金紫邂逅
鋭く打ちこまれる剣戟に、薄い笑みさえ浮かべて少女は身を踊らせる。結い上げた金髪が獅子の如く翻り、野獣染みた俊敏性を見せて剣の下を潜り抜ける。振るわれる剣は四つ。前後左右から刃引きもされていない真剣が迫るただ中を、まるで楽しむかのようにステップを踏み、掠りもしない。
「――ははっ」
かすかに開いた少女の唇が喜びを謡い、くん、と身を沈めたかに見えた瞬間、響き渡る金属音が、一つ。打ち払われ、持ち主の手から飛ばされた剣が、四つ。兵士たちが、呆然と空になった己の手を見つめた。その彼らに、少女は清々しい笑みを向ける。
「ありがとう。長の船旅で、私も少し気が滅入っていた。久しぶりに楽しかったよ。感謝する」
「め……滅相もないお言葉!」慌てたように兵士たちは跪く。「四人がかりで、姫を楽しませる程度にしか役立たぬ不明を詫びるばかりです」
「姫ではない。軍令閣下だ。呼称は正しく」
「も、申し訳ございません!」
「うむ。普段ならそう咎め立てはしないが……今回は占領国を纏めねばならない立場になる。呼び方で向こうに侮られるのは避けたい」
「は!」
敬礼に頷きを返し、少女は模擬剣を預けた。駆け寄ってきた侍女から濡れた手拭いを受け取り、顔、うなじと拭いて服の下に手を差し入れ、侍女に止められる。
「身体は部屋に戻ってからです」
「……暑いから戻りたくない」
「じゃあ我慢してください」
にこにこと笑顔で押し切られ、不満そうに少女は唸る。
「ルクシエが見えましたー!」
見張り台から飛んだ声にぱっと表情を変え、黄金の髪を閃かせて少女は縄梯子に取り付いた。周囲が止める間もあればこそ、瞬く間に上まで登り詰める。見張りから望遠筒を奪い、喜色に滲んだ顔で遥か彼方を臨む。
「あれが……ルクシエ」
二つ、巨大な山を左右に従え、流れる河川を中央に敷く街並みが広がっていた。その周囲は豊かな農作物が茂り、やや離れて煌めく広大な青は……海。自然と少女の口元に笑みが零れる。
「山と海の恵み豊かな光の国……これから、私が治める地……」
……まあ、剣しか扱えぬ私に、口出しできるようなことはないだろうが。
まだ遠い土地に逸る心を抑えながら、望遠筒を返し少女は見張り場の柵に足を乗せた。下から昇る悲鳴を顧みず、軽く足音を残し、感情のまま高く跳ぶ。
ぐん、と少女の視界が広がった。船の甲板、その真下にどこまでも続く陸地を見据える。華やかな蒼碧色をした戦装束が風に煽られ、ばたばたと空へ溶けるようにはためいた。
ヴェスパニアが誇る飛行艦船。
虚空に身を躍らせながら一瞬の浮遊感を全身で味わい、軽やかに船首へ着地した少女――フォルティシア・ヴェスパラードの元へ、侍女たちが慌ただしく駆けてくる。
「姫様っ、ひ、飛行中の船でそんな危ない真似、おやめくださいっ!」
「……だから姫ではなく軍令閣下だと」
泣きそうな顔でおやめくださいご自愛くださいと訴える彼女らに強くは出れず、フォルティシアは辟易した様子で嘆息するのだった。
城を持たないルクシエの中枢、政務を仕切る白亜の議事堂。空から見下ろせば扇状をした三層構造の建物内で、二人の人物が溜め息を交わしていた。
「……はあ。まさかあの七家が、敗戦を前にしても腰を上げんとは」
「まったく。なまじ力があるせいで、取り潰しの脅しも効きませんからなぁ……」
「大臣……わし、国王だよな? 国を従える国王だよな? だのに何で、あ奴らはこれっぽっちも耳を傾けんのだ」
「ご自分でも分かっておられるでしょうが。剣閃七家は領土も富も名誉さえも欲しがらない、剣術バカの集まりです。税を払いこそすれ、国の事情に興味の欠片も示しません。彼らが実際に動く時は、このルクシエの大地が真実流血に塗れる時でしょう」
