光腕の旅人
読み切り漫画っぽいノリで書いてみました。
昼下がり。昼食時を過ぎ、活気を失いつつあった喫茶店の扉が開かれた。
扉に備え付けられた鈴の音に反応した者が約半数。もう半分は気にもとめないか、もしくは全く気が付かなかったかのどちらかだ。
しかし、次第に客たちの視線は新たな来客に注がれていった。
見るからにまだ幼い。十五・六歳ほどの少年だ。
暗い茶髪で長くも短くもない。瞳も黒っぽい濃褐色。茶髪金髪、淡褐色の目や碧眼が多いこの地域では珍しい。
ベージュの長いコートを着て、右手には手袋をしている。荷物は小さな皮の袋だけだった。その風貌からして、旅人だろう。
だが、それ以上に目を引くものがあった。
左腕の袖の肩口から先が、何もないようにだらしなくぶら下がっていた。
「隻腕か……」
客の誰かが呟いた。
少年は真っ直ぐにカウンターに向かい、腰かけた。
「ご注文は?」
オールバックのマスターが尋ねた。
「コーヒーを」
「無理すんなよ兄ちゃん、コーヒーは苦えぞ」
まだ十代ほどにしか見えないと判断して、テーブル席から茶々を入れる男がいたが、それを少年は無視した。男は不機嫌そうに舌打ちした。
「ここがこの町で大きな店だと聞いたのですが」
少年はマスターに問う。
「誰が言ったんです、それ?」
オーナーは微笑み、少年にコーヒーを差し出した。
「まあ、一番大きいかは知りませんが、おかげさまで、それなりにはやらせてもらってますよ」
少年は渡されたコーヒーに砂糖もミルクも入れずにブラックのままで口をつけた。熱かったのだろうか、彼は一瞬顔をしかめたが、すぐに微笑んだ。
「おいしいです」
「そりゃどうも」
「人を探しています」
彼は急に話題を変えた。
「そういうのは夜に来た方がいいですよ」
この喫茶店は夜になると酒場に様変わりする。旅人が刹那の癒しを求めてやってくる。情報量としてはそちらの方がはるかに大きいのは誰が考えても明らかだった。
「酔っ払いの相手は疲れるんですよ。それに、なめられる。店に入れてくれないことの方が多いですしね」
「お客さん、いくつだい?」
「さあ? たぶん、十六です」
捨て子か。周りの客がそんなことを異口同音に呟いていた。最近では字の読めない者、数字を知らない者は少なくなってきた。それでも自分の年齢を知らないというのは、その大多数が自分の生まれた年を知らない捨て子だ。
「どんな人で? 来た客のことしかわかりませんよ」
「真っ赤な髪の男です。長さは、そうですね……。肩くらいあります。背は高いですね。ただ、体格は説明できません。細身でもないし、がっちりしているわけでもありません。一般人よりはがっちりしている程度ですね。左右のどちらかの目に眼帯をしています。あと、どうせ髪で隠れてわかりませんが、眼帯をしていない目の方の耳に耳栓をしています。耳がすっぽり隠れて、おしゃれな装飾がされています。実年齢は四十五ですけど、たぶん三十くらいに見えます」
「ああ、その男は知りませんけど、その男を探しに来た女性なら知ってますね」
オーナーはすぐ答える。その迷いなく話す様子に少年は驚いたようで、目を見開いた。
「……本当に?」
「ええ。探している男の風貌も変わっていたので。あなたの言うこととそっくりそのままです。けど、それよりも飛びきりの美人だったので覚えていますよ」
マスターはニヤリと笑った。
「いつ、ですか?」
「昨日ですよ。ただ、無事でいるかは知りませんけどね」
「どういう意味です?」
「美人でしたが、とても幼く見えました。お客さんと同じくらいじゃないですか? それに、来たのは夜です」
「ああ……」
少年はため息をついた。
美人だが幼く、そして夜にやってきたとなれば、酔っ払いたちの注目の的となってもおかしくはない。中には見るだけでは満足しない連中もいるだろう。少年はそのことを案じたのだろう。
「その女性の特徴は?」
「黒。これに尽きますね。真っ黒な長い髪、黒い瞳。そして、黒いコートです」
「東の出身なんですかね?」
「さて? お客さんもそうなんじゃないですか?」
「僕がどこから来たのか……。僕も知りたいくらいです。ありがとうございます」
少年は最後にコーヒーカップを空にすると、お代を払って喫茶店を後にする。
そのあとを追うように二人組の男が喫茶店を出ていった。
まっさらに均された土の上を少年は歩く。大通りはそれなりに活気があふれ、人々が行きかっている。時折馬車が通りかかると人々は物珍しそうに足を止めていた。
その様子を見れば町の発展具合がわかる。この町では馬車はまだ希少な乗り物なのだ。
少年はその馬車を見るふりをして立ち止まった。すれ違う馬車の動きに合わせて視線を後ろに向けた。そして、ため息をついた。
「隻腕はなめられるから嫌だ」
少年は後ろをつけてくる二人組の男に気が付いていた。このまま宿までつけてくる気だろうか。寝込みを襲われるのは気分が悪い。
少年は大通りから折れた。それだけで、道端の雑草が増え、地面の起伏も多くなった。
あまり、奥地に行きすぎてスラムに入り込んでも厄介だった。なので、頃良い静けさの場所を選んで立ち止まった。
「出てきたらどうです?」
少年は振り返って姿の見えない相手に向かって言った。すると、物陰から二人の男が出てきた。一人は最初に少年を茶化した男だった。スキンヘッドに鋭い目つき。もう一人は少年の記憶にはなかった。長身細身でモヒカン頭だった。
