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僕が暮らすこの街の子どもならば誰もがその川で遊びながら育ってきたことだろう。対岸が見えないほどの幅広さを誇る広大な川だ。その川が街の東側で弧を描いて流れているものだから、昔の人は東の街へと移動するには一日がかりの船旅をするしかなかった。今の時代ならば飛行機があるけれど、よほど急いでいない人でない限り、隣町へ行くために空の道は選ばない。そんなふうにして、街はいつでも僕らを半分包み込んでいた。
川の中も複雑だ。見た目にはほかの場所と同じ青さなのに、ところによっては大きな建物がすっぽり収まるほどの深さがある。もしも油断して足を踏み入れれば、足元を掬われ、訳も分からぬまま瞬く間に流されていってしまうだろう。水難事故も少なからずおこり、そのたびに大人たちは子どもたちに川の危険性を説いた。とはいえ、浅瀬ならば水底も見えるし両足もつける。水にもぐったり、友人と泳いで競争したり、川から迷い込んできた淡水魚を捕まえることだってできる。特に安全な水域に限ってならば遊ぶのに支障はない。監視員の目が届くことや、安全ための浮き輪が僕らを囲んでいることで川とともに戯れることができた。
そんなふうにして、川はいつでも僕らの街を半分包み込んでいた。ときには危険な怪物として。ときには良き遊び相手として。
その川には、僕らの街のシンボルがあった。それは川の中央に鎮座して、僕らを見下ろす巨大な水車だ。
水車は僕らの世代や大人たちの世代よりもずっと昔に作られていて、天まで届くと古い歌にも詠まれている。途轍もなく重く堅牢な特製の支柱に支えられており、大きさは他の建物とは桁違いだった。街のどの建物の天井に踏み出してみても、水車の頭頂部分には必ず見下ろされてしまうほどだ。
川の横幅でいえばちょうど中央に水車は位置している。大量の水を利用して自然な推進力をつけ、大量の水をかき混ぜながら上へ上へと進んでいく。構造自体は普通の水車と同じだ。止まることのない淡々とした回転は、街をめぐる電気を生んでいるのだと、水車の管理会社に勤める父は説明してくれた。最初に話してくれたのは僕が5歳のときで、全てを理解することはできなかったけれど、とにかく回れば回るほど街が明るくなり、暖かくなり、過ごしやすくなることはわかった。
水車の周辺は危険区域としてフェンスで囲まれている。管理会社や東の街の巡航船以外、誰もフェンスに近づけてはいけないときつく行政に決められている。だけれどもその禁止が、僕たちには刺激となっていた。僕たちはよく遊びで沖へ向かった。監視員の目を盗んで泳いでいき、フェンスに辿り着くと指を絡めて震動させた。少しでもそうするとびっくりするほど大きな音がガシャガシャと響き渡る。岸の方で大人たちがざわめいている中、捕まらずに帰れたらクリア。単純でスリリングな遊びだった。
僕もその遊びの愛好家で、特に気に入っているのはフェンスに触れるときの心地よい冷たさだった。その感触が好きで、フェンスを握ったまましばらく立ち泳ぎをすることだってあった。
フェンスは間近で見ると細く、脆そうに見える。けれども、実は僕の力程度では曲げることもできない強度があった。それをわしづかみにして、金属の線の交差の間から水車を呆然と眺めつづけてしまうこともあった。集中しすぎて他の友達に頭を叩かれ、我に返ったこともある。回ることが不思議でならないから、と周りには説明していたけど、本心はもっと混沌としていた。水車に魅了されていたのは確かだけど、その原因は単純な興味でも恐怖でもない。フェンスの前でその答えについて考え込んでいるうちに、握りこむそれが指に食い込む痛みを感じ、ようやく手を離して岸へ向かう、そんなこともしばしばあった。
僕の生活にはいつも水車の影があった。それに見下ろされ、見守られたり睨まれたりしながら、十四年の月日が流れた。街は川に包まれているけれど、僕の生活だって、そういう意味では水車に包まれているようなものだった。なにせいつどんなときでもその存在を感じずにはいられなかったのだから。




