第2話 『生存への道筋』
「ねぇノルド」
「なにかなハインツ君」
「ご自慢の愛読書の中に、こういった状況の対処方法とか載ってたりしなかったのかな?」
「あるにはあったが、さすがにこれは難しいな。冒険に出たての主人公の最初の敵は大概単体の雑魚っていうのが王道だ。一騎当千の仲間が何人かいれば無双できておもしろいんだろうが、これはだめだ。無理ゲーすぎて泣ける」
パニック野郎の亜人軍襲来の報せを聞いた酒場、というより街は瞬く間に恐慌状態に陥り、我先に逃げ出そうとする住民でごった返していた。こんな時どうすればいいか、正直頭がついていかない。
今まで読んできたマンガや小説にも同じような場面は確かにあった。
あったが・・、
「お前もしかして秘めたる能力とかものスゴイ魔法具持ってたりしないか?ハインツ家直伝的な?腕がゴムみたいに伸びたりしない?」
「そんなワンダフルな特技があれば御車業廃業して道化にでもなってるよ。そもそも強いの?それ」
結構強いんだぞ。最近はゴムなのに空飛んだりできるんだからな。
「い、意味がわからないよ・・。でもいいたいことは何となくわかった」
ご理解感謝。そうこうしてるうちに場は刻一刻と深刻なパニックに陥っており、それは街中に伝染していた。
パニックが冷静であれた人を混乱させ、それが次々と連鎖した挙句、いらぬ犠牲が出たりする。
何とか自分は冷静でいようと心がけるが、その考え自体がもはや冷静じゃないのではと泥沼に嵌ってしまっている。
何とかしなければと気は急くが、俺たちがチート級の能力者でもないかぎり、向かいくる敵を蹴散らすこともできず、今まで積んできた読書経験も活かすことができない。
だが、そんな中でもとりあえずできることはある。
「ツバキ」
「!?」
普段は明るい彼女だが、さすがに表情は恐怖に青ざめてしまっている。
呼ばれたことに驚いたように顔を見上げ、今にも泣きそうだ。
「絶対大丈夫、って言ってやりたいが正直俺も今からどう動くのが正解なのかわからない。 でもとりあえず一つだけハッキリさせておく。何があってもお前を守るし、無事に家まで届けるよ。ハインツには悪いが、万が一の時は命がけで時間稼ぎもしてくれる所存らしいぞ」
「それ他人の口から言われること?せめて自分でかっこつけさしてよ!異存はないけどさ」
「私、ノルドも生けててくれなきゃやだよ。」
「ああ、任せろ。絶対死なんぞ」
「ハインツは基本どうでもいいけど、もし死んだら後々寝覚めが悪いから満身創痍でもいいから一応は生きててほしいよ」
「君たち、人のやる気を削ぐ天才なの!?」
ノリのいい相方のおかげで多少の緊張ほぐれたらしく、ツバキの険も取れた。
それに、この場面で動揺しているのは何もツバキだけではない。
それを表に出すか出さないかの違いなだけであって、俺もハインツも内心はガクブルなのだ。
それほどに周囲の混乱は激しく、我先に逃げ出そうとする町衆に巻き込まれないよう俺たち三人は隅のほうで固まるほかない。
相当場馴れしてないかぎり、現状冷静な判断はできず、恐慌に呑まれて無駄に騒ぎ立てるので手一杯になるのも無理はないが―――。
「いつまでもこうしていても仕方ない。だが俺が本から得た経験からいって、こういうとき慌てて真っ先に逃げ出す奴は大概助からない。肝心なのはどの逃げ方が正しいのかの見極めだ」
「普通に考えれば馬車だよね。後ろに敵が迫ってるっていうなら往路みたいにゆっくりはしてられないから、荷はなるべく捨てよう。それで命を拾えるなら大儲けだよ」
「賛成。なんだけど、道はどうするの?石畳の大街道ならある程度速度は出せると思うけど、敵がいたりしないかな」
その可能性はなくはない。が、敵がどの程度の規模なのかさえわからない俺たちでは予想すら難しい。
「なら大街道を外れて東にあった山は?あそこに伏兵を忍ばせるほど奴らは皆殺しに拘るか?」
「ダメだよノルド。あの山はろくに整備もされていないから山道、どっちかっていうと獣道に近いぐらいなんだ。馬単体でも踏破は厳しいし、馬車なんてとんでもないよ。途中で滑落するのは目に見えてる」
「なら大街道を全速力で突っ切る。もし敵が待ち構えていたら山に方向転換して、麓で途中下車だ。奴らからしたら民衆3人が山に落ち延びたとしても、わざわざそれを追ってくるとは思えない」
「そうなるとあとは遭難が怖いよね。でも確かに」
「馬鹿正直に街道を進んで亜人に殺されるルートより、そっちの方がよっぽどマシだわ」
そもそも取れる選択肢は多くない。
南は王都側、北は故郷に続く大街道、東は森、西は崖
情報をすり合わせれば敵は陥落した王都から押し寄せた可能性が高く、南門から出ることはナンセンスといえる。
では真反対の北門はどうか。ここは俺たちの領地への最短ルートであるとともに整備された石畳の大街道があるため速度も確保できる。
