第16話 「過去と向き合う時」
――殺セ。殺セ。殺セ。殺セ……。
カエンは、相も変わらず草原に立っていた。ガルグの声がしなくなったと思いきや、さっきから殺せ殺せだと物騒で奇妙な声が鳴りやまない。
まるで、カエン自身に殺せと命令しているかのようだ。
「気味悪いな……なんだよこの声」
――殺セ。
「誰をだよ」
――殺セ。全テヲ殺セ……!
「っ!?」
その言葉とともに、カエンの脳内にある風景がフラッシュバックした。
赤き血で染められた、忌まわしき過去。
一面が、赤。赤。赤。そんな風景が、再びフラッシュバックする。
――殺セ。殺セ。
「違う。俺は……!!」
――殺せ。カツテノ、オマエノヨウニ!!
声が鳴りやまない。まるで言葉の雨だ。
誰を殺せとは言わず、ただ殺せと繰り返すその声は、異様で奇妙で不気味だ。
フラッシュバックした過去を思い出したせいなのか、カエンは頭を抱え始める。
「俺じゃない、俺じゃない俺じゃない……!! 俺じゃない……!!違う、俺じゃない……!!」
カエンは、はっきりと思い出す。その過去を。
それは、儚くも空しい、カエンの過去。
カエンはただ、ゾンゾ=ザス・ブラッドに自分の村の人たちを殺された。それで、村の敵を打つ為に、強くなった。
だが、それは本当の事だったのか、これまで思い出せずにいたのだ。
カエンは改めて思い出す。
自分自身の罪、そして過去を。
★★★
カエンの生まれ故郷は、ベルフライム王国の辺境の地、サミルで生まれた。
カエンの家はあまり裕福ではない農家の家で、カエンには3つ離れた兄貴がいたのだ。
小さい頃のカエンは、とても今のようにたくましくはなく、泣き虫で、何もできなかった。
そんなカエンの唯一の憧れだったのが、士官学校に行く兄貴、ラルフだった。
兄貴は強く、賢い。
カエンにできないことは、何だって出来ていた。
「ラルフのやつ、士官学校にいくらしいわよ」
「いやあ、サミルの期待の星だなぁ!!」
住民の、ラルフに期待する声が聞こえる。
当然、村の視線は兄貴に向いていて、村人たちはカエンに見向きもしなかった。
カエンは兄貴が憧れの対象である一方、悔しくもあった。
兄貴に追いついて、村のみんなを見返してやるんだ……!
少年カエンは、子供ながらにそんなことを抱いていた。
「ラルフ。スカイベル学園に入学、おめでとう」
「ありがとう父さん」
「次はカエンね。カエンは一体何になるのかしら。楽しみだわ」
カエンの父と兄と、母の会話。
「俺も、兄ちゃんみたいに士官学校にいく!!」
「はは。カエンはまだひ弱だから、相当強くならないと無理だぞ?」
兄貴と同じように、カエンは士官学校を志望する。
しかし、父は今のカエンを見て、兄貴と同じ道は遠回りに難しいと答えた。
その時、カエンは少年ながらに感じたのだ。
ああ、この父と母は、自分には期待していないのだと。
父さんも母さんも、村の人と同じように、目線は兄貴にしか向いていないのだと。
それがカエンにとって、悔しくてたまらなかった。
だからこそ、強くなりたいと、少年カエンは願ったのだ。
その父の否定が、カエンは悔しくて、家出をしたのだ。
「カエン!?」
「みんな俺をバカにしやがって、俺だって、兄貴みたいに……兄貴みたいに……!!」
涙ながら、暗い森を駆け抜ける。
どこを走っているのか、分からなかった。
「ここは……?」
気付けば、何処に辿り着いたのか分からなくなる。
途端に、ものすごい殺気がする。
なんだか怖くなって、カエンは床に落ちていた棒を拾い、構えた。
その目は青く光っており、周りを囲まれている。
