#54 甕裡 急「太陽に恋するアクアリウム」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
甲府藩を守る「甲府御庭番衆」に急遽入隊した、竜の少年・硯桜華。
これは一人前の侍となるべく御家人研修に臨んだ桜華の身に起きた、一春の友情と悲劇の物語である。
急 ~太陽に恋するアクアリウム~
─2031年4月10日 22:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
桜華は帰り際に、寝落ちてしまったお母さんを寝室まで運んでくれた。
そして、約束をしてくれた。
明日は一緒に江戸の水族館へ行く。
「えへへ…」
家のすぐそばの森の中。
私が木にもたれてニヤニヤしていると、山神様が隣に座ってきた。
「こんばんは、弥舞愛ちゃん…」
山神様のお腹には横一本に赤い傷痕が走っていて、どこかやつれた様子だった。
「こんばんは、山神様…どうしたんですか?」
「ん?いやぁ、ちょっとやんちゃしちゃってね…大したことないよ、心配ない♫それより弥舞愛ちゃん、何か嬉しいことでもあったの?」
「わかるんですか?」
「バレバレだよ、ずっとニヤニヤしてるもん。」
桜華とのことを話すと、山神様はニコニコして聞いてくれた。
「そっかそっか♫俺の言う通り、葵の御紋の人と仲良くしたら良いことあったでしょ?」
「はい、ありました…!でも、お侍様たちは妖魔のことを調べてるみたいで…お侍様たちと山神様って、敵同士ですよね?どうして仲良くしろだなんて言ったんですか?」
すると山神様は立て膝に肘をついて、遠くを見ながら答えた。
「敵同士ねぇ…そうとも言えるけど、表現としては狩人と獣の関係の方が正しいかな?彼らが狩人で、俺が獣…自然の摂理として狩る側と狩られる側の関係なのであって、正義と悪のぶつかり合いってわけじゃないんだよ。」
「そうなんですか…?」
「そうだよ、だから弥舞愛ちゃんは何も気にしなくていい…誰とだって仲良くなっていいんだよ、君は自由なんだからね♫」
私は自由…山神様や桜華と出会って、私の世界は少しずつ広がってきている。
もっともっと、広い世界が見てみたい…そんな夢を持って、いいのかな?
「あ、そうだ!だから明日は朝が早いので、もう寝に行きます!あんまりお喋りできなくてごめんなさい…」
「フフッ、いいんだよ弥舞愛ちゃん、明日は楽しんでおいで♫」
「はいっ!」
私は立ち上がって山神様にお辞儀すると、足早に家へ続く道へと戻っていった。
今からもう明日が楽しみでたまらない。
桜華と一緒に、私は「海」に行くんだ…!
──────
─2031年4月11日 9:00頃─
〔忍藩 飯能市 仲町 飯能駅 西武特急ちちぶ22号車内〕
はじめてが、いっぱい。
「す、すごいね桜華…特急ってこんなに速くて、景色も綺麗で、駅弁もこんなに美味しくて…」
「楽しいですか?」
「う、うん…!はじめてって、こんなに楽しいんだね…!」
「ふふ、お出かけに連れ出してよかったです。」
いまだに緊張が解けず、たどたどしく喋る私に、桜華はまるで天使のような微笑みを向けてくる。
〜〜〜〜〜〜
町から外にお出かけなんて、ほとんどしたことが無い。
ましてや友達と一緒にお出かけなんて、想像したことも無い。
おしゃれなんて考えたこともないから、私服はほとんどTシャツとパンツだけだった。
そんな私が、男の子と2人で水族館に行く。
森から戻って少しして、寝ぼけて出てきたお母さんにそのことを伝えたら…
その翌朝、お母さんは休みの日なのに早くから起きてきて、クローゼットを開いて、お下がりの綺麗な水色のフリル付きワンピースを持ち出してきた。
さらにしばらく拘束されて、色々と顔にお化粧されて、髪も編み込まれてリボンまでつけられた。
「いいわね、さすが私の娘!お人形みたいに可愛いわよ!」
本当にお人形さんみたいにされちゃった…
お母さんは今日は休みだから、おしゃれなブーツまで貸してくれた。
「こ、こんなの…やりすぎじゃ、ないかな…?」
桜華は私の気分転換のために江戸へ連れて行ってくれるだけなのに、しかも私ってすごく不細工なのに…
張り切ってこんなに色々おめかししたら、桜華に引かれちゃったりしないかな…?
