【2.わざわざ見せびらかしに来る新妻】
それからしばらくしたあるの日昼下がりのことだった。
「まあ~あ! お義母様! なぜこんな女と一緒にいるのですか?」
ハンナの家なのに、まるで自分の家のようにずかずかと入ってきた女は、家を厭味厭味っぽく見回してから義母に目をやり、そう言った。
「なぜって……。あなたこそ、なぜここにいるのですか、エマ? ここはハンナの家よ」
お義母様と呼ばれたヘレン夫人は、息子であるマクリーン子爵の新妻を驚いた顔で見つめた。
「お義母様がここにいらしていると聞いたので、様子を見に来たのです。お義母様はこの女に騙されてるので、お助けに来ました」
エマは恩着せがましくそう言うと、ヘレン夫人の傍に座っていたハンナを睨んだ。
ハンナは肩を竦めた。
しかしハンナは何も言わない。
ハンナが口を挟むとエマが激昂し、収拾がつかなくなるほど暴れることを知っているからだ。
ヘレン夫人もそれが分かっているため、軽くハンナに「黙っていなさい」と目配せをした。
「騙すだなんて。ハンナは……息子と離婚してからは私のよき友人です」
ヘレン夫人はそう言った。
「それが騙されているのですわ。だって普通に考えて離縁された悪妻と未だに仲良くしている元姑なんて変じゃありませんか。この女がお義母様にうまいこと言って取り入ってるんです」
そうエマが意地悪そうな顔で断言するので、ヘレン夫人は困った顔をした。
「ハンナに限ってそんなことはありませんよ」
しかし、エマは聞く耳を持たない。
「騙されている人はそうやって否定するものですよ。あたくしがお義母様が騙されていないか判断して差し上げます。少しご一緒させてもらいますわね!」
「エマ。あなたがそこでそうやって腕組みしてふんぞり返っていると、私はとても居心地悪く感じますよ。遠慮してもらえないかしら」
そうヘレン夫人が少し不愉快そうに言っても、エマはあり得ないという風に首を傾傾げて見せた。
「まあ! 嫁より赤の他人の方がいいって言うんですか? お義母様だって、旦那様がこの女と離縁した理由をちゃんとご存じなんでしょう?」
「ええ。そりゃね」
ヘレン夫人は一応同意したが、納得のいっていない言い方をした。
「なら、あたくしがお義母様を心配するのはもっともではありませんか? この女はマクリーン子爵家の財産を勝手に処分したんですよ? それに政治犯を匿って、マクリーン子爵家の評判を地に落としました。あやうくマクリーン子爵家が罪に問われるところだったんですからね!」
「だから知っていると言っています。あなたの口からそんな偉そうに聞きたくありませんよ」
「知っているならなぜ!」
なぜハンナを家の敵と認識しないのか、とエマは思っていた。
ヘレン夫人がエマを宥めるように、
「ハンナは悪人ではありませんよ。やったことは私にはよく理解できるの」
とゆっくりと言うと、エマはカチンときたように叫んだ。
「理解だなんて! マクリーン子爵家の私有地は半分に減ったんですよ! 先祖代々の土地ですわ。あたくしと旦那様の未来の子どもが受け継ぐはずの!」
「あなたの子どもが受け継ぐはずだなんて、そんな言い方はよしてちょうだい」
ヘレン夫人がムッとして言うと、エマもキッと睨み返した。
「でも、あたくしと旦那様の間に子どもができたら、その子が継ぐのはその通りでしょ! あたくしの子が受け取れるはずだった土地を、この女は!」
「下品な言い方はおやめなさい」
「下品はこの女の方です! 政治犯を匿ったりして! 政治犯と一緒に牢獄にぶち込まれなかったのが疑問でならないわ。警備兵に踏み込まれたら政治犯は逃げたみたいだけど、それだって逃がしたのはこの女でしょ? そんな犯罪者と交友関係があるなんて、本当碌な女じゃないのだから」
エマは腕組みをしてハンナを見下ろした。
それを柔らかい声でヘレン夫人が窘める。
「友達が政治犯として訴えられたらあなたはどうするの? ハンナはお友達を信じただけ。でもハンナだって迷いもあったはずよ。もう少し他人の事情も思いやったらどう?」
「そんな言い方して! それを騙されてるって言うんですわ! お義母様はいいように言いくるめられてるんです」
「私を騙したところでね、今更ハンナに何の得もないでしょう」
「ありますわよ! この女は他に行く当てがないんですからね! ここに留まらせてもらえるように、お義母様に媚びを売ってるんですわ!」
エマがとんでもない理由をでっち上げた。
ヘレン夫人は呆れてため息をついた。
「ハンナは行く当てがないことないですよ。どちらかと言うと、わざわざ私のためにここに留まってくれているだけで」
「お義母様のために?」
疑わしそうにエマが聞いた。
ヘレン夫人は大きく頷きながら、
「そうよ。私の体調を心配して、ここで薬を作ってくれるのです」
と答えた。
エマは、ヘレン夫人の理由があまりにこじつけに思えたので、鼻でふふんと笑った。
「薬だなんて! お義母様は体調悪くなんかないじゃないですか」
