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騎士の苦悩と神子の変化―4

 ルイの頬を伝う雫が、輪郭をなぞってぽたりとシーツに落ちた。

 ルイは大きな緑の瞳を見開いて、呆然と口を薄く開けたまま目の前の海のような青い瞳から零れる雫を視線で辿った。

 

 好き


 好き……?


「カイトさんが、私を……え……?」


 好き。幾度となく、アイラとの会話で出ていた言葉。

 でもまさか、自分が他人からその言葉を貰えると考えてもいなかったルイは、ただ事態を飲み込めず瞬きをした。

 カイトは確かに自分を大切にしてくれていたと思う。

 でもそれは神子としてで、ルイをではなくて……そう考えたルイは、ちくりと胸が痛むのを感じた。


 おかしい。私は神子としてでもいいから、誰かに必要にされるのが嬉しくて神子として努力していた筈だと自問自答してみても、胸の痛みは増すばかり。


 カイトが必要としてるのは、私ではなく神子である、と考えるのが辛い。

 その気持ちは……カイト限定なのだろうか? それが好きと言う事だろうか? と、混乱した頭でルイは考える。


「あなたが神子として努力し、役に立ちたいと願っているのは知っています。そんな大変な時に言うべきではないとわかっているんです。でも、抑えられない」

 カイトが呻くように言葉を続ける。ルイの耳を擽る低い声は、微かにかすれていて、ルイの心臓がどくりと跳ねた。

「好きなんです。自分は二の次で危なっかしくて、みんなの為にと頑張って、常に何かを背負っているあなたを守りたいと思った。あなたの笑顔を見た時思ったんです。私がこの笑顔を守りたいと。いつもどこか寂しそうにしているあなたに安息を与えたいと本気で思ってしまったんです。大切なんです」

「カイト、さん、私……」

「わかっています。今そんな事を考える暇なんてないって。ですが少しだけでいいです。私を男として見てください。あなたの傍に男としていたい。騎士としてではなく、一人の男としてあなたを守りたい。あなたに私も必要とされたいんです」

 ルイの瞳に、自然に涙が溜まって零れ落ちた。

 必要なのは神子の自分ではなくて、ルイ自身だといわれているのだと理解して、何かが溢れてしまった。

 それはルイが言われた事のない言葉だった。


 愛を知らない幼い彼女に初めて注がれた愛は、ルイの孤独と寂しさで埋まっていた心に暖かな熱を与えた。


(おまえなんかって言われてた。努力すればいつかきっと自分を見てもらえる……なんて、そうじゃ、ないんだってもう諦めてたのに……)