顔を見合わせ、二人揃ってまた溜息。いくら力を借りられたとしてもそんな事態は御免こうむる。その点幸いと言うべきか、ヴェスパニアは無用な侵略、虐殺をよしとせず、大軍を並べ立てた上で降伏の使者を遣わせた。この時点に至ってさえ七家は動くことなく、矢の一つも飛ばないままルクシエは全面降伏の白旗を掲げたのだった。
「国王様、ヴェスパニアの艦が到着しました」
兵士の報告に、ルクシエ国王ミサゴはやれやれと重い腰を上げ王の執務室を出る。先方の意向次第ではこの部屋ともこれっきりになるかも知れず、そう考えると、どうにも哀愁と愛着を等量に覚えてしまい、ミサゴは何度となく振り返った。
「……陛下」
「ああ……行くとしよう」
最後に一度だけ顧みて、ミサゴは大臣を連れ立ち議事堂から出た。
白亜の建造物はその正面に広大な広場が置かれ、樹木と花が植えられたそこは人々の憩いの場であると同時、新たな政策を発布する際に多くの国民を集める集会場でもあった。
しかし今日は人払いが成され、閑散とした広場に横たわるのは、厚い金属の外板に覆われた一隻の艦船。魚を思わせる流線型の外観に、ヒレの両翼、帆を張ったマスト。この船がいかなる原理で浮き上がるのか、ミサゴはついぞ知らないが、ヴェスパニアでも軍と一部の領主にしか持ち得ない品であるらしかった。
「……なぜこんな物が空を飛ぶのだろうな」
「今はそれより、出迎えですぞ。しゃんとなされ」
停泊する艦の傍で大臣に突っつかれ、咳払いしてミサゴは身なりを整える。最後の最後まで小言を食らってしまったなぁ、と目を細め、それがどうにも寂しく思い、空を仰いだ。遠い青空と、流れる雲の切れ端、小鳥の一群に、目映い黄金。
……黄金?
はてと首を傾げた直後から、みるみるうちに黄金が近付き――それが、風に煽られた少女の金髪であると気付いた瞬間、ミサゴはあんぐりと口を開けた。
「だ、大臣!」
「何ですかなそんな大声で……のぅわっ!?」
着地音は驚くほど小さかった。しかしいきなり降って来た少女に、たまげた大臣は勢い余って尻持ちつく。
「ああすまない。驚かせるつもりはなかった」
少女が片手を差し出した。やや唖然としながら、大臣がそれを掴み立ち上がる。
「空から見たこの地が余りにも美しく、タラップが開くのを待ち切れなかったのだ。許せ」
謝罪に小さく頭を下げる少女に見覚えはなかった。だがミサゴは自然と確信を得る。
艶やかな金の髪は背に流れ、同色の瞳が生気に輝いている。細い身体は蒼を基調にした軽装で覆われ、しかし脆弱と無縁に鍛えられた鋼の如く大地に立つ、齢十五、六前後の少女。
「ヴェスパニアの……フォルティシア様で相違ありませんか」
「いかにも。そちらはルクシエ国王ミサゴ・ヨシズキだな? 出迎え痛み入る」
晴れやかに笑う少女――フォルティシアは、なるほど王者の貫録、人の上に立つ天性の資質を、生まれながらに兼ね備えているようだった。
ガコン、と艦の後ろ側でタラップが降り、今さらのように焦った様子で侍女たちが走ってくる。
「ひ、姫さ――閣下! 飛行中でないからと跳び下りていいわけではありません!」
「何だ、空の上で跳ぶのはダメだと言ったのはお前たちだろう」
「それとこれとは話が違いますっ、甲板からここまで何メードあると思っているのですか!? 十メード以上ですよ? 二階の屋根越えてるんですよっ? ご自分の身体は大切になさってください!」
「あーあー、説教なら結構。私にとってこの程度の運動は普通だといつも言っているし、その目で見ているはずだろう。それに、支配下とは言え他国の王の前だ。言葉は慎め」
はっと侍女がミサゴに目を向け、主人に戻し、わたわたと居住まいを正して背後に控える。その様子を満足げに見たフォルティシアは、さて、とミサゴに向き直り。
「見苦しいところを見せてしまったな。重ね重ねすまない……む、何を笑っている」
「い、いや、申し訳ない。話に聞くフォルティシア様と随分違うもので」
咄嗟に取り繕うミサゴは続け。
