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薬種屋「紅樹堂」 〜春一番の長寿草〜

作者: 山野 水海
掲載日:2026/07/15

「頼む、若先生! お袋の寿命を延ばしてくれ!」


 壁一面に薬棚が置かれた小ぢんまりとした店内。

 カウンターで50手前の中年男性が、拝むようにして若い店主へと頭を下げていた。

 ここは薬種屋「紅樹堂(こうじゅどう)」。とある田舎町にある小さな薬屋である。


「いやガッドさん……そんないきなり寿命を延ばせって言われても……」


 今年で二十歳(はたち)になったばかりの人の良さそうな店主――ジョルジュ・マークは困ったように頬を掻く。

 ようやく町中の雪が溶け切った春先のある日。

 近所で金物屋を営んでいるガッドが何やら難しい顔をして入ってきたかと思えば、開口一番そんなことを言ってきたのだ。そりゃジョルジュも困惑するだろう。

 ガッドは顔を上げ、慌てたように言った。


「ああいや、スマン。気がはやった。ちゃんと説明するから話を聞いてくれ」

「ええ、もちろんです。とりあえずお茶でも淹れますので、あちらのテーブルにお掛けになってお待ちください」

「あっ、こりゃ悪いな、若先生」


 ◇◇◇◇◇


「ええと……つまり、サマンサさんは最近しきりに『自分はきっともう死ぬんだ。あと一月(ひとつき)も保たないと思う。大事な大事な孫娘の嫁入り姿も見れないんだ』とおっしゃっているのですね?」

「そうなんだよ」


 お茶を用意し、ジョルジュはガッドと向かい合って話を聞いている。

 サマンサとはガッドの母親のことである。

 当年74歳。ジョルジュも昔からよく知っているお婆ちゃんで、なんだったら昨日も市場で姿を見かけたが、とてもすぐに死ぬような風には思えなかった。

 腑に落ちない様子のジョルジュに、ガッドは説明を続ける。


「病気したとかじゃないんだ。ただ、ここのところ少しばかし身体が痛かったり、物忘れが多くてな。本人がすっかり気落ちしちまってんだよ」

「それで『もう死ぬんだ』と」


 ガッドはこくりと頷いた。


「ああ。もう毎日のように言い続けてんだ」

「あー……それはご家族の皆さんも大変ですね……」

「だろ?」


 聞かされる方の身にもなれってんだ、とガッドはため息混じりに言った。


「俺だってお袋が今日明日(きょうあした)すぐに死ぬとは思ってねえさ。けどほら、来月の半ばに俺の娘が漁師のルカんとこに嫁に行くだろ? お袋のやつも楽しみにしてるから、せめて前向きな気持ちで当日まで過ごせるよう、なんとかしてやりたくてな」

「なるほど、だから寿命を……ですが――」


 ジョルジュは言いにくそうに言葉を続ける。


「寿命を延ばす薬というのは、御伽話以外では私もちょっと聞いたことがなくて……」


 神話の中であれば延命どころか不老不死の妙薬だって存在している。

 しかし、現実にはそんなものは存在しないし、仮にあっても田舎町のこんな小さな店には置いてないだろう。


「痛み止めなら処方できますが、強力なものは劇薬になりますので、逆にサマンサさんの体調を崩す原因になってしまいます。なので気休め程度の軽いものなら出せますが、それでサマンサさんの気持ちが上向くかと言われれば……」


