#57 撈月 急「星海に睡るアクアリウム」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
甲府藩を守る「甲府御庭番衆」に急遽入隊した、竜の少年・硯桜華。
これは一人前の侍となるべく御家人研修に臨んだ桜華の身に起きた、一春の友情と悲劇の物語である。
─2031年4月12日 9:20頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 荒川河川敷〕
魔神・虹牙だ…!
よりにもよって、このタイミングで来るなんて…
いや、違う…
堊虞漊の封印を解いた、共犯者の存在…
その正体はもしかして…魔神たち…!?
だとすれば、虹牙はここに…
来るべくして来た、そういうことになる。
…なんて考えてる場合じゃない!
虹牙が持っているのは、管狐兄妹の両親の魂を保管していたものと同じ、魂の状態を停止させたまま保管する魔導具・金瓢箪。
どういう関係かは知らないけど、堊虞漊の魂を金瓢箪に入れて持ち帰ろうとしているんだ…堊虞漊はここで完全に殺さなきゃいけない…一刻も早く止めないと!
一瞬のうちに金瓢箪に魂魄と思しき光の粒子を集めきった虹牙は、すぐに踵を返してその場を去ろうとする。
僕が駆け出そうとしたその時、既に虹牙の前には石野さんが仁王立ちしていた。
「何処へ…行くつもりですか…?」
見下ろしながら睨みつける石野さんに対し、虹牙はぴたりと止まったまま動かない。
と思った次の瞬間…
ゴキイィンッ!
凄まじい勢いで振り下ろされる山刀を、虹牙は剣を真横に構えて受け止めていた。
叩きつける魔力と、それを防ぐ魔力、強大な魔力がぶつかり合い、こちらにまでビリビリと衝撃が伝わってくる。
「随分と寡黙になりましたね…君らしくないな、目黒君。」
「…」
石野さんの言葉に対しても、虹牙は応じる様子を見せない。
石野さんは、怪魚人たちとの戦い、ここまでの移動、そして堊虞漊との戦いと極ノ番発動で、かなり消耗しているはずだ。
それに加えて懸念されること…それは、極ノ番のデメリット。
晶印さんから教えてもらったことだけど、極ノ番は一度使うと魂の魔力が擦り切れてしまい、その後しばらくの間はソウル能力が使用できなくなってしまう。
ソウル能力が回復したとしても、再び極ノ番を発動できるまでには一晩かかるそうだ。
つまり今の石野さんは、戦いの疲労に加えて、ソウル能力が使用困難な状態で、虹牙と打ち合わなければいけない。
いくら最強の石野さんでも、今の状況は流石に危ない…!
急いで駆け寄ろうとすると、石野さんが声を張り上げて制止してきた。
「桜華君!…下がっていなさい。」
その剣幕に思わず「はいっ!」と返して立ち止まると、再び石野さんと虹牙との剣撃の応酬が始まった。
まず虹牙が瞬時に左へスライドしながら剣を縦に構えて山刀を流し、逆手に持ち替えて石野さんの顔目がけて下から上へ垂直に斬り上げる。
石野さんは即座に首を傾けて躱すと、流されて地面に当たった山刀を斜め上へ弾ませ、虹牙の胴目がけて振り抜いた。
ガコンッ!
虹牙の防御は間に合わなかった…と思いきや、音が軽い。
すぐに剛躰と散力を併せて発動したのかな?
虹牙は斬られた勢いを殺しきらず、横に回転しながら宙返りで着地すると、石野さんとは反対方向へ駆け出す。
川の深みに差し掛かっても止まることはなく、そのまま水面を切って駆けていく。
なんて走力とバランス感覚…そこにすぐさま石野さんが追い付くと、両者の剣が再びかち合った。
ギイィンッ!
絶えず流れ続ける水面を、両者ともまるで地面のように蹴飛ばしながら、剣撃の応酬を繰り広げる。
ガン!ガキンッ!ギィンッ!ゴンッ!