「偉大なるヴェスパニアの姫将軍――その美に月は翳り、その武に適う者なし。天に愛され地を駆ける、麗しき我らが花……」
朗々と歌ったミサゴは最後の余韻が響くのを待ち、下ろしていた瞼を開ける。
「と、このような内容の詩歌がこのルクシエにも伝わっていまして。一体どのような人物かと会う日を楽しみにしていたのです。しかし歌よりも、余程人間味に溢れた方のようで……いかがなされましたか?」
なぜか頭を抱えたフォルティシアが、呻くような声音で言う。
「ま、まさかこれほど遠方の地に来てまでその詩を聞こうとは……!」
「……」
フォルティシアは真っ赤に染まった頬を隠すように片手で顔を覆った。噂に高い姫将軍の、少女らしい仕草にミサゴは瞬きを繰り返す。そこへ背後で控えていた侍女がてってとやって来て、小悪魔めいた微笑で囁いた。
「姫様はこれで恥ずかしがりなので、直接的な褒め言葉は禁句です」
……ああ、うむ。
何となく分かった。
空から見た通り、ルクシエの街は大きな河川を挟み両岸へ広がっている。大別すると下流から見て右側に立派な家屋が多く軒を連ね、左側は雑然と下町の空気を纏っていた。
住み分けなのだと、大臣は説明した。不要な諍いを起こさぬため、この地に住み着いた当時の権力者と民が自然に分かれた結果なのだと。そう言われてみればフォルティシアにも覚えがある。ヴェスパニアの帝都も、貴賎によって大まかな区分けが成されていた。それと同じなのだろう。
「ルクシエ王国には三つの身分があります。王族、士族、そして衆族。王族は言わずもがなとして、士族はヴェスパニアで言う貴族のようなもの。衆族はそれ以外の大衆を差し、戦とも長く無縁であったため奴隷に相当する位はありませぬ」
葦の繁る川辺の土手を歩きながら、フォルティシアは大臣の言葉に耳を傾ける。
「農業は稲作を中心とし、漁業、林業など、狭い国土ながら豊かな自然を満遍なく活用しているため、現状国民の生活水準はそれなりに高いと自負しております」
「なるほど……聞けば聞くほど、本当に豊かな国だ。しかし実質被害がなかったとは言え、敗戦を経験した割に不安そうな顔が見えないな」
広い川に小舟を浮かべ漁をする者、桟橋から荷を積む者、あるいは釣りや昼寝に興じ、荷車が飯を売り捌き、子供らが土手の間を転げ回る。こちらに気付いた誰彼は皆、会釈するか笑顔で手を振るか、はたまたフォルティシアたちの外見に驚いたような表情をするかで、そこに怯えや恐れは一片もありはしないのだった。いっそ、奇妙な程。
「根本的な土台の部分で、ルクシエは人の気質がおおらかと言いますか……悲観的な物の見方をしないタチの者が多いと言いますか」
「彼らは知っている……と言うより、信じてますからな」
ミサゴが短い口髭を指で伸ばし、どこか諦観した風情で言う。
「剣閃七家は自分たちを見捨てない――必ず、守ってくれると」
ピク、とフォルティシアの眉が動いた。その変化は一瞬すぎて、すぐ傍の侍女にさえ気付かせず、フォルティシアは両の手を固く握り締める。
……剣閃七家……か。
父ヴェスパニア皇帝がルクシエ侵攻を決めた理由。自分がここに派遣された目的。帝国領内に気に入る男が居ないなら自分で探してこい! と、怒鳴った父の顔を思い出し、苦笑いが浮かぶ。
まあ、それは後でいいだろう。王族にとって良縁を結ぶのは義務であり公務だが、制圧した国の統治より優先されるわけではない。無論場合によるが、現状は切迫していないのだ。
「……おや、あれは――」
ふと、ミサゴが何かを見つけた様子で声を上げ、顔を渋く変える。フォルティシアが目をやれば、どこにでも居るような風貌の男が川岸に座り、布で包まれた細長い物を抱えて相好を崩していた。
それだけなら別段、見咎めるような点はない。が、布で覆いきれず露出した部分に見えるのは、
……剣の――柄、だが……
