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生死の案内人  作者:
第一章 日常の変化
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Chapter2 死神

──午後四時過ぎ。マナーモードにしていた携帯の振動がポケットから伝わってきた。

全く身に覚えがなく、携帯を手に取って番号を見ればそれは保育園からだった。


「……もしもし?」

「あっ、一条さんですか? 担当の松田です。実は…祐樹君が、お友達と喧嘩をしてしまって。直ぐに迎えに来る事は出来ますか?」

「えっ……!?」


がたん、と音を立てて席を立つ。突然の物音に他の人達の視線が響哉に集まった。周囲の視線に気付いて萎縮する形で椅子に腰を下ろす。

祐樹は末の弟だ。やんちゃ盛りな為、保育園のお友達にうっかり怪我をさせてしまったり、なんて事は今までにも何回かはあった。その度に呼ばれ、弟の為に謝罪した事は記憶に新しい。

緊急で上司に報告し、謝罪と共に今日は早退させてもらう事にした。事情があったとしても、早く上がるとなると周りからの視線が痛い。定時で上がる時以上にひしひしと感じた。

うちの会社は残業が珍しくない。寧ろ日常茶飯事レベルだ。定時で上がる人の数は少なく、早めに帰ろうとする人へ嫉妬を含む眼差しを送るのだ。残る人が多いから、お前も残れと言う無言の圧力だ。

