プロローグ
「暇~。暇です~」
アリスちゃんが部室の長机に突っ伏しながら退屈そうな声を出した。
ここは聖南学園中等部ミステリー研究会の部室。
俺は一応二年生ながらここの部長をやっている人間で、現在俺の目の前で暇だ暇だと喚いているのは俺以外では唯一の部員のアリスちゃん。
彼女がどんな子かはこの先の俺との会話を見てもらえればわかるだろう。
「そんなに暇なら本でも読めばいいじゃないか。ミス研の部室なんだし、推理小説はいっぱいある」
俺が言うと、アリスちゃんは突っ伏していた顔をあげて、つぶらな瞳を俺に向けた。
「先輩~。お願い聞いてもらってもいいですかぁ~?」
「ん? なんだい、アリスちゃん?」
「はい。先輩、暇なんで、プールに行って腐乱した水死体の真似でもしてきてください」
「かわいい顔して何言ってくれちゃってんの!?」
「イヤですか?」
「イヤだよ!? 何が悲しくて中二男子が昼間から水死体ごっこしなきゃなんないのさ!?」
「え? だって先輩、いい感じに体の中に悪いガスが溜まってそうじゃないですか。水死体役にはぴったりです」
「キミ、俺を先輩だと思ってないだろう!」
「そんな! 私は先輩のことをちゃんと先輩として尊敬してますよ! 尊敬しすぎて、家ではお気に入りのぬいぐるみに先輩の名前をつけて可愛がっているほどです!」
「ええ!? アリスちゃんがそんな女の子らしいことを! なんか照れるな……」
「今度、部室に持ってきてあげますね。そのゴキブリのぬいぐるみ♪」
「そんなもんに俺の名前つけないでくれる!? ってかゴキブリって! よくあったねそんなぬいぐるみ!」
「最近女の子の間では人気なんですよ~。キモかわいいって言うんですか? そんな所まで先輩にそっくりです」
「やっぱり馬鹿にしてるだろう! 俺のこと!」
この通り、アリスちゃんは先輩のことを敬う気持ちなどこれっぽっちも持ち合わせていない。
それもそのはずで、彼女は日本に飛び級の制度があればとっくに大学など卒業していると言われるほどの天才少女なのだ。
成績はもちろん学年トップ。それどころか、中学一年生なのに、高校生や浪人生に混じって受けた東大模試でA判定を出してしまったというんだから最早笑うしかない。
まさに天上天下唯我独尊の小生意気キューティーガールだ。
そんなアリスちゃんと俺の出会いは二ヶ月前に遡る。
それは桜の花が満開の四月のこと。
三年の先輩が卒業してしまい、俺一人だけが取り残された部室に彼女はやってきた。
…………
……
…
「ええと、キミ、名前は?」
入部希望者だという彼女に、俺は尋ねた。
「アリスです」
「ええと、できれば名前じゃなくて苗字を教えて欲しいんだけど。さすがに後輩の女の子を下の名前で呼ぶのはちょっと」
俺がそう言うと、彼女は頬をぷくっと膨らませた。
「だから、苗字がアリスなんですよ。有栖川親王の有栖です。歴史で習いませんでしたか?」
そんなこと言われても、そのなんたら親王なんて用語はたぶん教科書に載っていないと思う。
しょうがないので、紙に書いてもらって、彼女の苗字が〝有栖〟だということがようやく理解できた。
「まったく、学のない先輩はこれだから困りますね」
彼女の小生意気ぶりは初対面の時から遺憾なく発揮されていた。
「有栖さん、ね。変わった苗字だね。ちなみに、下の名前はなんていうの?」
「……ルです」
「え?」
「……デルです」
「ごめん、なんて言ったの? 聞こえないよ」
「だから〝リデル〟です!」
顔を朱色に染めながら、彼女は声を張り上げた。
リデル……キラキラネームとまではいかないけれど、確かに少し変わった名前ではある。
名乗るのを恥ずかしがっているってことは、本人は相当気にしているらしい。
「うちの母親、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の大ファンなんですよ。それで、たまたま私の父の苗字が有栖だったもんですから、生まれてきた私にこんな名前をつけたんです」
「ああ。そういえば『不思議の国のアリス』のモデルになった女の子がアリス・リデルっていう名前だったね」
「まったく、つけられる子供の身にもなって欲しいです。私にはこんな名前似合わないのに……」
「そうかな? 確かに少し変わってるけど、いい名前だと思うよ。かわいらしくて、キミによく似合ってる」
「なっ――」
この時、彼女はゆでダコみたいに真っ赤になった。
だがすぐに目尻を釣り上げて、俺を罵倒した。
「う、うるさいです! あなたなんかに褒められても、ちっとも嬉しくありません! セクハラで訴えますよ!」
「なんで!? いつからこの国は名前を褒めただけでセクハラになるように法律が変わったの!?」
「と、とにかく! 私のことは〝有栖〟と苗字で呼んでくださいね。馴れ馴れしく〝リデルちゃん〟なんて呼んだら股間に蹴りいれますからね」
なぜピンポイントで男の急所を狙う……?
