1話
物語の裏側、知りたくない?
『キャー、神崎く〜〜ん。カッコイイーー』
"彼は相手の素早いディフェンスをかいくぐり、キーパーと一対一の状況になった。"
『んっ、くらえぇー』
"彼は大きく足を振りボールを蹴る。
そのボールはゴールポストギリギリを通りゴールネットに当たった。"
『キャーーー』
"選択肢。
一:「応援ありがとう。また来てね」
二:「フッ、俺の応援だけしてな、俺の、子猫ちゃんたち」
三:「……、邪魔だ」"
手に持つコートローラーを下に一回押し込み、決定を押す。
『フッ、俺の応援だけしてな、俺の、子猫ちゃんたち』
"彼は手を唇に当て、優しく四方へと投げつける。その攻撃はまさにマシンガン並みである"
『俺に酔いな』
"その言葉とともにさっきまで風前の灯であった彼女らの意識を掻っ攫っていってしまった。"
"………セーブします……か
ブチっ。
その音とともに先ほどまでのゲーム音が消え、画面が真っ暗になった。
「おいおい。セーブ前だぞ」
画面にすがり、言葉にすがるこの男こそ神崎伊織。
完璧な"脇役"である。
「まーたやり直しかよ」
そう呟く頃はすでに明け方。
鳥の鳴く声もカーテンの隙間から覗く日光も朝であることを主張している。
「イオリー、起きろー」
ドアを突き抜け、声が大きく聞こえた。
「……」
もちろん彼が今更寝に入ったわけではない。だとしても、後数分は部屋から出られない理由がある。
部屋から出るということは部屋を無防備にするということ。
それは彼にとって断じてならないことなのだ。
「おーい、起きろー。まだ寝てるのか〜ー」
「……」
扉の前で起床を催促するのは彼の姉である、神崎茜。彼とそこまで年は離れていなくても立派な姉であることに間違いはない。
ただし、基本的に神崎家は伊織によって起こされる習慣がある。
つまるところ、神崎伊織は忘れていたわけだ。
今日から高2の始業式であることを。
春休みの間、生活習慣を崩し、時間の感覚がずれていたからだろう。
そして、彼は今になって急いでいるわけだ。
「私は下に行っているぞ」
「ふー」
自らの部屋を片付け終え、久々に着替える制服を手にした。
その制服に着替えると、ドアを開き、下の階へと向かう。
「おはよう、母さん、父さん」
「伊織もおはよう。今日はずいぶん寝坊助なのね」
「母さん言ってあげるな。男にはそういう日が来るものなのさ」
「別にそんなんじゃないよ。ちょっと忘れてただけ」
机を囲み、四人が席に座っている。
言わずとも知れた彼の家族である。
「そのおかげかしら。最近なまってた料理の腕を二人の休みの間に取り戻した気がするわ」
彼と母を除く残りの二人は食卓に飾られる料理を食し、すでに感じ取っていた。
"伊織の方が断然にうまい"
と。
この一家では朝食を大抵の場合彼が作ることになっている。とくに決められたわけではないが、いつのまにかそうなっていた。
そして、せめて彼が休みの間は食事を作るのは分担しようと決めていたわけだが、母は過不足なく作ることはできていた。残りの父と姉が問題外であった。
その母が作った料理も一般家庭で言えば美味しいと賞味される一品ではあるのだが、彼の伊織の料理には見劣りしてしまうのだ。
そんな彼の味に飢えている父、姉にとって母の作る料理に物足りなさを感じてしまうのだろう。
ただ、そんな当の本人たちはそんなことは感じていない様子である。
「今日の味噌汁いい味つけだね」
「そう?ちょっと張り切り過ぎちゃったかしら」
そんな二人の会話をするなかで、黙々と食べる父と姉であった。
「ご馳走さま」
机を囲む四人が手を合わせる。
食べ終えた食器を台所へと持ち運び、自らが洗うのがこの家の暗黙のルールだ。
そうして朝食を終えて先に行動するのは父である。
「じゃ、行ってくるよ母さん、茜、伊織」
「気をつけてね」
そして次に家を出るのが彼とその姉だ。
一歳の年の差故、同じ学校での三年生と二年生な訳だが、そんな思春期真っ盛りでありながらその仲は円満である。
一時の仲違いも身に覚えがないと言っていい。
姉弟としてはどうかとも思われがちだが、とくに彼ら自身に問題はないと自負する部分があり、気にしない様子だ。
「母さん行ってくるね」
「お母さんも気をつけて」
「二人とも行ってらっしゃい」
両親はともに働いているから、二人が出た後に母も勤務先に向かうわけだ。
そう、こんなにも平凡な家庭でありながら彼はいくつもの才を持っている。
その才を遺憾なく発揮しなくとも有り余るそれは、どんなにあったとしても彼は報われない。
何故だろうか。
その問いに簡単に答えるとするのなら、彼が不幸であるからと答えるしかあるまい。
ただし、他の回答を是とするとき、彼自身が言葉にするのは何だろうか。
そう、脇役。
その一言に尽きてしまう。