「追剥ぎですか?」
少年は冷静に言った。
「わかってるじゃねえか」
スキンヘッドが言った。
「僕はしがない貧乏旅人ですよ」
「俺らはコツコツ稼いでいくタイプなのよ」
モヒカンがヘラヘラと笑いながら言う。
「隻腕で少年だからですね」
「身の程をわきまえてんじゃねえか」
「昼間から物騒ですね、ここは」
「人目さえなけりゃ時間なんて気にしてられねえのよ」
「なるほど」
「つーことで身ぐるみ全部置いてってくれよ」
スキンヘッドが懐からナイフを取り出した。
「お断りします」
「拒否権なんてねえんだよお!」
男はナイフを振りかざして少年に突っ込んでいった。
「やれやれ……」
少年は飛び上がった。
男は少年を見失い、立ち止まって辺りをきょろきょろと見渡している。
少年は男の背後に着地した。そして懐から片刃の剣を抜き出して男の首筋に突き付けた。
「……なっ、てめえ、武器を隠してやがったのか!?」
「別に。隠していませんよ。ただ、コートが長いので隠れてしまうだけです。それと、後ろのあなた。動いたら彼の首が飛びますよ?」
少年は顔だけを後ろに向けて言った。モヒカンの男が少年に近づこうとしていた。彼はビクッと体を震わせてその場に固まった。
「ひとつ忠告します。たしかに、僕はまだ幼い。そして、片腕だ。それ故にあなたたちのような人から狙われやすいんですよ。ただ、それでも僕は旅を続けてきた。この意味はわかりますよね?」
「わ、わかっ……、たっ助け……」
「人目がなければ時間なんて気にしていられないんですよ」
少年は剣に込める力を強くした。首筋に入り込み、血が流れ始めた。
「ひっ!」
「ひとつ覚えて帰りましょう。『人は見かけによらない』」
少年は剣を鞘に戻すと、男が何か行動を起こす間もないうちに、彼の首に手刀を打ち込んだ。
「かっ……」
男は短い声を上げてその場に倒れこんだ。少年は感情のこもっていない目でもう一人の男を見つめた。
「どうしますか?」
「た、助けて……」
「さっさと消えてください」
「え?」
「聞こえなかったんですか? 目障りです。僕の前に二度と出てこないでください」
「はいいっ……」
男はスキンヘッドの男を置いて、足を縺れさせながら逃げるようにして去って行った。
「さて、黒髪の少女か……」
少年にはもうその場に倒れる男のことなど眼中になかった。自分の探す男を探しているという少女を探すことに頭は切り替わっていた。
少女はまだこの町にいるだろうか。そもそも無事でいるだろうか。思った以上にこの町の治安は悪い。十代の少女が無事でいる保証はない。
それでも、どこに行っても角砂糖ほどの手がかりすら見つからなかった今までの中で、一番の収穫だ。これを逃す手はない。
少年は片っ端から宿を当たっていくことにした。黒髪は珍しい。覚えていないということはないだろう。
「ここもダメか……」
何件目だろうか、もうすでに数えるのも止めてしまった。それなりの数の宿を回ったが、目ぼしい成果は上げられなかった。
まだ明るいが、日は傾き始めている。あと数刻で町は暗闇に襲われる。
大通りに近い宿はもうほとんど回ってしまった。これ以上通りから外れると、宿賃が安くなる代わりに、治安が悪くなる。少女一人が止まるのには不適切だろう。
「……一人なのか?」
そもそも、彼女は一人なのだろうか。少女の一人旅というのはあまりにも過酷だ。誰か、付き人がいるかもしれない。それならば、少々治安が悪くとも安い宿を選ぶかもしれない。
「もう少しだけ……」
先ほど、物取りに襲われたことからわかるとおり、この町の治安はそれほど良くない。だが、これよりも悪い町を少年はいくつも見てきていた。中には入ることすら躊躇われるような町もあった。それから考えるとこの町はまだ歩きやすかった。路上生活者も今のところ見ない。もう少しだけ奥に入ろう、そう思い、少年は範囲を広げて探すことにした。
「……なんだ?」
しばらく歩くと、誰かが倒れているのが見えた。慎重に近づいていく。
三人組の男たちだった。不良を絵にかいたような姿で、三人とも意識が全くないようだった。まるで、糸の切れた操り人形のようだ。しゃがんで様子を見る。
「死んでるのか?」
そうも思ったが、三人の顔にはまだ生気があった。ただ、外傷がどこにもない。切り傷も殴られた跡もない。本当に、糸が切れてしまったために動けなくなってしまったのかと思ってしまうほど、傷のない状態だった。
「これは……、ああ、なるほど」
少年は周りを見渡した。そして、宿屋が一件あるのを見つけた。立ち上がって、その宿に向かっていく。
「人は見かけによらない」
少年は呟いた。
その宿は小さく安っぽいものだった。木の床が歩くたびに軋み、突き抜けてしまうのではないかと思われた。
カウンターには老婆がいた。新聞を読み、こちらには気づいていないようだ。
「あの、すみません」
「ああ? ああ、客かい? 一晩……」
「ああ、すみません。聞きたいことがあるんですが」
「何だい、冷やかしかい」
老婆は不機嫌そうに言うと新聞に視線を戻した。少年の問いに答える気はないようだ。
「ここに黒髪の女の子が泊まっていませんか?」
老婆は黙っている。
「もしいたら、是非泊まらせていただきたいんですが」
「一晩百グランだよ」
彼女は視線だけ少年に向けた。
「いるんですか?」
「一晩百グラン」
