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カフェ・スラージェ


寒い。

この星の冬はとにかく寒い。

耳がちぎれそうな寒さを私は移住してきて初めて知った。


それでも人々は元気に商いをしている。

鼻頭を真っ赤にさせて、その姿を見ているとなんだか心が元気になる。


「おはようございます!」

「あら、おはよう!今日はなんにする?」

「昨日買ったレーズンパンと…あとまだ食べたことのないやつ…なにがお勧めですか?」


パン屋のワゴンで私は大きめの声で店主のマダムと話をする。大きな声を出すのはまだ慣れないけど、小さな声じゃこの活気ある市場のざわめきにかき消されてしまうのだ。


「今日はメロンパンがあるよ!」

「じゃあそれ、お願いします。」

「まいど~」


店主が赤い頬を押し上げてにかっと笑う。

そのままパンのパッケージにできそうなほどいい笑顔だ。


パンの入った袋を受け取って私の心は弾みだした。たかがパン、されどパン。

機械的に閉じられたコンビニのパンとは違う、むき出しのまま紙袋に放り込まれたパンをはじめてみた時は衛生面の不安が一瞬よぎったが、一口食べればそんなことは些細な杞憂なのだと一瞬で不安は消え失せた。

ふわっふわのほんのり甘いミルクパン。

私がここにきて初めて口にした食べ物。

地球で食べたどんなものより美味しかった。

誰もいないひとりぽっちの部屋で、密封された袋を破る虚しさ。清潔な状態ででてきたパンはいつも無機質で味がしなかった。


私は冷たい空気の中で白い息を吐き出しながら紙袋からむき出しのままのパンをひとつとりだした。

大口を開けて、メロンパンにかじりつく。

指に甘い砂糖やぱんくずがまとわりついたが全く気にならない。

ここでは食べ歩きをとがめる人は誰もいない。


表面のさくさくと中のふわふわを堪能しているうちに胃の中は少しずつ幸せな甘さで満たされて、最後の一口を口に押し込んで私は手を払った。

小さな小鳥が冬毛をまとって私の通り道に集まってくる。


本の中のお伽噺みたい…


口の中に乾きを感じるとふと目に入ったのはドリンクワゴン。人懐こそうなのっぽの店主と目があってにっこり微笑まれた。


「メロンパンには暖かいココアが合うよ!」


私は磁石に吸い寄せられるようにそのお店に向かった。


「あったかいココア、ひとつください」

「あいよー」


少し市場から離れて、そのドリンクワゴンはぽつりとあった。まだ朝だから閑散とした広場の一角。

そういえばこんなとこに広場があったのか。

グーグルマップも使えないし、地図をみるのは得意じゃないしで私の散策はいつも当てずっぽう。家にはなんとか帰れるけど、昨日訪れた場所にもう一回行く自信はない。

家ですら最初の一週間は帰るのに随分困った。


「君、みかけない顔だね。最近この辺に来たの?」

「はい、ちょうど半月前くらいに引っ越してきて、あ。」


差し出されたコップを受けとると、女の子と目があった。どうやらのっぽの店主の後ろに隠れていたようだ。

全然認識していなかったので思わず間抜けな声が漏れた。


「コ、ココアです!お熱いのでお気をつけくださいっ」

「ありがとうございます…」


彼女は耳を真っ赤にして私に小さな手でマグカップにはいったココアを渡してくれた。

私はそそくさとワゴンの横に併設された椅子に腰かける。

こじんまりとした机が3つ、あとはたくさんの椅子。ワゴンで買った飲み物はここで飲めるらしい。

あたたかなマグカップで両手を暖めながら、私は空を見上げた。


そういえば、ここって自販機もない。

ペットボトル、紙カップとかもない。

ワゴンでだされる飲み物や食べ物は一部を除いてすべて使い捨てじゃない食器ででてくる。基本的にはその場で飲み食べして返却するのだ。たまに家に持ち帰って、食器は後日返却できるところもある。テイクアウトに慣れた私に不便だと感じるけど家で食事するよりこうやって空を見上げて飲むココアのが美味しいからこっちの方がいいのかもしれない。


「あの、これ…」


不意に小さなお花柄の小皿に入ったクッキーが私の目の前に現れた。

先程のお店の女の子が机に置いたものだった。

戸惑って彼女とワゴンにいる店主をみると、店主ににっこり微笑まれる。


「サービスです!っていうのは建前で、ちょっとその子とお話ししてやってくれませんかね?人見知りで、このへんには若い女の子もいないもんで。」

「はぁ、でも若いっていっても…」


私だってもうとっくに二十歳すぎてるんですけど。

目の前にいる彼女は10代くらいのぴちぴち女子高生くらいに見える。


「お邪魔、します…っ」

「う、はいどうぞ!」


エプロンをつけたままの彼女はまるで崖から飛び降りる前みたいな顔をして私の隣の椅子に腰かけた。

店主は新しくきたお客と話始めてこちらとの会話は終わりと言わんばかりに目もくれない。


会社員時代、私は営業職だった。

なにもないところから会話を盛り上げるのは苦手ではないが、脱サラ決めた私にはもう不要のスキルだと思ってたのに。


しかし、私の隣で主人の顔色を伺う犬のような少女をみると、久々にそのスキルを発揮せざるを得ない気がした。


「お家のお手伝いで働いてるの?名前は?」

「店長…家族じゃないけど学生の時からバイトしていて、それで、私独り暮らしだから色々お世話になってて、それでえっと、私バイトだったんですけど、卒業したから、それで、バイトじゃなくて…」