そのぶつかり合いは、最早ほとんど目で追えないスピードにまで達している。
これが甲府最強と日本最強の激突…僕なんかには割り込む余地もない、強者の絶対領域…!
ガガガゴガガガゴガガガゴガガガゴッ…
嵐のような刺突と斬撃の衝突に、川面は激しい白波と水飛沫を立てる。
ゴッ!
石野さんの山刀が、刺突の猛連打をすり抜け、虹牙の胸元を小突く。
ここまでの応酬はただの剣撃じゃなくて、シン陰流・律速抜刀のぶつかり合いだったんだ…!?
虹牙が一瞬怯んだその隙を、石野さんが見逃すはずが無かった。
石野さんはさらに身を翻し、斜め斬りを三発同時に放つ。
虹牙はすぐさま剣を縦に向けてガードするも、一発防ぎきれずに脇腹に食らう。
さらに間髪入れず、石野さんは左脚で強烈なミドルキックを撃ち込み、大きな水飛沫を上げながら虹牙を法面へ大きく吹っ飛ばした。
ドゴッ…バシャアァーンッ!
実力は互角なんかじゃない…
虹牙が…晶印さんや国音さんでも止めきれない、あの虹牙が…
ソウル能力すら制限された石野さんに、圧倒されている!
「『神命快刀・四巻読了』」
ザワッと鳥肌が立つ…あの剣に、虹牙の魔力が満ちた時の、あの感触だ。
「『虹月・兇流星・月命的殺』」
虹牙の居る方向から、星のような光が何個もキラリと光って見える。
これは…虹牙が黄泉比良坂で使った、飛ぶ斬撃の流星!
──────
聖剣の読了撃における奥義・四巻読了。
新閃目黒の日本最速・最強の刺突にそれが加わることにより、飛ぶ斬撃はまさに「隕石」と呼ぶに相応しい威力にまで達する。
対する石野千秋は一歩も動かず、山刀を鞘に納めて卍構えを取る。
そして斬撃が千秋に触れた、その瞬間…
バチンッ!
千秋の手は瞬時に斬撃に反応し、それを叩き落とした。
次々に絶え間なく飛んでくる斬撃を、千秋はさらに一つ残らず叩き落としていく。
「十合技・奥義…『落桜摂』」
自身の周囲に薄い魔力のバリアを張り、それに接触した攻撃を自動的に迎撃する、物量攻撃系の極ノ番への対策技術の一つ。
他の九技を修めた者へ伝授される、十合技の“奥義”である。
石野千秋は日本史上数少ない、十合技全ての技で極伝を成し遂げた侍。
特に奥義・落桜摂の技量は凄まじく、実に20年以上に亘り今も尚、総師範の座を譲っていない。
石野千秋の前では、物量に任せた凡ゆる攻撃は通用しない。
たとえそれが、甲府の守護神として全国に名を馳せた、風の二大筆頭によるものであったとしても。
千秋は斬撃を叩き落としながら、ヒビが入るほどの力で地面を蹴ると、斜め上から飛びかける形で山刀を大きく振り下ろし…
ガキイィン!
凄まじい力で剣を弾き落とすと、右手で虹牙の腕を掴み、額に青筋を浮かべながら、左の拳で虹牙の顔面ど真ん中を撃ち抜いた。
「フンッッ…!!」
バキイィッ…ペキッ
虹牙は即座に首を傾けて真ん中から狙いを外したものの、左頬に拳を食らい、兜の左目周辺の部分が割れる。
「…っ!?」
割れた仮面。
その奥に見えた“何か”に、最強の侍は一瞬激しく動揺する。
千秋が固まっているうちに、虹牙はさらに後方へ大きく吹っ飛ばされていった。
──────
石野さんが虹牙を倒した…!