知らず、フォルティシアは眉を口の端を曲げていた。剣を扱う者として、本能が疼きを上げる。
「――そこの者」
「うん? はあ、何でございましょう……って、王様じゃあないですか。や、いいお日和で」
どこにでも居そうな純朴そうな若者が、声をかけたフォルティシアに一瞬怪訝そうな目を向け、その後ろに立つミサゴを見つけると、途端に白い歯を見せて笑った。
「コホン……あー、こちらに居られるのはルクシエの統治軍司令となられた、フォルティシア様だ。くれぐれも粗相のないように頼む」
「へえ、そうでしたか。えらい別嬪さんなもので、てっきりどこぞのお姫様かと思いましたよ」
「実際ヴェスパニアの姫でもある。将軍も兼任されているそうだ」
「それは凄い! なあフォルティシアのお姫様、自分と握手してはくれないですか?」
素直に尊敬と憧憬の目で見上げられ、フォルティシアはたじろいだ。ここまで真っ直ぐに物を言い、感情と願いを口にする人間はお目にかかったことがない。
「……大臣、何だこの者は。実はそれなりに位の高い家の人間か? これほど気軽に王族へ話しかける馬鹿はヴェスパニアにはいないのだが」
「いえ、その、何と言いますやら。詳しいことは後でお話ししますが、ルクシエの人間は皆、身分の垣根が低いのです。士族や王族がごく普通に庶民を娶ることもあるお国柄でして」
ひそひそ話す間も若者は全く目を逸らすことなく純粋な眼差しを送って来て、それが眩しいぐらいでどうにも面映ゆく、フォルティシアはあーうー唸りながらそっぽを向いて手を差し出す。
「おお、ありがとうございますフォルティシア様! これで仕事仲間に自慢できます!」
「そ、そうか。良かったな。……ところで、その腕に抱いている剣はお前の物か?」
「え、これですか? いえとんでもない! 自分はただちょっとお預かりしてるだけで」
「そうか……残念だ。見るからに名剣の類だと直感したのだが……預かり物か」
ならば勝手に包みを解くわけにも行くまい、とフォルティシアは嘆息する。
剣は武人の宝であり命。名剣名刀に限らず、武具を軽々しく扱う者に戦場へ出る資格はない。
字義通り、命を預かり命を狩るからにして。
……本当に、残念だ。
後ろ髪引かれて甚だしいが、布に包まれた剣から視線を外す。これから数カ月、あるいは年単位でルクシエを統治していくのだ。いずれまた巡り合う機会もあるだろう。
「あー……フォルティシア様? そんなに気を落とされずとも、その剣の持ち主なら直に上がってくると思われますが」
「わ、私は別に気を落としてなど――いや待て大臣、上がってくるとは、どういう……?」
「どうも何も……ああ、ちょうど良く終わったようですな。ほら、ご覧ください」
大臣の指が示す先にフォルティシアが首を巡らせれば、河川の中ほどに行き交う船と混じって、遠目にも小柄な人影がざばざばと泳ぎこちらへ向かっていた。然程待つこともなく水を軽快に掻き分けて泳ぎ着き、その人物が岸に上がる。
剣を抱えていた男が満面に喜色を滲ませて駆け寄り、手拭いを差し出した。
「漁の出来はいかがでしたか? 今年は海も魚が良く捕れているそうですが」
「さあ……」
ぶるぶると獣のように水を払い落し、濡れた髪を拭きつつ少年は答える。
「……ありがと。今夜の晩飯が、捕れた」
「め、滅相もございません! 自分はタツミ様の剣を預からせていただいただけで感謝、感激、歓喜の極み!」
言葉通り感動で武者震いまでしている男に、フォルティシアは複雑な顔で隣のミサゴをつついた。
「なあ国王、私やお前を相手にした時より態度がへりくだっているのはどういうわけだ?」
「……王として面目ない限りですが、しかしこれが現実というもの。実際に国を治めてきた我々王族や一部の士族より、剣閃七家の威光は民の間で絶大な支持を得ているのです」