 ジョルジュはいくつかの薬品を思い浮かべながらガッドに下手な薬の処方は逆効果になると説明する。

 ガッドもそれはわかっていたようで、首を横に振ってそのつもりはないと否定した。


「わかってるよ若先生。お袋のあれは薬を飲んでもどうにもならねえ。若先生に頼みたいのは別のことだ」

「別のこと……ですか?」


 ジョルジュの頭上に疑問符が浮かんだ。


「要はお袋が自分の寿命が延びたって思えればいいんだ。そこで若先生にはアレだ、長寿草! それの薬草茶を淹れてほしいんだよ!」

「長寿草! ああ、なるほど!」


 ガッドの口から出た植物の名前に、ジョルジュは合点がいったと手を叩いた。

 長寿草とはこの辺りで昔から食されている栄養豊富な薬草だ。

 お通じを良くする効果もあるとされているので、この店にも乾燥させたものが棚に並んでいる。

 “長寿”と名前が付いているだけで特に延命効果は無いが、この薬草には一つ有名な言われがあった。


「『年の一番最初に採れた長寿草を煎じたお茶を飲めば三月(みつき)寿命が延びる』。そうですね?」


 ガッドはその通りだと破顔した。


「おう! 結婚式まであと一月半なんだ。三ヶ月もあればお釣りがくるぜ」


 もちろん今年一番最初に採取された長寿草の茶を飲んだからといって本当に寿命が延びるわけではない。

 しかし、息子がわざわざそれを用意してくれたとあれば、サマンサの気持ちも落ち着き、心穏やかに孫娘の花嫁衣装を楽しみにできるだろう。


「若先生、今年はまだ長寿草は採りに行ってないよな?」

「ええ、まだ少し早いと思っていましたので」


 この町で薬屋はここ「紅樹堂」だけだ。

 小さい町だ。その店主がまだ採りに行っていないと言うのであれば、今年はまだ誰も長寿草を採取していないと考えても問題ないだろう。


「悪いけど明日頼めるか? 報酬は弾むからよ」

「ええ、構いません。山も雪が残っていますが、中腹までなら登れるでしょう」


 長寿草は別名「春告げ草」とも呼ばれ、ちょうどこの早春の時期に花を咲かせる植物だ。

 山の中腹付近に分布しており、黄色くて可愛い花弁が特徴である。

 ジョルジュは明日、町の裏手にある山に登ってそれを採取しに行くと言っているのである。

 裏山にはモンスターが出るので一人で行くのは危険だ。

 なので店主はこのあと冒険者ギルドに顔を出して護衛を雇い、その人と一緒に山へと登るつもりであった。

 しかしガッドは、自分もそれについていくと言い出した。


「俺も行くぜ、若先生。俺が採ってきたって言えば、お袋もありがたがって飲むだろう? 親孝行ってやつだ」

「モンスターも出ますよ?」

「裏山だろ? あそこには雑魚しかいねえじゃねえか。俺でもぶん殴って倒せるやつばかりだぜ? 問題ねえよ」

「まあ……そうですね」

「俺だってまだ若いんだ。中腹くらいまでなら余裕で行けるさ」


 町近くの裏山には小型のザコモンスターしか生息していない。子供でも倒せるので、ガッドが一人増えても大丈夫であろう。

 護衛を雇うのは、薬草採取中に不意に襲われるのを防ぐためと、まだ雪の残る山に登るので何かあった時に一人は危ないと考えたからである。

 止めるべきか一瞬悩んだジョルジュだが、彼の言う通り問題ないと判断し、同行を許可することにした。


「では、一緒に行きましょう。登山の装備はしっかりとお願いしますね」

「おう、わかってるって!」

「じゃあ、朝8つに裏山ふもとの看板集合で」

「了解。明日はよろしくな、若先生!」


 上機嫌で店を出て行くガッド。

 ジョルジュは空になったティーカップを片付けると、店の正面に「外出中」の札を下げ、護衛を雇うために冒険者ギルドへと向かうのであった。


