#55 撈月 序「狂乱索餌」
【事件記録】
2031年4月12日 午前6時40分頃
長瀞町野上下郷の智多川愛宮衣宅にて、成人女性のものとみられる人の体の一部(左前頭部・右肩甲部・右腰部・左大腿部)が、氷嚢の敷き詰められた数個のクーラーボックス内に入った状態で発見される。
いずれの身体部位も生命維持に不可欠であるとの所見から、発見された体の一部は遺体と判断。
後のDNA鑑定により、遺体は智多川弥舞愛の母・智多川愛宮衣であると判明。
死因は多発性外傷による失血死。
推定死亡時刻は2031年4月11日の午後18時頃。
遺体の周辺には、3日前に荒川河川敷で発生した怪死事件と同様に、分類不能の妖魔とみられる魚類(“怪魚”と呼称)が散乱していた。
現場の状況から妖魔による殺人事件とみられる。
事件当時、被害者の長女・智多川弥舞愛は自宅に居らず、19時頃に帰宅した際に遺体を発見した。
遺体発見から通報までに時間がかかった原因としては、被害者の長女が心神耗弱状態にあったためと考えられる。
被害者の長女が遺体発見後、駐在の見廻同心に事情を説明したことにより、本事件は発覚した。
序 ~狂乱索餌~
【狂乱索餌】
(きょう-らん-さく-じ)
[名]
1. 魚類、主にサメに見られる摂食行動のことで、集団が狂乱状態になりながら餌を食する状態のこと。海中に多量の血が流れている、動物が騒音を立てている等の場合に惹起されるといわれている。
─2031年4月12日 8:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 本野上 花瀞旅館〕
「一昨日も言いましたよね、石野さん。」
「僕はそんなに弱くありません。」
「だから一緒に行かせてください。」
こんな時まで子供扱いはやめてほしい。
「弥舞愛のことも、愛宮衣さんのことも、研修とはいえ僕の任務のことです。」
「いざという時に、僕はその場に居なくて、助けられなかった。」
「“それは僕が子供だから仕方が無かったんです”なんて、そんなの筋が通りません。」
石野さんは腕を組み、表情を一切変えずに首を横に振る。
「いけません。」
「筋を通す通さないの問題ではない…敵たる妖魔の知能の高さ・被害者数の多さから、昨日の時点でこの任務は特種案件と断定されています。」
「それに加えて、今朝報告された想定外の事態…今後敵がどのような策を弄してくるのか、予想が困難な状況です。」
牙で唇を噛み締め、爪立てて拳を握り込む。
「僕が…子供だから…ですか…?」
「最終的にはそういうことになります。」
「こんな時まで…!子供扱いしないでください…っ!」
「桜華君…君がどう言おうと、私は大人で、君は子供です。しかし、子供が幼く非力であることは、決して責められるべき咎ではない。」
「っ…!」
「研修の最初にも言いました…私には、君の安全を保障した上で研修を完了させる義務があります。それを遂行する上で、君を特種妖魔との応酬に直接同行させるべきではないと判断した…どうか理解してください。」
石野さんは続ける。
「さらに極め付けに、敵は変異させた人間を使役してくる。」
「君もこれから侍という仕事をやっていく上で、いずれ必ず人を殺すことがある。」
「しかし、人を殺すということは、君も知っての通り大変重いことです。」
「きっちりと段階を踏み、その重さに心を追い付かせていくべきこと…少なくとも今は、その時ではない。」
何も言えない、言い返せない。
「私はこれから、山神の居た祠を確認しに向かいます…君は智多川弥舞愛の監視を継続してください。」
「はい…了解しました…」
──────
─2031年4月12日 8:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
〜〜〜〜〜〜
バラバラになったお母さんを見つけたのは、桜華とのお出かけから帰ってすぐのことだった。
訳がわからなくて、家を飛び出した。
森の中で、山神様を探し続けた。
それでも返事は無くて…気付けば私は、潤也さんに助け出されていた。
潤也さんに息も絶え絶え事情を話すと、潤也さんは私の手を握って話してくれた。
「そんな…そんなことが…弥舞愛ちゃん、気をしっかり持つんだ。」
「わからないよ潤也さん…どうして、どうしてお母さんが…」
「僕が奉行所に報告しておくから、弥舞愛ちゃんは家で大人しくしているんだ。」
「う、うん…」
そして潤也さんは、教えてくれた。
山神様への、生贄の捧げ方を。
「弥舞愛ちゃん…心当たりは無いかな?愛宮衣さんのことを不都合に思うような、後ろ暗い人間は…」
誰かが、お母さんを生贄に捧げたということを。
〜〜〜〜〜〜
今度はもう、迷わない。
お化粧の仕方は覚えている。
髪の整え方も。
一月も着ていなかった制服は、お母さんがアイロンをかけてくれていた。
あんなに憂鬱だった通学路も、今日は不思議と清々しく感じられた。
私はこれから、海に行く。
──────
─2031年4月12日 8:30頃─
弥舞愛の家の周りには、同心様たち数人が見張りについていた。
僕がシリアン先生を連れてやってきた頃には、その全員が気絶して倒れていた。
「弥舞愛!」
家の戸を開け、大声で呼びかけても返事は無い。
急いで家に入り、2階にある弥舞愛の部屋へ駆け上がる。
バンッ!