老婆は新聞に視線を戻して言う。少年はしばらく黙っていたが、ため息をついて懐から財布を出した。
巾着袋のような財布で、器用に片腕でそれを支えながら十グラン硬貨を一枚ずつ取り出していく、テーブルに置いて一気に取り出したかったが、老婆に財布の中身を知られると、あらぬところでぼったくられるかもしれなかった。
「あいよ。あんた、運がいいね。その客なら昨日から泊まっているよ。ちょうどさっき戻ってきたところだ」
少年はホッと一息ついた。
「どの部屋です?」
「二階の奥の部屋だよ。あんたの部屋はその隣。二部屋しかないからすぐわかる」
「ありがとうございます」
少年はまず階段から上がってすぐの自分の部屋に入った。小さな部屋だった。ベッドが一つに椅子が一つ。小さなランプが一つあった。まだ少し早いと思ったが、薄暗かったのでランプに火を灯した。
肩にかけていた皮の袋をベッドに放り投げるとすぐに彼は部屋を出た。
隣の部屋の前で彼は深呼吸をする。そして、扉をノックした。
反応はない。
ドアノブに手をかけた。それは何の抵抗もなく回る。
少し迷って彼は扉を開けた。
「…………っ!」
少年目がけて矢が三本飛んできた。懐から剣を取り出し、すべて薙ぎ払う。大きく息を吐いた。
「血気盛んですね。怪しい者じゃありません。お邪魔してよろしいですか?」
少年は部屋に向かって語りかける。返答はない。人の姿も見えない。
「あなたですね? イアン・ライアンを探しているというのは」
少年は部屋の隅に向かって笑いかけた。
しばらくして少年の視線の先の、何もなかった場所が霞み、そこから黒髪の少女が現れた。
「ああ、やっぱり」
少年は笑みを崩さない。
「あなた、何者?」
少女は話に聞いた通り、黒髪で腰に届くまで長かった。瞳も黒く、顔は整っている。長いスカートを履いていて、上下共にシックな黒だった。
たしかに美しい。少年はそう思ったが、彼に向けられている視線には警戒の色が見て取れて、そのせいで美貌が一割ほど損なわれているように思えた。
「僕もライアン師匠を探しているんです」
「師匠? ……あなた、ライアン先生の弟子なの?」
「……先生? あなたも弟子なんですか?」
少年は首をかしげる。
「あなた、知らないの?」
「何の話です? 全くわからない」
「いいわ、話してあげる。入って」
彼女に促されて初めて少年はその部屋に足を踏み入れた。
彼女はベッドの端に座り、少年は椅子に腰かけた。
「あなた、魔術師ですね?」
「ええ、そうよ。どうしてここがわかったの?」
「地道な聞き込みですよ。あなた、喫茶店で師匠の風貌を伝えたでしょう? あとは、あなたが町を出ていないことを祈って、ひたすら宿を訪ねたというわけです。今のトラップも魔術ですか?」
「ええ、ごめんなさい。ここらへんは治安が悪いみたいで」
「平気です。何か来ると思ってましたから」
少年が平気な顔で言うと、少女は驚き目を見開いた。
「どうしてわかっていたの?」
「表の三人組、あれもあなたでしょう。あれは幻術系の魔術ですね? 魔術師なら、部屋にトラップくらい仕掛けているだろうと。治安が悪いですから。それだけです」
「あなたも魔術師なの?」
「いえ、違います」
「でも先生の弟子なんでしょう?」
「まあ、その辺は……。話を戻しましょう。先生って何なんですか?」
「あなた、何も知らないの? 何で先生を探しているの?」
「質問しているのはこっちです」
二人は睨み合った。しばらく沈黙が続いた。やがて折れたのは少年の方だった。
「わかりました。女性には優しくしなければいけませんからね。僕はアルバート・アームズ。もうかれこれ十年ほど前ですかね。師匠に拾われて、弟子にされました。それから……、二年ほど前ですかね。卒業試験ということで『師匠を探す』ことを課されました。それが師匠を探している理由です」
「二年前……?」
「ええ、そうですが」
彼女は何やら考え込んでいる。
「次はあなたの番です」
「え? ああ、そうね。私はリタ・クリスティ」
「東の人かと思っていました」
「ああ、この髪のこと? 祖母の血が濃いのよ」
そう言って彼女は長い黒髪を梳いた。その仕草は妙に美しかった。
「なるほど。すみません、話の腰を折って。続けてください」
「私は国立魔術学院の生徒よ」
「魔術学院……ということは王都から来たんですね?」
「ええ。私は二年前から行方が分からなくなっている先生を探しているの。かれこれ一か月くらいかしら?」
「ちょっと待ってください。それじゃあ、計算が合わない。僕はほとんど師匠と行動を共にしていましたが、王都になんて一度も行ったことがない」
彼は首を振って否定した。
「それはそうよ。十年前から先生は一線を退いていたから。それでも月に一度は手紙をよこしてきたし、年に一度は学院に顔を出していたわ」
「まあ、たしかに、一人で出かけることは年に何度かありましたけど……。いったい師匠は何者なんです? 師匠は一度も僕に魔術学院の教師だなんて言わなかった」
「教師じゃないわ。先生は、国立魔術学院の理事長よ」
「はっ……」
アルバートは開いた口が塞がらなかった。
国立魔術学院と言えば、国内唯一の魔術を教える学校であり、国内最高の教育機関である。学校に通うということでさえも珍しいこのご時勢においては、学院の生徒というのは、類い稀なる存在であり、ましてや教師となると一生を保証されたようなものだろう。
