オタク仲間な関係
翌日の早朝、俺は眠い目をこすりながら台所でコップで水を飲む。姉は俺が寝た頃に既に帰宅していて、もう出勤しているようだ。テーブルの上には、姉の書き置きメモが置いてある。「昨日は遅くまで起きてたでしょ。ちゃんと朝ごはん食べなさい。冷蔵庫におにぎりあるから」と書かれている。相変わらず大変な仕事をしているな。
俺はそのまま洗面台で顔を洗って、歯磨きをする。鏡に映る自分の顔は、少し寝不足気味だ。昨日、神行のことを考えすぎたせいだ。いや、考えてないけど。別に考えてない。
部屋に戻り、制服に着替える。カバンに教科書を詰めて、ファイルに昨日出された宿題を入れて、カバンに入れる。それから、冷蔵庫からおにぎりを取り出して、立ったまま食べる。鮭おにぎりだ。姉の手作りで、いつも通り美味い。
いつも通りの朝だ。ただ昨日の夜が少し違和感だっただけだ。神行の赤くなった顔が、どうしても頭から離れない。いや、気にするな。ただの幼馴染だ。
そのまま俺は学校に向かおうと、玄関を開けて外に出る。どこか夏の兆しを感じるほどの温かさ。七月に入って、だんだんと気温が上がってきている。梅雨入りも近いだろう。
俺は今日のことを考えながら、足を進める。神行の家の前を通って、一緒に学校に行こうかと一瞬考えたが、それはやめた。絶対に昨日のことについて何か言われそうだから。というか、昨日のあの様子の神行と顔を合わせるのが、なんとなく気まずい。
俺の周りには社会人の人や学生がいる。スーツ姿のサラリーマンが急ぎ足で駅に向かい、近所の高校生たちが楽しそうに話しながら歩いている。そんな中を俺は平凡な人間として歩く。
「今日こそ無事に終わるといいけどな」
俺は小さく呟く。昨日は、四皇の全員と関わった。今日は、できれば静かに過ごしたい。アニメの話を柊として、授業を受けて、帰る。それだけでいい。
※ ※ ※
朝早めに学校に着くと、俺は席に着いて教科書を引き出しに詰める。教室には、まだ数人しかいない。早朝の教室は静かで、どこか落ち着く。俺は、この時間が好きだ。
そして、余った時間を埋めるように家から持ってきた柊にオススメされたラノベを読む。タイトルは『異世界転生したけど、俺は普通に生きたい』。よくあるタイトルだが、内容は意外と面白い。主人公が異世界に転生しても、チート能力を使わずに、普通の生活を送ろうとする話だ。
人の少ない教室で、俺は紙に並べられた文字を読み進める。文字一つ一つが活き活きとしていて、想像を掻き立てる。主人公が、異世界の田舎町でのんびりと暮らす描写が、なんだか心地よい。
そんな時、一筋の光が舞い降りるような気配を感じた。
「おはよう。八杉くん!」
ふと視線を横に向けると、そこに居たのは足立さんだった。相変わらずおしとやかでおっとりとした雰囲気に息を呑む。朝の光が差し込む教室で、足立さんは本当に女神のように見える。
「女神だ……」
あ、やばい、漏れ出ちゃった。
俺は咄嗟に口を閉ざし、足立さんは「え?」と困惑気味な顔をする。その表情は、どこか可愛らしくて、俺は顔が熱くなるのを感じた。そして、俺は平然を装いながら、足立さんに顔を向けた。
「ど、どうした?」
「いやその……私が昨日オススメした本読んでくれたかな、って」
昨日、俺はアニメイトで足立さんにホラー漫画をオススメされた。そして、アニメイトで買ったそのホラー漫画『人形の家』を、昨夜神行が帰った後に読んだ。怖すぎて眠れないとまでは行かなかったが、確かに怖かった。心理描写が丁寧で、読んでいて背筋が凍るような感覚があった。
俺はそれを包み隠さずに伝えた。ただただ純粋な感想を述べた。
「あ、読んだよ。めっちゃ面白かった。特に地下室の章、本当に怖かったわ。心理描写が丁寧で、主人公の恐怖がこっちにも伝わってきた」
「本当!? 嬉しい! やっぱり地下室の章いいよね! あの閉塞感と、徐々に追い詰められていく感じが、すごく良かったよね」