そんな不安をよそに、お母さんは私の背中をドンと押してきた。
「なーに言ってんのよ、ボーイフレンドとのデートでしょ?全力で可愛くしなくてどーすんのよ!」
ボーイフレンド!?デート!?
れ、連絡先は交換したけど、私と桜華は別にそんな関係じゃ…も、もしそうなるとしても、もっと段階を踏まなきゃ…
でも、桜華なら…似合ってるとか、可愛いとか、言ってくれるかな?
もし言ってもらえたら…なんて考えると、胸が熱くなって、ザワザワして、すごく落ち着かない。
目まぐるしい期待と不安をいっぱいに膨らませて玄関の戸を開けると、桜華はちゃんと約束の時間通りに家の前で待ってくれていた。
「お、おはよう桜華っ…そ、その…似合ってる、かなっ…!?」
どんな顔をして何を話せばいいかわからなくて、不意に変なことを言ってしまった。
自意識過剰にも程がある、桜華に嫌われちゃったらどうしよう…!?
慣れないブーツは、私にはとても歩きづらくて、慌てるあまり玄関の段差で躓きそうになる。
「おっと…大丈夫ですか?」
桜華はすぐさま、そんな私の手を取って支えてくれた。
そしてふわっと天女のような笑みを浮かべて…
「頑張っておしゃれしたんですね…似合っていますよ、とても可愛いです。」
顔がボッと熱くなって、胸がドキドキと高鳴る。
もし許してもらえるなら、デートでも、いいかも…
私が桜華の手を握り返すと、桜華は少し驚いた顔をした後、優しい顔で微笑んで、私の手を引いてくれた。
「それじゃあ、弥舞愛…行きましょう!」
「う、うんっ!」
お母さんは私たちの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振りながら見送ってくれた。
〜〜〜〜〜〜
でもちょっと気になることもある…
「ねえ桜華、本当に遊びに行ってもよかったの?今も桜華にとってはお仕事の時間なんでしょ?」
「心配ありませんよ、上司から許可は貰っています。」
「じゃあこれも仕事の内ってこと?」
「そうですね、弥舞愛の願いを叶えるというお仕事です。」
穿った見方をするのはよくないけど、私にとってはあまりに虫がよすぎる話だ。
だからちょっと意地悪な質問を、恐る恐る桜華に投げかけた。
「どうして私のために、そこまでしてくれるの…?」
「それは…あなたが手に入れた力は、あなたの心の有り様によっては、制御できずに暴れ出すことがあるんです。たとえば、あまり自分を抑えすぎたり、心が満たされなさすぎたりすると…だから、なるべく弥舞愛の願いを叶えることで、その力の暴走から弥舞愛やその周りの方々を守るという目的があります。」
「そうなんだ…うん、私もお母さんや潤也さんを危ない目に遭わせたくない。」
「あとは…僕のお節介ですね。」
桜華はお茶を片手に、片手を頭の後ろに置いて、少し苦笑いする。
「私への、お節介…?」
思わず聞き返すと、桜華は懐かしそうな顔で車窓の外を眺めながら答えてくれた。
「昨日もいっぱい話しましたが、僕も水や魚が大好きで…それで時々水族館に連れて行ってもらったんです。水族館には普段の日常では見れないような生き物がいっぱい居て、世界は広いんだなって知ることができて、凄くワクワクして…だから弥舞愛にも、そのワクワクを知ってほしいと思ったんです。」
桜華って…
「桜華って…」
「はい?」
「桜華って…本当に優しいんだね…」
「そうでしょうか?」
「うん…私の会ったことのある男の子は、どいつもこいつも私に乱暴ばっかりしてきたから…私、男の子はそういう生き物なんだって思ってきたんだ。でも、桜華と会って考えが変わったよ、男の子にも優しい子が居るんだ…って。」
今よりずっと小さい頃に仲良くしてくれた女友達は1人、2人くらいは居たけど…これまで男友達はできたことがない。