 いつの間にか両手の拘束はなくなっていて、そっとカイトの大きな手のひらが、ルイの目じりから溢れて伝う涙を辿ると、頬を包む。

「答えは今、いりません。ただどうか嫌でなければ、もう一度触れさせてください。騎士としてではない、男の俺がどういった人間なのか知ってほしい」

 カイトの指が、ルイの唇をなぞった。

「俺は……ずるいな。ルイ、男って怖い生き物なんだ。だから、今日のような光景はもう見たくない。耐えられない」

 そっと。

 ルイの唇に、カイトの唇が重なった。

 二度目のキスは魔力を注ぐ為にされた前回とは違って、何度も何度も角度を変えて、重ねられる唇から確かに感じる熱を、ルイは心地よく感じた。

 心臓はカイトに聞こえやしないかと焦る程高鳴るのに、嫌ではなくて、でもその気持ちが一体何なのか感情の幼いルイにはまだ理解できていなかったけれど。

 やわらかな唇がルイの下唇を啄ばむように数度触れた後、名残惜しそうに離れる。

「好きだ、ルイ」

 ぎゅっとカイトの腕が背に回って、ルイの身体を抱きしめる。

 ルイはカイトの背に手を回した。ただ、ただ溢れてくる涙をとめる事ができずに声を上げた。

「カイ、と、さん……っ」

 呼び捨てにされた名前が、カイトとの距離が近くなった気がしてルイの頭で何度も、カイトの低い柔らかい声で反芻されて、ルイの思考を支配する。


 そのまま、カイトの温かい胸の中でルイは意識を手放した。




「え……そん、な」

 次の日。部屋から出たルイが教えられた事実は、酷な言葉だった。

「なく、亡くなったんですか、昨日のおじいさんと、」

「……発見が遅かったんです。ディーネ様のお力で傷は塞がりましたが、血を既に流しすぎておりました。あの初老の男性と、子犬の母親と思われるアルカライトの成犬は……」

 俯いてしまったルイを、さっと隣にいたアイラが支える。

「私が……ちゃんと回復魔法を使えたら……」

「ルイ様は、十分できる事をなさいましたわ。現に酷い怪我をしたのに子犬は無事でした。確かに人の怪我を治す魔法はまだ使えませんが、きっとこれから水の街を訪れれば。水は治癒の街です。ルイ様、気を落とされないで」

 アイラは「私も治癒を使えれば」と思う心を必死で抑えた。ただでさえ神子という重荷を背負っているルイの前で言ってはいけないと堪えるが、アイラの目にも涙が浮かぶ。

「キュゥン」

 突然、足元から聞こえた声にルイがぱっと目を開くと、真っ白なふわふわの毛を揺らして、小さな犬がルイの足に前足を乗せ見上げている。

「昨日の子」

 そっとしゃがみこんでルイはその子犬を抱き上げる。

「キミも、一人になっちゃったんだね」

「わふ」

 子犬はぺろりとルイの手をなめると、少し足を動かしてねだるようにルイの胸に身体を預ける。

「随分とアルカライトの子犬に好かれたようですね」

 騎士団への指示で離れていたカイトが戻り、目を潤ませているルイを見るとそっと腕に収め頭を撫でた。

「どうする、ルイ。連れて行きたいのなら、君が飼うといいよ」

 カイトはそっと耳元でそう囁く。アイラにも聞こえないであろう声で、「ルイ」と呼ぶカイトの声はとても優しい。

 こくこくと頷いて子犬を抱くルイは、ぱっと顔を輝かせた。

「連れて行っていいのなら、連れて行きたいです!」

「そう。なら、屋敷に戻るまでその子犬も私がちゃんと守りますから、安心して、ルイさん」

 カイトはルイから少し離れてそういって微笑む。

 ルイ、と呼ぶのは二人きりのときだけなのだと理解して、ルイの心臓はどきんと跳ねた。

 自分は好きだといってくれたカイトに対して、何も返事はしていない。

 カイトといるときのあの暖かな感情は、他では与えられないだろう。そうは思っても、「好き」がまだよくわからなくて。

 いつか人前でもルイと呼んでくれる日がくるのだろうかと胸を高鳴らせた。それが恋とは気づかずに。

「まぁ! 朝から人がいるのも忘れていちゃいちゃして! カイト様、ここがどこだかわかっておりますの!? ルイ様お顔が真っ赤ですわ。さぁ、こちらへ」

 騎士達が驚いた瞳で見つめる中、ルイは漸くその事実に気づいて大人しくアイラに連れられてその場から離れた。



 昨日捕まった男は、そのままこの地区にいた兵に引き渡され長の町で刑を待つことになったらしい。

 ばたばたと予定が遅れたものの、今日は結界を越え水の街アクアルへと移動する日だ。

 途中、闇の民襲撃が予想されている中での移動で、騎士達の顔にもここ数日とは違う緊張が走っている。

 ルイはアルカライトの子犬に「六花りっか」と名前をつけて大事に胸に抱いたままカイトと馬に乗る。

 カイトはいつも通りルイが落ちないように抱いて、見上げれば微笑む。まるで昨日の事が嘘みたいだと思うのに、ルイが気づいていなかっただけで首には赤い花が一つ。

 アイラが反応してルイの首を隠すようにストールを巻いてくれたのだが、それが嬉しかった。回復魔法で消してしまうことができる印を、ルイは消したくなかったのだ。もちろんアイラにはからかわれまくったのだが。