でも石野さんの様子が少しおかしい気がする…攻撃が止んだのを改めて確認し、すぐ石野さんのもとへ駆けつける。
「石野さん!大丈夫ですか…!?」
「…あぁ、はい、特にケガもありませんよ…ご心配無く。」
「よかった…」
石野さんが不利な状況にあるなんていうのは杞憂だった…これが、生物として最強の存在…ただ息を呑むばかりだ。
…と見惚れてる場合じゃなくて、早く虹牙から堊虞漊の魂の入った金瓢箪を取り返さなきゃ…
そう思い直した頃、石野さんは再び僕の前に腕を出して、これ以上先へ行くなというサインを出してきた。
「おやおや…やはり日本最強の侍、勘が鋭いですねぇ…そうですよ、それ以上先へ進むと奈落の底へ落ちてしまいます。」
聴こえてきたのは氿㞑の声。
やっぱり堊虞漊の封印を解いたのは…
「氿㞑…」
橋の欄干に腰かける氿㞑。
僕が牙を剥いて睨みつけると、クククと軽く笑い返してきた。
「大神実を食べた恩恵は受けられたようですねぇ…おかげで貴方“だけ”は死なずに済んだ…良い見世物でしたよ。」
あいつが堊虞漊の封印を解かなければ、事件が起きることはなかった。
「魔神・虹牙は石見家にとって極めて重要な戦力…ここで壊されてしまっては困ります故…今日はお引き取り願います。」
既に虹牙の姿はどこにも見当たらない…もしかして転送された…?
じゃあ堊虞漊は…堊虞漊も一緒に…逃がしてしまった…?
嘘だ。
これ以上被害者を増やさないために。
弥舞愛の仇を取るために。
僕はあいつを殺すと誓ったのに。
「しかし石野千秋…何を青ざめているのです?何か見てはいけないものでも見たような顔で…」
「そんなことはありません、あれは“見ておくべきもの”だった…俄かに信じ難いものですが…」
石野さんと氿㞑が何か話している。
でも内容が頭に入ってこない。
弥舞愛…愛宮衣さん…
僕は守れなかったうえに、仇を取ることすらできなかった…
〜〜〜〜〜〜
「あのね、桜華…私、桜華と一緒に海に行きたい…!」
〜〜〜〜〜〜
弥舞愛…ごめん…な…さ…
バタッ
「…桜華君?…桜華君、しっかりしてください!桜華君!桜華君──」
地面が冷たい。
石野さんの声がどんどん遠退いていく…
そこから先の記憶は無い。
──────
「──華、桜華。」
「ん…あなたは…」
瞼を開けると、そこには横たわった僕を心配そうに見下ろす鉢かづきの女性。
「お母…様…?お久しぶりです…」
広がる満天の星空、桜の木の下。
ここは僕のグラマー界…
僕、気絶して星辰潜行してしまったんだ…
お母様は僕を膝に寝かせ、少し微笑む。
でも…涙が頬を伝っているのが見えた。
「お母様…どうして泣いて…?」
「桜華…この世界の乱れから…あなたの心の動きから、あなたに何が起きたかを知ったからです。」
お母様は普段、外界で何が起きているかを知ることはできない。
でも、僕の心に何か強いストレスが加わると、外の世界の情報が伝わることがあるらしい。
心当たりは一つしかない。
弥舞愛の死だ。
「桜華…かわいそうに…」
そう言いながら、お母様は僕をゆっくり抱きしめる。
僕は首を横に振って返す。
「違うんです、お母様…僕のせいなんです…僕が油断したから、もっと早く弥舞愛と山神が知り合っていたことに気付いていれば…こんなことには…」
お母様は黙って頷きながら、僕の背中をトントンと優しく叩く。
「僕がっ…弱がっだからっ…弥舞愛をっ…友達を、守れながっだ…」
涙と嗚咽でぐちゃぐちゃになっていく言葉を、それでもお母様はゆっくり優しく聞いてくれた。
そしてお母様は僕の頭を撫でながら、語り出した。
「桜華…あなたは弱くなんてないわ…」
「あなたはとっても優しい子…だからいっぱい傷付くし、いっぱい苦しむこともある。」
