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生死の案内人  作者:
第一章 日常の変化
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Chapter1 黒い影

月明かりに照らされて銀色に光る大きな鎌が、空を切り裂いて振るわれる。

確実に死へ導く刃は到底避け切れないと判断した。否、目の前の彼女は逃げようとすらしなかった。

刑が行われるのを待つ囚人の如く、自分の罪を認めるかのように、静かに目を伏せて微動だにしないのだ。


「   」


青年が彼女の名を叫ぶ。立ち上がった彼は彼女の許へ咄嗟に駆け出した。


だが。

彼女の足下から生えた黒い腕によって、身体が突き飛ばされてしまう。

必死で手を伸ばすが、指先は虚空を掴むだけで全く届かない。振り向いた彼女はとても優しく微笑んでいた。


次の瞬間、肉を断つ音が鳴り響き、尻餅を突いた彼の上に鮮血色の雨が降った。

刎ねられた首が宙を舞い、緑色のコートを濡らす。頭部を失った身体が崩れ落ちるのが見えた。

青年は足下に転がっていた拳銃を拾い上げ、頬を伝う涙を拭わずに引き金に指を掛けると、彼女を殺した女が大鎌を下げて此方を向いた。


「……仇討ちで気が済むなら、どうぞ。撃っても構いませんよ。どうせ既に死んでいる身ですから」


酷く、冷静な声音だった。彼女だったものが霧状となり、女の手元に集う。闇色の粒子を手に持ち、銃口を向ける彼の様子を窺っている。

引き金を引く気配はなく、震えた手で持っていた拳銃が僅かに下ろされる。刹那、銃口の向きが変わった。銃口が青年の頭部へと添えられては、眼前の女も驚愕を露にした。


「……ッ! 待ちなさい!」


先程までの態度とは一変して取り乱す様子に青年は口許に弧を描く。

止めに入るよりも先に、一発の銃声が鳴り響いた──。






『生死の案内人』






アパートの一室、鏡台の前で佇む黒い髪の青年が一人。

鏡に映る姿は細身で、黒のスーツを着込むとより線の細さが目立つ。長身と言える程ではないが、平均くらいの身長はあるだろう。


暗めの赤いネクタイを締めたところでふと、鏡前の青年は横の時計を見遣る。

時刻は御前の八時を迎えていた。


「……あ。もう行かなきゃな」

「きょう兄~!」


不意に背後から届く幼い少年の声に振り返った。


「どうしたんだい? 祐樹(ゆうき)