「ああ、あなたにはそう見えるのね。それならけっこうなことよ。誰にも心配されたくなくて頑張っていましたからね。あなたに体調が悪いのが分からないのなら、ハンナの薬が効いているということだわ」
それを聞くとエマの目がみるみる吊り上がった。
「まあ! まるであたくしがお義母様の体調に気づかない悪い嫁みたいな言い方! この女が出しゃばってるからでしょ? 本来ならそんなの医者に任せたらいいじゃないですか! マクリーン子爵家直属の医者がいますでしょ!」
「いますけど。ハンナの薬が一番効くのよ」
「なんでこの女の薬が! 医者でもないくせに!」
「そんな医学的にどうこうというものではないの。我が国のかつての偉大なる女帝が更年期で体調を崩されたときにね、調合させた薬ってのがあるらしくて、それがよく効くのよ」
「更年期って何よ?」
「若い人には分からないでしょうね。女が年をとるとね、どうも体のめぐりが悪くなるようで、いろいろ不調がね。女帝もそれには悩まされたと聞くわ」
ヘレン夫人は逃れられないものに対して諦めるようにため息をついた。
すると、エマは少しきまりが悪そうに一瞬黙り、それから拗ねた口調で小声で言った。
「……。女帝と言えばあたくしを黙らせられると思っているのでしょ。そうね! 確かにこの女は女帝の血をひくんでしたっけね。でも、そんな由緒正しく言ってますけど、皇帝が直系です。つまりこの女の家系は傍系ってことじゃないですか」
「そのような言い方は感心しません。そりゃ女帝以降は、直系男子が代々皇帝を継いではいますけど、女帝の血を引くこと自体には男も女もありませんでしょ? ハンナに聞けば、女帝が、女は歳をとると辛くなるからこの薬に頼るとよいと言って、それ以来、代々女系で伝わってきた薬なのですって」
ヘレン夫人がハンナをちらりと見てから言った。
ハンナが血筋をバカにされたことに傷ついたのではないかと思ったのだ。
ハンナはヘレン夫人の気遣いに感謝し、「エマの言うことにはいちいち反応しません」というように軽く目配せした。
すると、ハンナとヘレン夫人の無言のやり取りが気にくわないのか、エマはカッとなって叫んだ。
「お義母様は甘いわ! 傍系の血筋までありがたがっているなんて。じゃあこれを見たらお義母様はあたくしにひれ伏すのかしら。見てご覧なさい、女帝の指輪ですわ!」
「!」
ハンナはハッと顔を上げた。
私の指輪だ!
ハンナの顔色が変わったのが気分よかったのだろう。エマはこれ見よがしに指をハンナの方へ突き出した。
「どう? あたくしに似合うでしょ? 女帝の指輪よ」
ヘレン夫人が、なんと恐れ多いことをと口元に手を当てながら、
「それはハンナが今の皇帝陛下からもらったものでは……」
と呻くように言った。
するとエマが得意気に言った。
「あらお義母様、それは違うわ。マクリーン子爵家が貰ったものよ。だから離縁した悪妻のこの女にはこの指輪を着ける資格はないってこと。新しい妻のあたくしにこそふさわしいのよ!」
「なんて人なの、恥を知りなさい。女帝の指輪をそんな……」
ヘレン夫人の声は震えている。
しかしエマは鼻で笑った。
「なぜ恥を知るの? みーんな褒めてくれるわ。『あら、女帝の指輪? すごいじゃない! 見せて!』『女帝の愛用品なら私も欲しいわ。何でもいい! でもなかなか手に入らないものね』『家宝じゃない』って」
「褒めてもらえるから有頂天になっているのね、あなたは」
「ええ! 一躍社交界の花よ! こないだなんか、ハンプトン公爵家の奥様がこの指輪を見たいがためにあたくしをお茶会に招待してくださったのよ! 公爵家のお茶会! 夢みたいだったわ! 恥ずかしくないようにドレスも新調したし、宝石類も旦那様に買ってもらったし、これであたくしも有名な貴婦人ね。あたくしはこうしてマクリーン子爵家の名前を広めているの。すごく役に立つ妻だと思わない? お義母様!」
エマはひっくり返るくらい胸を張った。
「愚かな。一時の興味で呼ばれたお茶会に、いったいいくら使ったの」
ヘレン夫人は呆れてため息をついたが、エマは真意など分からないようにバカにした目をヘレン夫人に向けた。
「あら、失礼のないように身だしなみを整えるのは基本だわ。それにあたくしはこれからこの指輪であちこちのお茶会や夜会に行くのですから、初期投資ってものです。変な格好をしていってマクリーン子爵家の評判を落とすわけにはいかないし」
「誰もあなたやマクリーン子爵家に興味があるわけじゃないのよ。その指輪を見たいだけ。そして、その指輪はハンナのもの……」
ヘレン夫人が何とか諭そうとするが、エマは全く聞く耳を持たなかった。それどころが、自分に苦言を呈するヘレン夫人は何という分からず屋なのだろうと腹が立ち、ぴしゃりと言った。
「お義母様! それ以上仰るなら旦那様に言って、屋敷で謹慎してもらいますわよ。あんまりあたくしをバカにしないでくださいまし!」
それを聞いて、ハンナの方が慌ててしまった。
「大奥様。どうかもうおやめになって。エマ様はホントにやりかねませんから」
ハンナの声はよほど深刻だったのだろう。
ヘレン夫人は、まだまだ言い足りないことがあったが、ハンナに同意して黙ることにした。