君に捧げるセレナーデ
初投稿です。人物について読み手の想像を限定しないよう配慮してみました。ぜひ楽しんでもらえたら嬉しいです。
桜の蕾が風に揺れる。
放課後の誰もいない教室に柔らかな日が窓から射している。
否
一人の生徒が静かに座っている。
教室の隅に置いてあるピアノの前に。楽譜を広げて。足をペダルの上に、指が鍵盤を弾き音を紡ぎ出す。
一人を想い、あの人に音が届くように、拙い旋律が生み出される―
あの人とはその教室で知り合った。ピアノある教室で。
梅雨が南の方から明け始めてそろそろ夏になろうかという、でもここらへんはまだまだ梅雨。そんな季節だった。まだまだ湿度の高い空気に包まれながら、その空気とは対局の爽やかなピアノの音色が聞こえ驚きこの教室に導かれたのだ。
「なんで・・・ピアノの音?だって・・・」
新校舎の音楽室にはたしかに立派なピアノがある。吹奏楽部もウチの学校にはある。
でも・・・
「ここ旧校舎・・・なのに」
今まで聞こえたことがなかった。放課後、部活に入ってないぼくは旧校舎でのんびり時間を潰し帰っている。家に帰っても特にやりたいこともないからだ。
故に入学してから1年間の放課後は旧校舎を貸切状態していた。現在は新校舎で全ての授業が行われ訪れる人もほとんどいない、取り壊しも噂されている旧校舎になぜ急にピアノの旋律が響くのか。
ウチの学校には所謂7不思議的なやつも残ってない。
「これは、明日の話のネタになるかもしれない」
興味半分、明日の話のネタになるかと思ってぼくはピアノの音が聴こえてくる方へ歩を進めた。残りの半分は、こんな綺麗で純粋な音を紡ぎ出す人を一目見たいとそう思ったからだ。
ピアノが紡ぐ音を辿り2階へ―放課後のんびりするだけだったぼくは初めて2階に来ることに気づく―あの教室へたどり着く。爽やかな音はこの中から聞こえてくる。
音を立て内容スライド式のドアを少しずつ開けていく。
「ぁ・・・」
思わずため息が漏れてしまう。それくらい綺麗な人だった。
開け放たれた窓から梅雨特有のどんよりした風があの人とピアノの音に触れると爽やかな風に変わりぼくを優しく撫でて抜けるような気がした。綺麗な髪が風に揺れる。綺麗な指が鍵盤の上を踊る・・・。
今になって考えるとそれは恥ずかしいけれど一目ぼれってやつだったのだろう。
でもその時の・・・いや、それからのぼくはそんなことも自覚できないままだった。
「ぁ・・・」
目があう。
「ぁ・・・いや、ピアノの音が聞こえてきたから珍しいなと思って。邪魔だったら出て行くよ。ごめんね」
「いえ!・・・その、びっくりしちゃいましたけど、嫌じゃ・・・ないです。私、誰かに聞いてもらうこととかなくて、それで・・・」
つっかえつっかえ、言葉を区切りながら話すのが印象的だった。
「もしよかったら、聞いてて、ください」
「それは嬉しいけど・・・ぼく、音楽とかわかんないよ?」
ぼくの問いかけにあの人は頷き、また演奏を再開させる。ぼくは音を立てないよう静かにドアを閉めて近くにあった椅子に腰掛ける。
一音で虜にされた音色。その音色を、旋律を今、この時、この瞬間だけでも独り占めしていると思うとそれはとても至福の時だった。
「ごめんなさい、上手に弾けなくて・・・」
一曲弾き終わり消え入りそうな声での謝罪。
たしかにあの人が言うとおり、時々止まってつっかえつっかえ人柄を表すように弾いていて、プロ並の腕前とは確かに言えないのはわかった。でも、
「ううん。言ったでしょ?ぼくは音楽の善し悪しなんてわかんないから上手か下手かなんて関係ないよ。でもぼくは君の弾くピアノが好きだよ。綺麗だと思った。だからこの教室まで来たんだ」
今考えるととっても恥ずかしい言葉だったと思う。でもあの時のぼくはただ本心を言っただけだった。だからあの人がその後顔を赤らめ俯いたことに理解が及ばず、大丈夫?気分悪くなったの?保健室行く?だなんて見当違いの言葉をかけたのだった。
「いえ・・・大丈夫です。よかったら、もっと聞いてくれませんか?」
とても嬉しそうな顔で言うのだった。それこそ初めて聴衆を得たみたいに。
「ぜひぜひ・・・と言いたいところだけど、もう下校時間だね」
「あ・・・」
「明日もここに来るんだったら、明日も聞きに来ていいかな」