ウルフだ。夜の森には出てはならないと村人全員に言われていた理由が、今カエンにようやくわかった。カエンの身長よりも一回り大きいウルフが、集団でカエンの周りを取り囲んでいた。
死んでしまう。カエンはその時初めて、死を恐怖した。
その、瞬間だった。
「火炎斬ッ!!」
飛び出し、襲い掛かろうとする無数のウルフが、一瞬にして燃え上がり、塵となってカエンの前から消えた。
あまりにも一瞬の出来事に、カエンは何が起きたかわからなかった。
「……全く、坊主。夜道に一人歩きはよくないと言われなかったか?」
渋い声。逆三角形の体系をした、筋肉質の男性が、カエンを救う。髪は白髪で、がっちりとした顔。気迫だけでもものすごい男だ。
男は、右手に持っていた刀を、ただ一回転、振り回しただけ。それだけなのに、ウルフが倒れるどころか、炎で燃え、塵のように消えていった。
「す、すげえ……」
カエンは、その男の、これまで見たことないような桁違いの強さに感動した。
自分が恐怖で一匹すら対処できないウルフを、一太刀で塵のように燃やしたのだ。
「まあ、まだまだ未完成だがな。しかし坊主、こんな夜道に一人歩きとは、一体どうした?」
これが、カエンの師匠たる男、フレア・バーニングである。
カエンは、フレアの攻撃を一目見た瞬間、弟子にしてくださいと願った。
最初は断られたが、カエンは引き下がることなく、男に願う。
それが叶い、フレアはカエンを弟子として受け入れてくれたのだ。
そして、フレアは、カエンに戦いの基本、火のゲートの操り方、応用、殆どをカエンに教えてくれていた。
「素振りはすべてにおいての基本!! 基本なくして応用はないぞ!! カエン!!」
「はい!! 師匠」
色々な応用技術も教わったが、一番大事なのは基本だと師匠は教えてくれた。
真っ直ぐな太刀筋が出来るまで、カエンは何度も何度も素振りを続け、日々の日課とした。
すぐにでも筋がずれれば、師匠から叩かれる。
しかしカエンはへこたれず、諦めなかった。
最初は筋肉も弱く、到底戦士には向かないと師匠に言われたが、カエンはその面を自分の体力をありとあらゆるトレーニングで鍛え上げ、戦士と呼べるにふさわしい肉体へと自分を高めていったのだ。
「よし、そろそろ教えてもいいだろう。我が剣術を」
「はいッ!!」
そんなある日、師匠がついにカエンに火炎斬を教えてくれるようになったのだ。
カエンは師匠から、ゲートの付いた刀を貰い、訓練を始める。
「いいかカエン。神経を研ぎ澄ませ。そして明鏡止水の心境を作るのだ。それがまず、火炎斬を取得する第一歩となる」
「はいッ!!」
明鏡止水。カエンは神経と心を研ぎ済ませる。そして、刀を構え、唱えた。
「火炎斬ッ!!」
カエンは、今の力で精一杯刀を振りかざし、炎の刀で目の前の丸太を斬る。しかし、丸太には傷しかつかず、その焼き傷がついたのみだ。
師匠のように、丸太を燃やして粉々にするには、まだ程遠かった。
「甘いッ!! 馬鹿者!! 刀に体がとられておる!!」
そうやって、師匠との厳しい修行が何年も続いた。
兄貴を超え、父さんや母さんに認めてもらうんだ……!
そんな、一心で。
こうして、カエンが師匠と厳しい修行をしている最中、悲劇は起きた。
それは、満月の夜だった。
カエンは、一面に広がる赤を見た。
目に入る光景全てが、赤、赤、赤。
血だ。カエンの目に映る光景全てが、血。
――おとうさん? おかあさん?
カエンは、その血が流れ、横たわる人物に、何度も何度も声をかけた。
腹部を3つの傷で抉られている。
しかし、返事はない。それでもカエンは、何度も何度も声をかける。
――おとうさんっ!! おかあさん!!
