解答編 ②そこには真実があるだけ
「最初に違和感を覚えたのはここです。リュウが屋上からシュウイチを目撃するシーンのこの文章」
〝 一人の男子生徒が校門をくぐって登校してきたのが見えたのだ。
リュウは頭の出来はさっぱりだが、身体は健康そのもので、中でも目は頗る良い。
屋上に居ながらにして、リュウは登校してくる男子生徒の顔を識別できた。学ランの胸元に刺繍された生徒の名前も読み取ることができる。そこには「木戸」と書かれていた。〟
「これのどこが変なんだい? 普通の文章じゃないか」
「リュウの目が良すぎだとは思いませんか?」
「……そうかな。目のいい人間なら、屋上から胸もとのネーム刺繍くらい見えてもおかしくないんじゃないかい?」
「確かにそうかもしれませんが、この小説から読み取れる具体的な数字と照らし合わせると、このシーンがかなり異常だということがわかっちゃうんですよ」
「…………」
「では、実際ここでリュウがどのくらい目がいいのかを計算してみましょう。計算に必要なデータは全て小説の中に出ていますから。まずは少し場面が変わったこのシーンを見てください。女子のマラソンについて述べたこの文章です」
〝女子のマラソンのコースは昇降口からスタートして直線距離で三十メートル程の所にある校門から外に出る。
そこから校外の決められたルートを走り、再び校門を通って、昇降口がゴールとなる。〟
「そして、最後の方に登場するこの見取り図」
「文章によると昇降口から校門までは直線距離で30メートル。そして、見取り図から読み取れるこの校舎の構造からして、屋上から校門までの距離の最短も30メートルになります」
「…………」
よくもこんな細かい伏線まで拾ってくるものだ。
素直に感心するしかない。
「さて、次は校舎の高さ。物語の冒頭で三階建て校舎とあるので、一階につき3メートルとして、9メートル。これに床や天井も加えなければならないので、屋上の高さをだいたい12メートルとします。さっきも言ったように校舎から校門までの最短距離は30メートルなので、リュウからシュウイチの胸元までの直線距離はピタゴラスの定理を使って計算すると、約32・3メートルとなります」
「なるほど。それだけ離れているのにシュウイチの胸元に書かれた名前の文字が読めるのは確かに目が良すぎだな。でも、それはそんなに異常と言えるかな?」
「言えますね。実際に視力を計算してみればわかります。厳密に言うと語弊がありますが、5メートルの距離から7・5ミリメートルの文字が識別できれば視力1・0です。学ランの胸元のネーム刺繍は一文字あたり大きくとも1センチメートル。つまりは10ミリメートルです。これを32・3メートルの距離から識別できるとすると、5メートルでは約1・55ミリメートルの文字を識別できることになります。すると、リュウの視力はいくつになると思いますか?」
「……さぁ。いくつになるんだい?」
「7・5を1・55で割った値……つまり、4・8以上です」
「…………」
「ねえ先輩、リュウはひょっとしてマサイ族か何かなんでしょうか?」
「…………」
俺は答えない。
その沈黙と俺の額から流れる汗はアリスちゃんが真実へと確実に近づいていることを意味していた。
「まあ正直、これだけなら先輩がよく考えずに文章を書いた結果のミスとして片付けられないこともないんですが、他にもおかしな所がいくつかあります」
次にアリスちゃんはリュウたちが屋上にいるところに教頭が乱入してきたシーンの原稿を指さした。
「この時の教頭の台詞を見てください。『こらー! お前ら! ここに溜まるなとなんべん言ったらわかるんだ!』って言ってますね」
「このシーンのどこがおかしいんだい? 俺にはただ単に不良が屋上でサボっている所に怒り狂った教頭がやってきただけの場面に見えるけど?」
「よく考えてみてください。この時は授業中なんですよ。こんな場面に教頭が出くわしたら、普通だったら言うでしょ。『授業に行け』って」
「…………」
「なのに、この教頭の態度ときたら、授業に行くように説得するどころか、リュウたちを屋上から追い出しさえすればいいと考えているようにも読めます。これはいったいどういうことでしょう」
「それは……」
俺は言いよどんだ。まさかアリスちゃんがここまで丁寧に全ての伏線を掌握しているなど、想像もしていなかったのだ。
「そして、この後もおかしなシーンは続きます。普通、学校の屋上というのは出入り口は一つですね? 教頭に見つかった後、リュウたちは逃走したと書いてありますが、この時、ドアの所には教頭がいたはずです。〝教頭の身体を押しのけて~〟というような描写もありません。リュウたちはいったいどうやって、そして、どこに逃走したというのでしょう?」
「…………」
「そして何より気になるのは、リュウたちに関しての説明の少なさです。他の容疑者である松島やアカネ、ツトムには数学教師や幼馴染、勉強のできるクラスメイトといった詳しい説明があるにもかかわらず、リュウたちは〝グループ〟の一員という説明しかされていません。流れ的には不良グループのことだと推測はつきますが、実は彼らのグループがいったい何のグループなのか正確に書いてある箇所は一つもないのです」
「…………」
「もう私がどんな結論に至ろうとしているか、先輩にもわかりますね? 日本人離れした視力、授業に行かないのを注意しない教頭、不可能な逃走、曖昧な描写、リュウたちの会話の中にある〝人に迷惑をかける〟という言葉、そして人間では到底不可能な犯行……これらの点と点を線で結ぶと、一つの結論が見えてきます」
「…………」
「時に先輩。先輩はさっきここに来る前、漫研の部室に立ち寄って何かを受け取っていましたね。もしかしたら、漫研の人に頼んで今回の小説の挿絵を描いてもらっていたんじゃないですか? 私がこの小説の謎を解けなかったとき、解答編に載せて私に見せることで、私に敗北の味を噛み締めさせることができるよう用意しておいた決定的なイラストを」
「…………」
俺は負けた。
完璧に負けたのだ。
そこまで読まれていては、もはや敗北を認めるしかない。
アリスちゃんの言うとおり、俺の手元の封筒には漫研の友人に頼んで描いてもらった今回の小説の挿絵が入っている。
リュウたちがいる屋上に教頭が入ってきたときのシーンを描いてもらったものだ。