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発言を許されたドリカは、がばっと顔を上げ、シグナのチュニックをぎゅうっと握りしめた。
「あ、あのっ! わたし、虫が苦手なので、せめて定期的に牢屋はお掃除をしていただけると…!」
「ん?」
ドリカの言葉に、シグナが目を眇めた。
今の発言で、シグナの不興を買ってしまったと思ったけれど、ここで言わねば2度と懇願の機会はないだろうと腹をくくる。
「シグナさまにとって、わたしは罪人かもしれませんが、罪人にも最低限、人間として生きる権利があると思うのです。おトイレもない牢屋にずっと幽閉とか、そんなのもう、お前死ね、と言っているのと同じじゃありませんかっ」
「………」
シグナがあきれた顔をしている。
「そ、そうですよね。シグナさまからしたら、罪人が何言ってんだですよね。でも、一寸の虫にも五分の魂と言うじゃありま……あ、これ日本のことわざだった。ええと、どんなにちっぽけな存在にも、感情はあるという説もあります。ですから、シグナさまに少しでもお慈悲があるのなら、せめてわたしを人として扱ってくださいませっ」
「………」
瞳に涙を潤ませながら、シグナを見上げるドリカ。
シグナは思わずドリカの手を離し、今にも涙がつたいそうな薄紅色の頬に、そっとふれる。
「………大丈夫だ。あなたに危害を加える者は、おれがすべて排除しよう」
「…!」
シグナの言葉に、ドリカは瞳を大きく見開いた。そして、すこし怯えながらも口を開く。
「ほ、本当ですか…?」
そんなドリカに、シグナは、口元におだやかな笑みを浮かべつつ答えた。
「ああ。約束しよう」
しっかりとうなずいて見せたシグナに、ドリカは、ほう、と安堵の息をつく。
「ありがとうございます、シグナさま。では、参りましょうか」
すこし寂しそうに言うドリカに、シグナが訊ねる。
「どこに?」
シグナの問いに、かわいらしく首をかしげながらドリカが答える。
「どこって………、…牢屋?」
「何故?」
「なぜって………、アナベルさまをいじめた罪?」
「誰が?」
「えっ、誰がって…………………わたし? やってないけど」
小声ではあったが、つい本音を言ってしまったドリカは、しまったと両手で口を押える。
せっかく、牢に入れられたあとも、人並みの扱いをしてもらう約束を取り付けたのに、ヘタに冤罪を主張してなしにされては困るのだ。
そう思って慌てふためくドリカに、シグナはあっさりとした口調で言った。
「その通りだ」
「はい、その通りです。アナベルさま曰く、わたしが犯人です」
まるで、木を削るキツツキのような速さで、小刻みにこくこくこくとうなずくドリカに、シグナは首を振る。
「おれが言いたいのはそっちじゃない。それに、やってもいない罪をあっさり認めるのはどうかと思うが?」
「……やってもいない罪?」
不思議そうにするドリカに、シグナは問う。
「あなたは本当に、アナベル・ローエン男爵令嬢をいじめたのか?」
「いじめてません」
本当に、の部分を強く訊ねられて、思わずドリカはふるふる首を振る。
「そうだ。だからあなたが裁かれる必要はない」
「えっ?」
「……そこで何故驚くのかが、おれには分からないんだが」
呆れたように言うシグナに、ドリカはあたふたと答える。
「だ、だって、わたしがアナベルさまをいじめてるって噂が立ってて…! シグナさまをはじめ、アナベルさまの取り巻きの方たちは、アナベルさまの言ったことを信じてらしたみたいだし、そちらにはエリク王子さまもいらっしゃるから、わたしに勝ち目はなさそうなので、だったらさっさと…」
「逃げようとした?」
シグナが、きつい口調でドリカの言葉尻を奪う。
「そ、そう、……です」
