絶対的最強の姉
俺は今窮地に立たされている。理由は簡単だ。現時刻夜中の11時過ぎ……マンションの駐車場には姉の車。つまり姉が既に帰ってきていて、俺のスマホには何個もの電話の通知が来ていた。
スマホの画面を見ると、着信履歴が15件。全て姉からだ。そして、LINEのメッセージも大量に届いている。
「裕一、どこにいるの?」
「早く帰ってきなさい」
「警察から連絡があったんだけど、説明して」
「裕一」
「裕一」
「裕一」
最後の方は、もはや名前を連呼しているだけだ。その文面からは、姉の怒りが滲み出ている。文字だけでも、姉の怒りのオーラが伝わってくる。画面越しでも、背筋が凍る。
――姉は今怒っているに違いないのだ。姉は俺の完全上位互換。全てのスペックステータスがオールSSSと言ったところだ。頭脳明晰、運動神経抜群、美貌、全てにおいて完璧な存在。だから、看護師のような体力必須の激務を淡々とこなしているのだ。
姉は、俺より五歳年上で、今年二十三歳。看護師として、大学病院で働いている。夜勤も多くて、忙しい日々を送っている。でも、どんなに忙しくても、俺のことを気にかけてくれる。料理を作ってくれたり、洗濯をしてくれたり、俺の世話を焼いてくれる。両親が海外に単身赴任していて、俺と姉の二人暮らしだから、姉が親代わりのようなものだ。
でも、一度怒らせると、もう手がつけられない。まるで、鬼のように怖い。いや、鬼どころじゃない。もはや、災害レベルだ。
そんな姉が怒っている。これはチートの権化の五条先生を目の前にした一般呪霊の気分だ。――つまり"絶望"ということだ。逃げ場なし。回避不可能。死亡確定。
俺は、マンションの前で立ち尽くす。家に帰りたくない。でも、帰らないと、もっと怒られる。いや、もう怒られるのは確定しているから、問題はどれだけ怒られるかだ。
仕方ない……こうなったら、ゆっくりゆっくりと扉を開けて、家に帰宅するしかない。そして、「いや俺、元々居たよ?」と言えば何とかなる……はず。いや、絶対に無理だ。姉は、そんな嘘を見抜く。姉の前では、どんな嘘も通用しない。
"思ったが吉日、行動すべし"それが俺の家の――いや俺の中の教訓だ。俺はそのままゆっくりと扉のドアノブを握って、ゆっくりとゆっくりとドアノブを下げた。
心臓が、早鐘を打っている。手に汗が滲む。呼吸が浅くなる。まるで、処刑台に向かう死刑囚のような気分だ。
「ただいまー、なんつって……」
小声にも満たない声を発して、俺は玄関に入った。――瞬間、俺の体全身に走る悪寒のような殺気。それは、まるで北極の氷河のような、冷たくて、鋭い殺気だ。背筋が凍る。身体が硬直する。
俺は思わず視線を目の前から来る殺気に視線を向けた。
玄関の明かりがつく。それはつまり「死」を意味するであろう。俺の目線の先にいるのは、黒髪をロングな綺麗な髪をしながら、明らかな「怒」のオーラを纏う姉がいた。
八杉麗華。それが俺の姉の名前だ。そして、俺の完全上位互換と言っても過言では無い存在。
姉は、身長170センチくらいで、スラッとした体型をしている。黒髪のロングヘアーは、艶やかで美しい。顔立ちは、整っていて、美人と言われている。職場でも、患者からも、医者からも人気がある。でも、今のその顔は、怒りで歪んでいる。いつもの優しい表情は、どこにもない。
そして、姉の纏うオーラは、もはや殺気そのものだ。俺の恐怖のボルテージが200%まで上がる。いや、300%かもしれない。
「裕一。あなた随分と帰りが遅かったわね。警察からも連絡が来たし……あなた何をしていたのかしら?」
姉の声は、低くて、冷たい。その声には、怒りが込められている。でも、その奥底には、心配の色も見える。姉は、俺のことを心配してくれている。でも、それと同時に、怒っている。
