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甲州御庭番劇帖  作者: 蕃石榴
壱ノ巻-第三章『山女魚の漣』
56/57

#56 撈月 破「いきたい」

 透き通った青空、遠くにはソフトクリームみたいな入道雲。


 白い砂浜の上、波打ち際で手を繋いで、足首を水に浸す四つの影。

「きゃーっ!」

「つめたいです〜っ!」

「ひんやりッス〜!」

 蜜柑、廿華、恋雪が立て続けに、楽しそうに悲鳴を上げる。

 廿華と恋雪を挟んで手を繋いでいる目白も、水の冷たさにキュッと目を閉じている…水が苦手なのに三人のために付き合ってあげているのだ。


「おーい!桜華く〜ん!」

「兄様も来てください!冷たくて気持ちいいですよ!」

「早く来るッス〜!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら手を振ってくる、蜜柑、廿華、そして恋雪。


 その様子に思わず微笑みながら、僕も手を振り返す。

「今行きます〜!ちょっと待ってて〜!」

 そして、振り向き、手を差し伸べる。


「ほら、行きましょう、弥舞愛!」

 差し伸べた手に、もう一人の手が伸びる。

「うん、桜華!」

 破 ~いきたい~


 ─2031年4月12日 9:00頃─


 〔忍藩 秩父郡 長瀞町 中野上 町立荒川尋常中学校 プール〕


 一瞬、思考が止まって、頭の中が真っ白になった。

 

