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 翌日の朝にニュースが飛び込んできた。昨晩水車が、フェンスの割れ目から入ってしまった巡回船を巻き込み、バラバラに引き裂いたという内容だ。ラジオが慌てた様子で事件のあらましを告げる中、僕が思い浮かべていたのは川沿いにいたあの作業服の集団だった。あのとき彼らが大勢いたのはその巡回船の痕跡を見つけるためだったのだと、ようやくわかった。

 フェンスは嵐の前から確認されていた。これは水車の管理会社側が発表したことで、それを受けて、亡くなった方々と関わりのある人たちが憤った。知っていたのならば防げたはずではないか、ということで、ラジオでは一日がかりで関係者による管理会社や行政への糾弾の声が流され続けた。管理会社側は数時間おきに会見を開いて弁解したけれど、全ての原因を天災だけに押し付けることを人々は良しとしなかった。この事故の、責任はだれになるのか。あちこちで活発に議論が沸き起こることになった。

 日が経つにつれて議論は白熱し、過激になっていった。管理会社は、毎日たくさんの報道関係者に詰め寄られ、事故の原因についての納得のいく説明を要求された。その場その場でつかまった管理会社の社員が冷や汗を流しつつ言葉を必死に取り繕い、どこかで矛盾や綻びが生まれたり、弱気で不適切な発言が出たりすればマスコミたちはこぞって写真に収め、マイナスをちりばめた文章を添えて世間に広めた。

「すまない。今日も帰れそうにない」

 僕の父親が夜遅くにそのような電話を掛けてくる日が続いた。たまに帰ってきても、すぐにベッドに入って籠ってしまう。人とあまり関わりたくない雰囲気が出ており、見た目もどんどんやつれていった。

「父さん、休めないの?」

 僕がそう聞くと、父は答える気力すら薄いようで、首をわずかに傾けて「ああ」とか「うう」とかの音を発した。睡眠時間が減り、責任追及が増大する日々。人間味が薄れるのも無理はなかった。

 見るに見かねた僕は、父を無理やりダイニングに運んで座らせ、ティーバッグをくゆらせた簡単な紅茶を用意した。ことりとカップの音を鳴らすと、父がひしゃげた微笑をした。

「私が休んでも、他の人が的になるだけなんだ」

 その鬼気迫る言い方に、僕は寒気すら感じた。そんなことがあっていいのかと思ったが、父親の気力をこれ以上削ぐわけにはいかないとも思い、こねくり回していた言葉をそっと喉の奥に沈めた。

 反論をあきらめた僕の一方で、僕の母は違った対応をした。彼女は仕事より身体が大事だという至極真っ当な意見を毎晩夫の耳元で叫び続けていた。聞いている父は彼女が唾を飛ばさんばかりに叫ぶたびに、短い唸りで適当に相槌を打っていた。それが妻の気持ちを逆なでするしかないとわかっていながらも、そう反応するよりほかに何もしたくないという様子だった。案の定母親は顔を真っ赤にして、毎晩ヒートアップしながら父を睨みつけた。父を慰めようとしていたはずなのに、やりきれない気持ちが罵倒の言葉に変わってしまっていた。

 この両親の対立は、水車への球団の過熱に伴って日常に拡大した。二人が言い合いをして、母が父に呆れて寝室の扉を閉め、父が重たく湿っぽい溜息を垂れ流す。一連の流れが生まれてあっという間に板についてしまった。

 父親と母親はもともと仲が悪いわけではない。けれどここ最近、だからといって良いわけでもなかったのだと僕にはわかってしまった。対立を始める前も仲が良かったのか、今の僕には自信がない。二人には自然な打ち解けた会話がほとんどなかった気もしてきた。僕の知らない、入り込む隙のない生身の父と母の姿が現れ始めていた。

 母は自分の生活がいかに狭苦しいものになってしまったかを訴えるようになった。水車の管理会社に勤める夫を持っているということで、街中から目を付けられるようになってしまったらしいのだ。それを、父親はどうしようもないだろうと半ば怒り気味に逃げ続けている。逃げは口論の中断でしかない。口論は次第に連日行われるようになってしまった。

 母の訴えは僕を脅かした。僕はあまり気づいていなかったけど、ひょっとしたら僕も陰で何か言われているかもしれない。どこで何を言われているかわからない世の中だ。絶対ないとは言い切れない。僕が水車の管理人の息子であることは自分の力ではどうしようもない事実だ。変えることなどできないので、何を言われても黙っているしかない。どうせほとぼりが下がるまでは冷めない騒ぎなのだから。