それどころか、その最高機関の最高役職である男と、八年もそうとは知らずに寝食を共にしたというのか。
「まさか、ありえない……」
そもそも、将来安泰を投げ出してまで、彼は何をしていたのだろうか。だが、それ以上に、根なし草のような師匠がそのような役職についていたということの方が信じられない。師匠と理事長という関係が全く釣り合っていないように思えた。
「事実よ。その先生が、二年ほど前から連絡が途絶えた。もともと面倒くさがりの性格だったらしいから、最初は気にしていなかったんだけど」
「たぶん、僕のせいです。学院経由で師匠の居場所が割れないようにしたんでしょう。面倒くさがりで、狡猾な性格してますから」
アルバートは師匠との生活を思い出して身震いした。
「あなたのことは知らなかったけど、最初は誰もが面倒になったんだと思った。けど、事態が急変したのが二か月前。学院に侵入者が入ったの。最高峰の魔術師が集まる学校だから、犯人は簡単に捕まったんだけど……」
「けど? けど、なんです?」
「犯人は自害してしまったの。捕まる前に犯人は言ったわ。『イアン・ライアンはどこだ?』と」
「なっ!?」
「事態を重く見た学院は、現状を把握するために先生の捜索を始めたわ。私もその一人」
「ちょっと待ってください。なぜ学生がそんなことをするんです?」
「学生は私一人よ」
「なぜです?」
「なぜでも」
「答えてください」
「まあ、自慢になるから言いたくないんだけど、一応首席で卒業も決まっているから、かな?」
アルバートはリタの目を見つめた。そして短く息を吐いた。
「嘘でしょう」
「本当よ」
彼女は口調を強めて言った。
「さんざん師匠に振り回されてきたんです。そのくらいの嘘は見抜けます」
二人は再び睨み合った。今度はリタの方が折れた。彼女はため息をついて言う。
「……わかったわよ。卒業が決まったのは本当。それで、暇だから、その……自主的に」
「呆れた」
「ねえ、あなたも先生を探しているんでしょう? だったら、一緒に探しましょうよ。一人より二人の方が、絶対にいいわよ」
彼女は笑って握手を求めてきた。
それに対してアルバートは微笑んで言った。
「嫌です」
アルバートは平原を歩いていた。左には見渡す限りの草原、そしてその奥には山脈が見える。右手を見ればはるか遠くに鬱蒼と茂る森が見えた。
彼が歩いている近辺は、比較的低い植物が生えている。彼は人工的に整備された土の道を歩いていた。
昨日までいた町での師匠の情報は、同じく彼を探しているという少女一人だった。彼女も師匠の行方については全くの手がかりを得ていなかった。これ以上あの町に留まっても得られる情報はないだろうと判断し、彼は次の町を目指すことにしたのだった。
「……なぜ、ついてくるんです?」
アルバートは歩みを止めずに言った。顔も動かさない。
「だから、一緒に行こうって言ったじゃない」
彼の数歩後ろを歩くリタがさも当然のように言った。彼女は少々大きめのバッグを肩から下げていた。
「お断りしたはずです」
「何でよお!」
「邪魔だからです」
「ちょっと、それ酷いんじゃない? 言っとくけど、首席なのは本当なのよ!」
アルバートは立ち止まり振り返った。そして、彼女を睨む。
「な、何よ!」
「学校の成績が何だというのです? あなたは世の中を甘く見ています。たかがひと月無事に過ごしたからといって、それは単に運が良かっただけのことです」
「そんなことないわよ。あなただって見たでしょ? 昨日の……」
「町のチンピラなんて、襲い来る驚異の中で最も下等なものです。王都に帰りなさい。安全なルートを通れば、何てことはないでしょう」
「……嫌よ」
「聞き分けのない人だ」
「私、ライアン先生に憧れて学院に入学したの」
急に彼女が話題を変えた。その強引さに彼は少し苛々した。
「あなたが入学した時にはもう一線を退いていたんでしょう」
「あなた、本当に先生のことを知らないのね」
「知りたくありませんでしたから」
「当時、成人しか認められなかった王国軍に十八歳で入隊。四年後には魔術隊隊長に昇進。数々の業績を打ち立てたのち、二十六歳で退官。国立魔術学院の創立を進言し、初代理事長に就任。優秀な人材を輩出し続け、十年前、三十五歳で一線を退いた。それでも未だに彼に憧れて魔術師を志す子供は大勢いるわ」
「信じられませんね」
アルバートは肩をすくめた。
「あなたの知る先生ってどんな人?」
「ただの面倒くさがりです。残忍で狡猾で、油断すると酷い目にあいます。面倒事を全部僕に押し付けて、自分は寝ています。女性やお酒に現を抜かしていないのが唯一の救いです」
「そういう噂も一部ではあるわ」
「一部じゃなくて全部ですね」
「私も先生に憧れて入学した。だから、先生が危ない目に合っているなら何とかしたい」
彼女は胸に手を当て、身を乗り出して主張した。
「答えになっていません」
「私がどうしたって私の勝手でしょ?」
「じゃあ、ストーカーも、窃盗も、強姦も、放火も、殺人も本人の勝手だから許されるわけだ」
「それは犯罪よ。許されるわけないじゃない」
「じゃあ、今の状況と、ストーカーの違いを述べてもらえませんか」
「う……」
彼女は言葉に詰まって身を引いた。眉をひそめ、何か言おうと必死に思案しているようだった。
「邪魔です。帰ってください」
「それは嫌よ!」
「あなた……いい加減にして下さい」