「それでも自分の優しさを捨てずに、誰かのために傷付くことができるのは、あなたの立派な強さです。」
「あなたが侍になりたいって言った時、私は心配だったのです…いつか人を斬らねばならない時が来て、命を大切にするよう教えられてきたあなたはとても辛い思いをするのではないかと…」
「心の傷は決して簡単には癒えないもの…だからその時、せめて私はあなたの側に居てあげたかった。」
「今はこうしてしか会えないけれど…これだけは忘れないで、桜華。」
「心が声なき悲鳴を上げている時こそ、独りになってはダメ。」
「少しでもいいから、私や夕斎様たちに…あなたを愛する大人たちに、あなたは甘えていいんですからね。」
お母様は、僕が泣き止むまでずっと抱きしめてくれた。
まだ真新しい傷はズキズキと痛み続けているけど、今だけはこの優しさと暖かさに身を委ねて…
──────
─2031年4月12日 14:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 町立長瀞病院〕
病院の一階のカフェに行くと、窓向きのカウンター席に石野さんの姿があった。
「もう動いて大丈夫なんですか?」
石野さんはコーヒーを片手に、振り返って声をかけてきた。
「はい、傷も塞がりましたし…まだ痛いですけど…それより、中学校の人たちは…」
僕がそう言うと、石野さんはやれやれとため息をついた。
「まったく君は…どこまでも他人のことばかり…」
土曜日の登校日に起きた、荒川尋常中学校の襲撃事件。
犠牲者は弥舞愛を含めて合計78人。
残りの77人は弥舞愛による犠牲者ではなく、氿㞑や堊虞漊に殺害された犠牲者だった。
中学校を中心に広域に展開されていた筵は氿㞑によるもので、以前に甲府の中央病院が氿㞑による襲撃を受けた際に、蜜柑が発見・破壊したものと同じ装置の破片が発見された…あれがあれば、怪魔を召喚せずとも筵を展開できるのだ。
装置は堊虞漊が持っていたらしく、石野さんが極ノ番で堊虞漊を倒した際に、一緒に破壊していたそうだ。
外は土砂降りで、空も暗く、稲光が時々見える。
負傷者が雪崩れ込んだせいか、病院の待合は人でいっぱいで、大雨の中でも送り迎えの車がひっきりなしに行ったり来たりしている。
石野さんは僕に欲しい飲み物や食べ物がないか聞いてきて、カフェオレとミルクレープを奢ってくれた。
しばしの無言の後、僕はふと思い出す。
「あの…石野さん、今回の命令無視なんですが…」
「説教はしないのか、と言いたいのですか?」
「はい…あの、本当に…勝手に動いて、すみませんでした。」
「重傷者にくどくど説教する趣味はありませんし、君も重々反省しているようなので、今回はもういいですよ。それに…君が早く駆け付け、智多川弥舞愛や堊虞漊を引き付けたことで、結果的に被害は抑えられました。」
そして思い出す、あの瞬間を。
「…石野さん…僕は今日、初めて人を殺しました。」
「…えぇ。」
「人は皆んないつか死ぬし、皆んなが皆んな天寿を全うできるわけじゃない…頭ではわかっているつもりだったけど、実際に命を奪う立場になって、それまで頭の片隅にあった疑問が膨れ上がったんです。」
「…」
「ねぇ、石野さん…人ってこんな簡単に死んでいいの?」
石野さんは眼鏡を直し、ゆっくり淡々と答える。
「その問いは…これまで誰もが答えを求め、そして未だに得られていない難題です。」
「たとえ佳人が生前に善行を積み上げ、奸賊が悪行を重ねたとしても、その多寡によって訪れる最期の早晩や苦楽が変わるとは限らない…誰一人として同じ死に方をする訳では無いのです。」
「死は無常ですよ。」