 両親の口論を聞いたあとで、僕は毎回自室に戻って考え込んだ。自分に何ができるか考えるのだけれど、まとまりはしない。漠然とした現状への拒否感が生まれるも、打開する術は見当たらない。今更事故を無かったことにはできず、人々の視線をはねのけるバリアがあるわけでもない。父親と母親の仲はますます悪くなるだろう。噂が消えない限りはずっと。


 通学を続けているうちに、事故の影響の実態はすぐにつかめてきた。僕の顔をちらりと見て、仲間内でひそひそ会話をする人たちをたくさん見かけるようになったのだ。。僕が水車管理社員の父の息子であることはすぐに広まったらしい。中には露骨に僕に対して嫌悪の言葉をぶつけてくる者もいた。僕自体は発電所の仕組みすら知らないというのに、軽蔑する側はお構いなしだ。噂はなかなか消えなかった。そもそも水車しかとりえのない街である。水車に纏わるお話は、良いものだろうと悪いものだろうと、重大な事件として街の人に刷り込まれてしまう。僕がどうこう言ったところでは抵抗にもならなかった。

「大丈夫かよ」

 ある日の昼休みに、眼鏡の友人がそう声を掛けてくれた。何を、と言うと、見るからに顔色が悪いと言われた。その後ろから、小太りの友人がひょいと顔を覗かせてきた。

「どうしたの、とりあえずお昼食べに行こうよ」

「お前、いきなりすぎるだろ、もうちょっと慰めてやれよ」

「お腹空いてないの?」

「空いたけど、なあ」

 眼鏡の友人が困惑した顔を向けてくる。僕は笑おうとしたけれど、声を出したら熱いものが溢れてきてしまいそうで、ひどく不恰好になってしまった。

 もうひとり、僕には浅黒い肌の友人がいたのだけれど、彼はここのところ学校に顔を出していなかった。そのことを食堂で二人に聞いてみたところ、「あいつの家は出ていくことを決めたらしい」と教えられた。水車の事故の後、水車を危険と感じたからなのか、街から突然に引っ越す人が増えていた。学生の間でも同じように顔を出さない人が現れていた。

 彼女もまた顔を出さなかった。学校のどこを探しても見当たらず、友人伝いに聞いてみるとどうも来ていないとのことだった。嫌な予感がした。彼女の両親は遅かれ早かれこの街を出たがっていた。水車のニュースを聞いて、行動を早めることもありえるのではないか。


 友人が残っていた僕はとても幸運だったと思う。学校の中で、少なくとも二人行動を共にする人がいてくれた。彼らすらいなくなったら、後ろ指を差され続けるような通学を続けられたかわからない。

 それでもストレスは着実に溜まっていった。僕はうんざりして、泳げるものならすぐにでも泳ぎたかったけれど、水車の事故があってからというもののどこの遊泳上も自粛してしまって、ますます僕の苛立ちは募った。

 僕は後ろにも脇にも目をくれずに、もんをくぐって街に出た。勢いは良かったけれど、真っ直ぐ帰るのも気が進まず、商店街の方を目的もなく揺れ歩いた。街はとても賑やかだった。なぜか以前よりもずっと賑やかなように感じられた。何を言っているのか聞き取るのも面倒になってしまうほど、一方的で耳障りな賑やかさだった。

 気楽な散歩がしたかったのだけれど、大通りに出るたびに緊張した。知り合いに出会って要らぬ気遣いをしてしまう可能性が高いと思ってしまったのだ。そんな自分に気づいて、気分が沈んだ。僕はいよいよ自分の置かれている圧迫感を無視するわけにいかなくなっていた。

 自然と大通りを避けた。わざと狭い路地裏を行き、足を止めずに進んでいって、隠れ家的な居酒屋の看板の前をいくつか通り過ぎた。カラスや猫が蔓延っていて、レストランの裏手に置かれたごみ箱を熱心に漁っていた。一心不乱に腐りものに首を突っ込み、堂々としたいでたちで口に肉片を咥えている。匂いなんて気にしないのだろうかと、鼻を抑えながらそれを眺める。カラスも猫も獲物を得たらそそくさと遠くへ行ってしまった。路地裏には、湿っぽい腐臭に塗れた僕だけが残された。