 何が起きたのか、全くわからなかった。


 我に帰った頃には、弥舞愛の胸のど真ん中を、大涌さんの腕が貫いていた。


 「ぅっく…」


 弱いしゃっくりとともに、弥舞愛の口からポタポタと、鮮やかな赤い血が滴り落ちる。


 大涌さんが喋り出す。

「弥舞愛ちゃんはさ…海に行ったら優しい世界が広がってるって、そう思ってるみたいだけど…」

「自力で川すら降れない、無知で無能な小魚は、海に行くまでに…」

「こうやって、食べられちゃうんだよ。」

「はい、ぱっくん♫」


 ガブリッ


 ドバドバドバドバッ


 弥舞愛の胸に空いた穴から、大量の血とともに怪魚が何匹も溢れ出してくる。

 弥舞愛は何が起きたかわからないのか、瞳をガタガタと震わせて、僕の方へよろけながら寄ってくる。

「お、おう、おうかぁ…おうかぁ…」


「や、弥舞愛っ!」

 急いで弥舞愛を抱き止め、黄泉醜女(よもつしこめ)様を呼び出す。

「黄泉醜女様、黄泉醜女様…っ!」

 黄泉醜女様はすぐに送梅雨から飛び出してきたけど、閉口したまま動こうとしない。


「弥舞愛がケガをしています、胸を貫通して出血が止まりません!今すぐ治さないと、命が…」

「桜華。」

「まだ呼吸はあります!今すぐ傷を塞いで…」

「桜華。」

「傷を塞いで、病院に送らないと!」

「桜華…!」


 黄泉醜女様は僕の肩を掴み、息を押し潰すように語りかけてきた。

「この者は、魂を喰われたのだ…それも半分以上…言っただろう、ここまで欠けた魂はもう、二度とは元に戻らぬと…」


 ボコボコと弥舞愛の肌が泡立ち始める。

 弥舞愛の体が怪魚人へ変わろうとしている。


 弥舞愛を救うために、僕にできること。

 それはもう、一つしかない。


「おう、かぁ…いきたい、よぉ…いっしょ、にぃ…うみ、にぃ…」


 震える手で、弥舞愛の首筋に水桜の刃を当てる。


 そこから先はよく覚えていない。


 ──────


 直後に響いた、言い表しようのない憤怒と悲嘆と絶望を込めた、空を(つんざ)くような呪いの絶叫。

 それが自分のものだと理解したのは、事が終わり我に帰ってからのことだった。


 ──────


 ザックリと深く刻まれた、弥舞愛の頸。

 カタカタと震え、真っ赤な血を滴らせる水桜。

 顔から足にかけてべっちゃりと濡れた感触、強烈な錆びた鉄の匂いと味。


 握った細く壊れそうな手からは、どんどん体温が失われていくのを感じる。


「おう…か…」

 ゆっくりと瞼を閉じながら、ずるずると崩れ落ちていく弥舞愛を、必死に抱き止めようとする。

 でも、ダメだ。

 命が、両手で掬った水みたいに、こぼれて、あふれて、止まらない、止められない。


「弥舞愛…」

 信じることを脳が拒んでも、僕の目の前にあるものは、どうしようもなく「死」だった。

 輪廻転生の輪に乗ることすらできない、完全な魂の消滅。


 すると、大涌さん…の姿をした妖魔が近付いてきて、弥舞愛の亡骸を踏みつけながら(あざけ)り出す。

「ふぅ〜、食った食った…いやぁ、またとないご馳走だったね!昔馴染みの生贄の血筋は、そこらの野人間とはまるで別物!こういうのを五つ星とか言うんだっけ?」

「弥舞愛ちゃんは色々勘違いしすぎちゃったよね〜、人を信じないとかイキってたくせに、コロッと簡単に僕や硯桜華には心を許しちゃう…自分に優しい人間はすぐ信じちゃう頭の軽さ、バカだよね〜。」

「人を呪わば穴二つってよく言うじゃん?悪い子がダメな理由も知らなかった感じ?」

「教えてあげるよ…悪い子でいちゃダメなのはね…僕みたいに、本当に悪い大人の餌食になっちゃうからだよ〜!!あははははははは!!」

「…なんて言っても聞こえないか、もう死んじゃってるもんね?あーあ、可哀想だなぁ…どう足掻いても海になんて行けるはずないのに、叶わない夢だけ…」


 ザザンッ!


「…ぶはっ!?」


 ガシャアァンッ!


 反射的に腕が動いて、瞬時に妖魔を二回斬りつけてフェンスへ向けて吹き飛ばした。


 僕は今、どんな目をしているのだろう。

 僕は今、どんな顔をしているのだろう。


 あの時…石見三而を倒した時と同じだ。

 胸の中を、黒くドロドロとしたものが伝っていく。


 一つ違うのは、あの時とは比べ物にならないということ。

 黒いドロドロは、全身の隅から隅まで満ち満ちて、濁流のように溢れ出す。


 これまではただ怯えていた。

 だから何もわからなかった。

 けど今は違う…よくわかる、この黒くドロドロとした、激烈な感情の正体が。


 ハッチ、弥舞愛、ごめんなさい。

 僕は嘘つきだった。


 疑いようのない、胸の奥底から沸き立つ、この気持ちの名前は…



「 殺 し て や る 」



 殺意だ。


「禊ぎ払う…じゃなかったのかい?御庭番くん♫」

 フェンスに叩きつけられた妖魔は、ニヤリと笑みを浮かべていた。


 ──────


 いつの間にか、フェンスに叩きつけられたはずの妖魔の姿が消えている。


 ヒュッ…


 すぐ背後に「におい」を感じ、咄嗟に身を屈めると、頭上をノコギリのような物体が風を切って通り過ぎていった。


 妖魔は少し驚いた顔する。

「おっと、速いね…そこいらの平士なら、今ので油断してこれで真っ二つなんだけど…君、ガキのなりして実は強かったりする?」

 

