第1話 初期化 / Boot Sequence
急に意識が戻る。それは常に、最悪な瞬間だ。
「……はあ、また死んだか」
予備の身体を起こし、天井を見上げる。
どうせ、またダンジョンで死んだんだろう。
端末を見ると、三日経ってる。
三日分の、俺が消えた。
「……まあ、いいか」
探索者なんてそんなもんだ。
——死んで、バックアップから戻って、それでもまた潜る。
いつか、消えない生きた証を世界に刻み込むために。
で、問題は――
『残高:12クレジット』
「は?」
12クレジット。合成コーヒー1杯分。
予備の身体はこれが最後。
つまり――
「次死んだら、マジで終わりって事?」
ははっ、と乾いた笑いが出た。
この三日間、俺は何をやってたんだよ。
装備に全ツッパしたか?
それとも酒か?女か?
考えても仕方がない。
どうせ思い出せないし。
躯体安置所のカプセルを這い出る。
外はちょうど雨が上がった後のようで、アスファルトの蒸れた匂いがした。
俺はこの匂いが嫌いだ。ろくでもない事が起こる時は、いつもこの匂いがする。
先のことは考えないように、とにかく歩く。
見知らぬ裏路地。
据えた匂い。
水たまりに映る派手なネオン。
遠くから響くクラクションと銃声。
そして――
「……ダンジョン?」
ポッカリと口を開く揺らめく空間。
「生まれたて、か」
通報すれば、まあそれなりの額にはなる。
だが不安定なダンジョンほど、危険で儲かるというのは探索者にとっては常識だ。
その最たるもの――今生まれたばかりのダンジョンの入口が目の前にあった。
俺は迷わず、その境界を跨いだ。
ダンジョンの中へ。
一度だけ、後ろを振り返る。
雨上がりの路地裏。クソみたいな現実。
戻っても、待っているのは借金とコーヒー1杯分の未来だけだ。
「まあ、いっか」
笑った。
どうせ前回の俺も、似たようなバカやって死んだんだろう。
なら、らしく行こうぜ。
ケイってのは、そういうやつだ。
内部は意外なほど平凡だった。
くすんだ灰色のコンクリートの壁。石でできた床をむき出しの蛍光灯が照らしていた。
まるで、地下駐車場か廃ビルのような空間。
「意外と普通だな……」
俺は慎重に歩を進める。ヤケになって飛び込んだものの残機はゼロ。
死んだら終わりの状況でのダンジョン探索など初めての状況だ。
慎重に曲がり角の先を伺うと、黒い落書きみたいな人型の何かが蠢いていた。
「なんだ、あれは……」
初めて見るクリーチャーだが、ここまで来たら覚悟を決めるしか無い。
いつものように俺は意識を集中する。
空間に漂う、ザラついた微かなノイズ。
あれはただの背景じゃない。
敵に向かって、今まさに雪崩れ込もうとしている電荷の奔流だ。
そう決めつける。
認識が世界を上書きする。
次の瞬間、空間が弾けた。
バリバリと音を立てて、青白い電撃が人型を貫いた。
ダンジョンは不確定な空間――観測と認識次第でこんな魔法じみたこともできる。
電撃に貫かれた人型は呆気なく霧散し、半透明の結晶がぽとりと落ちた。
これは可能性が結晶化したものらしい。細かい事は置いといて、要は金になる。
敵は弱く、結晶はよく落ちた。
気づけばポケットが重い。
このダンジョン、どう考えても“当たり”だ。
俺はポケットの中の結晶を確かめる。
これだけあれば、予備の身体なんてケチな話じゃない。
最新の上位身体を作って、安物の合成酒じゃなく本物を飲んで、ネオンの下を堂々と歩ける。
……探索者として、ちゃんと「勝ち組」になれる。
そろそろ引き返そうかと思い、後ろを振り返って、絶句した。
「は?……」
後ろに、道がない。
いや、あるにはあるのだが――
さっきまで歩いて来た無機質な空間は消え失せ、壁が、肉になっていた。
脈打っている。ドクン、ドクンと。規則正しく。
床は赤黒く湿り、一歩踏むたびにグチュリと沈む。
壁には整然と歯が並んでいる。人の臼歯のような、白い歯が何百と。
とにかく戻ろうと一歩踏み出すが、着地する前に次の一歩を踏み出していた。
——因果が、逆転している。
たまらずに叫び声を上げるが、口を開く前に絶叫が響き渡った。
わけがわからない。
それでも俺は、ただ帰ろうとした。
元来た道など、とうに消え失せている。
肉の床にめり込む足を引き抜きながら、それでも一歩、また一歩と進む。
進むうちに、自体の境界さえ曖昧になっていった。
肉に足を取られ、つんのめるように踏み出す。
強く床に足を着く。
その瞬間、口の中に血の味が広がった。
今歩いてるのが、ダンジョンなのか、
——それとも、自分の口の中なのか。
もはや定かではなかった。
自分の輪郭さえ、溶け始めている気がする。
慌てて、手を見る。
微かな違和感。指を数える。
1、2、3、4、5……6、6.5
6.5?