 路地の出口は寂れた街路だった。かつては第二の商店街が展開されていたらしいけれど、今では賑やかさの跡形もなく、人通りも多くない。アパートメントらしき背の低い建物と、いくつかの露店がまばらに立ち並んでいるくらいの道だ。

 まだ日暮れには時間があった。帰る気にはまだなれない。僕は露店に目を向けて歩いた。いくつか店を渡り歩き、紫の緞帳を垂らした小さいブースに目がいった。

 目を引いたのは台の上に並べられているカラフルな宝石だ。大きさはだいたい指先に載せられるくらいのものだが、それが数十個、等間隔に並べられている。数は多いが、種類も多い。紫色の角ばった石が最も多くて、次いで黄緑色の幾何学的な形をした石が多かった。ネックレスや指輪の形になっているものもある。。西日を反射するそれらは綺麗で、澄んでいた。

 まじまじと見ていたら、宝石売りと目が合ってしまった。白髪を幾本か紛れさせた禿頭の老人だ。額も口元もしわくちゃで、目は大きく黄ばんでいる。その両の瞳が真っ直ぐ僕を捉えていると気づき、慌てて背けた。今僕は視線に敏感になっているけれど、この老人は僕の状況とは関係なく、反射的に避けたくなる眼光を携えた老人だった。

「買いてえか」

 固い肉を咀嚼するときのような、ねっとりとした言い方だった。

「いえ、見てただけです。すいません」

「構わねえよ。俺も置いているだけみてえなもんだから」

 宝石売りは口元をひん曲げて綻ばせた。人がそんな笑い方をするのを久しぶりに見た気がして、僕も少しだけ安心した。

「いつもここで店を開いているんですか?」

「いんや、前までは繁華街の方でやってた。最近規制が厳しくてな、こっちに移ってきたんだよ」

 宝石売りが穏やかに手を動かして、紫の石が並びを変える。直角三角形。その斜辺に、今度は黄色の石が置かれ始める。数が足らず、斜辺全体を覆うほどには数がない。

「前もあんまり売れなかったけどな」と老人は付け加えた。

「それでいいんですか?」

「いいんだよ。これは趣味みたいなものなんだから。宝石は俺の庭で採れるんだ。庭をほっつきまわっていたら、石の壁の、ちょうど昔の地層の断面になっているところで輝く石ころを見つけられるんだよ。それをせっかくだからと人に売りにきているだけだ。そうすりゃ小金が稼げる。キラキラしたのが好きそうなやつらは案外多いんだ」

 黄色が並べ終わり、白と青が遠くに置かれる。テーブルの端っこ。彼方の青と白が、骨ばった右手でごろごろ転がされはじめる。

「それじゃもしかして山の方で暮らしているんですか?」と僕が聞いた。

「おう。西の山よ。ここからでも尾根が見えるだろ」

 宝石売りが顎をしゃくって西を示す。山脈のシルエットが夕暮れに佇んでいた。

「あんなに遠くから?」

 まさかと思って目を向けると、宝石売りは一層楽しそうに口の端を吊り上げた。顔の片側に皺が幾筋も刻まれる。そうだ、と答えて、男は腰を上げた。

 白髪交じりの、ぴんぴん跳ねた髪が僕の目先で揺れる。老人は僕より小さかった。

「残念だが、夕暮れだから今日は店じまいだ。俺は山に帰るよ。買いたければもうちっと早く、な」

 別に強要はしないけど、とだけ添えて、男はてきぱきと露店を片しはじめた。

 僕は別れを告げて後にする。

 空を舞う枯れ葉につられて、振り返るとすでに店は無かった。跡形もないし、移動も速い。老人は本当にいたのかと疑いたくなる。

 頭の中では並べられる石のことを考えていた。紫に黄色に、青に白。それらは確かに綺麗だった。


 特に宝石が欲しいというわけではなかったのだけれど、その代りあの老人には、もう一度会ってみたかった。水泳が禁止されている僕は、宝石売りに縋るような思いを抱いていた。

 翌日も学校が終わると路地裏をくぐり、通りに出たらすぐに宝石売りの姿を探した。露店は既にいくつか立ち並んでいた。息を弾ませ、街道を進んでいく。そのうち違和感に気づいた。妙に人が多い。