扉を開けると…そこに弥舞愛は居なかった。
すぐに石野さんに電話をかけ、同心様たちが気絶していることと、弥舞愛が居ないことを伝える。
「石野さん!弥舞愛が──」
「…わかりました、君はそこで待機すること。部屋内に何か変わったことはありませんか?」
「変わったこと…」
すぐに部屋の引き出しや押し入れを開けていく…すると、押し入れの中から一匹の怪魚が見つかった。
その側には、一個の香袋。
これは「古狐の香袋」…近くに置いた物体を、目視されるまでその匂いを認識させないようにする魔導具だ。
一度はこの家に来たのに、匂いで気付くことができなかった。
弥舞愛は山神のことを知っている。
〜〜〜〜〜〜
「ねぇ…桜華ってさ、見習いだけど、御庭番だっけ…一応侍なんだよね?」
「じゃあさ、妖魔だけじゃなくて、人を斬ったことってあるの?」
〜〜〜〜〜〜
ふと思い出した弥舞愛の言葉。
そして次の瞬間、地面が小刻みに揺れ出す。
窓を開けて外を見ると、向こうの町に筵が展開されていくのが見えた。
あの方向は…もしかして、弥舞愛の通う中学校!
「そうだ…中学校…」
「桜華君?今、中学校と言いましたか?」
「石野さん!荒川中学校に筵が展開されています!おそらく弥舞愛もそこに…!」
「了解、桜華君、君はそこに待機して…」
もう冷静ではいられなかった。
すぐに通話を切り、弥舞愛に電話をかける。
応答は無い…弥舞愛はやっぱり…
「シリアン先生、ここに倒れている同心様たちのことをお願いします。」
「待て桜華君、千秋は君に待てと指示したんじゃないのか?」
「一刻を争う状況です…僕は行きます。」
「ダメだ桜華君…一人で行ってはいけない…!」
制止してくるシリアン先生をよそに、僕は窓から飛び降りると、全身を完全に竜化させ、筵目がけて一直線に飛び立った。
風を切って、ただひたすらまっすぐに。
お願い、間に合って…!
──────
─2031年4月12日 8:30頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷 板石塔婆石材採掘遺跡付近〕
桜華君との通話が切れた。
おそらくあの子は今、私の忠告を無視して一人で中学校へ向かっていることだろう。
祠には大量の怪魚人が居るが、山神は不在。
智多川家にも居ないことは確認済…つまり、最悪のシナリオとして、山神が封印を破って結界外へ脱出した可能性が考えられる。
本体は確かに昨日倒したはず…まさか、結界内の山神の存在自体がブラフで、本体は既に結界外で活動していたというのか…?
「極めてマズい状況です…忠愛君、ここに居る怪魚人を頼めますか?」
今すぐにでも桜華君のところへ向かわねば…とはいえ、ここに居る怪魚人を放置する訳にもいかない。
そこで同伴の忠愛君に対応を任せる。
「え〜…けっこう多いけど…どうしてもダメな感じでしょうか?」
「残念ながら。」
「じゃあ仕方ないですね。」
忠愛君の両手指から、長い鋏の刃が伸びてくる。
「申し訳ありません…お願いします。」
ギッシャーに乗り、急ぎ中学校へ向かう。
頼む、間に合ってくれ…!