逃げるように足早に退勤して外へ出た。今度は一体何で喧嘩したのだろうか。そう思うと保育園へ向かう足取りが少しずつ重くなっていく。


「あ、一条さん!」

「すみません、遅くなりました」


保育園の入り口で出迎えてくれた保育士さんに頭を下げてから、中に入った。

鞄など荷物を置く棚の近くで黒い短髪の頭を発見する。体育座りをしていて、腕に額を当てている為顔は見えなかった。

その隣で鼻を啜りながら袖で涙を拭う男の子が居る。彼が喧嘩した相手で間違いないだろう。


「……祐樹」


側で片膝を突いて呼んでみると、ぴくりと身体が一瞬震えた。

徐に顔が上げられる。目尻に溜める涙を捉えると鞄からハンカチを取り出した。

手に持ったハンカチで涙を拭き、深めの呼気を逃がしたところで漸く本題に入ろうと思う。


「喧嘩したんだって? 何があったのか教えてくれないかな」


なるべく穏和な声音で、尋ねてみる。

目を伏せた侭の祐樹は暫し躊躇った後、目線を逸らしながらも呟き始めた。


「だって…、おべんとう。れいとうものばかりって、ばかにしてくるから……」

「……!」

「……おかあさんにつくってもらうのがあたりまえ、なんだって」

「祐樹君、怒ってその子の腕引っ掻いちゃったみたいで」


お母さんに作ってもらうのが当たり前。その言葉は響哉の胸に深く突き刺さった。


「……祐樹が怒るのもわかる。けれど、怪我をさせてしまった事にはちゃんと謝らないと駄目だよ」

「……っ、ごめん、なさい」


良かった。此処で下手に意地を張って謝らなかったら如何しようかと一瞬頭を過ぎった。

弟が謝ったのを合図に、響哉もお友達の母親へ謝罪した。

向こうの母親は困り顔で気にしないでくださいと告げる。一先ずは一件落着と言う事になった。


保育園からの帰り道、商店街で夕飯の買い物を済ませて店を出た。

都会なだけあって、こんな時間でも人は多く居る。逸れないように弟の手を握りながら、通り掛かる硝子の向こう側に見える商品の列を眺めた。


途中、聞き覚えのある音楽が鼓膜を震わした。テレビの映像が流れる店の前で足を止める。

優雅なピアノの音色、弾いているピアニストの姿が映し出されており、どうやら此処は中古のピアノを扱う店のようだ。

突然足を止めた兄を不思議そうに見上げる弟の声も耳に届かず、響哉はこの映像に釘付けだった。

幼い頃にピアノに触れた覚えがある。母がよく楽器に触らせてくれた。音楽が好きで、一緒に曲を弾いた微かな思い出が脳裏に甦る。

懐かしい思い出と共に思い出される、将来の夢。母親がなれなかったピアニストの夢を、自分が追いかけようとした小さい頃の夢。


「きょう兄……?」

「……! っああ、ごめんね。行こうか」


すっかり長居してしまったと、気を取り直して歩き始めた。

弟の手を強く引き、ピアノの店から遠ざかる。そうだ、夢はもうとっくに諦めたんだった。

今は兄弟が無事に育つように、生活を優先すると決めたんだ。


「きょう兄」

「ん?」

「ママ、いつ帰ってくるんだろうね」


重い沈黙が流れた。無言を貫いて歩き続ける。

途中で「痛い」と呟く声が聞こえて、そこで漸く繋いだ手に力を入れ過ぎた事に気付く。慌てて謝った。


母は既に他界している。病死だ。

然し、幼い弟にはまだ死がどういうものかわかっていない。弟の中では遠くに行ってしまった、という事になっている。

なので何時か帰って来ると思っているらしい。時々母が恋しくなるのか、こうして聞いてくる事は何度かある。その度に曖昧な返事を返していた。


「……あれ?」


ふと気付けば、周囲がやけに静かだ。顔を上げると商店街に人が居ない。

いや、そもそも今は夜だっただろうか。街灯だけが仄かに光っていて、辺り一面は気味が悪いくらいに無音だ。

まるで街に自分達だけが取り残されたような……。


「わっ……!」


突然、何かに足を掴まれる。驚いて短い悲鳴を上げ、地面に尻餅を突いた。同時にばさりと買い物袋と鞄が手から滑り落ちた。

下を見れば、地面に黒い霧が渦を巻いていて、其処から生えた黒い腕が足首を掴んでいる。


「な、なんだこれ……ッ!」

「きょう兄!」


訳がわからなかった。地面から腕が出ているだけでも可笑しいのに、状況を理解出来ずに身体が震えた。

後ろの祐樹が叫ぶ。周囲に目を向けると何時の間にか黒い霧が濃くなっている。霧から這いずる様に出てきた影は、何処となく人型に見える。

危険だと本能が叫ぶ。一刻も早くこの場から弟を逃がした方がいい。響哉は霧が薄い方角を指差した。


「祐樹! 走れ! 真っ直ぐにだ!」

「うぇ……っ?」

「いいから、早くッ!!」

「う、……うわあああああッ!!」


叫ぶ声に吃驚した弟が、反動で駆け出した。指示通り真っ直ぐに、影の間を突っ切る形で。

そうしている間にも己の足を掴む腕は力強く引っ張ってくる。振り返れば自分の脚が黒い渦に埋まっている。

この侭引きずり込まれる恐怖を覚えながらも、走り出した弟の安否の方が心配だった。


