終わった恋人の関係
昨日俺と川瀬優里との偽りの恋仲は終わった。彼女が言いかけた「私ね、本当に八杉っちのこと……」の言葉。一体何を言いかけたのだろうか。もしかして――告白!? なわけないか。
朝、目が覚めて、そのことばかり考えていた。布団の中で、天井を見つめながら、昨日の優里の表情を思い出す。あの潤んだ瞳。あの言いかけた言葉。あの寂しそうな笑顔。全てが、俺の頭から離れない。
でも、きっと気のせいだ。優里は、ただ友達として感謝の言葉を伝えようとしただけだろう。「本当に八杉っちのこと、友達として大切に思ってる」とか、そういう言葉だったに違いない。
そう、絶対にそうだ。告白なんかじゃない。
そんなことを思いながら俺は、姉が作ってくれたおにぎりを片手に学校に行く支度を始める。リビングに行くと、テーブルの上にはいつものようにおにぎりと味噌汁が置かれていた。そして、付箋には「今日も頑張ってね」と書かれている。姉は、もう出勤したようだ。
昨日の川瀬の表情や行動に疑問を抱きながらも、俺は学校に向かった。朝の街は、いつもと変わらない風景だ。通学する学生たち、出勤するサラリーマンたち。でも、俺の心の中は、いつもと違う。
優里の言葉が、頭の中で繰り返される。「私ね、本当に八杉っちのこと……」その続きが、どうしても気になる。でも、同時に、知りたくない気持ちもある。もし、あれが告白だったら、俺はどう答えればいいんだ。
俺は、恋愛から距離を置くと決めた。去年の失恋以来、誰かを好きになることを恐れている。だから、優里のことも、友達として大切に思っているだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。
……本当に?
心の奥底から、小さな疑問の声が聞こえる。でも、俺はそれを無視する。
そして、いつも通りに学校に着き、一年棟まで来ると、そこには足立さんが女子グループの中で楽しく話している姿を見かけた。足立さんは、いつもの優しい笑顔で、友達と談笑している。その姿は、どこまでも穏やかで、癒される。
すると、足立さんは友達と話しながらも、俺に気づいて小さく手を振ってくれた。その仕草が、どこまでも優しくて、可愛らしい。何だこの可愛い生物は。天使か。いや、女神か。
俺は、少しだけ照れくさくなりながら、小さく手を振り返す。足立さんは、嬉しそうに微笑む。その笑顔を見て、俺は少しだけ胸が温かくなる。
そのまま俺は教室の中に入り、席につく。教室には、既に多くの生徒が集まっていて、朝のざわめきに包まれている。俺は机にカバンから教科書やら何やらを机に収納した。国語、数学、英語、それぞれの教科書を机の中に詰め込んでいく。
そんな時、柊が俺の前の席に座った。柊はいつも通りの様子で、カバンから何かを取り出している。俺は口を開いた。
「なぁ柊……」
「ん? どした? 恋愛相談か?」
柊が、ニヤリと笑いながら尋ねる。その表情は、どこまでも意地悪だ。
「なんでそうなるんだよ。……そのなんだ。ひとつ聞きたいことがあるんだよ」
俺は、少し躊躇いながら言う。柊に相談するのは、少しだけ恥ずかしい。でも、このままでは、頭の中がずっとモヤモヤしたままだ。
俺はそのまま昨日の川瀬の放った言葉。「私ね、本当に八杉っちのこと……」について語った。もちろん、川瀬優里という名前を伏せて、俺は相談した。「ある女子が、こういう言葉を言いかけたんだけど……」という形で。
すると、柊の目がカッと開いて、俺を見つめる。その表情は、明らかに驚いている。
「お前それ――告白だよ」
柊の言葉に、俺は思わず固まる。
「は?」
「アニメとか漫画とかでよくあるだろ!? そういう展開! 言いかけて、何かに遮られて、結局言えないまま終わる。でも、その続きは絶対に『好き』なんだよ」
柊が、熱く語る。その表情は、どこまでも真剣だ。
「どういうことだよ!」
俺は、混乱する。告白? 優里が、俺に? いや、そんなわけない。
困惑する俺に柊は「いいなー」と呟きながら、俺の席に手を置く。
「お前、モテモテだな……」
柊の声には、羨望と嫉妬が混じっている。
「なわけねぇだろ! てか俺はモテるモテないより、お前とアニメの話とか漫画の話をしたいんだよ」
俺がそういうと、柊はわざとあからさまに頬を赤らめて「お前……そっち系か」と呟く。その仕草が、どこか演技がかっていて、明らかにからかっている。
なんだその顔、これじゃ俺がまるでBL展開に期待してるみたいになるじゃねぇか。
「なんでそうなる。ともかく、俺は恋愛をする気はないし、誰かを好きになるなんて――ない! 断じて!」
俺は、強く否定する。その言葉には、自分自身に言い聞かせるような響きがある。
その言葉に柊は「本当かぁ?」と怪しむような目つきで言う。その視線は、俺の心を見透かしているようだ。
「本当だよ! 俺は、恋愛から距離を置くって決めたんだ」
俺は、必死に主張する。
そんな時だった、俺と柊の間に割って入るように一人の人影が入る。それは神行だった。