すると桜華は、変わらず優しく明るい笑顔で返してくれた。
「ふふ、僕以外にも優しい男の子ならたくさんいますよ…弥舞愛の男子に対するイメージも、広い世界に出ればもっと変わるはずです。」
「そうなのかな…それでも、私の男友達の一番は、桜華がいいな…」
「僕が一番…それはなんだか嬉しいですね♫」
歯を見せてニカッと笑って見せてくれる桜華…本当に眩しいなぁ。
到着予定は10時前…桜華とはお互いの地元ことや、最近の流行りのこととか…いろんな話をしていたら、移動時間はあっという間に過ぎていった。
──────
─2031年4月11日 10:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
ピンポーン♫
時刻は午前10時。
娘を見送った後、寝室にてそのままベッドに突っ伏して寝ていた愛宮衣は、インターホンの音で目を覚ます。
「んん…なぁにぃ〜?中学の連中かしらぁ〜?」
愛宮衣が玄関の戸を開けると、そこに立っていたのは…
身長210cm超の大男…石野千秋であった。
「で…デカっ!?え、な、なにっ!?鉄人28号!?」
目を点にして身構える愛宮衣に、千秋は御家人手帳を開いて見せる。
「上から見下ろすようで申し訳ありません…こういう者です。」
愛宮衣は少し固まって、再び焦り出す。
「ば、幕府の旗本様!?そんなお方がなんでこんな辺鄙なとこに…」
千秋はそれを遮るように話す。
「智多川愛宮衣さん、ですね…貴方には、一昨日荒川河川敷で発生した怪死事件について、お話を伺いたいのです。」
すると一転、愛宮衣はゴクリと唾を呑み、俯く。
「ここまで、かしらね…」
「それはどういう意味ですか?」
千秋が尋ねると、愛宮衣は戸の横に寄り、玄関へ通そうとする。
「お話なら中で…なに、逃げも隠れも、不意打ちしようという気もありませんから…」
千秋は少し顔を顰めた後、玄関へと足を進めた。
「わかりました、では話は中で伺いましょう。」
──────
─2031年4月11日 10:30頃─
〔江戸府 豊島区 東池袋三丁目 サンシャインシティワールドインポートマートビル屋上 サンシャイン水族館〕
「「ついた〜!!」」
長瀞町からはるばる3時間近く…
初めての江戸はまさに別世界。
見たことのない人や車の量、見たことのない高いビル…都会の圧倒的なものの数々にビックリしながら、エレベーターを上ってここまでやって来た。
エントランスには大きな水のカーテン!
すると桜華が私の手を引っ張って、水のカーテンの前までやって来ると、スマホを取り出して身を寄せてきた。
ふわふわと花のような香りが漂ってくる…桜華、すごくいい匂い…
「弥舞愛、まずは記念写真を撮りましょう!」
「こ、これって…自撮りってやつ?初めてかも…」
「大丈夫、僕が撮ってあげるので…弥舞愛はピースしていればいいですよ♫」
首都圏の中心にあるような水族館だからか、外国人のお客さんもたくさん居る…
平日だからこれでも人が少ない方だというけど、人波に流されるのが怖くて、私は左手で桜華の右手を握って身を寄せていた。
私なんて近付いただけで「汚い」とか「気持ち悪い」と罵られてきたのに、桜華は私がくっついても何も言わないどころか、微笑んで受け入れてくれる…
それがとても温かくて、嬉しくて…思わず桜華の右手をギュウッと目一杯握ると、「そんなに握らなくても離れませんよ」と笑顔で優しく宥めるように言われた。
「桜華の手、あったかいね…」
「そうですか?体温が低いのでよく冷たいと言われるんですけど…」
「ううん、あったかいよ…」
まだ入館もしていないのにずっとくっついているものだから、チケットを切る時に受付の人から姉妹と間違われてしまった。