──────
─2031年4月12日 8:50頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 中野上 町立荒川尋常中学校 3F〕
あちこちから悲鳴が響き渡る校舎内。
その3階にある教室内には、大きな血溜まりの上に、生徒たちが折り重なって倒れていた。
担任の教師は白目を剥いて教卓に倒れ込み、その皮膚の下には無数の“何か”がウゾウゾと赤いミミズ腫れを残しながら動き回っている。
折り重なった生徒たちの上には、女子生徒の首元を片手で高く掴み上げる智多川弥舞愛の姿があった。
弥舞愛が掴み上げている女子生徒は、エンゼルフィッシュを弥舞愛に食べさせた女子生徒の一人であり、一連のいじめの主犯格である。
「うぅ…い、嫌…」
女子生徒の目に涙が滲み出る。
すると首元の皮膚にいくつもしこりのようなものが浮き上がり、顔目がけてモゾモゾと動き出す。
「嫌っ!嫌あぁっ!」
女子生徒を掴み上げる弥舞愛の目付きは、これまでの丸く弱々しいものではなく、片手間に人を殺せそうな程に鋭く冷たいものである。
弥舞愛は、声を低く震わせながら話し出す。
「嫌…だったら、何なの?」
「嫌だ、嫌だって、何度も言ったら、あなたはやめてもらえると思ってるの?」
「私がいくら嫌だって言っても…どこまでも、どこまでも、どこまでも!私を痛め付けてきたくせに!?」
弥舞愛は女子生徒の顔を、もう片方の手で何度も何度も殴りつける。
次第に女子生徒の顔は大きく腫れ上がっていき、血と涙でぐちゃぐちゃになっていく。
「ご…ご、べん…なざ…い…も、もう、じまぜん…がらぁ…」
必死に謝罪を述べる女子生徒に、弥舞愛は顔を歪めていく。
「謝ったら…謝ったら何とかなるんだ!?随分良いご身分じゃないか!私がいくら何を言っても耳を貸さなかったくせに、今更何か言って耳を傾けてもらえるとでも思ってるのか!身の程を…思い知れよっ!」
ドカッ!ドカッ!ドカッ!
「あっ…ぐ…うぅ…ごべ…ごべんな…ざ…」
「もう謝るな聞き飽きたよ!お母さんの命は、あなたが謝っただけで返ってくる程軽くないんだよおぉっ!!」
声を荒らげ、殴る手を速める弥舞愛。
首元の皮膚の下に蠢くものが、顎の下まで迫り、今にも顔を出そうとする…
その次の瞬間…
バッ
弥舞愛の手から女子生徒の姿が消えた。
弥舞愛が振り返ると、そこには女子生徒を抱きかかえた硯桜華の姿があった。
「何してるの…やめてよ弥舞愛…!」
女子生徒を床にそっと置き、弥舞愛を軽く睨みつける桜華。
「なんで来たの…そっちこそ、邪魔しないでよ…桜華…!」
弥舞愛は虚な顔を向け、鋭く冷たい目で睨み返した。
──────
ガシャアァンッ!