指を動かしてみるがどれも自然に動く。どの指が余分なんだ?
というか6.5ってなんだ?
ヤバい。
発生直後のダンジョンを舐めていた。
正直ここまで不安定だとは思っていなかった。
予備の身体もない状態で入っていい場所じゃなかった。
いや、そうだ。ここはダンジョンだ。
とびきり可能性に溢れた、未確定なダンジョンだ。
こうなったら、俺が観測し、認識し、安定させるしか無い。
「落ち着け……」
「ここはダンジョン。可能性の海」
「観測すれば、固定化する」
「観測者はまだ俺しかいない」
ならば、俺が観測すればいい。
「壁は……壁だ。固い、コンクリートの壁」
ブツブツと呟く。
自分に言い聞かせる。
壁が、少し固まる。
脈動が止まる。
進むたびに。
認識する。
固定化する。
廊下が形を取り戻す。
無機質な空間に戻る。
「そうだ、これだ」
「ここは普通のダンジョンだ」
「壁があって、床があって」
集中を保つ。
一歩、また一歩。
出口が見えてきた。
「しかし……可能性って、ホントになんでもありなんだな」
俺はぽつりと呟いた。
出口が見えたせいで気を抜いてしまった。
一瞬だが最悪の想像が頭を過った。
可能性の海に、俺は飲まれた。
自我が溶けていく。
どこからか雨上がりの匂いが漂う。
意識が、世界と渾然一体となり、宇宙全体へと広がっていく。
雨上がりの匂いが強くなる。
恐怖はない。
境界が溶ける。
不安が消える。
ただ在るだけで、完全で、満ち足りている。
——これが、至福か。
だが。
ポケットの中。
結晶の角が太腿に食い込んで。
「……痛い」
些細な。
でも確かな。
肉体の感覚。
でもその痛みが、俺を引き戻す。
クソが。
まだ結晶を売ってない。
まだ酒を飲んでない。
まだ女を抱いてない。
まだ、世界に生きた証を残してない。
こんな"完全"なんかクソ食らえだ。
俺は、不完全なままで、もっと生きたい。
こんなところで消えてたまるか。
「……ふざけるな」
小さな痛み。
小さな執着。
――いや、小さくねえ。
でかい欲望だ。
それが、俺を繋ぎ止める。
「まだ、なにも成し遂げてない」
「駆け出しの探索者のまま……終わってたまるか」
「俺は――そうだ、俺はケイだ」
名前を思い出した瞬間、輪郭が少しだけはっきりした。
身体の隅々まで認識を張り巡らす。
自己を固定する。
境界を、取り戻す。
今度は油断せず、出口を目指す。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ。帰って……来た」
路地裏に転がり出る。
指を数える。
ちゃんと5本だ。
後ろを振り返ると、ダンジョンが崩壊していく。
どうやら不安定すぎたようだ。
だが俺は出て来た。
生きて、出てきた。
震える手。
ポケットの中の結晶。
「生きてる……」
初めて知った、死の恐怖。
そして、生の実感。
ゆっくりと体を起こす。
水溜りに映るネオンの光。
赤、青、緑が鮮烈に目に焼き付く。
鼻を突く腐臭。
吐き気がする。
遠くの怒鳴り声。
雑踏。
雑音の一つ一つが、明瞭に聞こえる。
壁に手をつく。
冷たいコンクリート。
ざらついた感触。これが現実だ。
生きている。
当たり前の事が、こんなにも鮮明に感じられる。
ポケットの結晶を握る。
角が手のひらに食い込む。
痛い。
「……帰ろ」
一歩、踏み出す。
命からがら帰宅した俺を迎えたのは、安っぽい蛍光灯の白い光と、湿った部屋の匂いだった。
端末を起動する。
バックアップを更新して、今日の生を刻み込む。
そうすれば、やっと前に進める。
画面に赤い文字が点滅した。
最初は意味がわからなかった。
だが、ゆっくりと理解が追いつく。
――
整合性エラー
バックアップとの乖離が大きいため、バックアップを更新できません。
――
「は?」