アルバートは声を低くして言い、リタを睨んだ。彼女も彼を睨み返した。
その状態がしばらく続いた。
彼女が引く様子は見られない。アルバートはため息をついた。
「わかりました。そこまで言うのなら」
「本当!?」
「ただし、ひとつ条件があります」
彼は人差し指を立てて前に示し出した。
「条件?」
「ええ、その条件を満たせば、一緒にいても構いません」
「やった!」
リタは満面の笑みになって、その場で飛び跳ねた。
「ちょっと、どこに行くの?」
リタがアルバートに尋ねた。
彼らはいつの間にか山道を登っていた。それも、岩肌がむき出しになっているような、植物などほとんど生えていないような場所だ。
時折吹く風が砂埃を巻き上げて、二人はそのたびに目を細めていた。
「この先に、僕が行こうとしている町があります」
「わざわざ、こんなところを通らなきゃいけないわけ?」
「いえ、これはかなり遠回りをしたと思います。これから、山賊の棲家を通ります」
「山賊ぅ!? 何それ、聞いてないよ!」
「これが、条件です」
「条件? これが?」
「山賊に襲われても僕は助けません。自分の身を守るだけです。自力で山賊を退けること、これが条件です。そのくらいでないと足手まといなので」
「ちょっと、それ、意地悪すぎるでしょう」
「全然。何度も言いますが、これくらいできないと邪魔です。いいですよ。帰っても」
「うう……。わかったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」
「別にやらなくてもいいですよ」
「うるさい!」
彼女は大声で言った。
そのとき、アルバートの耳が何かの音を捉えた。
「シッ……」
アルバートは人差し指を一本立てて、黙れのポーズをした。
「ちょ、何よ?」
「喋りすぎましたね」
「え? 来るの? ちょっと、心の準備が……!」
「来ます!」
岩肌を滑るようにして、ガラガラと音を立てて頭上から山賊が下りてきた。砂埃が巻き上がって、人数は確認できない。
「ああ、もう!」
リタはバッグから杖を取り出した。十五センチほどの短く細い杖だ。どう見ても殴るのには向いていなさそうだった。
「魔術師って、本当に杖を使うんですね」
「あなた、見たことないの?」
「ええ、師匠が魔術を使うところなんて一度も」
そうこう言っているう内に砂埃が晴れてきて、相手の姿がわかるようになった。
「六人。少ないですね。僕ら二人しかいませんからね」
彼らはみな同じような襤褸のような服を着て、バンダナのような頭巾をかぶっていた。その手には手入れがされていなさそうな剣が握られている。
「片腕のないガキと女か。おい、命が惜しけりゃ、身ぐるみ全部置いていきな!」
山賊のうちの一人が言った。
「お断りします」
「ああん、てめえ、今の状況がわかってねえみたいだな」
「そうでしょうか?」
「やっちまえ!」
その合図で、まず二人の男が剣を振りかざして前に出てきた。
アルバートは飛び上がりながら斬りかかる男の剣を、素早く抜いた自分の剣で防いだ。そして、がら空きの脇腹に蹴りを入れて吹き飛ばした。
「うっ!」
「うわあ!!」
すぐ隣で叫び声が聞こえたので、見てみると、リタを襲った山賊の足元が凍りついて動けなくなっていた。さらに、その男は茫然とその場に立ち尽くしている。足を奪ったあとで、幻術をかけたようだ。リタは涼しい表情をしてこちらを見た。
「どう?」
「それだけじゃ判断しかねます」
「こいつら、ただもんじゃねえ!」
「魔術師か……厄介だな」
「所詮ガキだ。まとめてかかるぞ!」
今度は、動けなくなった一人を除いた五人が、まとまって襲いかかってきた。まとまった集団は、アルバートとリタの手前で二手に分かれた。彼の方には三人が襲いかかってくる。
襲いかかる三つの剣を彼はバックステップで避けた。身をかがめて瞬発的に三人の懐に入り込むと、横一線に剣を薙いだ。
二人には避けられてしまったが、一人を斬りつけることに成功した。斬りつけられた男はその場に倒れこむ。
残った二人は警戒しながらじりじりとアルバートに詰め寄る。片方の男が駆け出したかと思うと、飛ぶようにしてアルバートの背後に回った。
「挟み撃ちですか……」
二人が同時に駆け出す。アルバートは前方の敵に向かって突っ込み、その首を刎ねた。瞬時に血が噴き出す。そして、瞬時に振り向き、飛びかかる男の胴を斬り裂いた。
「遅いんですよ」
赤い雨を浴びながら彼は剣を収めた。リタの方を見ると、彼女はまだ戦っていた。敵は二人とも残っている。氷を相手の足元にぶつけようとしているようだが、山賊の俊敏な動きを捉えきれていない。
彼女の杖から氷の塊が放たれる。だが、またしてもそれは地面に氷の華を咲かすだけだった。
「ああ、もう!」
痺れを切らしたのか、彼女は別の呪文を唱え始めた。すると、彼女の周囲が歪み、やがて彼女の姿が見えなくなった。
「なっ!」
「どういうことだ!?」
山賊は辺りをキョロキョロと見渡す。
「うわあっ!」
片方の男が悲鳴を上げた。気づくと彼の足元は凍り付いていた。残り一人だ。
何もない空間から氷が放たれる。それを男はかろうじて避けていた。
何度も別の場所から現れる氷に、男は苦戦しているようだった。
だが、アルバートはどこから氷が放たれるかわかっていた。
「くそっ……。なめんじゃねえ!!」