 ◇◇◇◇◇


 翌朝、ジョルジュとガッド、そして冒険者の青年ルークは連れ立って裏山へと入って行った。


「紅樹堂さん、中腹までは登山道に沿って進めばいいのか?」


 ジョルジュのことを“紅樹堂さん”と屋号で呼んだのはルークである。

 最近この町に来た駆け出しの冒険者で、年齢は16歳。腰のベルトに愛用の片手剣を吊るした剣士の卵だ。

 依頼主であるジョルジュに対して砕けた話し方をしているが、仕事ぶりは真面目で、先頭を進みながら油断なく周囲に注意を払っている。

 ザコモンスターしか出ない裏山の護衛は、初心者向けの簡単な仕事なので、報酬もその分少ないが、そういう仕事もしっかりこなそうとする姿勢にジョルジュは好感を持った。


「はい、通り慣れた道で行きましょう」


 そう答えたジョルジュは、確かな足取りでルークの後ろに続いていく。

 まだ山には入ったばかり。一月前までは地面に積もっていた雪も溶け切っていて残っておらず、足元もしっかりしている。

 毎年薬草採取のためにこの裏山へと登っているジョルジュにしてみればここは庭のようなもの。なんの不安も感じずに歩みを進めていく。

 問題があるとすれば最後尾の人物だ。ジョルジュは後ろを振り向いて声を掛けた。


「ガッドさんもそれでいいですか?」

「俺はこの山に登るのは久しぶりなんだ。二人に任せるぜ」


 ガッドはそう言って判断をジョルジュたちに投げた。

 防寒着をしっかりと着込んで、腰には水が入った皮袋をぶら下げている。

 中年だが体力はある方なので、標高の低いこの山なら中腹まで行って帰ってくる分には大丈夫そうだろう。

 しかし彼は山登りは久しぶりだと言った。

 もしかしたら途中疲れて足を止め、それが原因で逸れてしまうかもしれない。

 今はまだいいが、もう少し登ったら最後尾を交代しよう。ジョルジュはそう考えた。


 ◇◇◇◇◇


「あっ、ルークさん、ちょっとそこの林の中に寄ってもらっていいですか?」


 山の3合目付近に差し掛かった時、ジョルジュはそう言って登山道すぐ脇に広がる林を指差した。


「わかった」


 ルークはチラリとその林に目を向け、やや薄暗いがモンスターの影がないことを確認し、進路をそちらへ変えた。

 登り始めてから約30分。

 この辺りまで来ると足元にも5cmほど雪が積もっていた。


「何かあんのか、若先生? もしかしてもう長寿草が生えていたとか?」


 歩き疲れてきた様子のガッドが、ちょっと期待した口ぶりで尋ねる。

 久しぶりの山登り、それも薄らとはいえ雪が残る状態でのものは本人が思っていたより大変だったらしい。

 少し呼吸も乱れていて、白い呼気がしきりに口から出ていた。


「いえ、長寿草ではなく別の薬草を見つけまして。ちょうど在庫が足りなくなってきたので採っていこうかなと」

「なんだ、そうか」


 申し訳なさそうにジョルジュが理由を話すと、ガッドは残念そうな顔をした。

 あわよくばもう下山できると期待していたようである。


「手短かに済ませますので、ガッドさんはその間休んでいてください」

「おう、ゆっくりでいいぜ。座って待ってるからよ」


 ガッドは、近くにあった岩の上に積もった雪を手で払い落とし、その上に腰掛ける。

 それを見てジョルジュは内心で安堵した。

 口には出さないが、ここで急に採取を始めたのはガッドの休憩も兼ねている。

 別に言ってしまっても構わないのだが、まだ若いと豪語しているガッドに少しだけ気を遣ったのだ。


(ガッドさんは昔から負けず嫌いだからな)


 内心でジョルジュは苦笑した。


(……さて、在庫が切れかけてるのも本当だし、いい機会だから採っていこう)