逃走するには最適解であるように思えるが、そんなことは敵とて想定済だろう。今回の襲撃の目的が「都市の制圧」か「敵国民の鏖殺」か。
前者ならば問題ないだろうが、後者であった場合、逃走が最も安易であると想定される箇所に伏兵、最悪街道封鎖ができる規模の部隊を配備している可能性もある。
そうなれば武器も防具も身に着けていない民間人など奴らからすれば紙みたいなものだろう。
あとはあえての籠城策。街に残留する選択肢だが、この街に敵を押し戻せるだけの戦力があるかどうかわからない、というよりは望み薄な以上、これは保留だ。
北門を出た瞬間、周囲を隙間なく敵軍が敷き詰めていればこの選択肢を取らざるを得ないわけだが、こんな街一刻も早く出たいというのが正直なところだろう。
方針は決まり、とりあえずは馬車の確保だと、足を酒場の出口に向けたその瞬間――
唐突に街路を挟んで酒場の真向かいにある家が吹き飛んだ。
「は?」
石造りの建物がものの一瞬で瓦礫に変わった。なんの前振りもなく訪れた破壊に間抜けな声が口から洩れた。
隣でツバキは悲鳴を上げ、ハインツも茫然としている。
巻き上がった砂埃がひどく、何がどうなったのか影すらも見えない状態だったが、徐々に立ち込めていたものも晴れ、その破壊の様を見せつけられる。
人の記憶など曖昧なもので、真向かいの建物で酒場に入るときには目にしていたであろうその建物が、いったい何階建てだったっけとか意味なく考えていると、ふと違和感を覚えて目を凝らす。
もはや石屑と成り果てた瓦礫のなかに、あきらかに異質な塊があった。
一言でいえば「大きな石」だ
「あ、まずい」
即座にこの場を離れなければいけない今すぐに早く
「これって魔法!?王室お抱えの宮廷魔術師だってこんなことできないよ。そもそも亜人って魔法使えないはずじゃないの!?」
動揺するハインツは目の前のこれを魔法だと思ったらしい。こいつ昔から魔法とか大好物だからな
現存する魔法なんて小さな明かりを灯したりするぐらいのチンケなもので、実戦に堪えられるようなものはほんの一握りの才ある者しか扱えず、そもそも亜人という種族は魔法は一切使えないというのが常識である。
「今すぐ離れるぞ」
これは「投石」だ。都市の外側に設置した投石機から放ったものだろう。
それに叩き潰されたもはや民家だったか何かの店だったかわからない建物は、酒場の真向かいに位置していた。
つまり、そこまでならば調整次第で届くのだ。
あの大石による、圧殺が。
投石自体は連射できるようなものではないため再装填にはある程度時間を要するだろうが、敵が持ち出したのが1台とは限らない。
いつまたあの巨石が降り注ぐかもわからないし、そうなれば死んだことすらわからず押し潰されるだろう。
他の人々もその考えに至るのは当然であり、先に走り出した俺たちにワンテンポ遅れて、北門に向かい全力で走り出した。
悲鳴をあげながら逃げ惑うその様は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図と言えた。
「と、投石機は、て、敵だけじゃ、なくてぇ、ここ、にも」
走りながら話すな鬱陶しい。
普段ろくに運動しないハインツはいくら逃げるためとはいえ走るということ自体が地獄なのだろう。
顔は汗だくで必死の形相なので正直ちょっと怖い・・。
正しい走り方や呼吸法も知らないため、息切れでしゃべることさえ覚束ず、今にも盛大に舌を噛みそうでもある。
この場面で敵の手にかかるわけでも投石で押し潰されるでもなく、走りながら喋って舌噛んで死んじゃいましたは恥ずかしすぎる。
「じゃ、じゃあ、と、とまって、いい!?」
「止まらずに聞け。確かに投石機は攻め手だけじゃなく、れっきとした防衛設備にもなる。ここにもそれは配備されてる。配備だけ、な」
「ど、どういう・・」
「ちょっと、そんなことどうでもいいでしょ!それよりこの人だかり、これじゃ馬車小屋まで行けないじゃない」
酒場から真っ直ぐに走り、馬車小屋のある北門近くに着いたは着いたが、門の周辺には人人人―――。
それも皆殺気立っていて、とてもではないが強引に人混みを掻き分けて目的地に辿り着くことは不可能だ。
「ハァ、ハァ、ハァ―――。しょうがないよ。こんな中に突撃したら確実にはぐれちゃうよ。というか僕の体力がもたない。少し遠回りになるけど、裏道に回り込んで―――」
これまでで聞いたことがないような破砕音が聞こえたのはその時だ。
バタついていた周りの連中も静まり返り、一様に音のした方に首を向ける。
「防塞壁が・・」
誰彼ともなくつぶやかれた絶望に、一人として二の句が継げずにただ茫然と破砕音の発生源とおぼしき土煙を見る。
高さ十数メートルを誇る防塞壁から立ちのぼるその煙は、決して老朽化による崩落などというものではない。
防塞都市サルエルが安寧の都から亜人族の狩場に成り下がった瞬間であった。