序章
王宮の隅にある小さな会議室は、妙な熱気に包まれていた。
開け放った窓からは初夏の涼しげな風が吹き込んでいるが、その涼しさを感じる間も与えないほどに熱気が溜まっている。
その原因は小さいとはいえど充分なゆとりをもてるはずの会議室に重鎮たちが、なぜか中央に集まって密着しそれぞれが思いつめたような表情をしているからだろう。
息を飲む音すら聞こえてしまう状況で、誰も口を開く様子はない。
もうどのくらいこうしているのだろうか。
このままでは拉致があかないとは思うが、皆なんと切り出したらいいのかわからないのだ。
それぞれが誰かが切り出すのを待つようにさり気なく視線を彷徨わせて視線を落とす。
「どうしたものか・・・」
この空気に耐えられなくなったのか、思わず口が滑ったというのか、 誰かがしわがれた声で小さな呻きのようなものを漏らした。
するとそれに乗じるように、皆が声をあげ始める。
「王が崩御して一年、王子も立派になられた」
「だがこのままではいかんじゃろ・・・」
「王子ももう十九歳、立派な成人を迎え政事も充分にこなせるようになった」
「国民にも目を向け我々にすら気遣ってくださる」
「王に即位するための条件は満たしておるが、たりない」
内緒話をするように声をひそめて各々の意見を口にし、揃いも揃って深刻な顔つきでため息をつくと、再び「うーん・・・」と考え込む素振りをみせた。
大国アクランドは昔、戦が絶えることなく続いていた。
初めこそは攻め込んでくる者たちを討ち勝利を掲げていたものの、長期にわたって周辺諸国から攻め込まれ、じわじわと兵や土地、食料などを失った。
やがて怪我をした兵士にまともな治療を施すことすらままならず、小さな木の実一つですら貴重に思えてしまうほどの食糧難に襲われ、当時の王はその危機を悟ると、形勢を立て直すという理由で城を全面封鎖し固く門を閉ざした。
民たちは王のその言葉を信じて再び門が開かれるのを待った。
だがなかなか門が開かれることはなく、ようやく開かれたときには兵も食糧も王への忠誠心も信頼も全てのものを失ったあとだった。
その枯れ果ててしまった国を元に戻すなど無理とも思えるほどのもので、どうにか暮らしていける程には立ち直ったものの、豊かな暮らしを求めることは夢物語のようなものだった。
戦が終わってから、何十年何百年と時が流れその間にたくさんの者が玉座についた。だが、誰一人として国の情勢を良くすることはできなかった。
そんな不可能だと思われることを、前王は身を削るようにしてやってのけた。
使われていない土地を切り拓いて田畑をつくり、小さな村を作ったり、たくさんの木を植えて森を作ると木の実がたくさんとれるようになった。
冬の寒さにも耐えることができるようにと人々が住まう建物を優先的に修復し、医学の研究にも力をいれた。
民だけにそれらをやらせるようなことはせず、自らの兵を伴って行動した。
初めは消極的だった民たちも、王の献身的な姿をみて次第に積極的になり、国全体が協力して今の大国を作り上げた。
しかし、その前王は一年前、長く患っていた病によりこの国を去った。
王の崩御を臣下や民は嘆き悲しんだ。
だが幸いというべきか前王には息子がいた。父親譲りの輝くような金髪に澄み切った空のような蒼い瞳。これまた父親譲りの穏和な性格に明晰な頭脳。見た目も中身も何をとってもこれといった欠点が見当たらない王子は、国民たちからとても愛されていた。
しかし・・・・・・。
「エインズワース公爵家の一人娘」
誰かが呟いたそれに、皆が焦り始める。中には今にも気を失いそうなほど血の気を失い真っ青な顔をした者までいた。
触れてはいけない地雷に触れてしまったかのように、重苦しかった小さな会議室は騒然とする。
「それはだめだ!」
「それがどういうことだかわかっているのか!?」
「そんなことをしたら、王に合わせる顔がない」
「王子にもなんと伝えたらいいのだ」
「ならば、他に良い手段があるというのか!」
叫んだわけではないのに硬く響くその声に異論を唱えていたもの達も口を噤む。
会議室は再び重苦しい空気にのまれた。
そう、これが彼等にとっても王子にとっても王宮にとっても、国にとっても民にとっても・・・最善の選択なのだ。
それはわかってはいるが、それを実行に移すのはあまりにも無謀なことと思えた。
王が崩御して早一年。
迷っている時間などもうありはしない。
この最善の選択にかけるしかないのだ。
視線を交わし、誰ともなくうなずきあうと、高齢の男がよろよろと立ち上がった。
「王子のところへ行ってまいる」
その言葉を合図にするかのように、重鎮たちは慌ただしく会議室をあとにした。