#6 始令 急「おかえし」
急 ~おかえし~
「逃げるなアァ〜!食っちゃるウゥ〜!」
山蛞蝓は頭から尾まで、全身の側面から無数の腕を生やし、腕は次々に伸びて僕を捕まえようとしてくる。
両眼を潰され、全身に槍を刺され…山蛞蝓にとって僕への恨みは凄まじいものだろう。
今戦っていてよく感じる、その怒りを。
最初に戦った時よりも、パワーもスピードも増している。
襲い来る山蛞蝓の手の攻撃を、僕はバック宙や側転で横へ横へと移動しながら躱していく。
「小癪なアァ〜ッ!」
このままでは埒があかないと思ったのか、山蛞蝓は体を半回転させて、僕が移動する先の方向へも腕を伸ばし、挟み撃ちしようとしてくる。
足を止めた途端、山蛞蝓はこちらに狙いを定めて、さらに腕を伸ばしながら身を乗り出してきた。
「無駄です。」
山蛞蝓の方へ跳び、伸ばしてきた腕をぴょんぴょんと、腕の間を掻い潜りながら乗り移っていく。
そして、山蛞蝓の眉間を飛び越えると同時に、水桜を真上に真っ直ぐ掲げた状態でくるんと前宙し、眉間にザクッと切り込みを入れた。
「イデデッ…って、アレ?アレ?どうなってんだアァ…これエェ…?」
山蛞蝓は斬り刻まれた眉間に手を当てようとするが、その手が届くことはなく、次々に腕が輪切りになって地面へボトボトと落ちていった。
あんなに太くて力強い腕が、片手で振り抜いただけで輪切りになるなんて…流石は聖剣、すごい切れ味だ。
でも山蛞蝓の胴体は皮がぶ厚くかなり弾力があって、今入れた傷も浅く痛いで済む程度しかない。
どうにかして体内に直接攻撃できれば…
「ふざけんなアァ〜!食っちゃる!食っちゃる!食っちゃる食っちゃる食っちゃる…」
山蛞蝓はさらに怒りを爆発させ、頭部を伸ばして僕の方に噛みついてくる。
口の中に剣を突き立てたいところだけれど、口の開閉は思ったよりも速くて難しそうだ…どうしよう…
「オマエ何考えてるかわかんないけどオォ〜…言っとくけどオォ〜…おでに塩なんかかけても無駄だからナァ!町の奴らは塩や砂糖を投げてきたけどナァ〜…おでの皮はぶ厚いんだアァ!そんなの通らなイィッ!」
「“なめくじに塩”なんて甘い考えなんだよナァ〜!」
山蛞蝓は得意げに叫ぶ。
塩は、言わずと知れたナメクジの弱点。
本来ナメクジの皮膚は、水の出入りしやすい半透膜になっていて、その上を粘液が覆っている。
半透膜で隔てられた水には、膜の内外の塩分などの濃度を一定に釣り合わせようとする「浸透圧」という力が働く。
ナメクジは普段、体内の体液と体外の粘液の塩分濃度が同じくらいなので、浸透圧は小さく、体内から外へ大量に水が出ていくことはない。
でも、そこに塩をかけると…かけた塩は粘液に溶け、粘液の塩分濃度は体内の体液よりもずっと高くなる。
すると、体内の体液と体外の粘液の塩分濃度の差を埋めるために、浸透圧は大きくなり、体内の体液が外へ出ていく。
これは、水が体重の85%を占めるナメクジにとっては致命的で、たくさん塩をかければナメクジはすぐに乾涸びて動けなくなってしまう。
この現象は、あくまで浸透圧によってナメクジから水分が抜けることが重要なので、かけるのは塩ではなく砂糖や味の素でもいい。
…ところがこの山蛞蝓は、普通のナメクジと違って皮膚がぶ厚く、水を簡単に外へ漏らさないようになっているらしい。
でも、僕は諦めない。
僕は飛んでくる山蛞蝓の頭を、山蛞蝓の周りを回るように移動しながら躱す。
そして、何かを探す…朝晩の冷え込みが厳しく、例年ならまだ雪もちらつくこの時期なら、まだ屋外に置いてあるかもしれない。
「…!見つけた!」
僕は家屋の前に置かれた、「アイスバイバイ」と書かれた白い土嚢袋を見つけると立ち止まり、頭を突っ込ませてくる山蛞蝓の口の中へ、土嚢袋を持ち上げて放り投げた。
山蛞蝓は思わず袋を頬張って頭を引っ込め、袋をそのまま丸呑みにした。
「うごッ…なんだこれエェ…?こんなモノ食わせてもオォ…何にも意味ないゾォ!何のつもりダァ?」
「“なめくじに塩”という…甘い計算です。」
前半身をもたげた山蛞蝓に、地面を蹴って一瞬で肉薄し、腹部に刺突を繰り出す。
僕の『水龍奏術』は、自分の作った水しか加圧できないけれど、自分の体の外にある水にも波紋を作ることができる。
体内に水分を含む生物も、見方を変えれば水の塊…僕の能力でそこに波紋を作れる。
その波紋に打撃や斬撃を乗せれば…それは、どんなにぶ厚い皮膚を持っていようともお構いなしに貫通する、防御不能の凶器と化す。
その名も…
「『震透撃』」
ブシュウゥッ!
