焼肉 (狂,コ)
今日も朝から天気が良い。こんな日には朝から焼肉なんか良いんじゃないか。僕は牛肉を買いに行くことにした。
スーパーは朝から主婦でにぎわっている。何故だろうか、いつもに増して皆の目はギラギラしている。店員もそわそわと落ち着かない様子だ。
突如としてアナウンスが流れる。
「ただいまより、本日限りのスーパーセール、開催いたします」
今日はセールなのか、それは運が良いなぁ。牛肉も安くならないかな、僕はのんきに精肉コーナーへ向かう。
皆の目はカッと開かれる。同時にアナウンスが再び流れる。
「皆さん用意はよろしいですか。 位置について、用意・・・」
主婦たちはクラウチングスタートの構えをとる。おっとここだな、僕は焼肉用の牛ロース手を伸ばす。
「スタート!!」
一層張りのある声と共に、猛獣たちが一斉に駆け出す。駆け足は轟音、爆音、さながらダイナマイト。彼女らの熱気は霧の如き湯気を発し、もはや何が起きているか分からない。唯一分かるのは、彼女たちの姦しさを超越した狂気と狂喜、そして湯気の晴れた大地に広がる大荒野だ。
「ンマァ人参ガコンナニ安イザマスッ!!」
「今日ノデザートハ一層ゴウカにスルザマスヨォォォ」
「ゴメンアソバセッ! ソレハワタクシノ狙ッテイタダイコンザマスッ!!」
「キィィクヤシイッ! コノ泥棒ネコ返スザマァァス!!」
彼女たちは野菜コーナーを食らい尽くし、続いて調理品コーナーへ進入する。止まぬ大振動に棚からこしょうビンが落下する。が、地に着く寸前に姿を眩ました。
「一体、何が起きているんだ」
僕は手を止め、荒れ狂う獣どもの様子見入る。
「ンマァー醤油ガ4割引!? コレハ買イ溜メスルシカナイザマスゥ!」
「オ酢ヲヨコスザマスゥゥゥゥゥ!!!!」
「譲ラナイザマスッ!! 全テワタクシノモノザマスッッ!!!」
「キィィ!! 砂糖ガ半額ダナンテニクタラシイッ! 買ウシカナイザマスネ!!」
時間にして十数秒。調味料コーナーは廃墟とかした。
横へスライドしながら獣は進む。その動きはもはや人知を超えており、サッカー選手になれば世界を覇することすら容易いであろう。彼女たちは逞しき肢体をぶつけ合い、時にはフェイント、残像を繰り出しライバルを翻弄する。
「カスティィィィラハイタダキザマスゥゥゥゥゥ」
「オヨシナサイコノヒステリック!! ソレハワタクシノ物ザマスッッ!!」
「コノオ煎餅割レテルザマスッ!! 店長ヲ呼ブザマス!!!」
「タカシチャントハナエチャンノオヤツニチョコレートヲ買ウザマス!」
食の亡者たちが通り過ぎさると、お菓子コーナーは壊滅していた。最早そこに子供たちの夢は泣く、現れたには「虚」と「無」の二文字であった。
だが、悪魔の行進は止まらない。悪魔たちは首位を入れ替えながら荒ぶり続ける。その破滅は僕の元へ差し迫る。とうとう来てしまったのだ、精肉コーナーに。
僕は白き靄を放つ塊を注視する。それは、まさに修羅。この世のモノとは思えぬ形相は、見るものを死へと誘い、絶望と言う名のネクストステージへ昇華させる。僕は死を覚悟した。
「肉、肉、肉ザマスゥゥゥゥウウウウウウウウウ!!!!!」
「ンマァアアアア極上霜降リ肉ガ40%OFF!!?? 全部買イ占メルザマスウウウウウウ!!!!」
「ヒキ肉ハドコザマスウウウ!!? 今日ハハンバアアアグニスルザマスウウウ!!!!」
「豚肩ロース1kg1000円!!?? 12kg確保スルザマス!!!!!!!」
「ドキナサイコノブサイク!!! ソノ顔ドブニ沈メルザマスヨォォ!!?」
「キィィイイコノ豚面ノクセニ!! アンタコソバラシテ1kg50円デ捌キ売ルザマスヨ!!?」
七つの大罪の一つ、「暴食」。その全てを体現した塊は、立ち尽くす僕へ襲い掛かる。荒波、否、それはトルネード。全てを巻き込み粉砕するその姿は、ロシアの赤きトルネードの比では無かった。
僕は巨体に押しつぶされ、殴られ、蹴られ、打ち付けられる。悪魔の行進は僕を踏み越え次の標的へと向かう。その場に残ったのは、まるで風化したボロ切れ、僕の姿だけであった。
「結局、お肉買えなかったなぁ」
全身に包帯を包み、杖を着きながら帰路を行く。朝ごはんどうしよう。はぁと息が漏れる。華奢な手足は爪が割れ、キュートなショートカットはぐちゃぐちゃ。シミ一つ無い自慢の肌は、青あざと擦り切れだらけ。かろうじて小ぶりで綺麗な胸は無事だったが。
なんだか、今日の僕の運勢悪そうだな。そう思っていたら、朝の星座占いを見忘れていたことを思い出した。今からなら、血液型占い間に合うかも。そう思った僕は、通勤中のサラリーマンからカツアゲして急いで家に帰ることにした。
なんだこれ・・・。