巡回布教者との出会い
──その夜、小さな辺境村の酒場は、雨を避ける旅人と農夫たちで静かに賑わっていた。
エメトとセナは偽名を使い、最奥の席に身を潜めていた。
軍の追手は日に日に増えている。
長居はできない。それでも、今日だけは雨脚が強すぎた。
酒場の扉が、きぃ……と軋んだ。
全身を薄灰色の法衣で包んだ一人の男が入ってきた。
胸元には《希望の光》の三日月紋。
村を巡回する下級布教者──
本来なら取るに足らない存在のはずだった。
だが、エメトの視線は男から離れなくなった。
理由はわからない。
ただ、彼の歩き方、呼吸、視線の動かし方……
すべてが“普通の信徒”とはどこか違っていた。
「なんだ……あの気配」
セナが囁く。
彼女の直感は鋭い。売春婦として生きてきた中で、人の本音や危険を嗅ぎ取る力が自然と養われている。
布教者は酒場の中央に立ち、落ち着いた声で言った。
「皆さまに《希望の光》より一つの報せを届けに参りました。
──魔王の気配が南方にて高まっています」
村人たちがざわつく。
「馬鹿言え、もう半年も魔物を見とらんぞ」
「それでも警戒しなきゃいかんだろうが」
だがエメトには、その“報せ”の裏がすぐにわかった。
この布教者は、公式の台本通りに話していない。
本来語られるべき“恐怖の煽り”が弱い。
代わりに、ある特定の言葉を意図的に強調していた。
「……気配が『高まっている』だけです。
魔王の姿を見た者はおりません。
誰も……ひとりも」
──誰も魔王を見ていない。
それは、支配者側が最も触れられたくない“禁句”に近い意味を持っていた。
「……エメト。あの人……」
「わかってる」
布教者は話を終えると、客からの寄付を誘わず、祈りの言葉も簡略にして去ろうとした。
組織のマニュアルを知っている者なら、彼の行動が異質であるとすぐわかるだろう。
エメトは席を立ち、そっと布教者を追った。
裏路地へ入った所で、彼は静かに声をかける。
「あなた……《希望の光》の正式な教義、全部信じてるわけじゃないんだな」
布教者は歩みを止めたが、振り返らなかった。
「……誰だ、お前は」
「旅人だよ。ただ……魔王の“気配”なんて言葉は、上級司祭でも滅多に使わない。
嘘を吐くにしても、もっと恐怖を煽るはずだ」
沈黙。
そして、布教者はため息をついた。
「……あなた、ただの旅人ではないでしょう。
普通の村人なら気づかない」
「俺は……真実を探しているだけだ」
その瞬間、布教者の肩がわずかに震えた。
「真実……」
彼はゆっくりと振り返り、フードを下ろした。
その顔は若い。
だが目の奥は、恐怖と葛藤で削られた大人のそれだった。
「私は……“見てしまった”んです」
「何を?」
布教者は、周囲を確認し、声を潜めた。
「魔物の『遺体』です。
あれは……人間でした。
角も牙も、後から縫い付けたものでした。
私は……知ってしまった」
エメトの脳裏に、改造帯の資料が蘇る。
「そのことを……他の司祭に?」
「言えるわけがない! 言った瞬間、消される。だが……黙っていれば、何も変わらない。
私は恐怖した。
“魔王を恐れる世界”ではなく、“真実を恐れる自分”に」
言葉の重さに、エメトは静かに息を吐く。
「名前は?」
「……リオネル。
あなたは……エメト様ですか?」
追い詰められた目で、だが確信したような声だった。
「どうしてそう思う」
「《希望の光》には……密かに噂があります。
“真実を知って逃亡した本物の勇者がいる”と。
私は……あなたに賭けます」
エメトは短く笑った。
「俺に賭けるなんて、お前は愚かだ」
「愚かで結構。
ただ……信じられるのは“嘘を嫌う者”だけだと思ったんです」
セナが後ろから歩み寄り、二人の横に並んだ。
「だったら──一緒に来る?」
リオネルは深く頷いた。
「……はい。
あなた方が向かう“真実”に、私も同行させてください」
こうして、《希望の光》の内部にいた最初の協力者が生まれた。
彼の存在はやがて、組織の内部をゆっくりと変質させ、
後の大規模レジスタンスの中核となっていく。