刺突の衝撃は山蛞蝓の腹部を貫き、反対の背中側から水が噴き出す。
「オ…オォッ…!?な、なんだこれエェ!?なんだこれエェ!?」
山蛞蝓の傷穴はシューシューと音を立てて乾涸び、直後に全身の皮膚が泡立ち始めた。
僕はここでタネを明かす。
「皮膚に塩をかけても通らない…ならば、皮膚ではなく体内に塩をかければいい。」
「あなたがさっき丸呑みにした袋の中身は融雪剤…塩化カルシウム、吸水性の高い“塩”です。」
「僕はあえてあなたに融雪剤の袋を飲み込ませ、体内にしっかり入ったことを確認してから、袋を破いたんです…あなたを内側から乾涸びさせるために!」
「な、なんなんだアァ…オマエェ…」
呻く山蛞蝓に、僕は毅然と返す。
「硯桜華」
「あなたの悪事…僕が禊ぎ祓います」
すると水桜が話し掛けてきた。
〈もう一度妾を鞘に納めよ…そして抜き“一巻読了”と唱えるのだ。〉
水桜に言われた通り、剣を鞘に納めて再び抜刀すると、刀身がさらに強く光り輝く。
「『一巻読了』!」
〈斬って果たせよ、其方の望みを。〉
「…はいっ!」
僕は山蛞蝓の頭頂に剣を突き刺す。
水分を失った皮膚は脆く、剣が簡単に深く刺さる。
そして僕は、そのまま山蛞蝓の尾に向かって、螺旋を描くように山蛞蝓の胴体を切り裂いた。
「『水月・降龍斬』!」
「ぎょオォ〜ッ!」
螺旋切りにされた山蛞蝓は地面に倒れ込み、断末魔を上げながらさらに縮んでいく。
山蛞蝓の肉体は数十秒で真っ黒に変色し、ぼふんっと煤になって弾けて消えた。
同時に、街を覆う見えない壁にもヒビが入り、ガラスが割れるように崩れていく。
〈やったな、桜華。〉
「まだです。」
〈何だと?〉
「探さなきゃ…おばあさんのミサンガ…!」
僕は山蛞蝓の倒れた場所に駆け付けると、山蛞蝓の腹から飛び出してきた、粘液でぐちょぐちょになったガラクタの山に手を突っ込んだ。
【丁種怪魔 山蛞蝓】
─成敗─
──────
〔丸の内二丁目〕
その後僕はイクチに乗って、姫様たちのいる場所まで急いで戻ってきた。
聖鎧を解いて元の格好に戻り、討伐隊員に連れられているお婆さんのもとに駆け寄り、声を掛ける。
「おばあさん!」
隊員たちは驚いた様子で僕を見つめている。
討伐隊員でも御庭番でもない一般人の僕が、突然聖剣を手にして怪物を倒して帰ってきたのだから…驚くのも無理はない。
驚いた顔で振り返るお婆さんに、僕は糸の切れ端を掌の上に乗せて差し出す。
飲み込まれた時点で覚悟はしていたけれど…やはりミサンガは、山蛞蝓の食べた他のガラクタや瓦礫にすり潰されてしまったらしい。
粘液まみれになったガラクタを必死にひっくり返したけれど、結局この糸きれしか見つけられなかった。
「これしか見つけられなくて…ごめんなさい…本当は全部見つけてあげたかったのに…」
僕がそう言うと、お婆さんは僕の掌を両手で包んできた。
「これ…あなたにあげるわ。」
「えっ…おばあさん、このミサンガを渡したい人がいるんじゃ…」
僕は慌てて首を左右に振る。
お婆さんはそんな僕の目をまっすぐ見つめ、ぼろぼろと涙を溢し、手を震わせる。
「今日までほんとうにつらかったけど、今日ほど生きててよかったと思ったことはないわぁ…わたしはね、ずっとあなたに渡すために待っていたのよ…」
「ほんっ…とうにっ…ありがとねぇ…そして、おかえりなさい…」
「こんなに嬉しいお返しはないわぁ…」
「硯の坊ちゃん…おおきくなったねぇ…」
お婆さんの言葉に、突然鋭い頭痛が走る。
〜〜〜〜〜〜
「これをあげるわ。硯の坊ちゃん。」
「うー?おばあちゃん、これなあに?」
「それはミサンガっていうの。御守りよ。」
「おまもり!おまもり!かっこいい!ふふ〜ん♫」
「ふふ、気に入ってくれたかしら?それならまた作ってあげるわ。」
「うん!」
〜〜〜〜〜〜
今のは…何…?
