第一節
今日の俺はスピードスター☆ 放課後、お目当ての同人誌を入手するために太腿をパンパンにして自転車を爆走させている。
「うおおおおおお待っててねお姉ちゃあああん!!」
なんてホントに声に出したらシスコンの変なやつなので、心のなかでひっそりと何度も唱えた。
街の外れにひっそりと佇む個人経営の本屋。一般的な書籍からコアな同人誌まで扱っていて、界隈には名のしれた名店だ。
今日はずっと前から欲しかったお気に入り作家の姉ショタ本が入荷したと店の主人(田中さん)から連絡が入った。確実に手に入れたかったのでその時点で発送をお願いしたのだが、「男なら実力で勝ち取りな!」と、そこから田中さんの昔話が始まってしまったので、しかたなく店舗まで赴くことになった次第だ。
店の駐輪場に自転車を停めた時にはすでに満身創痍、膝ががくがくと震え、呼吸がまともに出来ない状態になっていた。
透明のガラス扉が左右に開き、真っ直ぐ前に見えるレジにいた田中さんが俺に気づくと、カウンターの下から一冊の同人誌を取り出してにこやかに笑った。
およそ歯の抜けたおっさんの笑顔なんて汚くて見れたものではなかったが、その時だけは田中さんに阿弥陀如来のような後光が差していたような気がした。
俺は最後の力を振り絞って走った。店内を。他の客の迷惑にならない速度で。そして叫んだ。他の客の迷惑にならない大きさで。
「「それください!」」
……ん? 自分のに混じってやけにキレイな声が聞こえたと思って隣を見てみると、同時にそれを求める人物がいた。
灰色のパンツスーツに身を包んだ、長い黒髪美人のお姉さん。赤い縁のメガネが彼女の大きな瞳をよりいっそう目立たせている。
「……お姉さんもコレを……?」
「え、えぇ。そう……かも……?」
え? なに違うの? それなら遠慮なく……
「ああ! そう! それよ! それが欲しかったの」
伸ばした腕を掴まれた。よく見るとお姉さん(声が似てるから仮に能登さんとしておこう)も急いできたのか、頬はピンク色に蒸気していて、はだけたワイシャツの胸元に汗がたれていた。すごくエロい。
「残念だけどこれが最後の一冊なんだよね~」
田中さんが申し訳なさそうに言った。
ファッキン! どうるす俺。この本は俺が長年待ち続けていたものだ。ここで逃すようなことは絶対にしたくない。しかし、きっとこの人も同じ気持だろう。俺には分かる。能登さんの汗と目を見れば。
「俺に提案があります」
「提案……?」
能登さんは俺の言葉に眉をひそめた。
「ええ。もし仮に、今ここでこの同人誌がどちらかの物になってしまった場合、一方が幸せになる。しかしもう一方はものすごく悔しい思いをすることになることでしょう」
俺は、同士にそんなことはしたくない。この人は同じ趣味を持った仲間なのだから。
「この同人誌を二人の共有財産とします」
能登さんはポカンと口を開けたまま固まり、俺の言っていることをあまり理解していないようだった。
「具体的に言うと、まずこの同人誌は俺の金で購入します。そして、あなたの家で厳重に保管してください」
田中さんが横でうんうんと腕を組みながら頷いた。
「え? そこは二人で半分ずつ出しあうとかじゃないの?」
能登さんはまだ良くわかっていないようだ。
「そんなことをしたら、どっちの所有物だか分からなくなるじゃないですか。いいですか、この世に本当の平等なんてないんです」
「それは、そうかもしれないけど……」
能登さんは俺の言っていることをやっと分かってくれたようで、アゴに手を当てて考えているようだった。
「でも、あなたはそれでいいの? 私の家に置いておくってことは、実質私の物みたいになってしまうけれど……」
まだまだだな、能登さん。
「物にだって、帰る場所は必要なんです」
「っ!」
能登さんは俺の言葉に圧されたのか、少し下を向いてから向き直り、真っ直ぐ俺を見て言った。
「いいわ。そうしましょう」
「ありがとうございます」
俺と能登さんはそこで固い握手を交わし、涙を流している田中さんにお会計をしてもらって二人で店を出た。
「さて、それでは行きましょうか」
「行くって、どこに?」
「どこって、あなたの家に決まってるじゃないですか」
「うち!?」
能登さんは心底驚いた様子で後退りした。
「当たり前でしょう。俺には保管場所を検査する義務がありますし、なによりここで持っていかれたら読めないじゃないですか」
「え、えぇ……?」
なんだかめちゃくちゃ困ってる様子だけど気にしない。俺だって早く読みたいんだ!
「さぁ早く乗って!」
逃走劇よろしく、俺は自転車の荷台を叩いた。
「う、うーん」
なかなか乗ろうとしない能登さんに少しの苛立ちを覚え、俺は無理やり腕を引っ張って乗せた。
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