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生死の案内人  作者:
第一章 日常の変化
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Chapter4 交戦

十八時を迎え、夕日も山に沈みかけた頃合いに外へ出てみれば、近くのベンチに腰掛けたジルベルトを発見してしまう。

自然と口許を引き攣らせて青年を見遣る。…何故帰らない。何時間経ったと思っているんだ。

よく見れば彼は持っている本に視線を落としていた。


「お、響哉! やっと仕事が終わったのか」


ふと顔を上げたジルベルトが漸くこっちに気付いた。本を閉じて腕に提げていたビニール袋の中へ本を仕舞ってから青年は席を立つ。


「……昼からずっと此処にいたの?」

「んん、長引きそうだったから途中で本屋には行ってたな。いやー、最近のジャッポーネ漫画は面白いな。俺がまだ生きてたら全巻集めていたところだ」


其の場で大きく伸びをして深い呼気を逃がしたジルベルトに対して響哉は気まずそうに視線を逸らした。


「死人がお金なんて持ってるの?」

「そこはこの霊蝶から支援してもらってる。受肉してる間は必要になるからって」

「そうなんだ」


ジルベルトの肩に止まっている蒼い蝶に目を向けるが、お金を落とす様子は特になかった。

肩から指先へ蝶を移らせると、蝶はひらりと指先から飛び立ってジルベルトの周りを飛んでいる。


「昨日は家まで押しかけちまって悪かったな」


彼は眉尻を下げて控え目に笑うと、謝罪を口にした。

驚いて目を丸くさせてしまう。そんな響哉の反応はお構い無しに続けた。


「あまり余裕がなかったとはいえ、流石に本人に拒否られては何も出来なくなる。キミの近辺の警護くらいが限界だろう」

「どうしてそこまで…、僕に構うんですか」

「……、悪霊化しそうな人を放ってはおけなくてな」


口許に緩い笑みを刻んで彼は答える。その表情が僅かに憂いを帯びていたようにも見えたが、気の所為だろうと詮索はしなかった。

それから沈黙が流れ始めると、響哉は人差し指で頬を搔きつつ控え目に口を開いた。


「えと、ジルベルト…さん」

「ジルでいいよ。さん付けは流石に調子が狂う」

「──ジル」


何故だかその呼び名は妙にしっくりきた。眼前の青年も少しばかり嬉しそうに眦を和らげた。


「ここで立ってるのもなんですから、今回は家にどうぞ」

「お、いいのか?」


小さく肯いてみせると、青年の表情が途端に明るくなった。表情が豊かな人だ。

空が暗くなり出した頃、外灯も灯り始めるのを合図にゆったりとした歩調で帰路を歩み出す。

思えば兄弟以外の誰かとこうして帰り道を一緒に歩くのは学生以来だろうか。妙に懐かしい。

隣を歩く青年は機嫌がいいのか鼻歌混じりで周囲を眺めている。横を通り過ぎる学生や、塀の上で休む野良猫などを観察するように視線を移していた。


「そういえば、死神って帰る家とかあるの?」


ふと脳裏に浮かんだ疑問を口にしてみる。昨日は追い出してから姿が無くなっていたが、何処に行っていたのか少しだけ気になった。


「無いぞ」


さらりと告げた青年の言葉に固まった。


「死人だから、この世に帰る場所はない。あの世には帰りたくても帰れないってところだな」

「それじゃあ昨日は……」

「ん? ああ、夜は主に活動時間だから、眠ったりもしないな。キミに追い出された後は他の死者のところへ向かっていた」

「……その、すみません。まだジルが死者とか、あまり信じられなくて」

「そりゃあ、こうして普通に喋れて触れられるんだから、疑うのも無理はないさ」


この肉体も便利でな。そう告げながらジルベルトが後頭部に腕を回すとビニールが擦れ合う音が鳴る。

仮の器と呼んでいたからには、本当の身体は既に火葬された後なのか。だとすると見た目は同い年くらいに見えても、実際はもっと年上なのかもしれない。

思考に浸っていれば不意にジルベルトが歩く響哉の身体を制止するように手を伸ばしてきた。何事かと彼に視線を向ければ、ジルベルトは前方を睨み付けていて、その視線を追うように前方を確認する。

