第一章の1
朝の城下はかごを片手に買い物をする客や声を張り上げて呼び込みをする店主たち、立ち話に花を咲かせる貴婦人たちで賑わっていた。
その人々の波をうまくかわしながら王宮お抱えの騎士の制服に腕章を身につけた男たちが、颯爽と歩いていく。
もうすっかり見慣れた光景であるそれは、ジェラルド王子に仕える騎士たちによる巡察であった。
王子直属の騎士団には十二の部隊が存在し、それぞれの隊長を中心として日替わりで街の様子を見て回ったり王子の護衛など様々な仕事をこなしていた。
「よし、ここからはいつも通り単独での行動だ」
よく通る隊長の指示に、慣れた様子で各自が与えられた任へと移る。
この巡察によってひったくりや詐欺犯、素行の悪いものなどが減ってきているということもあり、城下の人々は「過ごしやすくなった」と騎士団と騎士団に街の巡察を命じた王子を高く評価していた。
「隊長、報告のあった路地裏を見てこようと思うのですが」
「あぁ、そうだな。頼めるか?」
艶のある黒髪に暗い闇のような鋭い瞳をもった青年ヒースは、隊長に声を掛けると了解の意を示して路地裏へと足を向けた。
市場へと向かう途中にある裏通りで若い男が女性に乱暴しているとの報告があがってきたのだ。
今日もいるとは限らないが、念の為見ておこうと思い詳しい場所もきいていた。
市場に向かう裏通りは人通りが少なく人目につかないことから、恋人同士の逢瀬に使われることも多いため、騎士たちも巡査を控えている場所でもあったのだ。
だが妙な輩がいるというのなら放っておくわけにもいかないので、恋人たちには悪いが巡査することを決めた。
もしかしたらその報告の人物も恋人関係のもつれによるものかもしれないが、確証がないぶんそれはいたしかたない。
「あっ、ヒースだ」
「遊ぼうぜ!」
ヒースは辺りをしっかりと見回しながら歩いていた。そこを見慣れた子供たちに囲まれて小さなため息をつく。
「あのな、毎回毎回俺は遊んでるわけじゃないって言ってるだろ?」
「たまには遊んでくれたっていいじゃんよー」
「たまにはって、いつも遊んでる」
「細かいこと気にするなよ」
なぜこうなってしまったのか、巡察のたびに寄ってくる子供たちを適当にあしらって仕事に戻ろうとするが、服やら手やらを掴まれて無理には動けなくなってしまう。
「わかった、わかったから。遊んでやるから離せ」
その言葉に満足したらしい子供たちは大人しく手を離すと、あれがしたいこれがしたいと盛り上がり始めた。
ヒースは、息を吐き、嬉しそうにはしゃぐ子供たちを眺めて、いつも通り話がまとまるのを黙って見ている。
「ヒースは鬼ごっこと隠れんぼどっちがしたい?」
「俺はどっちもしたくないな」
「どっちか選んでよー」
子供たちだけではなかなか決まらないらしく、ヒースに問うてきたので正直に答えてやると不満そうな声が返って来る。
「そもそも俺は・・・」
仕事中なんだと言おうとすると、遠くから微かに人の争うような声がきこえた気がして、耳をすませる。
その様子に気がついた子供たちが一緒になって耳をすませた。
「いやっ! ・・・・・・て!」
確かにきこえた女性の叫び声に、声の位置を瞬時に探る。
「ヒース、なんか女の人が」
「あぁ、わかってる。お前ら、そこから動くなよ」
ヒースはそれだけ言い置いて、叫び声のした方角へと走り出す。やがて人通りの少ない路地裏へとたどり着くと、先ほどまでは途切れ途切れで不鮮明だった声が少しずつ鮮明になり、近づいていることがわかる。
はっきりと交わしている言葉がきこえるところまで行くと、一度物陰に隠れて覗き見る。
視線の先には建物の陰で揉めているーーというより男が女性に詰め寄っているような男女の姿が映った。
恋人同士の喧嘩か、はたまたこの男が女性に乱暴を働くどうしようもないろくでなしか。
「おい、何をしている」
「あぁ? なんだお前邪魔すんじゃねえよ」
声を掛けると、明らかに柄の悪そうな男が鬱陶しそうに手を払い「あっち行ってろ」と示す。
しかしヒースは男を無視して女に視線を移す。フードを目深に被っているため表情を伺いみることはできないが、胸の前で握っている手は小刻みに震えている。