ゾッと俺の背筋が凍る。目が泳ぐ。動揺を隠せないくらい。あの四皇なんて目じゃない存在! 天上天下唯我独尊! 己の快・不快のみが生きる指針。そんな姉の手には鋭く光る包丁。
いや、待て。なんで包丁を持ってるんだ。料理をしていたのか? それとも、俺を……。いや、考えたくない。
「い、いや、これはそのですね! 話が長くなるんですよ!」
俺は、必死に言い訳を考える。でも、何も浮かばない。頭の中が真っ白になる。
「そう。いくらでも聞くわ。その後にあなたがどうなるか、私には心底どうでもいい。ただ生きてご飯を食べれると思わない事ね」
姉の言葉に、俺の心臓が止まりそうになる。その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。つまり、俺は死ぬということか。いや、死なないかもしれないが、生きてご飯を食べることはできない。それって、つまり……。
「ひ、ヒエッ!?」
俺の腰が抜ける。膝が震える。立っているのがやっとだ。俺は震える体を抑えたまま目の前にいる"絶対的存在"="神"を見つめる。俺にとってはこの人にはどうすることも出来ないくらいの存在だ。
姉は、ゆっくりと俺に近づいてくる。その足音は、まるで死神の足音のようだ。一歩、また一歩と、確実に距離が縮まる。
「ご、ごめんなさい!!」
俺は、思わず土下座する。額を床につけて、姉に謝る。プライドなんてない。今は、ただ生き延びることだけを考える。
その日の俺は姉――八杉麗華に全てを話した。今日なぜ俺が夜中に帰宅したこと、なぜ警察から連絡があったのかを説明した――しないと殺されるからだ。
優里がストーカー被害に遭っていること。俺が偽の恋人になったこと。佐藤先輩のこと。今日、廊下で優里が襲われたこと。そして、帰り道に不良三人に襲われたこと。銀咲に助けられたこと。全てを、包み隠さず話した。
ご飯を食べ終えた俺と姉は、リビングのソファに座って、腕を組みながら、俺の話を聞いている。その表情は、どこまでも真剣だ。包丁は、キッチンのまな板の上に置かれている。とりあえず、殺されることはなさそうだ。
俺は、姉の前に正座して、話し続ける。リビングのテーブルを挟んで、俺と姉が向かい合っている。その距離は、たった数メートルだが、まるで数キロメートルのように遠く感じる。
「……というわけで、警察に連絡して、不良たちは捕まりました」
俺は、話を終える。喉が渇いている。緊張で、汗が滲んでいる。
姉は、しばらく黙っていた。その沈黙が、どこまでも重い。時計の秒針の音だけが、リビングに響いている。カチ、カチ、カチ、と規則正しい音が、俺の心臓の鼓動と重なる。
そして、姉は口を開く。
「裕一」
「は、はい!」
俺は、思わず背筋を伸ばす。身体が勝手に反応する。
「あなた、本当にバカね」
姉の言葉に、俺は少しだけ安心する。怒っているけど、殺されることはなさそうだ。姉の声のトーンが、少しだけ柔らかくなっている。
「でも、友達を助けようとしたのは、偉いわ」
姉の言葉に、俺は少しだけ驚く。姉が、俺を褒めるなんて珍しい。
「え……」
「友達が困っていたら、助けるのは当たり前。でも、無理をしすぎるのは良くない。今回は、たまたま銀咲さんがいたから良かったけど、もし一人だったら、あなたはボコボコにされてたわよ」
姉の言葉に、俺は頷く。確かに、銀咲がいなかったら、俺は確実にボコボコにされていた。いや、ボコボコどころじゃない。もしかしたら、入院していたかもしれない。
「それに、相手は大人の不良よ。高校生のあなたが、一人で対処できる相手じゃない」
姉は、続ける。その声は、どこまでも真剣だ。
「もし、また何かあったら、すぐに私に連絡しなさい。一人で抱え込まないで」
姉の言葉は、どこまでも優しい。その表情は、怒りから、心配に変わっている。姉の瞳には、俺への愛情が溢れている。