「命の価値が平等であることと、死が誰しもに平等であることとは、それぞれ全く異なります…死に様が命の価値を決めることはありませんし、逆もまた然りです。」
「不条理に思えるかもしれません…そんな世の理の下で、全ての人の命を尊び、分け隔てなく安らかな生と死へ連れ行こうというのは、きっととても辛く苦しい。」
「故に絶望を覚え、時に倫理さえ投げ棄ててしまう者も居る中でも…」
「そんな中でも、命の尊さと死の重さに向き合おうとし続ける、君の優しさは決して誰しもが持てるものではない…桜華君。」
「実現は決して容易でなくとも、これから何があったとしても、その優しさだけは絶対に手放さないでください。」
「それが…君の“侍”としての在り方なのだから。」
〜〜〜〜〜〜
「私は君を侍としては認めていません。」
〜〜〜〜〜〜
江戸研修初日の石野さんの言葉を思い出す。
初期研修は今日が最終日で、今回の任務もこれにて完了。
二週間にわたる研修…僕は最後に、侍として働くことの苦味をたっぷりと思い知って、今日をもって侍になった。
そして石野さんは、白い小さな紙箱を僕の前に置いてきた。
「智多川弥舞愛の遺品です…事件捜査における重要性が低いとのことで、親類縁者も居ないことから処分されるところを回収してきました。」
「石野さん、これ…」
箱を開けると、入っていたのは、弥舞愛が左手首につけていた、あの水色のミサンガだった。
水族館で繋いだ手の温もりや、最期に握った手の冷たさを思い出すと、自然と涙がポロポロと出てくる。
石野さんは続ける。
「命に対する価値観は、人それぞれですが…」
「人が真に死す時とはどんな時か…私は、それは人に忘れ去られた時だと考えています。」
「人が思い出を作り、思い出は人を生かす…これは君の言葉でもありますね。」
「私たちは命を物理的な“魂”として捉えることができますが、私は生や死とはもっと広い意味を持つものだと思っています。」
「たとえ魂が消滅したとして、それは現世における死であっても、真なる死を意味するとは限らない。」
「だから桜華君、君の思い出の中に…弥舞愛さんを生かしてあげてください。」
「君が風弥君や菫君にしているのと、同じように。」
水族館で大水槽を前にはしゃぐ弥舞愛の姿を思い出す。
弥舞愛は確かに生きていた。
あの広い海を泳いでいた。
涙の粒がどんどん大きくなっていく。
思い出せば思い出す程、胸が強く痛んで息が詰まる。
海に行くならどこへ行こう?また水族館に行くならどこへ行こう?甲府の皆んなとも仲良くなれるかな?
続いていくはずの未来は、永遠に失われてしまった。
肩を震わせてさめざめと泣く僕の背中を、石野さんはずっと優しく撫でてくれていた。
泣いた後のカフェオレとミルクレープはなんだかとても美味しくて、憎らしいくらい自分が生きているのを感じた。
──────
病室に戻ると、僕のベッドの前に大人の男性一人と、僕と同い年くらいの女の子一人が居た。
男性は弥舞愛の担任。
女の子は弥舞愛に対するいじめの主犯格で、僕が一昨日ストラップを投げ捨てたフリをした女子生徒三人組のリーダーだった。
他の二人は学校襲撃の際、堊虞漊に喰われて死亡していた。
二人とも弥舞愛に襲われてケガをしていたが、治療後すぐに意識が戻り、弥舞愛が死んだことを知ったらしい。
そして僕のもとまで謝罪しに来たのだ。
謝る相手は僕じゃないだろう。
別に特段怒りは湧かなかったけど、強い違和感は覚えた。
とりあえず許されたいのか、今ある罪悪感を片付けたいのか。
この人たちは根からの極悪人なんかじゃなくて、本当はいたって普通の人たちなんだなと思った。
僕は弥舞愛じゃないし、弥舞愛の代わりに怒る資格も無い。
だけど「いじめられたのは僕じゃないからいいですよ」と言うのは、何か違う気がした。