「相変わらず、二人は仲がいいね。私も混ぜてよ!」
神行がその眩いオーラに、俺と柊は目を瞑りそうになる。金髪のポニーテールが揺れて、満面の笑みを浮かべている。その笑顔は、朝日よりも眩しい。
その瞬間、俺と柊――いやほぼ俺に嫉妬視線が集まる。教室中の男子生徒が、俺を睨みつけている。その視線は、もはや殺気に近い。どうしてこうも俺ばっかヘイトを買うんだよ……。
「どうしたんだよ。神行。お前から話しかけてくるなんて」
俺は、少し驚きながら尋ねる。神行は、いつも明るいが、朝からこんなにテンションが高いのは珍しい。
「いやー? 最近、優里ちゃんと上手くいってるのかなぁーって」
神行が、ニヤニヤしながら尋ねる。その表情は、どこか探るようだ。
川瀬のことを聞かれた時、俺は思わず顔を顰めた。そして、俺はそれを悟られずに神行に視線を戻した。神行は知らなかったんだ。俺と川瀬が偽りの恋仲を終わらせたことを。
俺は、少しだけ躊躇う。でも、隠しても仕方ない。いつかはバレる。
「それなら別れたよ」
俺は、淡々と答える。
その瞬間、神行と柊――いや、教室中の空気が固まった。時が止まったような静けさが、教室を包む。
神行は固まり、口を半開きにしている。柊も同様に硬直している。周囲の生徒たちも、一斉に俺を見つめている。
「裕一、お前……」
柊が、小さく呟く。その声は、驚きでいっぱいだ。
「へぇ! そうなんだ! じゃあ、これで独り身だね!」
神行は表情を整えて、どこか嬉しそうに言う。その声は、明らかに喜んでいる。その表情は、パッと明るくなる。
「なんだその言い方は! なんか物騒だぞ!」
俺は、神行にツッコミを入れる。神行の反応が、あまりにもわかりやすすぎる。
言ってしまった。川瀬と恋仲を終わらせたことを。でもこれを言わないといつまでも過去を引きずることになる。なら、それを払拭させるために真実を伝えるべきだと俺は悟った。
偽の恋人関係は終わった。これで、また元の日常に戻れる。平穏な高校生活。それが、俺の望みだ。
そんな時だった、教室中の視線――どこか俺を憐れむような視線と、川瀬優里という四皇の一人と別れた事実に喜ぶような視線が刺さる中で、俺と柊、神行の間に混じるように川瀬が顔を出す。
「おは! 柊っちに、神行っち、八杉っち!」
川瀬の手には紙パックのいちごミルク。いつものトレードマークだ。その笑顔は、いつもの明るい川瀬の笑顔だ。でも、どこか無理をしているようにも見える。
俺は思わず川瀬の顔を見て、昨日の出来事を振り返る。川瀬が言いかけた言葉、川瀬が動揺していた事実。あの時の川瀬の表情。あの潤んだ瞳。あの寂しそうな笑顔。
……まぁ今はそれを考えるのはよしにしよう。
俺は、気持ちを切り替える。
「おはよう、川瀬さん」
俺が言うと、川瀬はどこか表情を一瞬曇らせるが、それを一瞬で晴らして「おはよ!」と返してくれた。その笑顔は、いつもの明るい川瀬の笑顔だ。でも、その目は、少しだけ寂しそうだ。
川瀬は、いちごミルクのストローをくわえながら、俺たちの会話に混ざろうとする。でも、どこかぎこちない。いつもなら、もっと積極的に話しかけてくるのに、今日は少し控えめだ。
「優里ちゃん、おはよう!」
神行が、元気よく挨拶する。
「おはよう、晄っち!」
川瀬は、笑顔で答える。
柊も、川瀬に挨拶する。
「おはよう、川瀬さん」
「おはよう、柊っち!」
川瀬は、いつもの明るさで答える。
でも、俺には感じ取れる。川瀬が、どこか無理をしていることを。昨日、偽の恋人関係を終わらせた。そのことが、川瀬に影響を与えている。
俺は、少しだけ罪悪感を感じる。でも、仕方ない。偽の恋人関係は、あくまで偽物だ。いつかは終わらせなければならなかった。
そして、ホームルームが始まる。
担任の先生が、教室に入ってくる。
「おはよう、みんな。今日も一日頑張ろう」
先生の言葉に、みんなが「おはようございます」と答える。
俺は、自分の席に座る。川瀬は、自分の席に戻っていく。その背中を見送りながら、俺は少しだけ複雑な気持ちになる。
川瀬の「私ね、本当に八杉っちのこと……」という言葉。
その続きが、どうしても気になる。
でも、もう聞くことはできない。
偽の恋人関係は終わった。
これで、また元の関係に戻る。
ただの友達。
それでいい。
それがいい。
俺はそう自分に言い聞かせながら、授業を受けた。
でも、心の奥底では、少しだけモヤモヤしている自分がいた。
川瀬のことが、気になる。
でも、それは友達として心配しているだけだ。
恋愛感情じゃない。
絶対に違う。
俺はそう自分に言い聞かせながら、一日を過ごした。
でも、時々、川瀬の方を見てしまう。
川瀬は、いつもの明るさで、友達と談笑している。
その姿を見て、俺は少しだけ安心する。
でも、同時に、少しだけ寂しさも感じる。
その感情の正体が、俺にはまだわからなかった。
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