「……はい」
俺は、小さく頷く。姉の言葉が、胸に沁みる。
姉は、ため息をついて、立ち上がる。そして、冷蔵庫から麦茶を取り出して、俺にコップを渡してくれる。
「ほら、喉渇いてるでしょ。飲みなさい」
「ありがとう……」
俺は、麦茶を一気に飲む。冷たい麦茶が、喉を通って、身体に染み渡る。生き返る気分だ。
姉は、再びソファに座って、俺を見つめる。
「それで、その川瀬優里ちゃんっていう子、本当に偽の恋人なの?」
姉の質問に、俺は少しだけ驚く。姉の視線が、どこか探るようだ。
「え、ああ……そうだけど」
「本当に?」
姉は、ニヤリと笑う。その表情は、どこか意地悪だ。まるで、俺の心を見透かしているような。
「本当だよ! 優里のことは、友達として大切に思ってるけど、それ以上じゃない」
俺は、必死に否定する。でも、心の奥底では、少しだけ揺らいでいる自分がいる。
「ふーん。でも、あなたの話を聞いてると、結構優里ちゃんのこと気にかけてるじゃない」
姉の言葉に、俺は言葉に詰まる。確かに、優里のことは気にかけている。でも、それは友達として当たり前のことだ。
「それは……優里が困ってるからだよ。友達だから、助けたいだけ」
「そう。じゃあ、他の三人の女の子は? 神行ちゃん、銀咲さん、足立さん」
姉は、続ける。その視線は、どこまでも鋭い。
「あなた、四人の美少女に囲まれてるじゃない。羨ましい限りね」
姉の言葉に、俺は少しだけムッとする。姉は、明らかに俺をからかっている。
「別に、俺が望んでそうなったわけじゃない。勝手に向こうから関わってきただけだ」
「でも、嫌じゃないんでしょ?」
姉の言葉に、俺は少しだけ黙る。
確かに、嫌じゃない。神行といると楽しい。あの明るさと元気さが、俺を元気にしてくれる。銀咲といると安心する。あの冷静さと強さが、俺を守ってくれる。足立さんといると癒される。あの優しさと穏やかさが、俺を包んでくれる。優里といると、心が温かくなる。あの笑顔と甘えるような仕草が、俺を幸せにしてくれる。
でも、それは友達としての感情だ。恋愛感情じゃない。絶対に違う。
「……友達として、大切に思ってるだけだ」
俺は、小さく答える。その声は、どこか自信がない。
姉は、ため息をついて、俺の頭を撫でる。その手は、温かくて、優しい。
「裕一、あなた本当に鈍感ね」
「は?」
俺は、姉の言葉の意味がわからない。
「いいわ。でも、一つだけ言っておくわ」
姉は、真剣な表情で俺を見つめる。その瞳は、どこまでも真剣だ。
「もし、その四人のうちの誰かを本当に好きになったら、ちゃんと向き合いなさい。逃げないで」
姉の言葉に、俺は少しだけ驚く。姉は、俺の何を見抜いているんだろう。
「去年の失恋で、あなたは恋愛から逃げてる。でも、いつまでも逃げ続けることはできない。いつか、向き合わなければならない時が来る」
姉は、続ける。その言葉は、どこまでも優しい。
「その時が来たら、ちゃんと自分の気持ちに正直になりなさい。そして、相手の気持ちにも向き合いなさい」
姉の言葉は、俺の心に深く刺さる。去年の失恋。あの時の痛みは、今でも忘れられない。だから、俺は恋愛から逃げている。もう二度と、あんな痛みを味わいたくない。
「……わかった」
俺は、小さく頷く。でも、心の奥底では、まだ恋愛を恐れている自分がいる。
姉は、満足そうに微笑む。その笑顔は、どこまでも優しい。
「よし。じゃあ、もう寝なさい。明日も学校でしょ」
「ああ」
俺は、立ち上がって、自分の部屋に向かう。足取りは、重い。今日一日で、色々なことがありすぎた。
部屋に入る前に、俺は振り返る。
「姉ちゃん、ありがとう」
俺の言葉に、姉は少しだけ驚いたような表情を浮かべる。
「何よ、急に」
「いや、色々と心配してくれて、ありがとう」