怒っている、そう思って縮こまりながら答えるドリカの頭に、シグナは手を添え、そっと自分の方に引き寄せた。ドリカのひたいに、シグナが着ているチュニックの生地が、今度は軽くふれる。
「怒っているわけじゃない。ただ……ショックを受けただけだ」
「………え?」
ただ……の後のシグナの言葉が、よく聞こえなかった。
ドリカは、首をかしげながらシグナが繰り返してくれるのを待ったが、彼の口から出てきたのは、まったく違う言葉だった。
「とにかく、さっきおれが話した内容は、全く聞いていなかったようだから、もう一度言う。アナベル・ローエン男爵令嬢は、隣国と手を組み、国家の転覆を謀った罪で逮捕される。…いや、もうされたかな。実はおれにも逮捕に向かうよう指示があったのだが、ドリカ・メインス侯爵令嬢が、やってもいない罪をかぶって、今日中に学園を抜け出そうとしているとエリク王子に話したら、あなたを引き留めてから来るように言われた。それで、おれは今ここにいる、という訳だ」
「………」
シグナがゆっくりと話してくれた上、今度はドリカも聞く耳を持っていた。
ドリカは、確認すべく、おそるおそる口を開く。
「あの…、シグナさま」
「何だ?」
「わたしは…、無罪ということでよろしいのでしょうか?」
「ああ」
シグナがドリカを見つめるまなざしは、とてもやわらかい。
「わたしは、アナベルさまをいじめたりしていないと、みなさまにご理解いただいているのですね?」
「そうだ。ローエン男爵令嬢から訴えがあった後、警吏隊に調べさせてみれば、彼女があなたにいじめられたと主張するすべての時間、あなたは他の場所にいたという結果だった」
「………!」
ドリカは、驚きに目を見開いた。
シグナは、ドリカに疑いがかけられたと知るや、きちんとした調査をしてくれたのだ。
ヒロインアナベルの言葉を鵜呑みにせず、彼女の色香に惑わされることなく。
「じゃあ…、シグナさまが、アナベルさまと最近よく一緒にいらしたのは…」
「エリク王子の方針で、ローエン男爵令嬢をしばらく泳がせておくことになったんだ。おれと王子がローエン男爵令嬢を取り合っているように見せて、計画通りにことが運んでいると彼女に思わせていた」
「……、そうでしたか…」
シグナの言葉に、ドリカの体から、するりと力が抜けた。
シグナは、ドリカという婚約者がありながら、他の女性を好きになったわけではなかった。
一瞬、くらりと視界がゆがんだ。
立っているのも辛くて、とっさに目の前にあったシグナのチュニックを握りしめると、シグナもドリカの異変に気づき、腰を抱いて体をささえてくれた。
「どうした? 立ちくらみか?」
心配そうにドリカの顔を覗きこんでくるシグナに、小さな声で答える。
「………大丈夫です。それより…シグナさま、わたしに罪がないとわかっていただけたと言うことは、その……わたしとの婚約は、解消されないのですか…?」
「ありえない」
シグナの言葉は、力強かった。絶対ない、とばかりにはっきりとした否定に、ドリカの口元が、自然とゆるむ。
「そう……ですか…」
何だか体がふわふわする。シグナにすこし体重を預けているとは言え、ちゃんと地に足はついているのに。
もしかしたら、ここ最近ずっと、婚約破棄やら逃亡先の手配やらの準備があり、考えなくてはいけないことややらなくてはいけないことが多くて、心も体も緊張していたのかもしれない。
問題が解決して、全身の力が抜けていくのを感じて、はじめてそう気づいた。
「……将来のことなんだが……」
ドリカの立ちくらみが落ち着いたのを見計らって、シグナが、小さな声で話し出した。
「あなたが小さな家を望むなら、ウェイク家の庭に家を建ててそこで暮らそう。修道服が着たいなら、家の中でいくらでも着ればいい。ただ……、……」
「……?」
途中でシグナの言葉が止まった。不思議に思ったドリカが顔を上げると、シグナの切なげな瞳が視界に入る。