 ルークが無言で周囲を警戒してくれる中、ジョルジュは腰を屈めて歩きながら、雪から顔を覗かせる草花をサクサクと摘み取っていく。

 採取したものは背中のリュックの中へ。慣れたもので、手際は実に鮮やかだ。


「何が採れるんだ、若先生?」


 座りながらその様子を見ていたガッドが聞いてきた。

 ジョルジュは目線を地面に向けたまま答える。


「主にクマルゴとタナムラ草ですね。他にも黒ブラクとアベセン(ぐさ)もありました」

「ふーん……さっぱりわからねえ」

「ガッドさんもご存知の強烈な薬の原材料ですよ」

「強烈って……そんな危なそうな(もん)知らねえぞ?」


 ここでふとルークは、採取しているジョルジュの手が淡く光っているのに気がついた。


「紅樹堂さん、手が光ってるが、まさか魔素(マナ)を?」


 魔素(マナ)とは、この世界の生き物が保有しているエネルギーで、魔法を使う時に必要となるものである。

 要するにMPのようなものだと考えてくれればいい。

 体内から放出する際にこうして光を発するので、ルークはジョルジュが魔素(マナ)を出していると気がついたのだ。

 しかし疑問なのは、何故そんなことをしているかである。


「薬草を摘むのになぜ魔素(マナ)を出す必要が……?」

「ああ、これですか?」


 ルークの疑念に、ジョルジュはあっさりと答えた。


「採取する時に植物へ自身の魔素(マナ)を通しておくと鮮度が長く保たれるんですよ。薬効も上がりますし、オススメですよ。コツは一度地面に魔素(マナ)を流して地中の根っこから行き渡らせる感じですね」