 つい舌打ちをしてしまった。人混みへは出たくなかった。前はこんなにいなかったじゃないか。なんて邪魔なんだろう。

 人混みが集まっている箇所を、意識して遠ざけようとした。ところが、その中心にあるのがひとつの露店であると気づいて、足が止まった。

「悪いことは何もしとりゃせんつもりですがね」

 声は紛れもなくあの老人の声だった。人々に囲まれていた露店も、紛れもなくあの宝石店だ。

 人混みの間を縫って首だけを前に向けた。細い隙間から老人が見えた。人混みを流れるように睨み回し、目の前に立つスーツの男を一際鋭く睨みつけた。

 僕は完全に片足立ちになりながらことの成り行きを見守った。

「これはこの街道の住民の総意です」

 スーツの男が言う。するすると水が流れるかのような声だ。

「ここを立ち退くことがか? え? いったいどういうわけでわしが迷惑をかけたんだ」

 老人が飛ばす唾が、遠くからでもよく見えた。ちょうど老人の真向いにいた野次馬が腰を引いてたじろいだ。スーツの男だけが動かずに老人を見据えていた。

「あなたは許可を取っていませんよね? 許可のない露店営業は条例で禁止されているのです。無許可の営業は街道沿いの住民の生活に悪影響を及ぼしかねません。現に見知らぬ露店が並ぶことで通りにくくなったという旨の苦情を何件か承っております。無許可の露店に嫌悪感を抱く人がいる以上、あなたを野放しにしておくわけにはいきません」

「それじゃ、あいつらはどうなるんだ? あれも露店だろう?」

 老人は繁華街方面への道沿いを、節くれ立った震えた指で差した。僕が通り越してきた露店たちだ。

「ですから」

 スーツの男は声色に若干呆れの色をつけた。「許可があれば構わないんですよ。あちらの露店は全て許可された上で営業で、私たち役人も把握しているんです」

 そこまでいって、急にスーツの男は咳払いをする。次に口を開いたときには呆れが掻き消え、耳を撫でるような声色になった。

「あなたも許可を申し出ればいいんですよ。税金をきちんとおさめていただければ、誰も文句は言いません。好きなように営業して構わないんですよ」

 言葉が言い終わらないうちに、老人は「ふん」と大きく鼻を鳴らした。

「そんな金、あるもんかい」

「それなら仕方ありません」

 スーツの男は、淡々とした口調に戻る。背筋をぴんと伸ばして、高い背のさらに上で指をぱちんと鳴らす。すると、人混みの中から大柄の男たちが這い出てきた。今まで目に映っていなかったのが不思議なくらいの巨漢たちだ。

「ならば早速撤去します。私どもの技術職がお手をお貸しします。くれぐれも、邪魔のなさらぬように」

 スーツの男が促して、巨漢たちが露店に飛び掛かる。老人がいくら喚こうが止まろうとしなかった。

 そこから先はあっという間だった。簡素な露店はすぐにバラバラにされ、卓の上に並んでいた宝石たちは無造作にゴミ袋に詰め込まれた。それがぽんと老人に投げ捨てられる頃には、暖簾の木くずだけが石畳の上に転がっていた。

「ああ、なんてことを……」

 老人の喚きは尻すぼみになり、あんぐり開いた口が空気を押し出しもせずに固まってしまっていた。

「すべては住民の総意です。ゴミはすべて私どもが片づけておきます。あなたは早くお帰りになってください。どうかもうここには来られませんように」

 スーツの男が平坦に言い放ち、人混みの中を歩いて行った。仕事を終えた巨漢たちが、残った木くずをゴミ袋に詰めて運んでいく。

 老人ただ一人が道の上に残されていた。淡々と邪魔ものを排除する、この時代らしい行いを目の当たりにして、何をするでもなく立ち尽くしていた。

 人垣が次第に遠ざかる。

 僕は老人をしばらく眺めていた。声を掛けようとしたけれど、彼の虚ろな瞳を傍から見てしまっていたら、何も言葉が思い浮かばなかった。

 手を伸ばすことさえ悩んでいるうちに、老人はよろめきながら街道を歩き始めた。西の山の方角に首を向け、進んでいく。

 僕は老人から目を離した。振り返って、見えた繁華街に、吸い込まれるように向かっていった。それ以上、あの老人のことを見ているのがつらかった。

 総意――スーツの男がそういっていた。この街の住民は総意ですべてを決定する。

 そんなこの街には何もない。僕は気づいた。何もかも、みんなが捨ててきたんだということに。

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