 柄を両手で持ち、正面を向いたまま真後ろを突くと、妖魔は即座に飛び退くが…


 ドスッ


 刺突は一拍遅れて、離れた妖魔の顔に直撃する。

「おうぐっ!いたた…今の何?」

 鼻血を垂らしながら、不思議そうに首を傾げる妖魔。

 避けられる前提で刺突を放ち、油断したところを撥空で叩いた…それだけだ。


 能力からして、こいつが山神で間違いない。

 とすれば、等級は特種…だけど今の僕にはそんなこと関係ない。

 ここで確実に殺す。

「『鏡花水月・流れよ“水桜”』」


 妖魔は鼻血を拭きながら、ニヤけた顔でねっとり喋り出す。

「そうだぁ…自己紹介、忘れてたね…」

 大涌さんの体がミチミチと音を立てながら裏返っていき、貫頭衣のような服を着た長身の男の姿へ変わっていく。

 ボブヘアの端正な顔立ちをした男に見えるけど、目の瞳孔は魚のように大きく丸く、口は大きく裂けてサメのような鋭い歯が交互にズラリと並んでいる。

 病的な程真っ白な肌は、全体にうっすらと鱗のような線が入っていて、指の間には水掻きがあり、指先からは鋭い骨が飛び出している。


「僕は堊虞漊(あぐる)っていうんだ…水難事故や水害、それに伴う水への恐怖から生まれた産土神(うぶすながみ)さ♫」


~特種土着水神(どちゃくすいじん)~

堊虞漊(あぐる)


「好きなものは、食べることと遊ぶこと!あとはね…」

「人が溺れ苦しむ様を眺めること…とっても楽しいよ♫」

 目を爛々とさせ、邪悪な笑みを浮かべる堊虞漊に、頭の中の何かが切れた気がした。


「『三巻読了』…『水月・渓流瀑(けいりゅうばく)』ッッ!!」


 ドガアァン!


 縦に高速回転しながら、両腕を竜化させて剣を叩きつける。

 しかし堊虞漊はひらりとそれを横に躱し、プールの中へ飛び込んだ。

「ほぉ〜、それが聖剣使い特有の『読了撃』って技かぁ…その術巻ってやつに閉じ込められた莫大な魔力を、聖剣を媒介に放出する…流石の僕でも当たるとヤバそうだけど、当たらなきゃ意味無いよね♫」

 プールの水面から目を出して、プカプカ浮かびながら喋る堊虞漊。

「ガキって考えが浅いよなぁ…パッと思い付いたことを実践するやる気はあっても、失敗しないかとか失敗したらどうするとか…顧みる能がないよね。」


 反応速度が凄く速い…まるで国音さんみたいだ。

 こいつのソウル能力の内容は、既に石野さんから情報をもらっている。

 魂魄を齧り、齧った対象を怪魚人に変える。

 そして、自身の体は自在に怪魚に変身させられる。


 僕がプールに飛び込むと、堊虞漊は背中から大きなヒレを生やして、猛スピードでプールの端へ向けて泳ぎ出す。

「『漁蘊盛群(ぎょうんじょうぐん)』…『(カジキ)』」

 凄く速い!

 でも遊泳速度なら僕だって負けていない…一気に水を掻き分け、さらに龍翔ノ舞で水中の“面”を捉えて蹴飛ばして、全力で推進力を作り出して追いかける。

 プールは25m…そこまで距離は長くなく、堊虞漊は端にたどり着くと反転して壁に両足をつけ、泳いで向かってくる僕に対して、正面から腕を槍のように変形させて伸ばしてきた。

「『漁蘊盛群』…『駄津(ダツ)』っ!」

 

 ギュイィンッ!


 速い!すんでのところで仰け反ったけど、頬が少し切れたのか、緑色のモヤが立つのが見える。


「『水龍奏術』…『槍ヶ竹(やりがたけ)』!」

 即座に水鞠を槍の形に練り上げ、高速で投げつける。

 水中での水龍奏術の出力は、陸上に居る時の二倍以上に及ぶ。

 加えて水鞠は透明な水の塊…水中では視認性が大きく下がる。

 だからこの射撃は…当たる!


 ドスドスッ!


