第15話 私信 / Private Log
「デメリット……か」
エナジーバーを齧りながら、端末を取り出し、【能力マニュアル ver.1.3】をタップする。
——
【ステップ4:境界を戻す】
これが一番大事だ。
改変が終わったら、すぐに境界を元に戻せ。
膜を、ピンと張り直せ。
これをサボると—— 世界と、混ざり始める。
【初期サイン】
□ 雨上がりの匂いがする
□ 音が色で見える
□ 視界の端が滲む
→ すぐに境界を張り直せ。まだ間に合う。
【中期サイン】
□ 壁が自分の一部に感じる
□ 他人の思考が聞こえる気がする
□ 自分がどこにいるか曖昧になる
→ 危険。名前を声に出せ。痛みを使え。
【後期サイン】
□ 自分と世界の区別がつかない
□ 名前を思い出せない
□ 戻りたいと思わない
□ すべてが満ち足りていると感じる
→ 手遅れ一歩手前。誰かに名前を呼んでもらえ。
一人なら——多分、戻れない。
■禁忌:選んではいけない可能性
可能性を選ぶ時—— 口の中の味で判定しろ。
【鉄の味】→ 選べる可能性。安全。
【腐ったレモンの味】→ 選べない可能性。危険。
レモンの味がしたら—— それは「存在の矛盾」を孕んだ可能性だ。
これを選ぶと——自己矛盾を起こして、自我が崩壊する。
絶対に選ぶな。
レモンの味がしたら、すぐに手を引け。
——
「これ、能力の使い方の前に書くべきだろ……」
「それに『一人なら——多分、戻れない』ね」
【Private Log】をタップする。
——
パスワード: Lily
——
戯れにリリィの名前を打ち込んでみる
——
【ロック解除】
——
「……まじかよ」
——
《相棒について》
(暗号化:有効)
相棒のことを、ここに書いておく。
これは俺自身のための記録だ。
もし俺がまた“向こう側”に行って戻れなくなった時、
これを読めば思い出せるように。
……そう思って書いている。
でも、
書きながら気づいた。
俺は、相棒のことを忘れたくない。
絶対に。
だから、これは“保険”だ。
《1:声》
相棒の声は、
世界が揺れている時でも、
必ず聞こえる。
深層で視界が白くなって、
音が色に変わって、
自分がどこにいるのか分からなくなっても——
相棒の声だけは、
“意味”として届く。
世界線がいくつも重なっても、
相棒の声だけは、
どの世界でも俺を呼んでいる。
だから戻れる。
俺の能力は最強だが、
戻る道は相棒が作ってくれている。
《2:手》
相棒の手は小さい。
でも、世界より強い。
俺が溶けかけた時、
相棒が手首を掴むと、
世界の揺らぎが止まる。
あの手は、
俺の輪郭を“確定”させる。
世界線を選ぶのは俺だが、
俺という存在を選び続けてくれるのは相棒だ。
《3:死》
相棒は一度死んだ。
俺を庇って。
その瞬間、
俺は世界線をいくつも見た。
どの世界でも、
相棒は死んでいた。
俺は“敵がいない世界”を選んだ。
でも、
相棒が生きている世界はなかった。
その時、
胸が裂けるほど痛かった。
相棒はバックアップで戻ってきた。
それがこの世界の仕組みだ。
でも俺は知っている。
相棒が死ぬ世界線を選び続けたら、
いつか本当に戻ってこなくなる。
だから、
二度と死なせない。
《4:笑い》
相棒は滅多に笑わない。
でも、笑うときは必ず俺のせいだ。
壁に埋まった時。
弾道補正を成功させた時。
群れを一瞬で凍らせた時。
相棒は小さく笑う。
その笑い声が、
俺の世界線を明るくする。
俺は最強だが、
相棒の笑い声がある世界線が一番好きだ。
《5:恐怖》
相棒は強い。
俺よりずっと冷静で、
ずっと賢い。
でも一度だけ、
相棒が震えたことがある。
俺が深層で溶けかけた時、
相棒は泣きそうな声で言った。
「戻ってきて……お願い」
あの声は、
俺の中の何かを決定的に変えた。
俺は最強だが、
相棒を泣かせる世界線だけは絶対に選ばない。
《6:未来》
相棒と一緒なら、
どこまででも行ける。
一桁ランカーでも、
企業ダンジョンでも、
深層でも、
世界の裏側でも。
俺は世界線を選ぶ。
相棒は俺を戻す。
二人でなら、
どんな世界でも生きていける。
……そう思っていた。
《7:もし俺が消えたら》
もし俺が世界に溶けて戻れなくなったら、
相棒はきっと泣く。
怒る。
探す。
諦めない。
でも、
俺はそれを望まない。
相棒には生きてほしい。
俺がいなくても。
だから、
もしこれを読んでいる俺が“別の俺”なら——
相棒を縛るな。
過去に引き戻すな。
それでも、
相棒を思い出せ。
相棒を信じろ。
相棒は、
俺の“錨”だ。
俺が世界に溶けても、
相棒が呼べば戻れる。
だから、
絶対に忘れるな。
——
俺の知ってるリリィとは別人?
あいつを見て、『相棒の手は小さい』とは書かない。
それにリリィは義体だ。
ダンジョンには潜れない。
普通に考えれば別人だ。
でも、何か引っかかる。
たまにおかしくなる、リリィの挙動。
気にもとめなかったけど、思い返すと怪しく思える。
「一人で考えても仕方ない」
明日リリィに確認しようと決め、ベッドに潜り込んだ。