この人たちを、現実から逃してはいけないと思った。
「弥舞愛を殺したのは僕です。」
「でもあなたたちには、弥舞愛を深く傷付けて、結果的に死に至るまで導いた罪があるのかもしれません。」
「それを決めるのは弥舞愛ですが、弥舞愛はもうこの世には居ない。」
「もしあなたたちに罪の意識があるのなら…」
「これから死ぬまで一生、智多川弥舞愛という人間が生きていた…確かにあった事実を、絶対忘れずに生きてください。」
「それが僕らにできる、唯一の償いです。」
僕の言葉に二人はしばらく呆気に取られたような顔をした後、真剣な顔で「はい」と答えた。
堊虞漊との戦いで負った傷は深く、戦闘中に魔力を使い果たしたため、水桜の自動回復や黄泉醜女様の癒術では負傷をカバーしきれなかった。
それでもお医者様方の処置のおかげでだいぶ回復したけど…念の為病院に一泊することになった。
その日の夜は魘された。
弥舞愛の頸を斬ったあの感触がずっと手にこびりついていて、弥舞愛の式神に食いつかれた傷も治りが遅く疼いていて、病院服は寝汗でぐしょぐしょになった。
介錯なんてしたことがなかったから…あの時、弥舞愛には苦しい思いをさせてしまったかな…
怨まれても仕方ない、呪われても仕方ない、弥舞愛を殺してその未来を奪ったのは僕なのだから…
──────
夢には弥舞愛が出てきた。
一緒に水族館に行った時の、水色のワンピース姿だった。
僕は話すことも身動きを取ることも何一つできず、弥舞愛の話を聞くことしかできなかった。
弥舞愛は微笑みながらも、少し申し訳なさそうな顔で語りかけてきた。
「桜華…あのね、ありがとう!」
「私を私のままでいさせてくれて…」
「桜華の手、最後まであったかくて…すごく安心して逝けたんだよ。」
「それなのに…私のこと、助けてくれたのに…いっぱい噛み付いてごめんね。」
「傷痕…なかなか消えないんだよね?本当は、私が桜華と一緒に居た証に、そのままずっと残しておきたかったけど…」
「桜華が苦しかったら元も子もないから…持って行ってあげるね。」
弥舞愛は切なそうな笑みを浮かべてそう言うと、左手首から水色のミサンガを外して、僕の左手首につけた。
「代わりにこれだけは…残して行くから、大事にしてね。」
そして弥舞愛はまるで毒気が抜けきったかのような、花が咲いたような満面の笑顔を向けてきた。
一緒に水族館に行った時と同じくらい、眩しい笑顔だった。
「桜華…私たち、これからもずっと友達だよ!」
「…じゃあね!」
ここは水族館の中、大水槽の前。
弥舞愛は足に羽が生えたように軽やかに駆け出すと、大水槽のアクリルに飛び込んだ。
大水槽の奥に、無限に広がる海。
小さな一匹のヤマメが、その奥へ勢いよく泳いで消えていった。
──────
涙が頬を伝う感触で目を覚ますと、外は既に朝になっていた。
左手首には、箱に入れたままにしていたはずの水色のミサンガがつけられていた。
「有り得ぬ…魂は既に…」
ベットの横に居る黄泉醜女様は、何かを察したのか、信じられないという顔で首を横に振っていた。
──────
─2031年4月13日 13:00頃─
〔甲府城 屋形曲輪 屋形曲輪書院〕
天守広間での御家人研修の完了報告後、飯石夕斎、本多䑓麓、そしてお忍びでやって来た徳川義昭は、石野千秋から長瀞町での一連の事件の詳細と桜華の身に起きたことについて説明を聞いていた。
夕斎は深くため息を吐きながら、首を横に振り俯いた。
「…そうか、そうであったか…桜華…」
その隣で、義昭も口をへの字に曲げ、眉を下げる。
「初期研修最後の厳しめの任務の“厳しめ”って、そういう意味じゃないんだけどなぁ…」