ほう、とフォルティシアは小さく感嘆を零し、身体の水気を拭う少年を見やる。
「なるほど……あれが」
「はい。……剣閃七家が筆頭、紫鶯家の次期当主――シオウ・タツミです」
ルクシエの人間は黒髪が多い。その例に漏れず、少年の髪もまた黒かった。だが瞳は妖しい紫色に満ち、幼さの残る横顔は森厳と静けさを湛えていた。
……こいつが、父上の仰っていた剣閃七家の……。
自分とそう変わりない年頃であることに、フォルティシアはまず驚く。名高い剣士と言えば帝国でも青年から壮年の域にあるのが普通だ。それがまさか、自分と同じ十五、六の人間であるとは思ってもみなかった。
しかし、それはそれとして。
「なぜそんな次期当主が魚捕り……」
何尾かの丸々太った魚が網袋に入れられ、少年の腰元にぶらさがるのを見て呟くフォルティシア。
答えたのはそれまで黙っていた大臣だ。
「特に剣閃七家であるかとかは関係なく……そうですね、フォルティシア様も釣りをおやりになったことはありませぬか? その延長と考えてくだされば」
「趣味みたいなものか。確かに私も狩りで捕った獲物は食べる。……が」
じっ、と少年の全身を眺め渡し、フォルティシアは仄かに口元を緩めた。
……銛を持っていないな。
良く言えば華奢、悪く言えばやや頼りない細身な身体のどこにも、魚捕りに必要だろう道具を少年は身に着けていなかった。網も魚を入れておく用途にしか使えない物だ。
ずい、と一歩。自らを印象付けるようにフォルティシアは少年に近付き、握手を求めた。
「お初にお目にかかる。私はフォルティシア・ヴェスパラード。今日よりここルクシエを治める役を拝命した、ヴェスパニアの皇族だ」
「……だから何」
「…………は?」
一瞬何を聞いたか分からなくて、フォルティシアは瞬き。少年はそれに応えず、差し伸べた手を握り返しもせず、一瞥と言葉をくれただけで身体を拭く作業に戻った。
こちらに関心がない。興味がない。そう口にせず語っている。
呆然と少年を見つめるフォルティシアの横で、ミサゴが頭痛を堪えるように頭を抱えた。
「申し訳ない……こ奴に代わって謝罪致します。剣閃七家の連中はどいつもこいつも剣術バカの決闘バカ。基本それ以外に興味を示さんのです。……率先とまではいかずとも、せめて協力の姿勢さえ見せてくれれば国政ももっとはかどると言うのに……!」
「王よ、本音が漏れております」
大臣の指摘にごほごほと慌ただしく咳をするミサゴは取り敢えず無視して、フォルティシアは空っぽの手を引っ込めた。
「……ふむ」
視線を外しちらりと背後を見ると、連れて来ていた侍女二人が憤慨した様子で、しかしフォルティシアの面目を保つためにも激発を抑えていた。
気持ちは分かる。フォルティシア自身、これほどの無礼は生まれてこの受けたことがない。そもそもヴェスパニア帝国に逆らう輩自体、お目にかかることは稀だった。
……さて、ここで罰するは容易いが。
皇族として接したフォルティシアに対し、タツミの取った無礼は帝国の顔に泥を塗りつけて踏みつけたも同然だ。言葉遣いはまだしも、握手の求めに応じず、それどころか名乗り返しもしなかった不遜さは、帝国領内でなくとも許されるものではない。
相応の処罰か、あるいは発言の撤回か。司令官として着任したからには、フォルティシア自身がどちらかを成さねば面目が丸潰れだ。今後の統治に影響が出るかもしれず、何より後ろの侍女たちの機嫌が治まらない。かと言って、着任初日に名家の人間を罰するのも、角が立つような気がする。
……こういう役回りは私には向いていないんだが。
良くも悪くも武人肌のフォルティシア。帝王学は一通り学んでいるものの、得手不得手が解消されるほどではなく、どうしたものかと悩む。
しかし。
紫の目をした少年――タツミが男から剣を受け取った光景を見た瞬間、そんな小難しい理屈は頭から吹き飛んだ。
