックスナッツの好みなんて考えたこともなかった。
「当てたら、何がもらえるのかな」
彼女はその瞳を僕に向けた。カウンターで隣り合っている時、僕は彼女の瞳を見なくて済んだのだが、真っ直ぐに僕を見つめるその瞳は、この場所に相応しくないくらい幼く、純粋で、つい先ほどまでセーラー服を着て授業を受けていたと言われても納得できるくらいだった。いや、今時は現役の女子高生のほうが大人びていて世慣れしているように感じる。彼女の体つきは十代後半から時を止めてしまったかのように細く、――それはただ細いだけでなく、内側からはち切れんばかりの活力を留めながら、しなやかに脈打っていた――体つきはこれから完熟された女性らしさを身に付けてゆくことを示唆するかのように、その成長を八分目くらいのところで終えていた。ここまで完璧な未完の肉体が存在するのかと思うと、僕は思わず唾を飲み込んだ。
吸い込まれそうなほど澄んだその瞳は確実に僕をその視界に捉えながら、僕の後ろの壁にかかっている古い英字のポスターを見ているように虚ろだった。しかしそれもふっと緩み、また正面を向きなおした。
「そうね、朝まであなたといてあげてもいいわ」
僕としてはそんなつもりもなかったし、彼女のその発言は僕を多少がっかりさせた。でもよくよく考えれば彼女は僕より四つも年上で、もうすぐ三十になろうとしていたのだ。
「じゃあ真剣に考えないといけませんね」
僕は何とか模範解答を捻り出して言った。彼女は小さな皿に盛られたミックスナッツから一つ選び、口に運んだ。カシューナッツだった。
「カシューナッツは正解じゃないみたいだね」
「どうかしら?好きだから食べたのかも知れないわ」
彼女は横顔のままくすくすと笑った。彼女の笑顔は素敵だった。これで世界に永久の平和が訪れたんじゃないかと思うくらい、ほっとする笑顔だ。
「なんとなく、アーモンドやピーナッツじゃなさそうだし、ピスタチオはこないだ面倒だから嫌いって言ってたっけね」
「そうだったかしら?割と記憶がいいのね」
彼女は話題に上ったピスタチオの固い殻をその長い爪で割った。爪が割れたかと思うくらい綺麗な音がして、実が中から飛び出した。「でも嫌いじゃないわ、面倒なことを別にすればね」
彼女はピスタチオのようだな、と思った。固い殻の中から魅惑の眼差しで僕を覗き込んでいるナッツの女王。自分の自由が最優先で、恋でもしてなきゃ扱いが面倒でしょうがない。
「じゃあ、ジャイアントコーンかな」
「なぜ?」
僕は考えた。ジャイアントコーンと答えた理由なんて特になかったから。間を埋めるためにもう一杯スプリッツァーの頼む。彼女も麦か芋かも分からないような、厳かな名前の焼酎を注文した。焼酎という選択肢も、彼女の幼い容姿には全く似合わなかった。
「特に理由はないんだけど…」彼女はグラスを空けた。こんなのはただのお遊びよ、酒も、とりとめのない会話も、と言わんばかりに。「僕がジャイアントコーンを好きだから、かな」
「ふうん」
彼女の答えは短かったが、恐らく正解だったのだろうと思う。彼女はもう一度僕の顔を覗き込み、澄んだ瞳でポスターの裏側まで見通していた。恐らくはその背後に浮かぶ灰色がかった雲や、その奥にある誰にも発見されない名もない小さな星すら見えていたかもしれない。そんな彼女の目が、僕の浅はかな思惑が見通せていないはずがない。でも僕は彼女にとってピーナッツくらいのありふれた存在だったのだろう。
バーテンダーが最悪のタイミングでグラスを僕らの前に差し出した。僕の口はからからに渇いていて、早くそれを口にしたかった。彼女は全くグラスの存在に気付いていないかのように、まだ虚ろな瞳で彼女の広大な宇宙を見つめていた。
僕は彼女に恋をしていたが、僕の姿はその瞳に映っていなかった。