 ジョルジュはなんでもない事のように言ったが、ルークはその答えに驚いていた。


「……植物や生き物に自分の魔素(マナ)を通わすのはエルフ並みの魔術適正がないと難しいと聞いたが……」

「えっ? でも母親から教わって練習したらできましたよ?」


 ルークはジョルジュの耳を見るが、長くもとんがってもいない普通の形をした人間のものだった。

 知り合いの魔法使いが、人間でそれができたら天才だと以前言っていたことを思い出すが、


「若先生のおっかさんの教え方が上手だったんだろ?」


 とガッドが言い、ジョルジュが「ですね」と肯定したことで話が終わってしまう。

 ルークも、これ以上深掘りする理由もないため、黙って周囲の警戒を再開した。

 結局、採取中に近づいてきたのはスライムが数匹。ルークがサクッと斬り捨てて退治した。


 ◇◇◇◇◇


 再び登り始めてから30分ほどすると、一行は開けた場所へとたどり着いた。

 ここがこの裏山の中腹にあたる平坦部である。

 山の外側に位置し、森を抜けた先にある広場のような空間で、下には町並みが一望できる場所だ。

 それなりに登ってきたため気温も寒く、雪も足首がしっかりと埋まるくらいに積もっている。

 (ふもと)とは違い、まだ冬のような光景に、ガッドは心配そうな顔を見せた。


「……寒いな。まだ長寿草咲いてねえんじゃないか?」

「大丈夫ですよ、ガッドさん。多分こっちの方に咲いてます」


 ジョルジュは雪を足で蹴飛ばしながら、迷いのない足取りで木々が立ち並ぶ方へと進んで行った。

 ガッドはそれを追いかけ、ルークも背後を警戒しながら二人について行った。


「ほら、ありました」


 ジョルジュが木の裏をちょっと探しただけで目当ての長寿草は見つかった。

 幹のすぐ近くの雪が少ない場所に黄色い花がポツポツと咲いていて、まるで木に寄り添っているようである。


「私が採りますね」

「さっき言っていた方法でか?」

「ええ、その方が味が良くなるんです」

「じゃあ頼むわ」

「はい」


 ジョルジュはガッドに断りを入れて自分で長寿草を摘み取る。

 5本ほど採取したらまとめて袋に詰め、背中のリュックにしまった。


「これだけあれば十分でしょう。無事に見つかってよかったです」

「ありがとうよ、若先生。これでお袋を元気づけられる」


 長寿草を見つけて喜ぶジョルジュとガッド。そこに突如ルークの鋭い声が響いた。


「モンスターだ! 気をつけろ!」

「えっ!?」


 ルークは広場の方を向いて剣を構えている。

 ジョルジュとガッドも慌てて視線をそちらに向けた。

 するとそこには、体高2mはあろうかという真っ白な狼型モンスターの姿があった。

 普段の裏山では絶対に見ない巨大なモンスターの登場に、彼らの顔が青ざめる。


「スノーウルフだ! 背中を見せると襲いかかってくるかもしれない! 不用意に動くな!」


 大声で指示を飛ばすルーク。

 グルルと唸り声を上げているスノーウルフは、食いでがあるエサを見つけたとばかりに涎を垂らし、こちらを伺っていた。


「ど、どうしてあんなモンスターが……」

「別の山にいた群れからはぐれた……? ルークさん、倒せそうですか?」

「……正直、分が悪い」


 ルークは頬から一筋の汗を流した。

 スノーウルフは中級冒険者が相手にするようなモンスターだ。足場が不安定なこの場所では勝ち目が薄いと言わざるを得ない。


「紅樹堂さん、魔法は使えるか?」

「あいにく攻撃魔法は不得意で……。簡単な生活魔法しか使えません」

「そうか……残念だ……」


 ジョルジュは魔素(マナ)操作は上手だが、攻撃魔法は苦手としている。

 一縷の望みが絶たれ、ルークの顔色がさらに悪くなった。


「――来るぞっ!!」


 ルークが叫ぶ。