「おっと!水の槍…透明だから見えなかったよ…しかも返しがついてるねぇ…だけど無駄だよ、この程度の傷なんてすぐに…」

 そう、堊虞漊は再生力が高い。

 石野さんの見立てによれば、再生に多大な魔力を要する程の重傷を負わせるか、魂魄に直接ダメージを与えない限りは、すぐに回復されて有効打にならない。

 それなら…


 さっき投げたのは槍だけじゃない…鎖つきの槍だ。

 鎖の端は僕が握っている…つまり、僕は今、堊虞漊を捕まえた状態だ。

 

 鎖を竜化させた左手でグイッと引っ張り、堊虞漊を一気に至近距離まで寄せる。

 堊虞漊に有効な攻撃…魂魄にダメージを入れる攻撃…つまり…

「おっ…?捕まっちゃっ…」

 呆気に取られる堊虞漊の脇腹に、右手に持った水桜を突き立てる。


 ドスッ!


 遺物の発する浄化瘴気は、魂を侵蝕する…つまり、遺物であり浄化瘴気の込められた聖剣の攻撃は、堊虞漊に通用する!


「ごはあぁっ!?」

 大量に吐血する堊虞漊。

 それでもまだまだ動けるようで、両腕に長いヒレを生やすと、脇腹に水桜を刺したまま、今度は真上へ飛び出した。

「『漁蘊盛群』…『飛魚(トビウオ)』!」


「来て!『イクチ』!」

 すぐさまイクチで真上に飛び、堊虞漊の腕を掴む。

 すると突然、堊虞漊の腕がスルスルと紐のように伸びていき、バランスを崩した僕は堊虞漊に蹴飛ばされて、校舎の裏手にある川原へ落ちる。

「うっ…!」

 

 これはウツボ…しかもマトリョシカのように、ウツボの口からさらにウツボが出てきて、連なってロープのようになっている。

 この腕は離さない…!

 僕は空を蹴って体勢を整えながら着地すると、ウツボをどんどん手繰り寄せていく。

 いくら変幻自在とはいえ、あくまでも肉体が変化したもの…無限に伸びるわけじゃないはず!

 ギギッと引っ掛かる感覚…限界が来た!と思った次の瞬間、握った部分が赤いイガグリのような物体に変形して、無数のトゲが両手を串刺しにして貫いた。

「ぐっ…!」

 手が痺れる…毒が入ってる…!?


「オニヒトデだよ御庭番くん♫そんなバカ正直に手繰り寄せられるわけ…」


 ブォンッ!


 体を勢いよく捻って、繋がった状態の堊虞漊をそのまま川へ叩き落とす。

「ぐぇあっ…!マジかよ…抜かずに振り回すとか、イカれてんでしょ…」

 今の衝撃で水桜はより深く突き刺さったはず…堊虞漊は地面に潜行しようとしているけど、水桜が引っ掛かって潜れないらしい。

 オニヒトデを蹴飛ばして、手から引き抜き、黄泉醜女様に毒を抜いてもらいつつ、堊虞漊へ駆け寄る。


「邪魔だってばぁ…って、うわぁっ!?」

 堊虞漊が右足を使って水桜を引き抜こうとすると、水桜が独りでに動き出し、堊虞漊の右足と両腕を切断して僕の手元に収まった。

〈愚か者め…聖剣の存在は知っていても、聖剣が思考し行動する存在であるとまでは知らずか。〉

「ありがとうございます、水桜!」


 水桜を正眼に構え、倒れ込む堊虞漊に斬りかかる。

 すると今度は、堊虞漊の両腕と右足の断端から細い蔓のような触手が無数に伸びてきて、僕の体に巻きついた。

「『漁蘊盛群』…『手蔓藻蔓(テヅルモヅル)』」

 さらに堊虞漊の体から太いトゲが何本も伸び、左肩、右胸、左脇腹、右太腿を次々に貫かれる。

 しまった、迂闊だった…このままだと…


 堊虞漊が口を大きく拡げ、僕の胸に頭を突っ込む。

「竜種の魂魄ゲット!いっただーきまーすっ♫」

 魂魄を…食べられる…!