「何をしていた」
「見りゃわかるだろ、さっさとどっか行けよ」
「そちらの女性は嫌がっているように見えたが?」
「しつけえなあ」
男は邪魔をされたことに相当苛立ったらしい。
「失礼レディ、この男は貴女の恋人でいらっしゃいますか?」
そんな男と話しても時間の無駄だと、ヒースは対象を女へと移した。
女は俯いたまま「いいえ・・・」と首を振った。
これで恋人関係のもつれでないことは確かだ。あとはこの女性を安全な場所へと連れていこう、そう考えてヒースは怖さからか今も震えている女を庇うように二人の間に割って入る。
「なんなんだよお前、どこの誰かしらねえけど邪魔すんじゃねえ!!」
男が怒鳴り、ヒースを殴ろうと拳をあげる。ヒースはその手をあっさりと掴み、ねじった。
そして男の言葉に、ヒースは呆れたようにため息をつく。
この男の目に、この腕章は見えないのか。ヒースは左腕につけた、騎士団を示す腕章を引っ張る。
「俺は王立騎士団三番隊所属ヒース・オリフェリアだ。わかったら女性から離れろ」
堂々と名乗りをあげると、先ほどまで威勢のよかった男が引きつったような顔をして、掴まれた腕を振り払い逃げるようにその場を去る。
案外あっさり引き下がるものだなと男の後ろ姿を見送り、女性の方へ向き直る。
「威勢だけはいいやつだな・・・。レディ、お怪我はございませんか?」
微動だにしない女に気遣わしげな声をかけた。それに驚いたのか女の肩がぴくりと揺れる。
「助けていただいたので平気です、ありがとうございました」
女が丁寧に頭をさげ、礼を述べる。顔をあげると、その拍子にフードが風で外れた。
「・・・・・・っ」
栗色の髪が風になびき、隙間から豊かな自然のような翠緑の瞳がのぞく。滑らかそうな肌は夏だというのに灼けておらず白い。ほんのりと赤みをさした唇が驚きの吐息を漏らすように小さく開かれる。
ヒースは本人を目の前にして見惚れてしまった。
だが、何かが・・・・・・。
「あの、どうかなされましたか?」
なんとなく感じた違和感の答えにたどり着く前に不思議そうな声がかけられる。見惚れていたことが恥ずかしくて視線をそらし、咳払いをして女性の足元に転がった籠を拾い上げた。
「レディ、裏通りは危険ですので市までお送りいたします」
「えっ? そんな、申し訳ないです。わたしは一人で行けますから。お仕事の最中でいらっしゃるのでしょう?」
「ええ、ですから貴女を安全な場所までお送りいたしますよ」
ヒースの申し出に女性は翠緑の瞳を瞬かせ、戸惑う素振りをみせたが、これも仕事のうちだと言われれば断るのも気が引けてその申し出を素直に受けることにした。
「ありがとうございます」
「いえ。あの、先ほどの男のことで少しお伺いしてもよろしいですか?」
「はい、お答えできることなら」
一応状況を少しだけきいておきたいが、もしかすると話したくはないかもしれないと思い問いかけると、女性はうなづいてくれた。
「先ほどの男にあのように絡まれたのは初めてですか?」
「初めてではないです・・・。頻繁に声をかけられるのですが、最近だんだんと手荒くなってきて」
つまり、報告されていた女性に乱暴を働く男というのは、どちらも同一人物だったわけだ。
きっとあの男も初めは美女を目の前にして軽い気持ちで声を掛けたのだろう。だがあまりにもなびかないためにやけになり、怒りにかわったのだろう。
なんにしろ、どうしようもない男だ。
「あなた・・・レディはいつもお一人であの道を歩かれるのですか?」
「レティシアです、レティシアといいます」
ヒースが呼び方に困り訂正すると、レティシアと名乗った女性は微笑んだ。
「レティシア・・・」
その名を口の中で転がすように確かめる。どこかできいたことがあるような気がするのだが思い出せない。
「どうかなさいましたか?」
「いえ・・・。わたしは」
「ヒース・オリフェリアさん、でしたわよね?」
先ほどヒースが男に名乗りを上げたのをきいていたのだろう。うなづいて「はい」と返事を返した。