「頭、出ないよーー!」


寝室から出てきた弟の頭はまだ服の中だった。覚束無い足取りでふらふらと前へ歩く弟へ手を伸ばす。

手が触れた事により、兄が目の前にいるとわかった弟は其処で漸く足を止めた。

唸りながら力任せで裾を引っ張り、無理矢理頭を通そうとしているが、襟元の釦が閉まっている為、当然服はびくともしない。


「先に釦を外してからじゃないと…」

「んん…! ぷはぁっ!」


弟の前でしゃがみ込み、閉めてある釦を外してあげれば息苦しさから解放されたかのように小さな頭が飛び出した。

おお、と驚いている様子を眺めていると、奥の部屋から遅れてやってきたもう一人の兄弟に目を向ける。


晴香(はるか)も準備は出来たかな?」

「うん。ばっちり!」


桃色のランドセルを背負った少女が元気よく肯いた。

準備が出来たならぞろぞろと玄関に集まり、其々の靴を履いていく。すっかり見慣れた光景だ。


「「──行ってきます!」」


仏壇がある部屋の方を見ながら、揃って声をかける。青年、一条響哉(いちじょうきょうや)は晴香と祐樹、二人の兄弟を連れて玄関の入り口を出た。

妹の小学校は途中まで送り、妹と別れた後は弟を保育園に預けに向かう。


「それじゃあ、宜しくお願いします。夕方には何とか迎えに来れそうですので……」

「延長保育ですね、わかりました」

「祐樹、お友達といい子にして待っているんだよ」

「きょう兄、行ってらっしゃーい!」


手を振って見送る弟へ軽く手を振り返してから、電車の時間に遅れないように駆け出した。妹と弟を送って、最後に自分が会社に出勤するという流れだ。

走っていくと途中の分かれ道が見える。左に曲がるのだが、今日は何時もと様子が違う事に気付いて足を止めてしまう。


「……参ったな」


道の奥の電柱付近に黒い霧のようなものが見える。時々だが、こうした得体の知れないものが見えていた。

気味が悪くて霧がある場所はなるべく避けて通っていたが、よりにもよって通勤で通る道にあるなんて予想外だ。

右に曲がっても駅までは辿り着けるが、些か遠回りとなる。電車に乗るにはほんの少しでも遅れる訳にはいかなかった。迷っている時間はない。

黒い霧から少しでも距離を取っていれば大丈夫だろうと、青年は左側へ足を踏み出そうとした。その時だった。


「今日は右側から行った方がいいぜ」


突然、背後からの制止する声に驚いて視線を移す。灰色を帯びた銀髪にカーキグリーンのモッズコートを着た男が立っている。

季節は春なのに、真冬の格好で佇む男には不信感しか抱かなかった。怪訝そうな目を向けていると、男は小さく笑って再び右側の道を指差した。


「あれには近付かない方がいい。見えるのなら特に」

「はぁ…」


あれ、というのは恐らく黒い霧の事だろう。彼にも見えているのか。そう理解した途端、もう少し詳しく聞きたかったが、携帯の時刻に目線を落とすと慌てて右側へ向かう事にした。

暫く男から視線を感じたが、気にせずに前を向いて走り出す。刹那、後ろの方から大きな衝突音が鳴り響いた。何事かと来た道を振り返る。


「あれ……?」


つい先程まで居たモッズコートの青年が居ない。数歩戻って左側の通路を覗き込むと、其処には軽自動車同士が電柱にのめり込む形で衝突していた。

彼処は丁度黒い霧があった場所だ。幸い怪我は無いのか、運転手であろう二人が車から降りて怒号を浴びせ合っていた。

……もし、あの侭左側の通路を渡っていれば、自動車の衝突に自分も巻き込まれていたかもしれない。そう思うと背筋が冷えるような戦慄を覚えた。

手にした鞄を握り締め、大人しく青年の言葉通り右側を渡って駅へ向かう。結局一本遅れてしまったが、無事に会社には辿り着く事が出来た。



御前九時、会社に到着。軽い挨拶を済ませて自分の席に着く。

何とか間に合った。あとは今日一日を乗り切るだけだ。毎日それの繰り返し。

仕事の間は、家の事を考えなくていいからある意味では忙しいのも悪くはなかった。

会社の人達とミーティングをしたり、デスクの前でパソコンと睨めっこするのも充分に慣れた。


休憩時間にもなると、周りから色々な声が届くようになる。

周囲の近況やら、プライベートやら。煙草に向かう人も続々と席を立つ。

キーボードを打つ指先を下ろし、一息吐いたところで横から声が掛かる。


「一条君、お昼はどうするの?」


目に入ったのは同期の女性だ。同じくスーツを着て黒い髪をポニーテールにした大人しそうな人、と言う印象だ。


「そう、ですね…。近くのコンビニで買ってこようかと」

「あの、良かったらこれ、どうぞ」

「……え?」


目の前に差し出されたのは四角い形をした風呂敷包みだ。思わぬ贈り物に何度か瞬き、反応が遅れてしまった。


「お弁当、ですか?」

「はい。多く作りすぎてしまって……」

「あ、有難うございます」


流される侭に受け取ってしまった。人から弁当を貰う機会なんて今までなかったから、如何したらいいのかがわからない。


「神田さん、彼氏いないから狙い目だよ? 一条君」

「ちょ、ちょっと桃木先輩!」


…そうだ、確か神田志穂さんだったか。

彼女の更に横から現れた先輩の言葉でやっと名前を思い出した。人の名前を覚えるのはあまり得意じゃない。顔と名前が一致しない人だってまだ何人かいる。


顔を赤くして慌てる神田さんを横目に苦笑しておく。

揶揄っているに過ぎないのはわかるが、こういう時上手い返しが出来ない自分はコミュ障寄りなんだろうか。


「そういえば聞いた? 武田の奴、また幽霊を見たって騒いでたみたいだよ」

「幽霊、ですか?」

「女の人を見たって。格好が日本人っぽくないから間違いないって」


居る訳ないよねと笑う二人の横で、響哉は口許に指先を添えながら視線を外す。

もしかしてあの黒い霧も、心霊の類なんだろうか。唯何と無く気味が悪いとしか思っていなかった霧も、他の人には見えていない様子だったのを思い出して考えを巡らしてみる。

今日は右側から行った方がいい。そう告げたあの青年が脳裏に甦る。

彼は一体何者だったのか。如何してあの時危険を知らせてくれたのか。不思議でならなかった。



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