冷めてしまった恋心
俺の青春という名の初恋は去年の夏に終わった。一途に思い続けた好きだった子に振られて、俺の恋は幕を閉じた。そして、俺は分かったんだ――恋をするのも一苦労だと。
中学三年の夏祭り。浴衣姿の彼女に告白して、優しく断られた。「ごめんね、八杉くん」というその言葉は今でも耳に残っている。別にトラウマという訳じゃない。ただ、恋愛というものに対する熱量が一気に冷めてしまっただけだ。
だから今は、アニメやゲームという趣味に没頭する日々を送っている。恋愛なんて面倒なものより、よっぽど楽しくて確実な娯楽だ。少なくとも、裏切られることはない。
「なぁ陽平。今日の放課後アニメイトでも行かね?」
「良いけど……お前良いのか? 神行さん達と遊んだりしないのか?」
柊の言葉に、俺は露骨に顔をしかめる。昼休みの教室、弁当を食べながらの会話だ。周囲では数人のクラスメイトが談笑している。その中には、四皇の一人である足立楪の姿もあった。彼女は女子グループに囲まれて、穏やかな笑みを浮かべている。
「アイツらと遊ぶって……俺からしたら苦行でしかないわ」
「贅沢な悩みだな」
柊は呆れたように笑う。確かに傍から見れば贅沢な悩みかもしれない。だが当事者からすれば、これほど面倒なものはない。特に神行の場合、幼馴染という立場を最大限に利用してグイグイ来る。距離感というものを完全に忘れているあの金髪は、俺にとって天敵以外の何物でもなかった。
弁当箱の蓋を閉めながら、俺は小さく息を吐く。教室の窓から見える青空は、どこまでも澄み渡っていた。こんな平和な日常がずっと続けばいいのに、と思う。恋愛沙汰に巻き込まれることなく、静かに高校生活を送りたい。それだけが俺の願いだった。
「でもさ、裕一。お前って本当に神行さん達のこと、何とも思ってないの?」
「当たり前だろ。俺はもう恋愛とか興味ないし」
即答する俺に、柊は少し寂しそうな表情を浮かべた。何だその顔は、と聞こうとした瞬間、教室の扉が勢いよく開いた。
「八杉くーん! お昼ご飯食べた? 私のデザート、一緒に食べない?」
神行晄だった。手には可愛らしい包装のケーキが握られている。その登場に、教室中の視線が一斉に俺へと向けられた。針のむしろとはこのことだ、と俺は心の中で呻く。
「いや、もう食ったから」
「えー? でもデザートは別腹でしょー? ほら、あーん」
神行は俺の席まで近づいてくると、フォークに刺したケーキを俺の口元に持ってくる。甘い香りが鼻腔をくすぐるが、それ以上に周囲からの視線が痛い。殺意すら感じる。特に男子からの視線は、明らかに羨望と嫉妬が入り混じったものだった。
「晄、ちょっと待て――」
俺が制止する暇もなく、神行はケーキを俺の口に押し込んだ。甘い。確かに美味しい。だが、この状況はまったく美味しくない。
「どう? 美味しい?」
「……まぁ、普通に美味い」
「やったー! じゃあ次も私が作ってきてあげるね!」
神行の満面の笑みに、俺は頭を抱えたくなった。手作りケーキ。つまりこれ、神行が自分で作ったということか。幼馴染の手作り菓子を食べさせられるという、ある意味では羨ましいシチュエーション。だが俺にとっては、ただただ面倒な展開でしかない。
柊は隣で苦笑いを浮かべている。お前はいいよな、当事者じゃないから笑っていられる。俺の心の叫びは、当然柊には届かない。
「それでね、八杉くん。今度の日曜日、一緒に映画行かない? 面白そうなの、やってるんだよ」
「日曜は用事がある」
「じゃあ土曜日は?」
「土曜も用事」
「えー、じゃあ来週の――」
「晄、お前ちょっとしつこいぞ」
俺の言葉に、神行はハッとした表情を浮かべた。その瞬間、俺は少しやりすぎたかと後悔する。だが、ここで引いてしまえば、さらに面倒なことになるのは目に見えていた。優しくすればつけ上がる。それが神行晄という人間だ。
「ご、ごめん……また、グイグイいっちゃった」
神行は申し訳なさそうに笑う。その表情は、どこか寂しげで、俺の胸に小さな棘が刺さったような感覚を覚えた。だが、それを表に出すわけにはいかない。ここで情けをかければ、また同じことの繰り返しになる。
「わかった。じゃあまた今度ね」
神行はそう言い残して、自分の席へと戻っていった。その背中は、いつもの元気な彼女からは想像できないほど、小さく見えた。
教室に再び静寂が訪れる。周囲の視線も、徐々に別の場所へと移っていく。俺はホッと息を吐いた。
「……なぁ、裕一。お前、ちょっと冷たすぎないか?」
「冷たくしないと、アイツ際限なく来るんだよ」
柊の問いに、俺は小さく答える。確かに冷たいかもしれない。だが、これが俺なりの自衛手段だった。神行晄という太陽は、眩しすぎる。近づきすぎれば、火傷する。俺はそれを本能的に理解していた。
チャイムが鳴り、午後の授業が始まる。教壇に立った教師の声が、教室に響き渡る。俺はノートを開きながら、窓の外をチラリと見た。青空は相変わらず綺麗で、どこか遠い世界のように感じられた。
放課後まで、あと少し。アニメイトに行って、新刊をチェックして、柊とアニメの話をする。そんな平凡で平和な時間こそが、今の俺には何よりも大切なものだった。
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