「桜華君…今朝からは普段通りの様子に戻りましたが、心の傷はそう簡単に癒えるものではない…偏に私の監督が行き届かなかったことが原因です。」
そう言って再び頭を下げる千秋に対し、一同は慌てて頭を上げるよう促す。
すると襖の向こうから、桜華の声が響いてきた。
「失礼いたします、本多䑓麓様はいらっしゃいますか?研修の終了報告が済んだら書院へ来いと言われたのですが…」
「うん?どうして桜華を呼びつけたのだ?」
夕斎が尋ねると、䑓麓は大きくため息を吐いて立ち上がった。
「はぁ〜…当事者を抜きにして、いい歳した大人たちが揃ってお通夜ムードになってても仕方ないでしょ…」
「桜華くーん、そこで待っててくださーい。」
「大事な話は済んだようですし…これから僕は、桜華くん連れてご飯食べに行ってきます。それでは。」
䑓麓は相変わらずの棒読みのようなトーンで言い切ると、せかせかと早足で部屋を後にした。
千秋はその後ろ姿を見て、ほっと息を吐き少し微笑むのだった。
「君は十分大人になれていますよ、䑓麓君。」
──────
─2031年4月13日 13:30頃─
〔甲府城 清水曲輪 武徳殿前〕
突然䑓麓さんがお昼を奢ってやると言い出したので、お言葉に甘えて回転寿司をリクエストした。
「本当に回るお寿司でいいんですか?僕の財力なら回らないお寿司で大トロ食べ放題ですよ?」
「皆んなで行くなら回る方がいいです、回らない方はまた今度奢ってもらいます。」
「何気に両方奢らせようとするの厚かましすぎですよ。」
せっかくだから皆んなと行きたい。
武徳殿へ向かうと、道場の前には蜜柑、目白、恋雪、そして廿華が待っていた。
「あ!桜華くんだ!おーい!桜華く〜ん!」
「兄様!おつかれさまです〜!」
「桜華先輩〜!おかえりッス〜!」
ぴょんぴょんと跳ねながら大きく手を振ってくる、蜜柑、廿華、そして恋雪。
〈桜華よ…本当に大丈夫なんだろうな?〉
心配そうに伺ってくる水桜の声。
〈無理な空元気は妾の癪に障る、赦さぬぞ…〉
「いいんです。」
僕はそう一言だけ返す。
弥舞愛は広い海へと泳ぎ出て行った。
限りの無い、広く自由な海へ。
僕が弥舞愛を忘れない限り、弥舞愛はあの海を泳ぎ続ける。
僕が弥舞愛を忘れない限り、弥舞愛はあの海で生き続ける。
だから忘れない。
弥舞愛と過ごした、掛け替えのないたった三日間のことを。
これから一生憶えている。
「今行きます〜!ちょっと待ってて〜!」
蜜柑たちに手を振り返す。
待ってて、僕は強くなるから。
待ってて、必ず仇は討つから。
左手首の水色のミサンガを握り、目を閉じ、息を吸う。
「またね、弥舞愛。」
僕たちはずっと繋がっている。
─うん、桜華!─
思い出の中の大海原で。
急 ~星海に睡るアクアリウム~
第三章『山女魚の漣』終
──────
─2031年4月14日 5:30頃─
〔金沢城 二ノ丸 二ノ丸御殿〕
松と虎の描かれた、金色の障壁。
差し込んだ朝焼けは、大広間を眩く煌めかせる。
上座にどっしりと座るのは、加賀前田家の世嗣・前田利雅。
そして中座から下座にかけ、向かい合う形で4人ずつ2列に、背中に荒々しい文字で「大傾奇」と書かれた特攻服を羽織った8人の少年少女が並んで座る。
「集まったな野郎どもォ!名乗り上げてくぞォ!」
けたたましい利雅の声に応じ、8人は一人ずつ名乗りを上げていく。
1人目は、黒髪の散切り頭に険しい糸目の、長身の少年。
家紋は丸ノ内立葵。
「壱番、本多政佳。」
[実事鬼]
【本多 政佳】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・本多家(加賀本多家)の三男~
2人目は、赤髪と青髪がセンターで分かれたマッシュルームヘアの、モノクルをかけた垂れ目の少女。