かける声が、叫び声に変わる。気付けばカエンは涙を流していた。
自分が今見ている光景は何なのか、カエンには理解できなかった。
ただ、みんな、みんな。赤。
カエンは、その赤を出す者をみた。
その男は、両腕に獣のような牙が生えていて、こちらをただ睨み続けている。
その目は、赤く光っていた。
「おとうさん!! おかあさん!!」
ゾンゾ=ザス・ブラッド。
その男は、満月の夜に突然現れ、カエンの村の人々を次々に殺していった。
兄貴は、士官学校の入学式に行って、兄貴の助けを呼ぶことはできない。
カエンは、フレア師匠から教わった剣術を役に立たせることが出来なかった。
ただ、目の前の怪物のような人物に恐怖する。
そう、記憶はそこで終わっている。
それが幾度と、夢に出てきたのだ。
だがその夢に、その過去には続きがあったのだ。
ゾンゾ=ザス・ブラッドは、殺した人間をゾンビ化させ、自分の操り人形にすることが出来る。
つまり、死んでいった村の人々、全てがゾンビ化したのだ。
倒れた人々は、血を垂らしながら、カエンに襲い掛かる。
「うああああああああああああああああ!! あああああ!! ああああ!!」
ゾンビとは言えども、外見の見た目が変わらない。
カエンはそんな村の人々が、一度死んだとはいえ、襲い掛かったとはいえ、カエンの刀で全て倒したのだ。
少年カエンは、叫び声を上げながらゾンビ化した両親を刺し、村の人々を刺した。
師匠はちょうどそのとき旅に出ていて、戻った時はすべてのゾンビが死んだ後だった。
「カエン……おまえ」
師匠は、血まみれで震えているカエンを見て、カエンを責めようとはしなかった。
当時の師匠は、この状況を、カエン1人で作り出したとは到底思えなかったのだ。
「師匠ぉおお……違う。俺がやったんじゃない、俺が……」
「……。カエン。このことは忘れるんだ」
★★★
――殺セ。殺セ殺セ殺セ
「俺が、殺したのか、村のみんなを……」
そう、カエンは今思い出す。村を本当に滅ぼしたのは、ゾンゾ=ザス・ブラッドじゃない。自分自身だったのだと。
ゾンビ化して、どうしようもできないのは分かっている。頭でわかってはいるが、自分が殺してしまったのだと、当時は思ったのだ。
ゾンゾ=ザス・ブラッドがなぜ、サミルを襲ったのかは分からない。
けれど、そんなことはどうでもいいのだ。
『馬鹿者ッ!! その考えはまさしくゾンゾ=ザス・ブラッドの罠だと、何故気付かぬ!!馬鹿弟子がァアアアアアアアアアアアッ!!』
「!?」
突如、カエンは、何かに頬を思いっきりは殴られた。
今度は、一体なんだというのか。
だが、この声は聞き覚えのある、声だ。
「この声は、師匠!? 何故ここに」
『そんなことはどうでもいい!! この世界はお前自身の精神世界。お前は今、眠っているのだ』
「精神世界……!?」
ゾンゾ=ザス・ブラッドにやられ、倒れている途中の、夢の世界みたいなものだろうか。とカエンはとっさに思った。
しかし、師匠はどうやってカエンの精神世界に来たのだろうか。
カエンにはよくわからなかったが、今改めて思い出す。
『全く、お前自身がゾンゾ=ザス・ブラッドのゾンビ化ウイルスにやられていることに何故気付かぬ!? お前はあの時正しいことをしたのだ!! お前があの時、ゾンビ化した住民を殺さなければ、たちまち他の村へと被害が及んでいたのかもしれぬ!!』
「けど師匠、俺は……俺は……」
『馬鹿者!! 過去を後悔する暇があるのなら先に進まんか!! お前が私に弟子を頼み込んだときの心境を忘れたのか!! 初心を思い出せ!!』
「初心……?」