「ねえ桜華、女の子と間違われて平気なの?」
「ええ、よく間違われるので慣れてしまって…」
「昨日は私も間違えちゃったけど、嫌じゃなかった?」
「またかとは思いましたけど、嫌なんかじゃなかったですよ…別に悪意は感じなかったし、申し訳ないと思ってくれている優しさも伝わりましたし、それに綺麗とか可愛いと言ってもらえるのは純粋に嬉しいですし。」
「それでいいの?」
「少なくとも弥舞愛についてはそれでいいんです…ただ目の前で着替えられたのはビックリしちゃいましたけどね?」
「それはごめんってば〜!」
そんな話をしながら、生まれて初めて入った水族館は思ったよりも暗くて…やっぱり桜華にくっつきながら歩くことになった。
「すごい…きれい…」
図鑑でしか見たことのない、極彩色の宝石のような魚たち。
それがアクリル越しに、青い海中のような水槽をあちこち自由に泳ぎ回っている。
黄色いサギフエ、青いナンヨウハギ、細長い紐のようなヨウジウオ、青緑のイソギンチャクに隠れるオレンジ色のカクレクマノミ。
幼稚園や小学校で話したら、「そんなの居るわけない」と笑われた。
言い返せなかった…だって川には居ないんだもの。
だけどここに来て、ようやく確かめることができたんだ…図鑑で見た魚たちはみんな確かにここに生きてる!
お母さんの言ってた通りだ…海って、本当に広いんだ…!
さらに進んでいった先には、白い砂の敷かれた円形の広大な水槽が置かれていて、その中にもまたいろんな大きさの魚たちが泳ぎ回っていた。
白い体に黒い斑点のついた、間の抜けた顔のサメが1匹、水槽の底あたりを悠々と這うように泳いでいるのが見える。
桜華も同じサメを見つけたようだけど、首を傾げている。
「あの子、可愛いですね…!なんていう魚でしょう…?」
「あれはトラフザメだよ、南の暖かい海に住んでるんだ。夜行性で、岩の割れ目に潜んでいる魚や貝なんかを食べるんだよ。」
「へぇ…やっぱり弥舞愛は魚に詳しいですね、僕なんかよりもよっぽどです。勉強になります。」
「変…かな…?」
「そんなことありません、素晴らしいことだと思いますよ。」
「そ、そうかなぁ…魚に詳しくても、褒められたことなんてあんまり無かったから…」
「そうなんですか?」
「うん…さっき見たゴンズイさ、昔幼稚園で絵を描いたらね、先生にそんな魚いません!って怒られたこともあって…」
「えぇっ!?変なの…図鑑を調べればわかるのに…」
「お、桜華もそう思うの!?」
「思いますよ、自分の知らないことを相手のせいにするなんて非常識です。」
「だよね!だよね!」
お母さんにも話したことのないことだけど、桜華と一緒に居るとあまりに本音が出やすすぎて、思わずポロリと漏らしてしまった。
でも、共感してもらえるんだ…って、驚いたし、すごく嬉しかった。
「うわぁ…すごい…!これ全部本物のクラゲなの?」
「もちろんですよ、全て生きているミズクラゲです。」
「海月空感」と書かれた部屋の中には、上下左右の視界いっぱいに、ライトアップされた無数のミズクラゲが漂っている。
私たちは2人で、ゆっくりとクラゲに包まれるような感覚を味わいながら、座って少し休憩していた。
「ねぇ…桜華ってさ、見習いだけど、御庭番だっけ…一応侍なんだよね?」
「はい…そうですね、一応は…」
「じゃあさ、妖魔だけじゃなくて、人を斬ったことってあるの?」
「それは…まだありません…できれば、これからも斬りたくはありません。」
「どうして…?」
「人を斬ろうとした時、その人自身がこれまで生きてきた時間や、その人の家族のことなんかが、頭に浮かんできてしまうんです。」
「生きてきた時間…?」