両者は教室の壁を突き破り、廊下にて相対する。
「『水龍奏術』…『水鞠・波繁吹』!」
水鞠は弾け飛び、弥舞愛の上下左右の壁や天井に炸裂する。
「弥舞愛、あなたの罪は…僕が禊ぎ祓います!」
桜華の目的はあくまで弥舞愛の無力化であり、弥舞愛を極力負傷させぬよう立ち回る。
故に水桜を抜くこともない。
しかし弥舞愛は…
「『フライングキラー』」
弥舞愛がそう唱えると、弥舞愛の長い髪が解けて短くなっていき…
弥舞愛の左右に、つぶらな瞳を持った、掌サイズの細長いナマズの式神が数匹浮かび上がる。
弥舞愛が腕を前に出すと、ナマズたちは次々に桜華目がけて飛んでいった。
「『水龍奏術』…『水鞠・花菱紋』!」
それに対して桜華は、6個の水鞠をそれぞれ平たく圧縮し、四菱形の手裏剣の形にして発射。
ところがナマズたちは水鞠をすり抜けていき、桜華の胸や腹に齧りついていく。
「うっ…!?す、水鞠をすり抜けた…!?」
ナマズたちは次々に桜華の服を食い破ると、そのままさらに皮膚を食い破り、中へ潜り込む。
「あう゛っ…!こ、これは…!」
皮下を抉られる激痛に、思わず声を漏らす桜華。
弥舞愛のソウル能力「フライングキラー」により生み出された式神のモデル、それは南米の熱帯地域に生息する淡水ナマズ「カンディル」。
獰猛な肉食魚であり、その細長い体を大型魚のエラなどに食い込ませ、生きたまま内部から貪り食う。
アマゾンの肉食魚たちは押し並べて獲物を選ばない…つまり人間もまた狩りの対象。
穴という穴から侵入され、生きたまま肉を貪られる激痛は想像を絶する。
それに加えて、ヒレには返し針のようなトゲがあり、無理に引き抜こうものなら肉が裂ける。
生息域の住民からはピラニア以上に恐れられる、まさに悪魔の魚である。
魚類に詳しい弥舞愛は、カンディルの性質についてもよく理解しており、それが式神の能力にも反映されている。
しかし、人を傷付けることへの精神的なブレーキが残されていることや、ソウル能力に覚醒したばかりのために魔術の練度が低いことから、カンディルの性質は完全には再現されていない。
故に筋肉より下へは潜り込めず、既に被害に遭った生徒や教員たちも、激痛のあまり気絶はしながらも致命傷には至っていない。
弥舞愛のフライングキラーは、標的に接触するまで一切の物理的干渉を受け付けない。
桜華は攻撃に遭いながらも、瞬時に弥舞愛の攻撃を分析していた。
「(この式神たち、僕に当たるまで実体化しなかった…何かに当たらないと攻撃が始まらないんだ…!)」
ブチブチブチィッ
桜華は自身の体に爪を立て、皮膚を抉り、血を噴き出しながらも1匹ずつ式神を取り出していく。
「う゛ぅっ…(返し針みたいなものがついてる…引き抜くと余計に傷が深くなるんだ…でも食われ続けるよりはマシ…!)」
ところが、桜華は立ち上がろうとしたところで、ガクンと膝から崩れ落ちてしまう。
困惑する桜華に、弥舞愛は冷たい目で見下ろしながら言う。
「桜華は御庭番だから…強いから、ただ食べさせるだけじゃすぐに振り払われると思ったよ…だから、アキレス腱を食べさせた。」
「弥舞愛…どうして、どうしてこんなことを…」
「海に行くためだよ…そのためには、私を縛る“呪い”を清めなきゃいけない。」
「呪い…?」
「こんなところ、桜華にだけは見られたくなかった…だから、大人しく寝ててね。」
弥舞愛はそう言うと、式神を桜華の頭上にある天上と、桜華の足元の床へ仕向ける。
すると、天井と床がそれぞれ食われて円形にくり抜かれ、桜華は下階へ転落するとともに、落下してきた天井に押し潰された。
ガシャーンッ!