足立さんは、目を輝かせながら話す。その表情は、学校で見る穏やかな女神のような雰囲気とは少し違って、どこか子供のように純粋で、楽しそうだ。
「そうそう。あと、ラストの展開も予想外だったわ。まさかあんな結末になるとは思わなかった」
「でしょ!? 私も初めて読んだ時、すごく驚いたの。あの作者、伏線の張り方が本当に上手いよね」
俺と足立さんは、しばらくホラー漫画について語り合う。周囲には、徐々に生徒が増えてきているが、俺たちは気にせずに話し続けた。
すると、足立さんはどこか喜んだような、でも少し恥ずかしそうな顔をした。そして、少し頬を赤らめながら、俺に尋ねる。
「良かった! そ、それじゃあさ……その、昨日言ってたと思うんだけど。今日『人形の家』の漫画の番外編が発売されるんだけど……一緒に買いに行かない?」
おそらく精一杯の勇気を振り絞って、誘ってきたのだろう。その表情は、どこまでも真剣で、でも少し不安そうだった。もしかしたら、断られるかもしれない、という不安が見て取れる。
だったら、そのオタク心に応えるのもオタクとしての役目だ。それに、『人形の家』の番外編は、俺も気になっていた。
「ああいいよ。買いに行こう」
俺がそう言うと、足立さんは嬉しそうな顔をした。その笑顔は、太陽のように眩しくて、まるで花が咲いたような華やかさがあった。その顔がどうにも可愛くてつい心のどこかがむず痒く感じた。
いや、可愛いとかじゃない。ただ、同じ趣味を持つ友達ができたことが嬉しいだけだ。そうだ、それだけだ。
「ありがとう! じゃあ、放課後アニメイトで待ち合わせでいいかな?」
「ああ、わかった」
「楽しみにしてるね!」
足立さんはそう言って、自分の席に向かった。その背中は、どこか弾んでいるように見えた。
俺は、再びラノベを読もうとしたが、なぜか全然集中できない。さっきの足立さんの笑顔が、頭から離れない。
「……別に、恋愛感情とかじゃないからな」
俺は、小さく呟く。でも、その言葉は、どこか自分自身に言い聞かせているようだった。
しばらくすると、柊が教室に入ってきた。
「おはよう、裕一」
「おう、おはよう」
「お前、今日も早いな。って、なんか顔赤くないか?」
「は? 赤くねぇよ」
「いや、絶対赤いって。もしかして、また四皇の誰かと何かあった?」
柊の言葉に、俺は少し動揺する。でも、それを隠すように、素っ気なく答える。
「別に何もねぇよ。ただ、足立さんとホラー漫画の話しただけだ」
「へー、足立さんとね。お前、結構仲良くなってるじゃん」
「仲良くなってるっていうか……ただの趣味仲間だよ」
「そうかそうか。でも、いいじゃん。趣味が合う友達ができて」
柊は、ニヤニヤしながら言う。その表情が、どうにも腹立たしい。
「うるさい。お前こそ、昨日のアニメ見たか?」
「見た見た。やっぱり面白いよな、あのアニメ」
俺と柊は、アニメの話に花を咲かせる。その会話は、いつも通りで、心地よい。こういう時間が、俺にとっては一番大切なんだ。
でも、頭の片隅では、放課後の足立さんとの約束のことを考えている。
別に、恋愛感情とかじゃない。ただ、ホラー漫画の番外編を買いに行くだけだ。それだけだ。
俺はそう自分に言い聞かせながら、朝のホームルームが始まるのを待った。
教室には、徐々に生徒が増えてきている。その中に、神行の姿も見えた。神行は、いつも通り明るく、クラスメイトと話している。でも、ふとこちらを見て、目が合った瞬間、神行の顔が少し赤くなった気がした。
いや、気のせいだろ。
俺は、視線を逸らす。昨日のことは、もう忘れよう。ただの幼馴染だ。それ以上でも、それ以下でもない。
そう思いながら、俺は教科書を開いた。
でも、今日一日が、また面倒なことになりそうな予感がしてならなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