「はい!約束ですよ?」
こうしてぼくとあの人の交流が始まったのだった。
次の日、ぼくはいつもよりかなり早く旧校舎に来ていた。教室から拝借したほうきとちりとり、雑巾とともに。
「ぼくがここで過ごすなら、一通り掃除しなきゃ」
まず、雑巾で窓を水ぶき。幸いにも水道は通っているのだ。次にほうきで教室をはわいているとあの人がやってきた。
「なに・・・してるんですか?」
「掃除・・・だけど」
あの人も掃除に加わることになった。二人でやるとかなり早い。元々比較的少し狭い教室なのだ。
最後に家から持ってきた柔らかい布でピアノを拭く。すると輝くほどではないが、それなりの少し使われたピアノ、という体まで復活した。
掃除をし、気持ち新たにあの人が綺麗になったピアノの前に座り
「時間がないから1曲だけ・・・かな」
「・・・はい」
思ったより気合を入れて掃除をしてしまったせいか思ったよりも時間がかかってしまって教室が綺麗になったのと引き換えに今日のぼくだけのコンサートは1曲だけで幕引きとなってしまった。
それからというもの、学校が休みの日やどちらかが休んだ日以外は必ずあの教室でぼくだけのためのコンサートが開かれた。何もせずにあの人のピアノを聴いたり、まだ練習中だから恥ずかしいと言われれば本を開いてあの人のピアノをBGMに優雅な読書を楽しんだり。
そうしているうちに少しずつお互いの事を話し始めていた。あの人が大人びているけどぼくよりひとつ下の一年生で後輩だったり、旧校舎にピアノが置いてあると噂を聞いたのが梅雨頃だったこと。初日からぼくと会ったこと。
話は家庭のことにも及んだ。両親も少し音楽をしていて地域のボランティアでコンサートを開いている楽団に所属していたり。そのせいかあの人へのピアノに厳しく、ぼくと会うまではもうピアノを弾くことすら嫌になりそうであったとか・・・。
そして時々あの人は言うのだった。
「ねぇ、ピアノちょっと弾いてみない?」
一応先輩であるぼくにタメ口で。
「綺麗な指してるし、弾けばいいのに」
「いいよ、ぼくは不器用なんだ。それにぼくは体動かすことが嫌いで怪我をしたことが少ないから指も綺麗かもしれないね」
「それ、自慢になってないよ・・・」
でも、あの人が隣で教えてくれるというシチュエーションに負け、どぎまぎしつつ基本中の基本だけ教えてもらうのだった。
「中指の内側から親指を入れて指を入れ替えるの・・・って私の顔ばっかり見て聞いてるの?」
ほとんど聞いてすらいなかったけど。
そんな幸せが終わりを見せ始めたのが、紅葉も見頃を終えようとしてるそんな季節だった。
「ねぇ、この曲一緒に連弾しない?絶対楽しいと思うんだけど」
その頃にはピアノを弾くことを楽しいと言えるほどあの人のピアノに対するモチベーションは回復していた。その回復に小さくても一役担っていたとしたなら嬉しかった。
「連弾って一緒に弾くこと・・・だよね。いや、ぼくは君のピアノを聴くだけで十分なんだけど・・・」
「そう・・・」
ぼくの言葉を遠まわしの拒否と受け取り残念そうな顔をする。けどぼくは本当にピアノを聞けるだけで幸せだったし、そこにぼくの音が混じって変な音になるのも、失望されるのも嫌だった。
冬になり、年が明けるとあの人がピアノを弾きに旧校舎にやってくる回数はめっきり減ってしまった。本当はもっと来てあなたと話したい、あなたにピアノを聴いて欲しいのだけれど・・・。と寂しそうに言うので何か事情があるなら仕方ないし詮索はしないと答えるのが久しぶりにあった時の挨拶みたいになっていった。
そう答えるとあの人は少し寂しそうにするのだけれどその理由もわからないままだった。
終業式の日に幸せは終わった。
ピアノの上にいつの日かの楽譜と手紙が置いてあった。
「手紙になってしまってごめんなさい。言おう言おうと思ってたけど結局言えませんでした。でも聞かずそういう機会を与えてくれなかったあなたも悪いんですよ?と八つ当たりしてみたり(笑)突然になっちゃったけど親のお仕事の都合で引越しします。遠い街です。これからもあなたとの日々を思ってピアノを弾きます」
突然過ぎて何も感情がわかなかった。その日、手紙と楽譜をいつカバンに入れてどう帰ったのかわからなかったけど、何か大切なものを失った、そんな喪失感だけは痛いほどわかった。