桜華が沈黙してもなお、弥舞愛は語り続ける。
「私と桜華と…歳はそんなに変わらないのに、何が違ったんだろう。」
「桜華はあんなに眩しいのに、私はなんでこんなに見窄らしいんだろう。」
「桜華と会ってからずっと考えてたんだ…桜華と隣で肩を並べて歩くには、どうすればいいんだろうって。」
「桜華との“差”を埋めるにはどうすればいいんだろうって。」
「それでようやくわかったよ…私を呪い汚しているものは、私の“過去”なんだって。」
弥舞愛は桜華の落ちた穴に背を向け、教室へ戻ろうと歩き出す。
「私は海に行く…そのために、枷になるものは…呪縛は全て消し去る。」
「人を殺すのはダメとか、復讐するのはダメとか…そんな一般論も、私にとっては呪縛だ。」
「命は平等に無価値…この力で私はそれ証明する…いや、そう定めてみせる…!」
すると次の瞬間、弥舞愛の真横の窓が開き、弥舞愛の肩を桜華の手が掴む。
「そうやって自分に…無理な理屈を言い聞かせてるんですか?」
弥舞愛は驚愕のあまり、何もできずに固まってしまう。
「(うそ…アキレス腱だけじゃない、腹筋や胸筋だって破壊したのに…まさか、この1分足らずのうちに再生したの…!?)」
ブォンッ
桜華は弥舞愛を勢いよく窓の外へ放り投げ、自身も窓から飛び出して翼を開いて空を蹴り、弥舞愛を追う。
弥舞愛は少しして自身の状況に気付くと、式神を大量に自身の真下へ向けて召喚し、塔のように組み上げてその上に立つ。
「喰らい尽くせ…『フライングキラー』!」
弥舞愛はさらに、空を蹴って飛来する桜華に向けて無数の式神を放つ。
標的は両翼の付け根。
それに対し桜華は…
ガバッ…ドドドドドドドド…!
肩掛けカバン…もといヒドラの口を目一杯大きく開いて、式神を受け止めた。
「うおおおおぼぼぼぼッ!?」
「お、桜華サマッ!これはいくらなんでもカバン扱いが荒…」
そして式神を吸い込んで膨れ上がったヒドラを、思い切り弥舞愛に投げつけた。
「ぎぃやああぁっ!?」
悲鳴を上げながら飛んでくるヒドラを、弥舞愛は式神で防ごうとする。
こうして弥舞愛の注意は完全にヒドラの方へ向く…桜華の狙いはこの隙だった。
即座に真横から蹴りを入れる桜華。
弥舞愛も急いで真横に式神を張り、防御に転じる。
「無駄だよ、桜華。」
蹴りは式神に防がれる…が、桜華の攻撃はこれで終わりではない。
「無駄なのはあなたの防御です…弥舞愛。」
何度も繰り返し、波状に襲いかかる魔力の打撃こそ、硯桜華の真骨頂。
「『海嘯撃』っ!!」
ドッ…ドッパアァンッ!
一撃目の蹴りで式神による防御を剥がし、続く二撃目の衝撃で弥舞愛を遠くまで蹴り飛ばす…その先は、校舎に併設されたプールだった。
バシャアァーンッ!
「うぅ…げほっ、げほっ…」
「まだ…まだだ…私は、諦めない…」
弥舞愛は咽せながらもすぐに水から上がると、着地してきた桜華と向き合い、睨み合う。
桜華は低く重い声で、迫るように弥舞愛に語りかける。
「弥舞愛…教えてください、どうしてこんなことをするんですか?」
「…桜華は知らなくていい、邪魔しないで。」
「お断りします、これ以上人を襲わせるわけにはいきません。」
「あんなに私を受け容れてくれたのに…こういう時は私を否定するんだ?」
「弥舞愛…!」
「一般論なんかで私を縛るなって言ったでしょ…私は自由なの!」
「これが弥舞愛のやりたいことなんですか!?」
「そうだよ!これが私の望み!私を縛る無価値な命を全て清めて、私は海に行くんだ!だからっ…!」
するとそこに、大涌潤也が門を乗り越えプールサイドに駆け込み、弥舞愛の側にまで寄ってきた。
「弥舞愛ちゃん!この騒ぎはいったい…」
ここで桜華が感じたのは、凄まじいまでの「事件のにおい」。
桜華が急いで大声で呼びかける。
「大涌さん!近付いてはダメです!離れ…」
弥舞愛はすぐさま潤也を式神で拘束し、桜華を制止する。
桜華はすぐに動きを止め、弥舞愛に怒鳴り返す。
「やめてください弥舞愛!大涌さんはあなたの敵じゃないでしょう!」
「敵かどうかなんて関係ない!言ってるでしょ!命は平等に無価値なんだ…海に行くんだ、行くためには…全部捨てなきゃいけないんだ…!」
