止まない雨は無いからさ、傘はいらないや
屋根が殴られている。可哀想だから、雲の上に連れて行ってやりたいけど、そうもいかない。つまり、屋根はずっと僕の傘になる道しか無いということだ。
僕らの身代わりとして、雨を浴びてくれないといけない運命らしい。
屋根は人柱だ。傘は不幸のしわ寄せだ。
天井のシミを指で数えていたら、つい与太話が。
天井など寝る前にいくらでも視界に入ってくるというのに。
秒針と雨のドラムロールが意識に入る体たらく。
手放せないスマートフォン。筆記用具と教科書は涙目。
惰性で側面を押すと、勝手に顔を裁判にかけてくる。
無事に勝訴して、名前も知らない拾い画の垢抜けをバックに正方形もどきは整列する。
指が脊髄反射でLINEを指して、もう連絡が無いことを再確認する。
友達の欄にあの人がいないことも再確認する。
心の片隅で、わずかに期待している自分を嗤う。
Instagram。そこで赤い輪っかの真ん中にふれる。
デートが潰れて嘆くJKに、練習試合の代わりにソシャゲに沼る後輩。
気がついたら、サイドのボタンを押して、ベッドに放り投げていた。
起き上がろうと試みると案の定、腰にヒビが入ったのか、ズレた骨格を無理やり元の位置に戻したかのような悲鳴。僕はプラモデルのように接着剤で修理できる体ではないのにだ。
靴下と木材がこすれ合っても、摩擦はたかが知れたものだ。滑るように、冷蔵庫の前に到着する。相変わらず、中身が眩しいこったらたまらない。太陽のような温かい光じゃない。突き放してくるような冷淡さ加減だ。
エナジードリンク。僕の血となり肉となった、起爆剤。
いつだって僕を、思考のウロボロスから解放してくれた。
ない。ないないない。
糸の切れたマリオネットは、一人では歩けない。
ないと。いてくれないと、僕を僕足らしめてくれない。
ベッドのスマホに、ワイヤレスイヤホン。
今日は文明の利器に縛り付けられたくなかった。
鍵は開けたままだ。
傘は何処かで持ち主を探しているか、もういないかだ。
雨粒と言ったら、この世の大体のものは、涙型が思い浮かぶだろう。
今回は弾丸型だった。
目の前を一人通り過ぎるサラリーマンは傘の下に。あんなに黒塗りなスーツを毎日着てられるほどの存在なんだろう。それに比べちゃ、僕は取るに足らない存在だ。
僕は雨曝しになった。
やっと屋根や天井の気持ちになれた。屋根も天井も僕も哀れで憐れまれるべきかもしれない。
右足を前に押し出すたびに、小銭が存在を仄めかす。
水溜りが靴下と足をより強く結びつける。
自販機。雨粒で赤い電光板は霞んでいるが、同じだけの小銭を流し込むと、エナジードリンクが産み落とされる。
雨粒よりも鈍い残音だった。
7778。
期待した自分に舌打ちした。
自販機の口から出す分には、手から転げ落ちなかったのに。
引き金を上げようとした一瞬。
汗だか雨だか知らないが、その手から零れ落ちた。
缶はコンクリートに負けて、少しだけひしゃげた。
「だる」
水溜りへと転げ落ちていくそれをただ眺めていた。
屋根や傘よりも、痛々しく狙撃されているのが、観るに耐えられず、手を差し伸べる。
「水無くん、だよね。私のこと覚えてる? 氷雨って言うんだけど」
先客がいた。
リアルで話してる女子が声を高くする時、だいたいそれは2つに分けられる。
1つ。自分に好意を持っている時。2つ。自分との距離を測っている時。
「僕のこと、覚えてくれてたんだ」
視界に彷徨う霧が赤くなる。自販機の裏の駐車場に1台の軽が帰還する。
「そりゃ覚えてるでしょ、クラス同じじゃん」
排気ガスは、タバコみたいな香りで、その煙よりも一回り太い。
「いや、てっきり名前も知られてないもんだと」
ドアを押しやった男は、遠くへ去っていく。自販機の右側にあるアパートのカーテンが剥がれて、隙間ができる。換気扇は回り始める。猫は軒下で縮こまっている。
「これ、そんなに美味しいんだ?」
氷雨さんは泥棒猫みたいだ。親指と人差指で、缶を宙吊りにする。小刻みに揺れる。いまだ凹みは戻らない。氷雨さんの傘は透明だ。
「うん。まあ、全部どうでも良くなるくらいには。って、氷雨さんは飲んだことないの?」
電柱の麓に佇むV字のタバコへと目をそらす。
学校に行ってた頃は、散々視線を送ってた癖に目が合うと反らしていた。今も変わらない。
「もう、飽きちゃったよ。なんというか、こいつらに縛り付けられてるみたいでさ」
何度も視線が返ってきたのに、それには返せなかった。濁ったプラスチックに囲まれた喫煙場は相変わらず空っぽだった。換気扇はゆったりと減速して、今、止まった。
「縛り付けられてる、か」
声が届いているかは怪しかった。道路の排水口の穴を覗いてみると、波紋が干渉しあっていた。穴の中は黒いけど、空は白かった。
氷雨さんの息は、白く広がっていってやがて白い空と同化した。
「ていうかさ、突っ込むタイミング逃したんだけど、傘いらないの? それに、そもそも、今何してんの?」
右ポケットの小銭が擦れあったと思ったら、タバコを踏み潰していた。僕は一歩しか前に出てないが、僕と氷雨さんは2歩分距離を詰めていた。
「なんでだろ、傘が可哀想だって思ったからかな」
「え、」
寒気が次第に引いていく。雨の弾幕の一滴一滴が重なりあって、1つの音になっていく。
「え、優しいね」
「え、」
「うん、水無くんは優しいよ」
視界の端っこに氷雨さんの視線が焼き付いてくる。痛いと言うより熱いに近かった。
「だからね、可哀想な水無くんも入れてあげるよ。ほら、おいで?」
真上に翳された透明の傘。
どこもかしこに衝撃が走って、飛沫が舞っているのが透けて見えた。
傘から目を逸らした。
視界の中心。焦点が重なり合った。
熱い熱い。熱すぎる。
目尻が溶けてしまいそうだ。
学校に行ってた頃は、散々視線を送ってた癖に目が合うと反らしていた。今も変わらない。
僕は振り返って、再び雨曝しになった。
「止まない雨は無いからさ、傘はいらないや」