「お、落ち着いて、ゆっくり話してくれればいいから!」


彼女は本当に人と話なれていない様子で、私の質問に息を詰まらせてしまいそうになりながら矢継ぎ早に答える。

まるで新入社員の初めてのプレゼン練習みたいだ。


「は、はひ…すみませ…っ」

「うんうん、大丈夫。で、お名前は?」

「マーガレットです、メグって呼ばれています…」

「メグ?私とちょっと名前にてるかも、私はめぐみって言うの。」

「めぐみ、ちゃん」

「そう、私は半月前に青鏡星に引っ越してきたばかりで生まれは地球なんだ。」

「そ、そうなんですね?道理でお見かけしないと…観光の方でもなさそうだったし…」

「メグはもう学生じゃないんだね、てっきり店長さんの娘さん…にしては店長さん若すぎか…」

「はい、私、去年に学校は卒業してます!本当の仕事は果物育ててるけど、冬はあんまり忙しくないからこっちメインでお仕事していて…」

「果物?一人で?」


尋ねてから私は少し後悔した。

こんな若くして独り暮らしで…ということはなにか複雑な事情があるに違いない。


「あ、えと…両親は地球で働いていて、私…ここを離れたくないから…」

「そうなんだ、一人で大変…だよね。」

「でも、毎週末衛星電話でお話しできるし、果物園は小さいから一人でも大丈夫…」

「そっか、偉いね。」


私がそういうとはにかんで笑う。

愛らしい女の子だと思った。

それにしてもこんなに若いメグだってきちんと働いているのに、私もそろそろ働き口を見つけなくては不味いのではなかろうか。


少し冷めたココアをごくりと流し込んでクッキーを手に取った。


「あ、それ私が作ったんです…」

「へぇ、お菓子も作れるんだー…」


それにしてもメグは綺麗な容姿をしている。

プラチナブロンドを二つの三つ編みにして、ぱっちりとした二重の目はエメラルドグリーン、つるりとした白い肌。

架空の物語にでてくるとしたらエルフの国のお姫様とか、そんな感じ。


ザク、ザリ…


そんな幼稚な妄想を掻き消すそうな嫌な食感と苦味に私は無表情のキープに努めながらココアをもう一口飲んだ。


「どうですか?お菓子…」

「う、うーん…斬新というか革新的というか…」

「わはは!正直にいってやんなよ、不味いだろ?」


ひょいと逞しい腕が延びてきて小皿の上のクッキーをさらう。

ワゴンの店主は残った二枚を一気に口にいれて、新しいクッキーを三枚おいた。


「メグはフルーツの世話もうまいし、コーヒーも紅茶も上手に淹れれるんだが、料理が駄目なんだよなあ。」

「うぐ…、結構、練習してるんですけど…」

「あ、そのクッキーは俺が作ったやつ。」

「ん…美味しい!」


サクッホロホロ…


甘すぎない味がさくさくの歯触りとともに口の中に広がる。


「メグミ…だったか?君はこの辺に引っ越してきたのか?」

「あ、そうです。来たばかりで…」


店長は追加で3つのマグカップを机においた。


「へぇ、仕事は?」

「実は求職中でして…だけど、まだここでの生活にも慣れてないしどうしようかと…」

「ああ、だったらうちで働いてみないか?観光客も増えて人手がなくて困ってたんだ。なあ、メグ?」

「…!」


メグはこくこくと頷いた。自惚れだったら恥ずかしいが、心なしか嬉しそうにも見える。


「えっと、いいんでしょうか?こんな出会ったばかりの人間に…」

「人見知りのメグがすぐになついたんだ、悪い人じゃないだろう。」

「なついたって…そんなことー…」

「わたし、メグミちゃんと一緒に働けたら…嬉しい。」

「…そう、なの?」


なんだろう、心がほかほかと暖かくなる。

まるで私が必要だって言われてるみたいだ。そんな出来事…最近ははなかったから。


意味もなく、意味もわからず働いて、ただお金を得るためだけに、それだけのために何かを消耗していた。


一緒に、なんて言われたことなかった。


「私で、お役に立つでしょうか?」

「ああ、きっと。」

「……」

「俺たちは君がきてくれるとそれだけで嬉しいよ。」


普通だったらきっとありえない。面接もなしにお店に起用だなんて。

それに、給料がどのくらいでどんな仕事内容で勤務体系だってわからないのに。

ぐるぐると疑問が私の中を駆け巡った。

きっと断っていただろう、以前の私なら。


でも…



「よろしく…お願いします…」


私が頭を下げて、顔をあげると店長とメグが嬉しそうな顔をしていた。

からだの真ん中がむず痒い。


きっと私はこの選択を後悔しない。

ここは私のいた世界とは違うのだ、お金のために働いて、なんの目的もなく目の前の出来事に心をすり減らして淡々と時間が流れていく、そんな世界とは。

お金は生きていけるだけあればいい、冬は暖かいココアを、夏はキンキンに冷えたサイダーを誰かがそれを飲んで、このあったかい木のベンチで空を見上げて美味しいと飲む、そんな素敵な空間を提供する。

そんな毎日はきっと悪くない。


「俺の名前はジャン、よろしく!ほら、カップを持ってくれ、二人とも!」


まだ暖かい湯気をくゆらせて、3つのマグカップが其々の手に握られた。

ジャンさんとメグが顔を見合わせると2つのマグカップが掲げられる。


「「ようこそ、カフェ・スラージェへ!」」


私は叫び出しそうなほど嬉しくなって、でもほんとに叫ぶのは恥ずかしいから二人と同じようにマグカップを上げる。


小気味良く3つのグラスのぶつかる音がのどかな広間の片隅で、まるで私の門出を祝すようにささやかに響いた。

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