春になり新学期が来ると放課後は一年前に戻った。なにもせずグダグダと、独りきりの旧校舎。
「これが普通なんだ。この過ごし方の方が長かったんだ」
所詮ひと時の泡沫の夢。そんな風に割り切れたらどれだけ楽だっただろう。
そんな風に強くないし何より幼かった。
梅雨に入るとあの教室へ通うようになった。何をするでもなくグダグダと・・・。
すっかり埃をかぶってしまったそれをみて時の経過を痛感する。
梅雨が終わろうとしている季節。ちょうど1年。
「何かを始めるには・・・ちょうどいい・・・かな」
あの人がしきりにやりたがっていた連弾を一人でやることに決めた。
それは逃げであったかもしれないけれど、そうしてあの人の残り香を追いかけないともうダメだった。
夏、片手ずつですら弾けなくてそれでも懸命に練習した。
「なんで、こんな難しいのやらせようとしたんだ・・・」
秋、両手でつっかえつっかえ3分の曲を10分かけて通した。
「指・・・なんで別々に動くのさ・・・」
冬、なんとかそれを5分に縮めた。
「やっと曲らしくなった・・・かな」
弱音を吐きながらでもやっと曲らしくなった。でも、それは終わりが近づいていることをも意味する。
この曲を弾けるようになったらもうあの人を追いかけることはできない。そもそも、あと少しで卒業してこの学校にはいられなくなってしまう。それでも、そんなことがわかってなお最後に残してくれた楽譜を弾けるよう練習することしかできなかった。
卒業式のその後・・・友人と先生と別れを惜しんだ後、最後の日
「これで、最後。いいんだ、これで吹っ切れる」
そんなことないのに無理なのに自分に言い聞かせるよう呟く。
旋律が生み出される。夏には一音一音区切られた、秋には曲として繋がらなかった、冬にはやっと曲になった。そして今、旋律となって・・・片方欠けた旋律が響き渡る。たどたどしくはある。それでもその内に秘めた想いがその旋律を彩り、最後の和音で暖かな日に飲み込まれる。
目があう
「ぁ・・・・」
「弾いてくれたんだ。それも随分練習したみたいじゃない。」
柔らかな笑み。でもそれはそこにあるはずのないもので
「どうしたの?」
「だって・・・引っ越したはずじゃ・・・ここには・・・」
意味のある言葉を発することができない。
「だっても何も、会えなくなるとは言ってないでしょ?それに自分にこ・・・好いてくれてる人の卒業式にお祝いくらい来たっていいじゃない」
「・・・ぇ?」
「バレてないと思ってたの?バレバレだってぇ・・・ってちょっと、なんで泣くの」
慌てたように駆け寄ってくるあの人。それは嬉しいけれど恥ずかしいような言いようのない様々な感情が押し寄せてきてしまったからで
「とにかく!卒業、おめでとうございます」
「あ、ありがとう・・・」
涙を拭いてくれながらの後輩からのお祝いにそれも、もう会えないと思っていた特別な後輩からのお祝いに感情はごちゃまぜになって、でも一番聞きたいことは言ってくれなくて
「・・・ん?もしかして、そんなに練習してくれたのに曲名見てくれてないの!?日本語で書いたのに?」
「・・・え?」
この短い間にもう何度聞き返しただろう。何度驚かされただろう。自分が世界で一番阿呆になったみたいだ。
そう思いながらさっきまで必死でオタマジャクシを、それだけを追っていた楽譜の上を、曲名を見る。
『君に捧げるセレナーデ―連弾2―』
「あ・・・」
「セレナーデは恋人を称えるために演奏される楽曲だよ」
顔を少し赤くしながら、でもぼくの目をしっかり見て言う。
「ねぇ、この曲一緒に連弾しない?」
いつかと同じ言葉をもう一度。
「・・・はい」
そして二人は椅子を並べ、音を旋律を紡いでいく。
その教室はいつかの一人の演奏者と一人の聴衆から今、二人のコンサートへと変わる。
二人はピアノを通し幸せの音を生み出し、紡いで幸せの旋律が流れ出す。
その音は柔らかな日差しに包まれて空へと舞い上がる。
その日差しを浴びて桜が一輪花開き、二人の幸せを静かに祝福していた。
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