「言い換えるならば思い出ですね…当たり前ですが、人には一人一人生きてきた時間があって、それだけの思い出があって…あと、親や兄弟姉妹といった家族から愛され成長を喜ばれてきた幼少期があって…そういうことを考えてしまうんです。」
「…」
「一見何も考えずただ流れに身を任せているクラゲの一匹一匹にさえ、それまで生きてきた時間がある…そんなふうに、僕は全ての人には思い出があって、平等に命は尊いものだと思ってる。」
「平等に…尊い…」
「だから、そんな人の時間を、思い出を、永遠に奪い去ってしまうのが…そしたら、大切な人の命の尊さまで見失ってしまいそうで…僕はとても怖いんです。」
「…!」
一度は人を殺そうと決意した。
桜華のおかげで踏み止まった。
私は桜華のように心が綺麗じゃないから、あの子たちの命が尊いとまでは思えない。
でも…もし私があの子たちを殺して、お母さんや潤也さんが大切な人だっていうこともわからなくなるなら…
やっぱり私は、殺したくない。
桜華のおかげで、目が覚めた。
──────
─2031年4月11日 11:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
クリオネの姿をした、私の式神・クレイオ。
アズマ様やシリアン先生と同じ、完全自律行動が可能な特殊な式神である。
昨日、板石塔婆石材採掘遺跡付近で発見した祠…そのすぐ下にあった小さな穴。
山神を取り逃がした後、祠に人が接近する気配を感じた私は、クレイオを穴へ潜行させ、身を隠した。
祠の前に現れた人物は、智多川愛宮衣…智多川弥舞愛の実母であった。
智多川愛宮衣は、荒れた祠を見て狼狽える素振りをした後、人型の木札を何枚か祠の側に置き、去っていった。
木札を確認してみると、そこに書かれていたのは人の名前…後に調べると、それらは荒川尋常中学校の教員や生徒の名前であった。
智多川弥舞愛の母親が、いじめの加害者たちを呪詛している…新たな線が浮かび上がったのである。
クレイオに装着させたGPSの信号は、智多川家を示していた。
桜華くんからの情報によれば、智多川弥舞愛はソウル能力を獲得しているもののまだ発現できない段階にあるという。
智多川弥舞愛はただ現場に居合わせただけで、怪死事件に直接関与していないという可能性が高くなった。
むしろ容疑が強まったのは、母親の智多川愛宮衣。
昨夜、桜華君には、智多川愛宮衣がいじめ加害者を呪詛した可能性があることと、怪死事件との関連の疑いがあるため事情聴取を行う方針を伝えた。
そして、私と智多川愛宮衣の2人で話をするため、桜華君には娘の智多川弥舞愛を水族館へ連れ出してもらうことにした。
「私が…やりました…」
テーブルに着くと、愛宮衣さんはあっさり自供した。
しかしそれで終わる話ではない。
「問題は貴方の“やり方”です。まず、貴方は山神信仰の存在とその詳細を知っている…それに間違いはありませんね?」
「はい…」
「それでは、こちらの捜査でわかったことをお伝えします。──
──私は昨日、野上下郷北部の山中にある祠でその山神と思しき妖魔と遭遇し、交戦の末逃亡されました。
祠の下には小さな穴があり、GPSを装着させた式神に辿らせたところ、御宅の位置に繋がりました。
御宅の玄関にある鳥居の注連縄、山中にある祠の鳥居の注連縄、これらはいずれも外向きではなく内向きに設置されています。
注連縄とは本来外向きに設置することで、邪悪なものが屋内へ侵入するのを防ぐもの。
つまり内向きということは、結界の内にその山神を閉じ込めておくことが狙いなのでしょう。
事件現場の荒川河川敷は、当然ながら祠の領域の外…本来ならばそこから外に出ての犯行など不可能な筈ですが…