 ガブリッ


 ──────


「桜華…生きて…」


 堊虞漊は知らない。

 桜華のグラマー界には、桜華の魂魄と同居する、別の魂魄が…桜華の母・硯菫の魂魄があるということを。


 硯菫の魂魄は、桜華が黄泉の国にて食べた大神実(おおかむずみ)の効果により、その強度が大幅に高まっている。

 そして、硯菫の魂には…


「うぐっ…!?こ、これはぁ…じょ、浄化瘴気…っ!?」


 堊虞漊にとっての、“猛毒”が潜んでいた。


 堊虞漊はまたしても、喰らう獲物を誤ったのである。


 ──────


 何が起きたかわからないけど…

 お母様が、守ってくれた…?


 とにかく今がチャンスだ!

 何としてでもトドメを刺す!

 貫かれた痛みなんて今は考えるな!


 頭を突っ込んだまま動かない堊虞漊の頸の両側に、水桜と送梅雨をそれぞれ深く突き刺していく。

 抵抗する堊虞漊を、竜化させた肘と両脚で押さえつけ、剣を持つ手に出せる全力を込める。


 〜〜〜〜〜〜


「あのね、桜華…私、桜華と一緒に海に行きたい…!」


 〜〜〜〜〜〜


 弥舞愛…


「う゛ぅ…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ〜〜〜〜ッッッッ!!!!」

 

 殺す!殺す!殺す!絶対に殺す!

 ここで弥舞愛の仇を絶対に取る!


 パキキッ…


 切り口に冷気が吹き込み、堊虞漊の傷から刀身に霜がつき始める。

 僕が魔力を込める程、霜は広がり冷風が強く吹き荒ぶ。


 …必死になるあまり、気付くのが遅れてしまった。

 既に僕が殺そうと躍起になっている体は囮で、本体が背後から大量のダツを出して僕を串刺しにしようとしていることに。


「怖いなぁ…神様を殺すなんて、罰当たりなことしちゃダメだよぉ。」

「それじゃバイバイ!甲府の御庭番くん♫」

「『漁蘊盛群』…『駄津』!」


 回避が間に合わない…

 ダメだ、やられ…


 バキンッ!


 直後、凄まじい冷気と打撃音とともに、堊虞漊は川の向こうへ勢いよく吹っ飛ばされた。


 僕が振り返ると、そこに立っていたのは…


「間一髪でしたか…大事は…あるようですね、桜華君。」

「い、石野さんっ…!」


 来てくれた…石野さんが、助けに来てくれた…!


 ──────


 石野さんは山刀を構え、堊虞漊が吹っ飛んでいった方向を見ながら、僕を横目で見て話しかけてきた。

「今からする質問に簡潔に答えてください。」

「はい。」

「被害は?」

「少なくとも四十人以上です…校舎内の教室に倒れています。」

「智多川弥舞愛は?」

「…救えませんでした。」

「君の状態は?」

「体中貫かれたり、魂魄を食べられそうになったりしましたが…ひとまず大丈夫です!」


 すると石野さんは少し驚いた表情で、こちらに視線を向ける。

「ケガも大概ですが、魂魄を食べられそうになった…?それは本当ですか?」

「はい、何故か堊虞漊は途中で食べるのをやめてしまったのですが…」

「…大変気になるところですが…堊虞漊と言いましたね、今はあの妖魔の討伐が最優先です。一先ず、我々には奴の能力が効かないということさえわかればいい。」

「はいっ!」

「そしてこれが終わったら説教です、長丁場を覚悟しなさい。」

「は、はい…」


 水飛沫を噴き上げ、堊虞漊が困惑した表情をしながら再び立ち上がる。

「はぁ〜…困ったねぇ…来ちゃったよ、天敵が…」


 堊虞漊の方向を見据ながら、石野さんは教えてくれる。

「桜華君、恐らく奴には、自身の魔力や能力を分与した分身を作る能力があります。」

「分身…?」

「私が一昨日や昨日に遭遇したのも恐らく分身です…本体は既に何らかの手段によって封印から解かれ、結界外で活動していたということになりますね。」

「じゃあ生贄の件は…」

「自身が封印下にあると見せかけるための演技だったと思われます…祠に配置した分身が木札を確認し、犯行は本体が結界外で実行していたのでしょう。」

「その本体って…」

「大涌潤也…気になって彼の情報を改めて調べて貰ったところ、大涌潤也なる同心が忍藩に雇用された事実は無いという情報が先程連絡されてきました。何らかの認識改変により、素性が偽装されていた可能性があります。」