男が、ある空間目がけて剣を振りかざした。驚いて魔術が解けてしまったのか、その剣先にリタの姿が現れた。
アルバートは駆け出し、背後から男の胸元を貫いた。
「…………え?」
その声を発したのはリタだった。恐怖で目を瞑っていたらしく、目を開けた瞬間に入り込んだ光景に言葉を失ったようだ。
「避けてください」
アルバートは言った。
「……え?」
遅れてリタが反応した。
「あなたがそこにいたら剣を引けません。返り血があなたにかかってしまう」
しばらく呆けていたリタだったが、ようやく言葉の意味を理解したのか、よろよろとその場を離れた。
アルバートが剣を引くと、男から血が噴水のように吹き出し、彼はその場に崩れ落ちた。
「さっきの、迷彩魔術ですね? 周りの景色と同じ映像を自らの体に投影する。宿でも使っていたでしょう。けど、体が透明になるわけではないので、移動するには映像を変えながらでなくてはいけないために、どうしても歪みが出る。それに、体が消えるわけではないから足音や砂埃は消えない。戦闘には不向きですよ。ただ、移動しながらあれほどの迷彩を施せるとは……。学院で首席というのは本当のようですね」
リタは何も言わなかった。目の前の状況をまだ理解していないようだった。彼女のことはひとまず置いておいて、アルバートは足元を凍らされて動けない残党に近寄った。リタの幻術が効いているようで、一人は話せるような状態ではなかった。話せる方の男の目は、足の痛みと死の恐怖で苦痛に歪んでいる。
「聞きたいことがあります。赤髪長髪で眼帯をした男を知りませんか?」
「し、知らねえ……! いっ、命だけは」
「そうですか。わかりました」
「……へっ」
そう言うとアルバートは身を翻した。そしてリタに言った。男は緊張の糸が切れたらしく、力なくその場に座り込んだ。
「行きましょう」
「え、ええ……」
「わかったでしょう。自分がどんなに甘かったかが」
しばらくの間、リタは放心したようにただ歩いていた。よほどショックが大きかったのだろう。頃合いを見て、落ち着き始めたと思いアルバートは言った。
「どうして、殺したの?」
彼女は言葉を絞り出すようにして言った。
「殺す必要はなかった、ですか?」
「たしかに相手は悪人だわ。けど、だからって」
「僕もそう思います」
「じゃあ……!」
団々と彼女の語気が強くなっていく。それに対してアルバートは淡々と答える。
「綺麗ごとだけで生きていけたら、どんなに素晴らしいでしょうね」
「何とも思わないの?」
「そんなはずないでしょう。人を殺すたびに胸が痛みます。たとえそれが極悪人だとしても、です。賊に対する防衛殺人が法によってある程度認められていても、です。最初に人を殺めたとき、しばらく自責の念にとらわれ続けました。けど、それじゃあ、生きていけないんです。だから、僕は自分で自分のルールを作った。
『目には目を歯には歯を』という言葉を知っていますか? 異国の言葉なんですが、よく『やられたらやり返せ』といった意味にとられます。ですが、実は違うんですよ。『やられたこと以上のことをやり返してはいけない』という意味なんです。
僕もこれに倣うことにした。武力を脅しでしか使わない町のチンピラには脅しまでしかしない。命を奪わんとする賊に対しては、身を守るために命を奪っても致し方ない、と。
僕は自ら命を奪ったりしない。だから、最後も戦意をなくした二人を見逃したでしょう。
これが僕のルールです。こうやってルールを作って、無理やりでも納得しないと、気が狂いそうになる。
わかったでしょう? 王都で育ったあなたには、外の世界は過酷すぎる。これは馬鹿にして言っているのではありません。あなたは幸運だということです」
リタは黙ってしまった。俯き、ただ歩いていた。
アルバートはそれ以上何も言わなかった。彼女に自分の言葉を理解させるのに時間が必要だと感じたからだ。
二人は山道の峠を越した。上り坂よりも下り坂の方が多くなった。もう賊に襲われることはないだろうから、もうすぐ山道を抜けることができるだろう。
「…………さい」
リタが何か言ったが、アルバートは聞き取れなかった。
「何か言いましたか?」
「ごめんなさい。助けてもらったのに、酷いこと言って」
「何だ、そのことですか。構いません。殺さないに越したことはないのは事実ですから」
「けど……」
「悪いと思っているなら、おとなしく王都に返ってください」
アルバートは優しく笑いかけた。だが、それがかえって皮肉に捉えられてしまったようだ。彼女は気落ちした表情から、拗ねたような表情に変わった。
「それとこれは話が別」
「これだけの経験をして、まだ懲りないんですか? ……ちょっと待った」
アルバートは立ち止まった。辺りを見渡し、耳を澄ます。
「どうしたの? また山賊?」
「わかりません」
石が岩肌を転がる音が聞こえた。まだ、誰かいるようだ。どうやら、上からのようだ。範囲を絞って、上を見渡した。もう賊に襲われないというのは楽観的だったらしい。
「いたっ!」
先ほどと同じような服装の山賊が岩肌を滑ってきた。上からの襲撃が好みのようだ。アジトが上にあるのかもしれない。
二人組の男だった。地に着く前に、男は何かを投げつけてきた。球状の何かのようだった。
それが地面とぶつかると、辺り一面に煙が充満してきた。
「これは、煙玉?」
あっという間に視界がゼロになる。アルバートは咳き込む。ただの煙ではないようだ。
