枝時雨
これを読んでいるあなたは、“幽霊画”と聞いたらどんな絵を思い浮かべるだろうか。
『ろくろっ首』、『顔のような提灯』、『大きな骸骨の怪物』、『顔の半分崩れたお岩さん』……。色々な絵があるが、こんな絵を想像した人もいるだろうと思う。
『木の下に佇む、女の霊』。
頭を垂れる枝葉に同化するかのように、項垂れる女。その長い黒髪の隙間からは、恨めしそうにこちらを睨みつける両眼が――。
こんな絵を誰しもが、何処かで見たことがあるだろう。日本史や美術の教科書だったか、それともテレビの心霊特集で見たのか。何がきっかけだったのかは思い出せない。しかし日本人であれば――受け継がれてきたDNAに刷り込まれているかのように――その絵のイメージが頭に残っているはずだ。
*
九月。真夏の暑さが薄まり始める、そんな時期だった。バイト帰り、駅の方向に向かえば必ず往復することになる桜並木を、自転車で通っていた時のことだった。
時刻は零時過ぎ。辺りに人影は無い。道路の両側には緑の葉をつけた桜の木々と、無感情な白い光を放つ屋外灯とが交互に立ち並び、延々と続いていた。音も無く、風もない。
蒸した空気で肺はいっぱいになっていた。先ほどまで、強い雨が降っていたのだ。仕事が終わるタイミングで雨が止んでくれたのはありがたかったが、じめじめとした湿気を含む空気が身体を覆って不快だった。ただでさえ一日中働き、疲れているのに――。溜め息を吐きながら道路の真ん中を、一人漕ぎ渡る。すると、一陣の風が向こうから、びゅうっと桜並木を吹き抜けた。
突然の強い風に、俺はハンドルをぐらつかせる。次いで、急に強い雨がばらばらと降り始めた。
何事かと、俺は上を見上げた。そこにあったのは、深い緑色の空。木々の枝葉がその身を震わせ、水滴を――雨垂れを降らせていたのだ。
俺はたまらなくなって、悪態をつきながら自転車を右端に寄せ、道を外れようとした。だが、両脇には桜の木々と街灯が一段高い歩道に敷き詰められていて、出ることができない。俺はこの道路から歩道に出られる所がないか、辺りを見渡した。
そこで、見た。左斜め前に。歩道に出るための斜路ではない――。木の下に佇む、女の姿をだ。
白い着物を着、真っ黒な長い髪を垂らし、その隙間からこちらを見ていた。その目は光を反射し闇の中で光る猫の目のように、はっきりと見えた。確かにこちらを見ている、実感があった。
数秒の間の出来事だ。風が止み、水滴も落ちきった。もう俺の目には、その女は映っていなかった。
それからは、逃げるように帰った。家に着き、先ほど目にした光景を頭の中で再生する。
友人に話そうと思った。メールでも電話でも、なんでもよかった。しかし携帯電話を手にした所で、思いとどまる。……はたして、先ほど自分が見たものは、いわゆる“幽霊”だったのだろうか。
確信が持てなかった。それまで“そういった霊的なもの”を見たことは、一度だってなかったからだ。携帯を置くと、ベッドに倒れこむように寝転んだ。
目の錯覚だったのかもしれない。水と、枝葉と、風と、光、そして俺自身の疲労が生んだ、幻。
いや、それとも――。明らかにあれは俺を見ていた。目があったのだ。その存在を訴えかけるように。「こちらを見ろ」と、言わんばかりに。
*
わからなかった。今でもあの出来事は昨日のことのようにハッキリと思い出すことができるが、今だに答えは出ない。
もしかしたら、やはり見間違いだったのかもしれないし――。それとも、やはり“本物”だったのかもしれない――。
それでも、俺にはある一つのことが言える。光と水滴に妖しく煌めくその光景は、ある意味では“美しかった”。と。
かつての絵師達も、同じように思っただろうか。