「さぁ、ここから先は結界外だ。皆の者、気を引き締めよ!」

 カイトの声が周囲に響き、力強い返事が返ってくる。ルイとカイト、ディーネとラトナ、アイラの周りに、デュオを先頭にまるで囲むように陣が組まれる。

 兵の守る小さな門を出たそこは、見晴らしのいい草原。

「行くぞ!」

 ほんの少し今までよりも速度を上げて、馬が地を蹴る。


 一時間、二時間と時間が過ぎる。もう少しで、水の街。


 しかし。


 ルイがいち早く気づいた。自分達が走るより左の方向から来る闇の気配。

「止まって!! ダイヤモンドよ、皆を守る結界を!」

 ルイが叫ぶとほぼ同時にカイトも止まる指示を出し、ルイと同時に結界を左に張り巡らせた。

 ルイは皆を囲むように丸く結界を、カイトは左に絞って結界を。

 特にカイトの堅い結界が、何かを防ぐ。

 結界内に強い衝撃。結界が揺れる。すぐさま事態に気づいた優秀な騎士達は気を高め始める。

 黒い球体が何度も結界にぶつかって、漸く薄れたときに現れたのは……以前ルイ達を襲った人の言葉を理解する闇の獣と、人の身体を持つ闇の民。

「またおまえら……っ!」

 すぐさまルイ達の左に回ったのは、前回腕をやられたシャルだった。

「シャルさん、結界から絶対外に出ないで! 皆も!」

 ルイは叫ぶと、少し震える腕で六花を抱きながらきっと闇の民を睨む。

「私は、そちらには行かない!」

 前回こちらに来いといわれた言葉を忘れていなかったルイは、力強く叫ぶ。

「はっ! 少し強くなったくらいでいきがるなよ、光の神子。それに安心してよ、僕達は今日戦いに来たわけじゃない」

「散々攻撃しておいて、それか?」

 カイトが吐き捨てるように言う。

「実際君ら怪我してないだろ? 君と光の神子の術のおかげでさ。よく気づいたね、あんな薄い魔力で」

『それくらいでなければ、面白くもないがな』

 小さな闇の民の少年と、獣がそう言って笑う。周りの騎士は怒りに顔を歪めたが、誰も飛び出そうとはしない。

「何をしにきた?」

 初めて目の当たりにする人型の闇の民に、漸くラトナが口を開いた。ディーネを守るようにぐっと引き寄せ、ディーネは唇をかみ締め事態を見守っている。

「なに。ちょっと忠告に来ただけだよ。もう攻撃しないさ」

『もっとも、おまえ動けないよなぁ? 治癒能力しか能のない、我らと戦えもしない神子を守るので手一杯だろ?』

 その言葉に、かっとラトナがなんだと、と叫んだ。ディーネが泣きそうに顔を歪める。

 アイラは周囲にもう一段階結界を張り巡らせ、デュオはラトナをなだめるように落ち着けと叫んだ。

「用件を聞こう。お前らに付き合っている暇はない」

 カイトがずっと低い声でそういうと、面白そうに幼い少年はけらけらと笑った。

「光の神子のナイト様。気をつけるんだな。いずれ、お前が神子を傷つけるよ、きっとね!」

「何?」

「おまえのせいだ! あはははは! 神子は戦えなくなるさ。我らが神子に叶う神子なんていてはいけないんだ!」

 ルイは意味がわからず顔を顰める。カイトがそんな事をするはずがないのだから。

「私は、あなたたちに負けたりしない!」

『いつまでそういっていられるかな? お前は、きっと後悔する』

 笑い転げる少年の変わりに、にやついた声で獣が答える。

『そいつらを信じた事を。自分が生まれた理由を。きっと後悔するぞ?』

「あはははは! いなくなればいいんだ! さぁ、行こうみんな、我らが神子が、お待ちだからな」


 高笑いを残して、闇の民はその場からふっと消えた。



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