「きゃあっ!?」
リタの悲鳴が聞こえた。だが、何も見えない。
「クリスティ!? どうしました?」
反応はない。何とかしたかったが、煙のせいで何も見えずに、動けなかった。煙が治まるのを待つしかなかった。
やがて、風が煙を運んでいく。
「……くそっ」
アルバートは地を蹴った。
そこには誰の姿もなかった。
リタが目を覚ますと、そこは薄暗い空間だった。自分のいる場所を把握しようと、体を動かそうとしたが、思うように動かなかった。
手足をロープで縛られていた。藁のような物で編んだ敷物の上に寝かされている。
見える範囲だけで考えるに、どうやら洞窟のようだった。あちこちに松明が灯され、洞窟の中にしては明るかった。通路が折れ曲がっているせいで。洞窟のどのくらいの位置にいるのかはわからなかったが、ここが行き止まりのようだった。
「気づいたか」
ずいぶんと低い声が聞こえ、その方向を向いた。
頬に傷のある、体格の良い男が岩でできた天然の椅子に腰かけていた。格好は、先ほどの山賊と似たようなものだったが、彼の着ているものは幾分か立派なようだった。
「あなたは誰? 山賊のボス? 私を攫って何がしたいの?」
「嬢ちゃんよ、そんないっぺんに質問しないでくれ、俺ぁ、頭悪ぃからな」
男は豪快に笑った。薄気味悪い笑顔だった。
「じゃあ、一つずつ。あなたは誰?」
「俺ぁ、山賊のボスだ」
一気に二つの質問が解けた。
「私を攫ってどうする気?」
「ちいと聞きたいことがあんだよ」
「それに答えたら返してくれるの?」
「返すと思うか?」
いやらしい笑みが帰ってきた。リタは背中に悪寒が走るのを感じた。
「とりあえず、質問に答えてもらおうか? イアン・ライアンはどこにいる?」
「え?」
「どこにいる?」
今度は剣を突き付けられた。
どうやら、先ほど生き残った男が報告したようだ。だが、こちらも探しているだけで、行方は知らないのだ。
「知らないわ。私だって探しているんだもの」
「嘘、つくなよ」
「本当よ!」
男は舌打ちした。
「まあいいさ。お前の連れも、もうすぐ来る。俺の部下にボコボコにされてな」
「いませんよ」
洞窟内に声が響き渡った。
「あなたの部下は、もう誰もいません」
洞窟の陰から血まみれのアルバートが姿を現した。
「いませんよ」
アルバートは言った。
「あなたの部下は、もう誰もいません」
「アルバート!」
リタが叫ぶように言った。
「てめえ、いねえってのはどういう意味だ?」
リタに剣を突き付けている男が睨みながら聞いた。
「そのままの意味です」
「殺しやがったのか」
「みなさん、僕を殺す気満々だったので、部下の教育がなっていないんじゃないですか? 誰一人として、僕を殺さずに連れて来ようとした者はいないようでしたが」
「てめえ……!」
男の腕に力が入った。
「『目には目を』というやつです。それから、彼女を傷つけたり、殺したりしたら、僕はあなたにそれ相応の対処をします。もし、あなたが無傷で彼女を解放すれば、あなたには何もしません。良く考えて行動してください」
「なめんなよ、ガキが」
「事実を言ったまでです」
「まあ、いいや。この女はてめえを殺して、十分遊んでからでも遅くねえからな」
男は腰を上げた。アルバートの方に歩み寄ってくる。
「殺す前に一つ聞くぞ。てめえも、イアン・ライアンの居場所は知らねえのか?」
「僕が知りたいくらいです。では、僕からも。なぜ彼を探しているのですか?」
「知らねえよ。俺ぁそんな男知らねえからな。ただ、そいつを探し出せば遊んで暮らせるほどの報酬をくれるやつがいるんだよ」
「それは誰ですか?」
「これから死ぬやつにゃあ、関係ねえだろっ!」
男は駆け出した。
「そうですか、残念です」
斬りかかる男の剣を、アルバートは同じく剣で防ぐ。
「片腕で俺に勝てると思ってんのか?」
「やってみなければわかりません」
アルバートは攻撃を弾き返し、バックステップで距離を取った。
体の力を抜いてゆらゆらと構える。一気に駆け出して相手の懐へと入り込む。
「甘えっ」
男が下から突き上げるように剣をふるったので、アルバートは横にステップして避けた。ステップの反動で間合いを詰めて、男に斬りかかった。だが、それも男の剣に防がれる。
そのまま、今度は飛び上がり、男の背後に回る。着地でしゃがんだまま、男の足を払うように剣を薙いだが、男はその場に飛び上がって、それを避けた。
男は空中で体を捻って、アルバートの真上から剣を振り下ろした。
「くっ……」
アルバートはそれを飛ぶようにして避けた。距離を保ったまま様子を見る。
力量は互角のようだった。
「すばしっこいやつめ」
「それはどうも」
「面倒くせえ。さっさと終わらせてやる」
「僕もそうしたいですね」
男が斬りかかり鍔迫り合いになった。男は両手で押している分、アルバートには少し分が悪かった。
一度距離を取ろうか、そう考えたときだった。
男がつま先で土を蹴り上げた。それが目に入り、体勢が崩れた。
「くっ……」
「まず、その邪魔な右腕、斬り落としてやるよ!!」
男が右腕を高々と上げ、アルバートの右腕に振り下ろした。
「きゃあっ!」
リタが悲鳴を上げ、アルバートの剣と、コートの袖が吹き飛んだ。
そして、男が吹き飛んだ。
「……え?」
男は何が起きたか全くわからないようであった。
リタも状況を理解できないでいるようだ。