「僕らはずっと騙されていた…」

「その通りです、そして…」

「堊虞漊を封印から解き、町に溶け込ませた“共犯者”が居る…!」

「宜しい。」


 堊虞漊は川の水面をバタフライで泳ぎながら、猛スピードでこちらに突っ込んでくる。

「桜華君、私に続きなさい。」

「はいっ!石野さん!」

 僕らも並んで堊虞漊へ向かって駆け出す。

 

 ぶつかる寸前で堊虞漊が飛び出し、石野さんはそれに合わせて山刀を横に振り抜く。

「『漁蘊盛群』…『鞭唐松(ムチカラマツ)』」

 すると堊虞漊は胴体を赤く細長いバネのような物体に変化させ、石野さんの斬撃をすり抜けさせた。

「わーいっ!かかってやんの〜!」

 見下ろしながら指差して嘲笑ってくる堊虞漊に対し、石野さんは下を向いたまま淡々と呟くように返す。

「かかっているのは貴方です。」


「は?」

 そのままきょとんとする堊虞漊。

 石野さんの攻撃を避けるのに集中するあまり、並走していた僕を見失っていることにも気付いていない。

 僕は石野さんの背後から、空を蹴って斜め前へ跳び、堊虞漊の顔を水桜で斜めに斬る。


「ぐぇっ…!『漁蘊盛群』…『雁甲蠃(ガンガゼ)』!」

 堊虞漊は一気に身を縮め、大きなウニのような姿に変身し、無数の鋭いトゲを四方八方に伸ばす。


「『水月・青海波(せいがいは)』!」

 聴勁でトゲの伸びてくる方向を見極め、水桜と送梅雨の二刀でトゲを次々にへし折っていく。

 石野さんは相当硬い剛躰を使っているのか、体に当たったそばからトゲがどんどん折れていく。

 そして石野さんはクルリと山刀を手元で回すと、猛烈な勢いで殻に叩きつけた。


 バキイィッ!


 山刀は殻を突き破って、堊虞漊の脳天に刺さる。

「桜華君!」

「逃しません!」

 石野さんに遅れを取るな!今がチャンスだ!今度こそトドメを刺す!


「『三巻読了』…『水月・画竜点睛』!」

「『氷壊魔術』…『秋霜烈日(しゅうそつれつじつ)』!」

 僕の水桜と送梅雨、そして石野さんの山刀による、豪雨のような水と氷の猛連撃。


 ザシュッ!ザンッ!ザクッ!ドシュッ!バシュッ!バキイィッ!


 キラキラと水飛沫と氷の粒を輝かせながら、無数の斬撃を絶え間なく浴びせていく。


 ──────


 ソウル能力の核心…それは己の魂と向き合い、その姿と性質を知ることで、近付くことのできる領域。

 そのために必要な行為こそ、自身の精神世界へ潜行する星辰潜行である。


 星辰潜行を行う方法はいくつかある。

 一つは、瞑想や坐禅などの訓練。

 一つは、強い精神的ストレス。

 そしてもう一つは…“死”に直面することである。


「(あぁ…死ぬ…このままだと…)」


 堊虞漊は今、硯桜華と石野千秋の2人による猛ラッシュにより、死の瀬戸際に立たされている。

 生命の危機は、魂の魔力を強く励起し、持ち主にその姿形をより詳細に伝える。


「(浮かび上がってくる…強烈なイメージ!これが…これが僕の…生命の、形か…!)」


 それは、永き封印から解き放たれた山神の、真なる“羽化”の合図。


 ──────


 僕と石野さんの攻撃を受け、どんどん崩れていく堊虞漊の肉体。

 それなのに…強まっていく「危険のにおい」。


 石野さんにその違和感を伝えようとした、その次の瞬間。

 堊虞漊の周囲から突然噴水が上がり、堊虞漊の口がパクパクと動き出した。

「『高天原(たかあまのはら)神留座(かむつまりま)す 皇親(すめみ)神漏岐神呂美(かむろみかむろぎ)之命(のみこと)を以て──』」

 うわごとのように呟いているのは、もしかして祝詞…?