またあの黒い霧が見えた。しかもこの前見たものよりかなり広範囲に広がっている。奥の方は全くと言っていい程見えない。

然しよく見ると中央に何か人影らしきものが立っているように見える。それを認識した途端、背筋が凍るような悪寒が全身を走り抜けた。

ジルベルトがポケットから砂時計を取り出すと、それは光の粒子となりマスケット銃へと姿を変えた。銃を構えたジルベルトは其の侭一歩前へと出る。


「響哉は下がっててくれ」

「あれは…人?」

「見ての通り悪霊だ。昼間よりも夜の方が出没し易くてな、放っておいたら人に危害を加えるかもしれない」


向こうも此方に気付いたのか、ゆっくりと蠢き、首が後ろを向いた。ジルベルトは悪霊に狙いを定めて銃の引き金を引く。銃声が轟き、弾丸が黒い影の胴体を貫いた。貫かれた箇所が大きな穴となり、手応えはあったが霧状にはならず、止めは刺せていないようだった。


「小物なら一発なんだが…、こりゃちょっと時間がかかるかもな」


人とは思えぬ咆哮をあげた影の足下から無数の黒い腕が生えてくる。揺れ動く手は真っ直ぐに響哉の方へ伸ばされた。


「ひっ……!」


短い悲鳴を上げて反射的に逃げようと背中を向ける。一閃、鋭利な刃物によってその手は全て斬り落とされた。

ジルベルトの持つ大鎌だ。彼は地を蹴り上げて悪霊へ間合いを詰め、影の首を目掛けて死神の鎌を振るう。

然し鎌の切っ先が首に触れる事はなかった。大きな金属音を立てて影自身の手が刃を押さえており、ジルベルトは驚いて瞠目する。怪力を見せる腕で鎌ごと持ち上げられたジルベルトは宙へ投げ飛ばされ、塀の壁に背中を強打した。


「ジル!」


響哉が叫ぶ。何時の間にか此方へと距離を縮めていた死霊の腕が迫る。体温なんて無い冷たい手が力強く首を締め上げ、響哉の身体が浮いた。


「ぐっ…ぅ!」


ぎりぎりと、喉を圧迫する指先に呼吸が出来ず苦痛に顔を歪めて呻いた。力が抜けて鞄が地面に落ちる。血の気がなく痺れる指先を相手の腕に添えて引き剥がそうとするものの、思ったように力が入らずに目の前の視界が徐々に滲んでいく。