アルバートの右腕はたしかになくなっていた。二の腕のあたりからコートの袖がまるまる切断されて、そこには何もない。
その代りに、アルバートの左の袖から拳が出ていた。
だが、それはただの拳ではなかった。
その拳の輪郭は炎のように揺らめいていて曖昧で、そして、稲妻のように光り輝いていた。
「な、何だ、そ、りゃ……?」
「僕には”両腕”がありません」
「な……?」
「これは魔力を具現化して固形化したものです。右のを切断された瞬間に、左側にこれを形成して、それであなたを殴りました」
「てめえ、魔術師か……?」
「いえ、僕は魔術師ではありません。ですが、これはたしかに魔術です。これのせいで他の魔術が使えなくなった、とでも言いましょうか。何せ魔力の塊ですから、膨大に魔力を消費する」
「くっ……」
男は動こうとしているようだが、ふらふらと、立っているのが精いっぱいのようだった。
「無理ですよ。顎に当てましたから」
アルバートは右手にも腕を出現させた。それは、コートの袖がなくなった分、左のそれよりも眩い光を放っていた。そして、その右腕で剣を拾った。
「これは東の国の剣で、『カタナ』と言うそうです。師匠からの貰い物で、詳しくは知りませんけれどね。その国では剣は両手で持つものらしいです。皮肉ですよね。片腕……いえ、腕のない僕がそのカタナを使うなんて」
アルバートは刀を光り輝く両手で持った。
「くっ……たっ、やめっ」
「ひとつ覚えて帰りましょう。『手の内は隠すもの』」
アルバートは刀を振り下ろした。男の右肩から斜めに斬りつける。
「あなたに帰る場所があればの話ですが」
血を噴き出して男は倒れた。
彼は刀を鞘に戻した。
「大丈夫ですか?」
アルバートはリタを縛り付けていたロープを切ってやった。彼は今左腕に手袋をはめて作業をしていた。袖のない状態で腕を出現させるのは眩しすぎるからだ。
「ありがとう……」
リタは言うと、アルバートの方にもたれかかった。
「クリスティ?」
「怖かった……」
彼女は小刻みに震えている。すすり泣く声まで聞こえてきた。
無理もない。今まで国内で最も治安のよい王都で育ってきたのだ。
アルバートは左腕で彼女を抱き寄せた。
「その恐怖を忘れてはいけません。生きているということは幸せなことです。人を殺したことがないというのは幸せなことです。帰る場所があるということは幸せなことです。人はそれを失う恐怖を感じて、あるいは失って、初めてそのことに気が付きます。あなたはその恐怖こそ感じれど、何も失っていないじゃありませんか。幸せな証拠です。みすみすそれを脅かす必要はないじゃないですか」
リタはさらに強くアルバートにしがみついた。彼は続ける。
「僕はあなたが羨ましい。僕は物心ついたころには両腕がありませんでした。肩口から下全部です。生まれつきなのか、何かの事故なのか、覚えていません。これが原因なのか、両親に捨てられたようです。親の顔は知りません。それから師匠に拾われるまで、どうやって生き延びたのか、これも覚えていません。人間、極度に辛いことは忘れるようにできてるんですね。けど、それまで、生き地獄だったことはたしかです。
それから師匠に魔法の腕の作り方を教わって、今度は人を殺しました。たしか、そう、今回みたいに賊に襲われたんです。師匠と一緒だったんですが、今日の僕みたいに手を貸してくれませんでした。殺されそうになって、やむを得ずです。その日は一日中泣きじゃくりました。それからです、あのルールを作ったのは。
今度は家を失いました。二年前です。師匠が最後の課題と称して身を隠しました。実はそのとき、彼は家を焼いたんですよ。手がかりを消そうとしたんでしょうね。まあ、もともと一か所に長く留まる方ではなかったんですが。師匠を見つけるまで僕には帰る場所がありません。見つけても、それはそれで『卒業』ですから、自分で帰る場所を作らなくてはいけませんけれど。
別に不幸自慢をしているわけじゃないんですよ。僕はたいして苦に思っていませんから。たしかに、他人と比較して不幸だとは思いますけど、苦しいとはそれほど感じていません。
けれど、あなたは僕が失ったものをまだ失っていません。それは凄く羨ましい。僕はあなたに、それを大切にしてほしいんです」
「私……帰る」
彼女は静かに頷き、顔をさらに埋めた。
「王都まで送ります」
「……え?」
リタは顔を上げた。その目は真っ赤に腫れていた。頬まで涙が伝っている。
「あなたに死なれると気分が悪いです。それまで護衛しましょう。それに、師匠に関して少々きな臭くなってきました。二年前に姿を消したのも、僕の卒業試験なんかじゃないような気がしてきました。まずは師匠について知ることから始めた方が良さそうです」
「王都に着いたら?」
「そこでお別れです。……でも良いのですが、都の案内をしてくれると助かります。いいですか?」
「…………ええ、喜んで」
リタは久々に笑顔になった。
「こんなジメジメしたところからはすぐに出ましょう。立てますか、クリスティ?」
「リタでいいわ」
「では、お言葉に甘えましょう」
「あなたのことは、アルバート……じゃ長いわね。アルって呼んでいいかしら?」
「……好きにしてください。行きますよ」
「あっ、待ってよ、アル!」
二人は出口に向かって歩き出した。
どっちかっていうと、読み切りより、打ち切りっぽくなっちゃいましたね……。