「そ、その剣!」
「?」
「その剣――貴方のか!?」
黄金の瞳を輝かせずずいと詰め寄ると、少年は眉をひそめて一歩下がった。背後から「姫様の悪いクセが……」と嘆くような声が聞こえたが気にしない。
タツミは何を察したか、ばっと剣を背中に隠した。
「……あげない」
「ほ、欲しいわけではない! いやくれるというならもらうが……ではなく!」
少年の顔に警戒が走ったのを見て慌てて言い足す。
「……一目で、名剣の類と直感した。是非、観賞の栄誉を賜りたい。――頼む」
「ヤだ」
「こ、こらタツミ、いくらなんでも無礼が過ぎるぞ!? 少しは国を守護する者として配慮せんか!」
声を荒げて割って入った大臣を、フォルティシアは首を振って押さえた。
「よい」
「いえ、しかし……」
「よいのだ。剣は武人の命にして誇り。尋常の勝負以外で他人に見せることを嫌う者もいる」
そしてフォルティシアは再び少年へと視線を向け、首を傾けて見せる。
「どうしても、嫌か?」
「イヤ」
「絶対?」
「絶対」
「……まるで子供だな、貴方は」
小さく、笑う。失笑でも嘲笑でもなく、苦笑に似た微笑み。
「だったら、勝負をしよう」
人差し指を立てた提案に、警戒気味にじりじりと距離を取っていた少年がピクリと反応した。
「……勝負?」
「そうだ。次期当主と言うからには、剣の腕に相応の自負があるはずだ」
少年がじっと聞き入ってるのを確認しつつ、フォルティシアは続ける。
「故に、一手。剣を抜き、振り、その後は納めるも隠すも自由。その一手の瞬間だけ私は貴方の剣を見る。そして貴方は、私に剣を見せないほど速く、それを成し遂げる。……どうだ? 自信がないならやめてもいいぞ」
「……やる」
どちらかと言うと最後の一言で火が付いたらしく、少年が距離を取るべくフォルティシアから離れた。
突然始まった勝負に、物見高い通行人たちが足を止めて何だ何だと集まってきた。国王ミサゴも、大臣も、そして侍女二人も、息を詰めて見守っている。
数メードの距離を挟み、対峙する少年をフォルティシアは見つめた。
ルクシエ倭国独自の、袖と裾がゆったりと膨らんだ衣装を纏い、森厳とした面持ちの少年は、左手に持った剣を背中へ隠すようにして構えた。意地でも見せるつもりがないらしい。
苦笑を零そうとして、しかし少年の右手が柄に触れた瞬間、フォルティシアは息を忘れた。
しん、と音が途絶えた。
川のせせらぎ、鳥のさえずり、虫のささやき。全てが途切れ、群衆のざわめきさえ彼方へ消えた。
時が凍りついたかのような静寂の狭間で、相対する少年だけが鮮明に、呼気さえ聞こえそうな。
――――チン。
鈴のように、鞘鳴りが響く。
氷結していた音が、返った。
「……」
地鳴りのように世界から音が取り戻される中、何も言わず少年は踵を返す。結果は分かり切っているというような、態度。事実として周囲の誰一人、何が起こったか分からず、戸惑った様子で首を傾げている。
「――いい剣だ」
嗚呼、と吐息を零す。甘く、瑞々しい、呼気の切れ端。
少年が、足を止める。
「いい、剣だ。そしてそれ以上に――いい、腕だ」
震える腕を握りしめ、ぎゅっ、と胸に押し当てた。
「ありがとう。感謝する。……まさか、“三手”も見せてもらえるとは思わなかった」
「―――」
初めて。
少年が紫の瞳に興味を浮かべ、肩越しに振り返った。
「……」
くす、とその口の端に笑みらしきものを浮かべ、ひらひらと手を振った。
去っていく背中にフォルティシアは呼びかける。
「私のことは、シアと呼べ! 私もタツミと呼ばせてもらう! いいな!」
応えの代わりに、少年は振り返らぬまま携えた剣を掲げて見せた。
音という音を凍りつかせ切り裂いた、刀。
銘を、“鶯”という。
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