もしかして、今のは…僕の“思い出”?
このミサンガは、僕にとっても“思い出”…?
僕はこのお婆さんに、ずっと前に会ったことがある…?
そんなことを考えていると、後ろから姫様が慌てて駆けてきた。
「あ、あの〜!すみません!君から色々話を聞かなくては…」
〈まずいな、逃げるか。〉
水桜がそう呟いた次の瞬間、突然イクチが現れて僕の首根っこを咥え、空高く飛び立った。
「ちょ、ちょっと…水桜!?」
〈まだバレたくない…お前の家に案内しろ。〉
僕が「夢見山の裏です」と一言告げると、イクチは硯邸の方角へ猛スピードで飛んでいった。
下には驚いた表情のお婆さんと、ぽかんとした表情の姫様が見える。
二人の姿が遠ざかっていく中、僕はふと思い出した。
あぁ…そういえば…
買い物袋、置いてきちゃった…
──────
〔夢見山山中 硯邸〕
その夜のこと。
「桜華!」
「兄様!」
「誕生日、おめでとう〜!」
「おめでとうございます〜!」
パァン!と鳴るクラッカー。
ホイップクリームにさくらんぼ・苺・桃といったフルーツがデコレーションされた、大きなイタリアンプリンが、サンデーグラスに乗せられている。
「二人とも、ありがとうございます!」
3月3日…また忘れてたけれど、今日は僕の誕生日。
僕はプリンが大好物で、硯家では毎年僕の誕生日に大きなプリンを作ることになっている。
「今日は丸の内で妖魔が出たと騒ぎになっていましたが…兄様がご無事でなによりです」
そう言って微笑む廿華。
山蛞蝓と戦ったことは、まだゲッコー師匠と廿華には伏せている…いっぺんに今日あった色んなことを話しても混乱させるだけだし、なにより心配させたくない。
水桜と術巻は自室にどうにか隠している…ずっとは誤魔化せないと思うけど。
ピンポーン♫
食卓に着こうとすると、インターホンが鳴り、僕たちの視線は居間の壁に取り付けられたモニターの方に向いた。
ゲッコー師匠は訝しげな顔をする。
「こんな時間に来客か?珍しいな…」
「僕が出てきます。」
廿華も少し不安そうにしているし、ここは僕が対応しよう…もしかすると妖魔のイタズラかもしれないし。
モニターに顔を近付けた僕は…急いで玄関へ飛び出し、戸を開けた。
そこにいたのは…
「夜分遅くに失礼いたします。」
「甲府御庭番衆隊員・甲府藩主飯石家の長女・飯石蜜柑と申します。」
姫様と、鬣に赤い炎を纏ったライオン。
「ひ、姫様…!?」
姫様は名乗り終えるとにこりと笑った。
「お久しぶりです、桜華くん。」
ひ、久しぶりって…どういうこと…?
〔つづく〕
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〈tips:アイテム〉
【術巻】
術式のエネルギーが籠められた小さな巻物。
様々な神話や童話などの概念の力を籠めており、起動するとそれらに対応した術式を発動できる。
術巻を聖剣に読み込ませることで、術巻の術式と聖剣を連動させることも可能。
術巻は、神話録・生物記・御伽話・怪奇譚の4種に分類される。
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