いつも、何を話していても仏頂面をしていて、表情を変えることもほとんどないというか、むしろ一緒にいてもあさっての方向を見ていることが多いシグナが、じっとドリカを見つめている。しかも至近距離で。
「………」
よく見ると、この男は顔かたちが整っていると気づく。
ゆるくカーブが描かれた眉に、涼しげな目もと、すっきり通った鼻筋、ほんのりと赤く色がついた薄い唇。
ヒロインが登場するまでは、家に招いたり招かれたり。学園に入ってからも、昼食を一緒に食べたり、3時のお茶をしたりと、たまに会ってはいたのだけれど、背伸びをすれば鼻先がくっつきそうなほど近くで、ゆっくりシグナの顔を見るのは初めてかもしれない。
「ただ……」
シグナの、ドリカを抱きしめる腕に力がこもる。けれど、先ほどのように、強引に拘束をしようという意図は感じられなかった。
「あなたは恋愛結婚がしたいそうだが、今のままでは難しいだろう。おれとあなたの結婚は、家同士で決められたことだ。生半可な理由ではくつがえせないし、おれにもくつがえすつもりはない」
「………それは……、わかっています」
ドリカは、小さくうなずいた。シグナがドリカとの婚約を破棄しないなら、もうドリカはシグナに、ウェイク家に嫁ぐしかないのだ。
「……貴族の慣習に倣うなら、結婚をし、子を成した後に、家の外で自由に恋愛を楽しむのもひとつの選択肢かもしれない。だが……、申し訳ないが、おれは嫉妬深いんだ。もしも他の男の手があなたに触れたりしたら、おれは、その男を生かしておける自信がまったくない」
「……えっ…?」
シグナの口から物騒な言葉が飛び出てきたことに、ドリカは驚いた。
「人殺しは……、さすがにいけませんわ、シグナさま」
ウェイク家の力があれば、殺しの罪さえも隠蔽できるのかもしれないが、人ひとりがいなくなっているのにも関わらず、完璧に痕跡を消し去るのは難しい。
そのうち、ウェイク家に、いや、侯爵夫人のドリカに近づいた者は神隠しに遭う、なんて黒い噂が立ち始めることだろう。
「そんなことをなさったら、あなたの名誉に傷がついてしまいます」
けれどもシグナは、ドリカの心配をよそに、あっさり首を振った。
「名誉なんてどうでもいい。おれにとって一番大切なのは、――――――あなただ」
「っ…」
熱い吐息が耳にかかり、ドリカは思わず肩を震わせた。
思わずシグナから距離を取ってしまいそうになったドリカだが、シグナの強い腕に阻まれ、その場に留められる。
それでも、ドリカを傷つける意図は決してないやさしい力に、ドリカの胸は高鳴った。
あれちょっと待って。なんでわたしドキドキしてるの?
シグナさまにとって、一番大切なのは……わたし? それって……それって、まさか。
ドリカの思考がひとつの答えにたどり着く前に、シグナはドリカに熱い想いを告げるのだった。
「だから……、恋愛がしたいというのなら、………おれとだけして欲しい」
「―――――……」
思いがけないシグナの告白に、言葉を失いつつも、決していやな気持はしなかった。
それどころか、ドリカはすでに、シグナの腕の中に心地よさすら見つけていた。
これが恋なのかはわからない。ましてや、愛と呼ぶにはまだまだ未熟な気持ちかもしれない。
それでも、力強く、それでいて懇願するようなシグナの想いを受け入れたいと、ドリカは思った。
そう意識してしまうと、とたんに恥ずかしくなったドリカは、顔どころか首まで真っ赤に染めつつ、それでも、小さな声で、はい、と答えたのだった。
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(C)結羽2018
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1時間後に最終話を投稿します。