「『── 母と子長寿に守り(たま)ふ事の(よし)を 八百万(やおよろず)神等諸共(かみたちもろとも)聞食(きこしめ)せと申す』…!」


 凄まじい魔力の気配…来る!


「ありがとう…ふたりとも…」

「おかげで知れたよ、この命、その重みを…!」


 張られた閨の夜空が、突然入道雲の浮かぶ青空に晴れ上がる。

 そして堊虞漊の居る場所から凄まじい激流が溢れ出し、石野さんは即座に僕を担いで後退する。

 さらに堊虞漊を中心に、大小様々な無数の怪魚が、まるで太陽光線のような放射状に湧き出してきた。


 大海と怪魚…これが堊虞漊の…


「『極ノ番(ごくのばん)』…」


「『瀰漫鹹海(びまんかんかい)蘊盛群(うんじょうぐん)』!」


 迫り来る大津波と大量の怪魚。

 これが堊虞漊の極ノ番…!


 堊虞漊は大笑いしながら、叫ぶように喋る。

「最高の気分だよ!侍ども!僕を追い詰めたことが、却って僕に追い詰められることになるなんてさぁ!」

「特に硯桜華!君の判断や選択の遅さが招いた結末だ!現実と理想の狭間で揺れちゃうようなガキンチョが、見事に仲間の足まで引っ張ったねぇ!弥舞愛ちゃんが死んだのは君のせい!そしてこれから君の大事な上司も!君のせいで君もろとも死ぬ!」