「弥舞愛…僕には弥舞愛の理屈がわかりません…」
「わかんないならほっといてよ!」
「でも!でも…本当にこれが、愛宮衣さんとの思い出を捨ててまでやりたいことなんですか!?」
すると弥舞愛は、目を見開いて瞳を震わせ、潤也への拘束を少し緩めながら、うわごとのように呟く。
「命に…価値なんて…無い…掛け替えは…ある…いくらでも…」
「弥舞愛…まだそんなことを…!」
「だって…!そうじゃなかったら!桜華の言う通りだったら!」
桜華は口を噤む。
俯きながらよろめく弥舞愛の目から、大粒の涙がぼろぼろと溢れてくるのに気付いたのだ。
「命が尊くて掛け替えのないものなんだったら…」
「お母さんがあんな簡単に死んでいいわけないじゃないっ!!」
「こんな簡単にっ…取り返しのつかないことになっていいわけないよっ…」
「うぅっ、うあぁ…っ、ひぐっ…こんなの、ひどいよ…あんまりだよ…」
泣き崩れる弥舞愛。
「弥舞愛…弥舞愛…っ!」
桜華は弥舞愛に近付こうと歩み寄るが、それでもなお弥舞愛は式神を飛ばし、桜華を拒む。
「嫌っ!来ないで!」
ドドドドッ
式神が4匹、立て続けに桜華の腕や脚に齧り付く。
桜華は声を上げることも動じることもなく、弥舞愛に近付こうと足を進め続ける。
ドドドドッ
弥舞愛はさらに式神を飛ばすが、やはり桜華は防ぐことなく被弾し続ける。
「どうして…どうして避けないの?」
「はぁ、はぁ…弥舞愛…」
「嫌っ!来ないで!来ないでってば!」
「弥舞愛っ…!」
ギュッ
「約束します、僕はもう絶対弥舞愛を傷付けない…だから、話を聞いて…!」
全身のあちこちを齧られ、血みどろになりながら、桜華は弥舞愛の前まで来ると、右手で弥舞愛の左手を強く握った。
式神の攻撃が止み、弥舞愛の目は丸くなり、さらに涙が溢れ出す。
「ごめんね弥舞愛…僕、弥舞愛の気持ちを考えずに、勝手なこと言っちゃった…」
「うっ…ぐっ…お、桜華ぁ…私、もうわかんないよ…自分が何考えてるのかも、何が正しいのかも…頭がぐちゃぐちゃで、わかんない…」
「弥舞愛…大丈夫…僕がここに居ます。」
「こんなとこ、桜華に…ひぐっ、見られたく、なかったのぉ…桜華はきれいだから、すごくきれいだから、ぜんぶ洗い流して会いたかったの…」
「…そうだったんですね。」
「でもぉっ、どこか、でっ…桜華なら私のこと見つけてくれるって、おもってた…」
「うん、見つけたよ、弥舞愛。」
「桜華ぁ…たすけて…」
桜華は弥舞愛の背中をさすりながら尋ねる。
「弥舞愛…本当は…本当は、弥舞愛はどうしたいんですか?」
すると弥舞愛は右手で涙を拭い、桜華の目をじっと見つめて答える。
「あのね、桜華…私、桜華と一緒に海に行きたい…!」
そう夢を語る弥舞愛の目付きは、かつての弱々しく丸いものに戻っていた。
桜華はそれに気付くと、ふっと優しく微笑んで答えた。
「ええ、今度こそ…今度こそ、一緒に海まで行きましょう。」
「その時は、僕の家族や仲間も連れてきていいですか?ちょっとヘンテコでおかしな人たちなんですけど…優しい人たちばっかりです。きっと皆んなで行ったら、もっと楽しいと思います。」
そう尋ねる桜華に、弥舞愛はまた目を潤ませながら、唇を震わせながら、それでも花が咲いたような満面の笑顔を浮かべて答えるのだった。
「うん…!いいよ桜華、一緒に…」
ガブリッ
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:ソウル〉
【soul name】フライングキラー
【soul body】智多川 弥舞愛
パワー-D
魔力-C
スピード-C
防御力-E
射程-B
持久力-D
精密性-E
成長性-E
【soul profile】
智多川弥舞愛のソウル能力。
自身の髪を媒介に、肉食性淡水ナマズ・カンディルの姿をした式神を召喚する。
式神は攻撃目標に接触するまで一切の物理的干渉を受けず、接触した対象の皮膚を食い破って内部から貪り食う。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
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