一瞬力が抜けた所為か、一気に上半身まで落ちてしまう。地面に爪を立てて踏ん張っているが、不安定な体勢では限界も直ぐだ。

諦め掛けて手を離そうとしたところに、弟の危機が目の前に飛び込んでくる。

道を塞ぐように影が弟の前に出てきたのだ。瞠目して手を伸ばす。弟一人、逃がしてはくれないのか。

また大切な人が目の前から消えるのか。そんなのはご免だ。


──刹那、自分の手に誰かの手が重なって見えた。

銀色のマスケット銃を手にした半透明な手が、ゆっくりと引き金を引く。大きな発砲音が鳴り響き、一線を描いた弾丸が弟の前に居た影を貫いた。


自分の身体から何かが這いずって出る様な感覚と共に、飛び出した人影は宙を舞い、周囲の影に向かって大鎌を振り下ろす。

続いて足下の影が上空から降ってきたナイフによって切り裂かれ、奇声を轟かせた影が霧散して消え失せた。影が無くなった事により身体は地面より上に戻される。

上空を見上げると、建物の屋根に二つの人影が見える。泣いている弟の声に気付いて響哉は急いで駆け寄り、弟を抱き締めた。


「キミが、助けを求めた声の主だな?」


鎌を手にした青年が目の前に立つ。その青年には見覚えがあった。今朝、声を掛けてきたモッズコートの青年だ。

屋根から降りてきた二人は、緋色の髪と黒いゴスロリ衣裳の少女と、銀髪に白いロリータ衣裳の少女。前髪の分け目が逆で、見た目は完全に瓜二つな少女だった。


「ジルとベル。彼で間違いないのよね?」

「ああ、間違いないぞ。っと、重要だから何度も言っとくが、ジルベルトな! ジルさんベルさんじゃねーから!」


態とらしい呼び間違えに慌てた口調で訂正するジルベルトと名乗る青年は、後に諦めたように溜息を吐いた。

手にしていた大鎌が青白く光出すと、鎌は形を変えてマスケット銃に変わり果てた。彼は銃を肩に掛けて此方へと向き直る。


「……驚かせてすまないな。俺はジルベルト・リベッティ。死神さ」

「死神……?」

「一条響哉。キミに一つ尋ねよう。生きたいか、死にたいか、どっちだ?」


目前の彼は双眸を細めると突然銃口を此方の額に向けてくる。

え、と間抜けな声が漏れ出てしまう。先程救ってくれた青年が何故今、此方に武器を向けているのか。理解が追い付かなかった。


「どうして…、僕の名前……」

「なあに、ちょっとキミに取り憑かせてもらったんだ。その際に基本的な情報は読ませてもらった。それで、どっちなんだ?」


一瞬身体から何かが離れる感じがしたのは、如何やら彼だったようで。簡単に取り憑くとか言われても困る。


「僕は……」


再度問い掛けられては言葉に詰まった。生きたいか、死にたいか。死にたいと口にすれば、彼は引き金を引くつもりなのか。

非現実的な事が次々と起こり錯乱している状態の響哉を見て、青年は口許に手を当てて小難しそうに眉を寄せつつ小さな唸り声をあげた。


「あの…、ジル。先ずは彼等を家に送ってあげてからでもいいのでは?」


沈黙を破るように、後ろの白い少女が控え目に挙手をする。それを聞いた青年は彼女に目を向けて肯いた。


「……そうだな。ここじゃまたあいつらが集まってくるかもしれないし」

「えっ、家まで来るんですか?」

「まだ用事が済んでいないしな。案内してくれるかい?」


口許に弧を描いて微笑む青年に対し、未だ警戒心を残しつつも立ち上がった。

断ってもついて来るつもりなんだろう。仕方ないと割り切って買い物袋と鞄を拾って帰路の道を辿り始めた。






すっかり日も落ちてしまい、泣き疲れて眠ってしまった弟を片手で抱いた侭アパートの階段を上がって行く。後ろから複数の足音が鼓膜を震わすのが落ち着かずに少し早足で玄関まで赴いた。

ポケットから家の鍵を取り出すとシリンダー錠の穴へ差し込み、ガチャリと音を立てて扉を開けると後ろの彼等を室内に招く。


「狭いですけど、どうぞ」


控え目に告げて玄関の明かりを点ける。奥の茶の間の方からぱたぱた小さな足音が聞こえてきた。


「きょう兄おかえりー!」

「ただいま、晴香。遅くなってごめんね」

「ううん。でもおなか空いた」

「今から作るから、待ってて」


抱きついてきた妹の頭を撫でた後、靴を脱いで部屋へ上がる。ついて来た三人がだんまりなのが不思議で後ろを振り向いた。


「どうかしましたか?」

「いや……その、」


首を傾げて尋ねると、奥を見た侭固まっていた青年が漸く口を開き始めた。


「ここで何かあったのか?」

「──いいえ、別に」


場の空気が一瞬で変わる程、とても冷ややかな言葉だった。まるでこれ以上の詮索は許さないとばかりに、突き放すような物言いだ。

玄関近くの白い壁には乾いた小さな血痕のような跡があり、奥に見えた窓は一部に皹が入っていて心許ない。


先に奥の部屋へ向かう響哉の背中をジルベルトは緊張の面差しで見つめていた。

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