結局、〝有栖〟と呼び捨てにするのも何だか変な気がしたので、俺は彼女を〝アリスちゃん〟と呼ぶことにした。
…
……
…………
以上。回想終わり。
そんなわけで、あれから二ヶ月、アリスちゃんと二人でミス研の活動をやってきたわけだが、ぶっちゃけ二人だけだと出来る活動は限られてくる。
去年は先輩たちがいたから皆でお菓子を食べながら推理小説の感想を言い合ったりしてそこそこ楽しかったのだが、それを二人でやるとなるとイマイチ盛り上がりに欠ける。
アリスちゃんが暇だ暇だと嘆くのももっともだ。
まずいな。アリスちゃんに辞められると、部員は俺だけになってしまう。それはあまりにも寂しい。小生意気な後輩でもいてくれるだけでありがたいのだ。
なんとかしないと……ん? そうだ! 久々に〝あれ〟をやってみるか。
「ごめん、アリスちゃん。今日の部活はこれまでにしよう」
「はい? どうしたんです、先輩? 急に欲情してエッチな雑誌でも読みに行くつもりですか?」
「違うわ! 少しやることがあるだけだよ! 次の部活三日後だ。いいね?」
アリスちゃんの返事を待たず、俺は下準備のために急いで家に戻ったのだった。
そして三日後。
俺は部室に呼び出したアリスちゃんにこの三日間の努力の結晶――原稿用紙の束を差し出した。
「先輩が書いた小説ですか?」
「そうだ。アリスちゃんが入る前にも先輩たちとよくやってたんだけどね。部員が書いた推理小説をほかの部員が読んで推理するんだ」
「なるほど。面白そうですね。これぞミステリー研究会の部活動って感じです。しかし、先輩。先輩程度が書いた推理小説で果たして私に通用しますかね? それも三日で急にこしらえたものなんかで。ご存知のとおり、私はたいていの推理小説なら三分の二も読めばたちどころに真相を看破してしまいますよ?」
「さあ。それはやってみなきゃわからないよ」
「ふふふ。いいでしょう。もしも私が謎を解けなかったら、全裸で校庭一周してきてあげますよ」
余程自分の頭脳に自信があるのだろう。アリスちゃんは余裕綽々といった態度でパイプ椅子にふんぞり返っている。
くくく! かかったな!
執筆期間こそ三日だったが、これは俺が半年も前から構想を温めておいた自信作中の自信作だ。
正直、そん所そこいらの推理小説なんかよりはケタ外れに難しいと自負している。
ふはははは! アリスちゃん敗れたり!
せいぜい素っ裸で校庭を走り回って羞恥心に悶え苦しむがいい!
そんな俺の心中を知ってか知らずか、アリスちゃんは俺の書いた小説に目を通し始めたのだった……。