「君たちを喰らい尽くして、僕はもっと強くなる!僕をこの地に封じ込めた人間どもをさらに喰らうために!この狭い川から広い海へと、躍り出るのはこの僕だああああ!!」


 弥舞愛が死んだのは僕のせい。

 確かにそうだ。

 しかも介錯の判断も遅かった。

 余計に苦しめた。


 油断して堊虞漊に遅れを取らなければ、こんなことにだってならなかった。

 石野さんまで、命の危険に晒すことになんて…


 全部僕のせいだ。


 ガシッ


 すると石野さんの大きな手が、僕の右肩を強く握った。

 そして石野さんは、堊虞漊に向かって少し声を張りながら語った。

「堊虞漊…貴方に一つ言っておきましょう、それらは全て、桜華君ではなく私の責任です。」

「私は大人でこの子は子供…子供とは往々にして過ちを犯すものです。」

「だからこそ、大人は常に子供の隣に居て、その過ちを許し、正しい道へ導かねばならない…」

「たとえ桜華君がこの任務で過ちを犯したとして、桜華君が受けるべきは譴責までであり、それ以上の報いまで受けるべきではありません。」

「桜華君を指導する私には、凡ゆる力を尽くして桜華君を守る責務がある。」

「今それを…ここで果たして見せましょう。」

 そうだ…僕には、選択を誤っても、判断が遅れても、それを許し支えてくれる大人が居る。

 僕には、石野さんがついてくれている。


 石野さんは僕を傍に抱き寄せる。

「桜華君、私から離れないこと。」

「は、はい…」


 僕がギュッと石野さんの裾を握ると、石野さんは少し微笑んで頷き、正面を見据えて語り出す。

「極ノ番とは、魂の魔力を強く励起し、相手の魂を共鳴に飲み込むことで、防御不能の魂への攻撃を可能とする、ソウル能力における究極の奥義。」

「その対策法はいくつかありますが、最も確実かつ有効な方法があります…それは、魂の魔力をより強く励起し、共鳴に飲み込み返すこと。」

「即ち、こちらも極ノ番を発動するということです。」


 石野さんはそう言うと、フーッと白い息を吹き、山刀の鋒を真正面に構えて目を閉じると、小声で祝詞を唱え始める。

「『天清浄(てんせいじょう) 地清浄(ちせいじょう) 内外清浄(ないがいせいじょう) 六根清浄(ろっこんせいじょう)──』」


 空が再び暗くなっていき、足元には無数の雪の結晶の模様が現れ、次第に繋がり大きくなっていく。

 そして津波と怪魚が、石野さんの眼前まで迫ったその時。

 石野さんは目を開け…


「『極ノ番』」


「『銀嶺鉢特摩地獄(ぎんれいはどまじごく)』」


 パキキッ…キイィーン…


 波も、怪魚も、果てには堊虞漊も。

 全てが、真っ白に凍てつき、静止した。

 空気までもが凍っている…そう直感できる程だ。


 ──────


 絶対零度。

 数値にして0K・摂氏-273.15℃と定義される、絶対温度の下限。

 

 古典力学的には、絶対零度下では凡ゆる原子の運動が停止する。


 量子力学的には、エネルギーが最低の状態でも原子の運動は止まらない。

 また、熱力学第三法則によれば、0Kより大きいある温度を持った物体は、絶対零度にすることができない。


 本来ならば実現不可能な、古典力学的な絶対零度。

 それを強制的に実現するのが、石野千秋の極ノ番・「銀嶺鉢特摩地獄」である。


 極ノ番の発動範囲内に居るもの全ては一切のエネルギーを奪われ、完全に静止する。

 凡ゆる原子運動が停止し、物理法則の秩序が崩壊する、静かなる永久の地獄。

 一度堕ちれば、脱け出す術は無い。


 千秋は山刀を構えたまま、堊虞漊へ歩み寄っていく。

「ここは絶対零度、静かなる地獄…」


 バリイィンッ!


 そしてすれ違い様に山刀を真横へ振り抜き、堊虞漊の全身を粉砕した。

「静止の世界の中…貴方は自身の最期すら、自覚できずに死んで行く。」


 ──────


 気付けば石野さんの極ノ番は解け、バラバラに崩れた氷の破片が煙を上げて消滅を始めていた。

 

 倒したんだ…堊虞漊を…


 一息つこうとした、その時だった。


 堊虞漊の居た場所に突然、金瓢箪(ぽっど)を片手に持った鎧武者が現れる。


 その姿は…


 間違いない…


 こんな時に…


 魔神・虹牙(こうが)が現れた…!


 〔つづく〕


─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

【soul name】漁蘊盛群(ぎょうんじょうぐん)

【soul body】堊虞漊

 パワー-C

  魔力-B

スピード-C

 防御力-D

  射程-B

 持久力-D

 精密性-A

 成長性-A

【soul profile】

 特種妖魔・堊虞漊のソウル能力。

 自身の触れた生物に宿る魂魄から、様々な種類の怪魚を生み出す。

 本体に直接魂魄を齧られた生物は怪魚へ変化するが、肉体と魂魄の変化に対応しきれずすぐに死亡する。

 自身の肉体は自在に海洋生物へ変化させることができ、変幻自在の戦法で敵を翻弄する。

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― 新着の感想 ―
辛い。和解できる雰囲気からの落差と思わぬ敵からの攻撃が辛いです。
弥舞愛ちゃん…、退場つらすぎる 本当に悲しい 石野さん来てくれたのが頼もしいし、優しさが染みますな……
え!?冒頭の幸せシーンは全部妄想!?。゜(゜´Д`゜)゜。 黄泉醜女さまでも戻せない!? ヤダヤダ〜。゜(゜´Д`゜)゜。 やまめちゃん、かわいそうすぎるよぉ〜。゜(゜´Д`゜)゜。 バトルシー…
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