貴方が祠の側に置いていった人型の木札…それが媒体となり、山神はその木札に名前の書かれた者を殺害することに限っては、祠の領域外でも行動が可能になる…そう私は見ています。
話を少し戻します。
祠と御宅が繋がっていること、そしてこの地域では廃れた筈の山神信仰を貴方がご存知の理由についてです。
幕府の方で調査したところ、智多川家は姿を変えながらも、200年余に亘ってここに所在し続けていることが判明しました。
ただ1軒の民家の所在地を調べるだけの作業ですが、智多川家に関しては過去の記録が徹底的に破棄されており、調査は難航しました…
これは智多川家の者たちが、かつてここに存在した旧村・出魚村の人身御供に利用されてきたためです。
幕府は1950年に人身御供を禁止・厳罰化しており、これは犯行に関与した全ての者を対象としたため、各地で人身御供の隠蔽が多発する事態となりました…智多川家についても同じ理由でしょう。──
──祠には智多川姓の名前が書かれた古い木札も見つかりました…人柱の家系の者として、木札に書かれた者を生贄とする山神の性質を知っていた貴方は、それを利用していじめ加害者たちを贄に供した。」
すると愛宮衣さんは観念した表情で立ち上がると、家のすぐ側にある倉庫まで私を連れてきた。
荷物を退かすとそこには大きくぶ厚い金属製の扉があり、愛宮衣さんは目一杯引っ張ったものの動かなかったので、私が代わりに開けた。
ギイィ…
扉の開く音が、地下まで響く。
クレイオに装着したGPSも、厳密にはこの位置を示している。
つまりここには…
地下へ続く、細く簡素な、錆びた鉄製の螺旋階段を降りていく。
愛宮衣さんは語り出す。
「石野様の推理は概ね合っています…ただ、私は外から智多川に嫁いできたので、智多川の血を引く夫からその話をされるまでは何も知りませんでした。」
「何度も…何度も、この場所から逃げようと試みました…でも、そうしようとすると、夫が突然行方不明になったり、仕事や家が偶然見つからなくなったりして、脱け出す試みは悉く失敗に終わったのです。」
「私は確信しました…これは山神による、智多川の者を逃さないための呪縛だと…」
「人身御供が無くなっても、智多川の者は虐げられ続け、助けを求める声は阻まれ、逃げることも許されなかった…でも、それでも私は…」
「鬼になってでも、娘だけは、守りたかったんです。」
「山神のことも何も知らない、あの子だけは…だから私は、後戻りできない選択をしました。」
愛宮衣さんに確認したところ、これまでに数回、智多川弥舞愛の通う学校関係者を呪詛してきたという。
動機はあくまで親心。
法では折れぬ毒牙の数々から、娘を守りたい…その一心だったのだろう。
しかし山神はそれを利用し続け、信仰の薄まりによる封印の脆弱化も味方し、呪詛対象の周辺に居る人間も無差別に狩れるようになってしまったと思われる。
愛宮衣さんの愛による凶行は、結果として数多の無辜の一般人を巻き込むことに繋がってしまったのだ。
最奥部に着くと、そこには八畳間の狭い祭壇があり、その上には巨大に膨れ上がった数匹の金魚やフナが融合したような怪物が鎮座していた。
足元付近の壁の小さな穴から、クレイオが出てくる。
間違いない、これが山神の本体…昨日会った個体よりも明らかに魔力量が多い。
すると怪物は私の殺気を察知したのか、数ある口の一つから激しい水流を噴き出した。
「危ない!」
咄嗟に愛宮衣さんを背後へ回し、山刀で弾き返す。
攻撃の意思はあるが、動きは鈍い…昨日の戦いで負った傷を癒しているな?
ろくに抵抗もできない状態だろう…これ以上の被害を生まないためにも、山神はここで始末する。
「有無を言わさずここで終わりにします…」
「『氷壊魔術』…『氷ノ閃』!」
バキンッ!