俺の言葉に、姉は少しだけ照れくさそうに笑う。その笑顔は、どこまでも優しい。
「当たり前でしょ。あなたは、私の大切な弟なんだから」
姉の言葉に、俺は少しだけ胸が温かくなる。姉がいてくれて良かった。そう、心から思う。
「おやすみ、裕一」
「おやすみ、姉ちゃん」
俺は、部屋に入る。
部屋の中は、暗い。カーテンの隙間から、月明かりが差し込んでいる。その光が、部屋を淡く照らしている。
俺は、制服を脱いで、パジャマに着替える。そして、ベッドに横になる。ベッドは、柔らかくて、心地よい。今日一日の疲れが、どっと押し寄せてくる。
ベッドに横になって、今日のことを思い返す。天井を見つめながら、脳裏に今日の出来事が次々と浮かんでくる。
優里の「本物が欲しい」という言葉。あの言葉の意味を、俺はまだ理解していない。いや、理解したくない。なぜなら、それを理解してしまったら、俺の心が揺らいでしまうから。
優里の部屋での出来事。あの距離の近さ。あの潤んだ瞳。あの「何をされても良い」という言葉。あの時の優里の表情が、頭から離れない。
不良たちに襲われたこと。あの時の恐怖が、まだ残っている。もし、銀咲がいなかったら、俺は確実にボコボコにされていた。
銀咲に助けられたこと。あの華麗な飛び蹴り。あの冷静な対応。そして、あの優しい笑顔。銀咲がいてくれて良かった。
そして、姉の言葉。
『もし、その四人のうちの誰かを本当に好きになったら、ちゃんと向き合いなさい』
姉の言葉が、頭の中で繰り返される。その言葉は、まるで呪文のように、俺の心に刻まれている。
俺は、四人のことを思い浮かべる。
それぞれが、違う魅力を持っていて、でも共通しているのは、俺を大切に思ってくれていることだ。その気持ちが、嬉しい。でも、同時に、怖い。
でも、俺は……。
俺は、四人のことを、本当にただの友達として見ているのだろうか。心臓が高鳴る瞬間。顔が赤くなる瞬間。ドキッとする瞬間。それらは、本当にただの友達としての感情なのだろうか。
いや、違う。それは友達としての感情だ。恋愛感情じゃない。絶対に違う。
俺はそう自分に言い聞かせる。でも、心の奥底では、少しだけ疑問を感じている。
俺は、まだ答えを出せずに――いや出すつもりなどなかった。眠りについた。瞼が重くなる。意識が、ゆっくりと暗闇の中に沈んでいく。
明日は、どんな日になるんだろう。また、四人と会う。また、色々なことが起こる。そして、俺の心は、また少しだけ揺らぐのだろう。
そんなことを考えながら、俺の意識は、ゆっくりと暗闇の中に沈んでいった。
でも、心の奥底では、少しだけ揺らいでいる自分がいた。去年の失恋以来、封印していた感情が、少しずつ、でも確実に、溶け出している。
その事実に、俺はまだ気づかないふりをしていた。認めたくない。恋愛から逃げると決めたんだ。もう二度と、あんな痛みを味わいたくない。
姉の言葉が、俺の心に、小さな種を植えたことに、俺はまだ気づいていなかった。その種は、いつか芽を出すだろう。そして、俺の心を、大きく変えるだろう。
でも、今はまだ、その時じゃない。
俺は、そう自分に言い聞かせながら、深い眠りの中に落ちていった。
月明かりが、俺の部屋を照らしている。その光は、どこまでも優しくて、でもどこか儚い。
明日は、また新しい一日が始まる。
そして、俺の青春も、また少しだけ前に進むのだろう。
その先に、何が待っているのか。
俺は、まだ知らない。
でも、一つだけわかっていることがある。
俺は、もう一人じゃない。
四人の美少女が、俺を見守ってくれている。
そして、姉が、俺を支えてくれている。
だから、俺は前に進める。
たとえ、その先に何が待っていても。
俺は、そう信じながら、眠り続けた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