 獲物が怯えていることを察したスノーウルフは強気になり、真正面から猛然と迫ってきた。

 このままでは飛びかかられて、その強靭な顎で噛み砕かれてお終いだろう。

 その前にと、ジョルジュは右手を前に出して呪文を詠唱した。


「火球よ敵を穿て、【ファイヤーボール】!」


 一瞬手のひらが魔素(マナ)の輝きを放ち、火球となってスノーウルフへと飛んでいく。

 下級攻撃魔法の【ファイヤーボール】である。

 しかしジョルジュのそれは本職の魔法使いに比べるとあまりにも弱々しく、ピンポン球ほどの大きさしかなかった。

 ニィィ、とスノーウルフが小馬鹿にするような笑みを浮かべたような気がする。

 迫り来るファイヤーボールに、スノーウルフはわざわざ足を止め、前脚を振り上げてそれを受け止めた。

 脚に付着していた雪に触れてジュッと微かな音を立てて消えたファイヤーボール。スノーウルフにはなんの痛痒も与えていないようだ。


「くそっ、これでも喰らえっ!」


 今度はルークがその辺に落ちていた大きめの石を拾い上げ、次々とスノーウルフへと投げつけた。

 だかそれも、軽快なサイドステップでかわされてしまう。


「当たらねえ……」


 投げる石がなくなっても、スノーウルフはサイドステップを続けている。

 どうした?もう投げないのか?とこちらを挑発するかのような動きだ。


「アイツ……俺たちをいたぶって楽しんでやがる……っ」


 悔しさで歯噛みするルーク。

 頭に血が昇りそうになるが、それでも冷静な部分が冒険者として今すべきことを告げた。


「紅樹堂さんたちは逃げてくれ。あの狼は俺が命懸けで食い止める」


 そう、護衛対象である二人をこの場から逃すことだ。

 自分は間違いなく狼の腹の中へと収まることになるだろうが、それで二人が助かるなら安いものだと彼は覚悟を決めていた。

 が、ジョルジュはそれに待ったをかける。


「いえ、まだ手はあります。ルークさん、最速でやりますので、2分だけ狼を足止めしてください」

「なに?」

「説明している暇はありません。お願いします」


 言い切るや否や、ジョルジュは地面に座り込み、リュックを逆さにして、ここまでに採取してきた薬草を全部ぶちまけた。


「ガッドさん手伝ってください! この葉っぱを全部毟って!」

「お、おうっ!」


 ガッドにも手伝わせ、何かを調合しようとしているようだ。

 ルークはそれが毒薬だと考えた。


「毒か! よしっ、それなら!」


 ルークは足元にある小石をがむしゃらにスノーウルフへと投げつける。

 こちらを馬鹿にしている狼なら、この無駄な抵抗に喜んで付き合ってくれるだろう。みっともないが今の自分が可能な最大限の時間稼ぎである。

 案の定、スノーウルフはいよいよ嘲笑うかのように余裕の表情でサイドステップを舞ってくれた。

 ひとまずは成功である。


「清らかな水よ、【ウォーター】!」


 その背後では、ジョルジュが持ってきていた乳鉢に魔法で水を満たし、処理した薬草を投げ入れていた。


「ここにアベセン(ぐさ)をちぎったものとクマルゴの葉、そして黒ブラクを砕いたものを入れて、魔素(マナ)を注入! あとは加熱しながらひたすらかき混ぜる! 燃え盛る炎よ、【ファイヤー】!」


 両足で乳鉢を押さえながら、ジョルジュは左の手のひらから炎を出す。本来は火種として使用する生活魔法【ファイヤー】だ。

 その魔法により、鉢と足が焦げるのも厭わず薬草を混ぜ合わせた液体を加熱し、これまた持ってきていた乳棒で熱い思いをしながらかき混ぜる。

 乱暴なやり方だが、急いでいる今、手段は選べないのだ。


「ぐうううううっっっ!!」


 痛みを覚えながらグルグルと高速でかき混ぜていくと、次第に液体が混ぜ合わせられ、粘性を帯びた黒い物体となっていく。それと同時に鼻を突くような強烈な異臭も漂うようになってきた。