ガラガラと音を立てながら崩れていく、凍結した山神の本体の肉体。
振り向くと、愛宮衣さんはただ、静かに涙を流しながら山神の最期を見届けていた。
…200年余に亘った呪縛が今、ここで解き放たれたのである。
愛宮衣さんは泣きながら、何度も繰り返し必死に頭を下げてきた。
「石野様…石野…様…!申し訳、ございません…そしてありがとうございます…っ!」
「これで、これで娘だけでも、この呪縛から自由にっ…!」
泣き崩れる愛宮衣さんの肩を支え、声をかける。
「愛宮衣さん…確かに貴方は決して許されない罪を犯した。」
「しかし…娘さんにとって、貴方はたった一人の、掛け替えのない家族であり味方だ。」
「これから事件現場に残された魔力の残滓を再分析し、貴方と一致するものがあるか確認を行います…その結果が出るまで、貴方への対応は保留です。」
「今夜はゆっくり、娘さんとよく話し合ってください。」
弱々しく声を震わせ「はい…」と答える愛宮衣さん。
私は鎮魂の祝詞を唱えると、愛宮衣さんを抱えて家まで連れ戻した。
せめて少しだけでも、愛宮衣さんの心配は取り払ってあげたい。
「愛宮衣さん、貴方は一人ではない。」
「我々もまた、娘さんの味方です…今後貴方が逮捕されても、娘さんを独りにすることはないと約束しましょう。」
帰り際に私がそう声をかけると、愛宮衣さんはまた何度も頭を下げ続けていた。
諸悪の根源たる山神は討伐した。
すぐに報告・追加調査に取り掛かろう。
──────
─2031年4月11日 12:30頃─
〔江戸府 豊島区 東池袋三丁目 サンシャインシティワールドインポートマートビル屋上 サンシャイン水族館〕
桜華と一緒に回る水族館は、もう最高に楽しくてたまらなかった。
「ぴょんぴょん跳んでます!えーと…これは…ムツゴロウ?」
「トビハゼだよ、桜華。」
「何が違うんです?」
「ムツゴロウは有明海や八代海にしか住んでないけど、トビハゼは東京から沖縄まで広い地域の干潟に住んでるんだ。ムツゴロウは藻を食べるけど、トビハゼはカニやゴカイも食べるんだよ。」
「トビハゼの方がメジャーなんですね…」
「お鼻の長いサメさんですね…」
「あれはゾウギンザメ。ギンザメって名前だけど、実はサメじゃないんだよ。」
「えっ、違いましたっけ?」
「あの鼻の先っちょにはロレンチーニ器官っていう器官があって、微弱な電流を感知して餌を見つけるんだ。」
「そういえば、友達に雷のソウル使いが居て、似たようなことをしようと頑張ってました…」
「す、すごい…弱い電気を探知するって、とても難しいことなんだよ?」
「ヤドクガエルだ!」
「あっ、可愛いですね!」
「そういえばヤドクガエルって、飼って大丈夫なのかな?触っただけでも毒が皮膚から入るから危ないんじゃ…」
「問題ないそうですよ。ヤドクガエルは、野生のものは毒を持つ昆虫を食べることで毒を体に溜めますが、人の手で毒の無い餌を与えられているものは無毒なんだそうです。」
「へぇ、知らなかった…桜華ってカエルに詳しいの?」
「あはは、毒に詳しい知り合いからの受け売りですよ…僕もちょっとだけ弥舞愛に威張れますね?」
「むぅ、魚の知識は負けないよ!」
屋外に出ると見えてきたのは…
透明な大水槽の中を泳ぐペンギンたち、そして透明な水槽の向こうに見える都会のビル群…
ペンギンがまるで空を飛んでいるかのような、壮大な景色だった。
「すごい…本当に空を飛んでるみたい…!」
「綺麗ですね…!」
「桜華はドラゴンなんだよね…泳ぐのすごく上手かったけど、空もあんなふうに飛べるの?」
「もちろん!風雲竜ですから空は自由自在に飛び回れますよ!ここではできないけど…またやってみせましょうか?」
「うん!見たい見たい!」
お昼ごはんはホットドッグと、水族館限定の「アクアリウムココア」。
ペンギンやカワウソが描かれた可愛いココアで、飲むのがもったいなくて…2人で絵柄を崩さないように慎重に飲んだ。
お土産屋に戻るところで、うっかり見逃していた淡水魚の水槽の前にやって来た。
「あれがウグイ、お母さんだよ。」
「そういえば愛宮衣さんもお魚から名前がついてるんですね。」
「私もお揃いにしたかったみたい…あっ、そこにいるのが私!ヤマメだよ!」
「本当だ、僕も川でよく捕まえます。」