家紋は銭九曜。
「弐番、長連翹。」
[花車鬼]
【長 連翹】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・長家の長女~
3人目は、荒々しい鬣のような橙色の髪を下ろした、吊り目の長身の少女。
家紋は丸ノ内万字。
「参番、横山隆輝。」
[女武鬼]
【横山 隆輝】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・横山家の長女~
4人目は、顔のあちこちにピアスが目立つ、薄桃色のパンクロックショートヘアの、狐目の長身の少年。
家紋は角ノ内梅鉢。
「肆番、前田孝春。」
[和事鬼]
【前田 孝春】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・前田家(対馬守家)の長男~
5人目は、紫のメッシュが所々に入った白髪の姫カットの、吊り目の青白い肌の少女。
家紋は丸ノ内九枚笹。
「伍番、奥村栄渼。」
[傾城鬼]
【奥村 栄渼】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・奥村家(宗家)の次女~
6人目は、癖のある緑髪の、右目以外をマスクで覆った、小柄な痩身の少女。
家紋は丸ノ内上羽蝶。
「陸番、村井タテハ。」
[悪婆鬼]
【村井 タテハ】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・村井家の長女~
7人目は、白髪のナチュラルヘアに、顔に金色の様々な文字や紋様が描かれた、小柄な少年。
家紋は丸ノ内九枚笹。
「漆番、奥村福殷。」
[和実鬼]
【奥村 福殷】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・奥村家(分家)の長男~
8人目は、六角柱のバケツのような兜で頭全体を覆っていて、顔部分は縦に開き、その中から赤い単眼が光る。
体格は一際大きく、機械処理されたような声を出す。
家紋は木瓜ノ内梅鉢。
「捌番、前田直靂。」
[荒事鬼]
【前田 直靂】
~加賀藩筆頭家老家「加賀八家」・前田家(土佐守家)の長男~
「そして最後はこの俺…前田利雅ッ!」
[座頭鬼]
【前田 利雅】
~加賀藩主家・前田家(前田利家の前田氏)の長男~
揃ったのは、加賀藩主家・前田家の若君。
そして、加賀藩に仕える八つの筆頭家老家「加賀八家」の、次期当主8人。
朝焼けの空を轟かす勢いで、利雅は声を張る。
「さぁいよいよ始まるぞ…俺たちの晴れ舞台、中部藩校合同林間合宿がッッ!!」
加賀より甲府を睨む、18の瞳。
中部地方の全藩校を巻き込む一大合宿。
その熱気の矛先は…
奇跡の生還が伝えられた竜の子・硯桜華である。
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:人物〉
【硯 桜華】
主人公。
硯家の長男で、甲府御庭番衆隊員。
甲府藩の元筆頭家老・硯風弥とその妻・硯菫の息子。
14歳・風雲竜で、段位は丁位。
少女と見紛う程の可憐な容姿をしており、性格は心優しく困っている人を放っておけない。
幼い頃に石見宗家によって両親を殺害され、自身も重傷を負った上に記憶の一部を失った。
人の「命」と「思い出」を何よりも尊ぶが、侍として人を斬るという一線を越え、命の価値と死の不条理の矛盾に苦悩するようになる。
花菱の飾りがついた右手首のミサンガと、海のような水色をした左手首のミサンガは、どちらも掛け替えのない宝物。
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