「若先生、まさかそれは!?」


 何かに気づいたようなガッドが驚きの表情を浮かべるが、異変を察知したのは彼だけではない。


「グルル……!」


 ジョルジュの怪しい動きと漂ってきた異臭に、スノーウルフが警戒を強める。

 そして、何かをしようとする前に殺すことにしたのだろう。最初と同じく猛然と駆けてきた。


「くっ……!」


 剣へと手を伸ばそうとするルーク。しかしその手が柄へと届くより先に薬が完成した。


「ルークさん、狼の動きを一瞬だけ止めます! その隙にこれをヤツの顔面に投げつけてください!」


 ジョルジュはルークへと乳鉢を差し出しながら、もう片方の手をスノーウルフへと向けて叫んだ。


「水よ凍れ、【フリーズ】!」


 魔素(マナ)の光が輝き、魔法はスノーウルフの足元、ちょうど右の前脚が雪へと埋まった瞬間に発動した。


「ガウッ!?」


 踏み込んだ脚ごと雪が凍り、スノーウルフはバランスを崩して身体をつんのめらせる。

 氷の強度は大したことはない。一度狼の体重がかかっただけで粉々に割れてしまう。

 だが、それだけでも隙をつくには充分であった。


「うおおおおおっ!!」


 ルークは手袋をした右手で乳鉢の中身をムニュリと掴み、スノーウルフの顔面めがけて全力で投擲する。

 狙い過たず、黒い薬物はべちょりと音を立てて狼の鼻先へと命中した。

 瞬間、地を裂くような絶叫が木霊した。


「ギャイイイイイイイイッッッッッッン!?!?」


 あまりの悲鳴の大きさに思わず耳を押さえる3人。

 スノーウルフは彼らを襲おうとする余裕もなく、雪の上をのたうちまわりながら鼻先を地面に擦り付けて黒い薬物を落とそうとしている。

 よほど辛いのだろう。

 悲鳴は途切れることなく、今にも悶絶しそうな勢いだ。


「今のうちに逃げましょう!」


 ジョルジュの言葉に他の二人も頷く。

 彼らは苦しむスノーウルフに背を向け、忘れずに長寿草の入った袋を掴んで、一目散に山を下って行ったのだった。


 ◇◇◇◇◇


 山の麓まで逃げ切ったあと、ルークはジョルジュに尋ねた。


「紅樹堂さん、あれは何ていう毒だ?」


 さぞ強力な毒なんだろうと思いきや、返ってきた答えは意外なものだった。


「いえ、あれは毒じゃなくて薬なんです」

「薬?」


 驚くルークに、ジョルジュは効能を説明する。


「はい、腹痛の」


 そう、ジョルジュが作ったのは腹が痛くなった時に飲む薬だ。

 非常によく効く薬だが、難点が一つあり、それはガッドが答えてくれた。


「あの鼻の奥がおかしくなりそうなヒデェ匂いで一発でわかったぜ」

「ああだからあの狼は……」


 ルークがスノーウルフの惨状を思い出し、納得した顔つきになった。

 あれは毒にやられたのではなく、強烈な匂いにやられていたのだ。

 人間より遥かに優れた嗅覚を持つ狼には拷問のような苦痛だろう。七転八倒していたのも頷ける話である。


「あれに触るとしばらく匂いが取れねえぜ。クソ狼め、いい気味だ!」


 笑うガッドだが、ルークは複雑そうな顔で右手を見た。


「しばらく匂いが取れないのか……」


 強く薬を握った手袋には異臭が染み付いていたのだ。


 ◇◇◇◇◇


 数日後、ガッドは紅樹堂を訪れお茶を飲んでいた。


「いや〜、とんだ大冒険だったな若先生」


 あの後、無事に下山した3人はギルドに飛び込み事の次第を報告。町は大騒ぎになった。

 ジョルジュもガッドも怪我はなかったが、翌日からひどい筋肉痛に襲われ、しばらくまともに動けない状態であった。

 しかしこうして体調が戻ったので、ガッドは紅樹堂に顔を出したというわけである。

 自分で淹れたお茶を一口飲み、ジョルジュは「ですね」と頷いた。


「まさかあんなモンスターが出るとはビックリです。命が助かって本当によかった」

「だな。危なかったぜ」

「確かギルドで討伐隊が編成されたとか」


 スノーウルフはギルドの討伐指定モンスターに認定され、退治されることになった。

 近くの町から腕利きの冒険者も呼ぶらしいので、遠からず仕留められるであろう。

 それまで裏山は立ち入り禁止になっている。


「らしいな。まっ、あんなバケモンがいたら裏山がめちゃくちゃになっちまう。若先生も困るだろ?」

「ええ、おちおち薬の材料も調達できません」


 ジョルジュは空きが目立ってきた薬棚を見ながら言った。

 今はまだ大丈夫だが、早く裏山に入れるようギルドには頑張ってほしいものである。


「ところでガッドさん、長寿草のお茶はどうでしたか?」


 と、そこでジョルジュは気になっていたことを聞いてみた。

 ジョルジュは倒れる前に最後の力を振り絞り、長寿草を煎じてガッドに渡していた。

 今回の目的はサマンサへ年で一番初めに採れた長寿草の薬草茶を飲ませることである。

 それでこれほどの苦労をしたのだ。

 上手くいってなければ悲しい。


「ああ、若先生がくれたやつな。お袋に飲ませたよ」


 しかしガッドは浮かない顔だ。ジョルジュは不安になる。


「何か問題でもありましたか? 美味しくなかったとか?」

「いや、美味かったってよ」

「じゃあ、飲んでもサマンサさんの気持ちが上向かなかったのですか?」


 ジョルジュが重ねて尋ねると、逆にガッドは「それがよ、若先生。お袋のやつなんて言ったと思う?」と聞いてきた。

 ジョルジュが首を横に振ると、彼は大きくため息を吐いてこう言ったのだった。


「『3ヶ月寿命が延びたからってなんだってんだい! あたしゃアンタが危険なモンスターに襲われたって聞いて寿命が3年は縮んだんだよっ!』――だとよ。あれから毎日プンスカ怒られてるぜ」

「それはまあお元気なことで……」


 怒る気持ちはわかるが、それだけの元気があるなら安心だと思ってしまう。

 どうやらサマンサはもうしばらく長生きできそうだ。

 どこか気が抜けたような心持ちになったジョルジュは、もう一口紅茶を飲もうとティーカップに手を伸ばすのだった。

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