「実はヤマメって、そこに泳いでるサクラマスと同じ魚なんだ。」
「え!?そうなんですか!?確かに似てるけど…」
「海に降りるのがサクラマス、一生川に居るのがヤマメだよ。サクラマスは海に降りる時に体の斑点が消えるけど、ヤマメは海に降りないから消えないんだ。」
そう、ヤマメは海に降りることはない。
一生を、川の中に閉じ込められて過ごす。
「ねえ桜華…私の痣、消えるかな?そしたら海に出れるかな…?」
突拍子もない質問を投げかけてしまった…それでも、桜華は微笑んで答えてくれる。
「そんなの関係ありませんよ。」
「弥舞愛は魚じゃありません…痣が消えても消えなくても、海を自由に泳げるはずです。」
じゃあ桜華と一緒に泳ぎたい!…まで言うのは、流石に恥ずかしくてやめた。
──────
─2031年4月11日 15:00頃─
〔江戸府 豊島区 東池袋三丁目 サンシャインシティサンシャイン60ビル60階 サンシャン60展望台 てんぼうパーク〕
水族館を出たら、いろんなスイーツを食べたり、お買い物をしたり、途中で迷子を見つけて桜華と一緒に親を探したりして…
旅の最後には、空まで届きそうなくらい高いビルの展望台にやってきた。
江戸の都会はどこまでも遠くまで続いていて、さらに向こうには果てしなく青色が広がっている。
あれが本物の海…すごく大きくて、すごく広い…
「ねえ桜華…私、世界がこんなに広いなんて知らなかったよ。」
「広いでしょう?」
「うん!とっても広くて、すごくワクワクして、正直学校の悩みとかどうでもよくなっちゃうくらい楽しかった!」
「ふふ、それはよかったです♫」
「私、いつかあの町から出ようと思うんだ…決心できた。」
「そうですか…弥舞愛ならきっとできますよ。」
「うん…でもね、その時は…わがままだと思うけど…私、外の世界に出たら、真っ先に桜華に会いに行きたいな。」
「弥舞愛…」
「今度はね…私、桜華と一緒に海に行きたい…!」
──────
─2031年4月11日 19:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 野上下郷〕
僕とのお出かけが本当に楽しくて仕方なかったのか…すっかり疲れ果ててしまった弥舞愛は、帰りの電車ではずっと僕の肩に寄り添って寝ていた。
「今日はありがとう!その…また明日も会えるんだっけ?」
帰り際、家の前で弥舞愛はもじもじしながら尋ねてきた。
「そうですね…事件が完全に解決するまでは様子を見るということなので、また明日もですね。」
「そ、そのっ…桜華!今日は本当に楽しかった!ありがとう!だから、その…おやすみなさい。」
ふわっと優しく微笑む弥舞愛。
そんな表情もできたんだ…と胸が温かくなる。
「こちらこそ、とても楽しかったですよ!ありがとう、弥舞愛…おやすみ。」
石野さんからは、愛宮衣さんから事情を聞くことができ、さらに山神の本体を討伐できたとの報告も入った…向こうも上手くいったみたいだ。
これにて一件落着…観光を楽しみながらもどこかにあった不安がようやく解け、僕はすっきりした気分で旅館への夜道を歩いていった。
──────
その様子を空から見下ろすのは、狐面の魔神・氿㞑。
「蓼食う虫も好き好きと言いますが、これまた随分良い好みをしていらっしゃいますねぇ…」
その手には、赤黒い小さな杭のようなもの。
「さて…格別な見世物を期待しろとのことですので、楽しみにしていますよ…ククク…」
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:人物〉
【智多川 弥舞愛】
長瀞町の外れに住む中学生の少女。
15歳。
体の両側面にヤマメの斑点のような青痣がある。
か細い外見に違わず気弱で引っ込み思案な性格だが、好奇心旺盛で好きなことの話を語り出すと止まらない。
幼少期から陰湿ないじめ被害を受け続けたことから心が荒んでおり、一時は復讐を考えたものの、硯桜華との出会いで考え方を変えていく。
家族は母親1人で、仕事でほとんど家を空けているため、朝食・弁当・夕食は弥舞愛が作ってあげている。
魚が大好きで、趣味は魚釣り。
町から出たことがなく、いつか海に行くのが夢。
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