ゾンゾ=ザス・ブラッドがカエンに傷をつけたということは、カエン自身にもゾンビ化するウイルスが入り込んだ、ということになる。
つまりカエンは、この精神世界で、ゾンゾ=ザス・ブラッドの支配下に置かれる、そんな状況になりつつあったのだ。
『そうだカエン。お前は常にお前自身が正しいと思うことを行ってきたのだ。お前に不幸をもたらしたのはブラッドそのもの!! お前が悔やむ必要など一つもない!! それがお前の強さを高めることを阻害するのならば……それはお前にとって良くない事だ!! 思い出せカエン、お前が純粋に、強くなりたいと思った、初心を思い出すのだ!!』
「そうだ、俺は……俺は……」
ゾンゾ=ザス・ブラッドを倒すために強くなるわけじゃない。
最初は兄貴を超えたくて強くなりたいとは思った。けどそうじゃない。
カエンは思い出す。自分が本当に、ただ純粋に、師匠の強さに惚れたあの時を。
何があるかわからない。
ただ今の自分を変えたかったのだ。
師匠と初めて森で出会って、強さを、追い求めたいと思ったのだ。
今自分は甘えていた。火炎斬を手に入れて、師匠の技を完全に理解したと思い込んでいた。しかしそれは間違いだったのだ。
ガルグ・ストロングは言った。
――坊主。復讐からは何も生まないッ!! それがお前の“弱さ”だ!! 深く考えろ、己が戦うべき、真の理由を!!
そうだ。カエンが今、ゾンゾ=ザス・ブラッドに敗北した時、その復讐心があるあまり、周りをよく見ていなかったのだ。
明鏡止水の心境を、表面的にとらえていただけなのだ。
――殺セ殺セ殺セ
相変わらず、声が鳴りやまない。
だが、カエンはもうこの声には屈しない。
気付けば、カエンの右手には刀が握られていた。
きっと、初心を今思い出したからだろうと、勝手に思う。
その瞬間、殺せと囁いていたウイルスが、正体を現す。
黒い塊として、カエンの前に実体として現れた。
「ありがとうございます。師匠。おかげで俺、忘れるところでした。まだまだ修行が足りませんね……」
『うむ。しかしカエン、これはあくまでも私が一時的にお前を奮い立たせたまで。お前が真にお前のトラウマと向き合わなければ、ガルグ・ストロングによる、Sの扉は開かれんぞ』
「分かっています。俺が俺自身が、きちんとこの過去と向き合わなくちゃいけない。恐れてちゃいけない」
『フッ。今はそれでよかろう。ならばカエン。新技をお前に伝授しよう』
「まさか、あれですか!?」
『そのまさかだ。精神世界で使えるならば、現実でも使えるだろう』
「有り難く頂きます!」
『うむ。では受け取れ!! カエンよ!!』
「はいッ!! さあて、さんざん俺の過去を弄んでくれやがってよ、ゾンゾ=ザス!!」
声もなく、黒い塊の実体はカエンに襲い掛かる。
カエンは、深呼吸をして、刀に力を籠める。
「俺の心は、今ッ!! メラメラに燃えているぜッ!! 秘技ッ!!」
そして、刀のゲートが赤く光りだす。
「業火ッ!! 無双撃ッ!!」
ものすごい速さの刀の突きで、何度も何度も黒い実体を業火で焼き尽くす。
その速さは目にも止まらず、腕の動きが残像として残る。
黒い塊は、抵抗する余裕もなく、跡形もなく、塵となって消え去った。
「ありがとうございます。師匠」
カエンは今、純粋に強くなりたい。という思いを思い出した。
師匠の声がなければ、今どうなっていたか、分からない。
けれど、いつか、このトラウマと本気で向き合わなければ、次へと進むことが出来ない。
カエンはそんなことを抱きながら、精神世界に広がる草原を眺めていた。
「……ン……カエ………カエン……!!」
どこからか、星影の声がする。
「さて、そろそろお目覚めの時間だな」