口を開いても声すら漏れ出ずに、次第に身体の感覚が薄れていくだけだった。


その時、目前の首が天高く刎ねられた。醜い断末魔を響かせて崩れ落ちる影の後ろに、大鎌を持ちながら睨み上げる金色の眸と視線が交わった。死神だ、死神が立っている。

影が消失し、響哉は地面に落下した。倒れた侭喉を押さえて咳き込む。覗き込む視線に何とか顔を上げようとするものの、響哉の意識は其処で途絶えた。






「…れで、……するのかしら」

「…の中なら、……から」


微かな話し声が聞こえる。


「うわぁっ!」


目を開けた瞬間、飛び込んできたのは二つの眸。赤い少女と白い少女の顔が至近距離にあり、驚いた響哉は布団から飛び起きてしまう。

掛け布団を握り締めて息を整えていると二人の少女はそっと顔を見合わせた。


「いきなり悲鳴をあげるだなんて、何かしたかしら」

「こっちもびっくりしちゃいました」

「目の前に二人の顔があったら、びっくりするって!」


たまらずに声をあげてしまったが、後悔はしていない。

周囲を見渡せば如何やら自分の家のようだ。道端で倒れてしまった記憶は僅かに残っていて、無意識に彼の姿を探した。


「あれ、ジルは……」

「ああ、ジルとベルなら…」

「おーい! いい加減二人とも手伝ってくれよ!」


少し離れたところから聞き慣れた声が響く。台所の方からだ。

重い腰を持ち上げて布団から立ち上がろうとすれば少しだけよろめいた。背中をアリサに支えられて覚束無い足取りで台所の方へ向かう。

暖簾を潜り抜ければ其処には青いエプロンをしたジルベルトが包丁を握り締め、俎板の上の野菜と対峙して四苦八苦しているところだった。


「えっと、何してるの?」

「おお、起きたか。見ての通り、キミの代わりに晩飯を作ろうとしたんだが…、俺は料理をした事がないからさっぱりでな」

「レシピは横に置いたんだから、頑張りなさい」

「レシピ見てもよくわかんねーから困ってるんだろうが!」

「うわっ…! 持ち方が危ないよ!」


叫ぶ勢いで下ろされた包丁がキャベツの側面に食い込む。切ると言うよりは叩く勢いだ。左手も猫の手になっていないし、指を切ったら如何するつもりなんだ。

慌ててジルベルトから包丁を取り上げた。この侭任せていると台所が血で汚れてしまいそうだ。


「気持ちは嬉しいけど、僕が作るからいいよ……」

「倒れたんだから、暫く休んでた方がいいぞ」

「そうしたくても、ジルに任せるのが怖くて出来ないよ!」


ジルベルトの背中を押して茶の間へ向かわせると、安堵から深い吐息を吐き出してワイシャツの袖を捲り上げる。

一体何を作ろうとしていたのか、レシピを見遣れば野菜炒めの写真が写っていた。そんなに難しいものじゃなくてよかった。

いざ作ろうとしてふと、疑問が浮かび上がる。そういえば死人である彼等には食べ物は必要ないのか。それとも仮の器なら食事も可能なのか。


「……ねぇ、ジル。君達は食べられるの?」

「ああ、受肉している間は生前と同じように飲み食いも出来る。食ったものは全て霊力に変換されるんだ」

「じゃあ、皆の分を作らないとまずいかな」

「別に腹が減るって事はないから、俺達に気を遣わなくていいぜ」

「何時も通り、貴方と兄弟の分だけでいいわ」

「そうか…。わかった」


食費の事を懸念する必要はなさそうだ。食べる事は出来るけど、必要ではないなんて便利な身体だなとさえ思う。

悩みが少なそうで羨ましいとすら思ってしまった。雑念を振り払って野菜を切る事に集中する。


一方で茶の間に待機させられたジルベルトは、夜になっても両親が帰ってくる気配がない違和感に玄関先を見つめる。

同じく茶の間でテレビを見ている女の子に視線を移して、興味本位で声をかけてみた。


「なあ、ええと…晴香ちゃんか。この家にお父さんとお母さんはいないのか?」


バラエティーの音声に混じって問い掛けてみると、女の子はジルベルトの方を向いた。


「パパもママもいないよ。ここ、おじさんの家だから」

「おじさん……?」


尋ね返すと幼い少女は俯いて席を立ち、寝室の方へ向かっていってしまった。しまったという顔をして肩を竦める。


「お待たせ。できたよ…って、あれ、晴香は?」

「悪いな、奥の部屋に行っちまった」

「しょうがないな……。呼んでくる」

「ああ、響哉。ちょっと待ってくれ」


奥の部屋へ向かおうとする響哉の腕を引いて引き止めた。頭に疑問符を浮かべて振り返った響哉へ顔を上げる。


「この家にはキミ達以外に誰か居たのかい?」


刹那、響哉の表情が凍り付いた。口端を引き攣らせて明らかな動揺を見せる。


「……知らない」


ジルベルトに背中を向け、零れ落ちたのは感情を押し殺した声だった。またしても拒絶に近い声だ。

肩先を小刻みに震わし、口を引き結ぶ響哉の様子は明らかに異常であり、ふらついた足取りで奥の部屋へ向かう背中をジルベルトは唯眺める事しか出来なかった。


「ジル」


不意に横のアリサから声を掛けられた。


「タンスに入っていた服の一部が一条響哉のものとは思えないわ。明らかにサイズが大きいもの」

「テーブルにも、誰も吸わないのに灰皿が置いてあるのが気になります」

「それじゃあ……」

「考えられるのはそうね……。ここにもう一人、誰かが住んでいたんじゃないかしら」


一つの推測を述べて奥の部屋を一瞥する。

すると奥の部屋から妹と共に響哉が戻ってきた。先程の動揺が嘘のように二人は何時も通りだ。

取り乱す可能性を考えてジルベルトからそれ以上詮索の声は上がらなかった。

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