#51 稚魚 急「氷壊」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
甲府藩を守る「甲府御庭番衆」に急遽入隊した、竜の少年・硯桜華。
これは一人前の侍となるべく御家人研修に臨んだ桜華の身に起きた、一春の友情と悲劇の物語である。
急 ~氷壊~
─2031年4月9日 6:00頃─
〔加賀国 加賀藩 金沢市 JL北陸新幹線車内〕
ここは加賀国・加賀藩の中心地・金沢市にある、金沢駅。
摂津から北陸地方を通じて江戸へ繋がる、北陸新幹線の停車駅の一つである。
新幹線の車内では、黒い詰襟に「大傾奇」とでかでかと白文字で書かれた黒い特攻服を着た、バンカラな服装の2人の若い侍が、発車を待っていた。
1人は身長190cm以上はあろうかという、筋骨隆々とした巨躯の少年。
赤いターバンを巻いた頭の後ろからは、金銀の簪で留められた赤毛のポニーテールが伸びている。
赤い瞳の目は切れ長で、縁は赤く、顔には右頬を中心に赤い加賀梅鉢の紋様が描かれている。
もう1人は身長150cm程の小柄な瘦身の少女で、癖のあるクルクルした緑髪を頸まで伸ばし、少しオーバーな大きさの黒い学生帽を被っている。
顔は鼻から下と左目が黒いマスクで覆われており、赤い瞳の右目だけが露わになっている。
そして特攻服の裏から、矢印型の尻尾が伸びる。
「2年ぶり…2年ぶりだぞ!待ちに待ったこの季節が来たッ!そう、中部合同林間合宿ッ!」
少年が拳を握り、暑苦しい勢いで感慨深そうに喋ると、隣の少女は目を細めて窘めた。
「まだですよー、センパイ。」
すると少年は悲しそうな顔で少女の方に振り向き、唾を飛ばすように捲し立てる。
「何を言うタテハ!俺たちはこれからその合宿にあたり、甲府藩主・飯石夕斎殿へ挨拶に行くんだぞ!これはもう、既に合宿が始まっているのと同義だろうが!」
「呼び捨てやめてくださいって…可愛く“タテハちゃん♡”って呼んでくれって何度も言ってますよね、あと今から行くのはあくまで合宿の“準備”なんで。」
「準備の時点で既に合宿は始まっている!そう言っているんだッ!本番と同じ意気で臨めッ!」
「うへ〜…やだ〜…体育会系が過ぎる〜…わざわざ本番と準備は分けられてるんだから、本番までのんびりやりましょうってば。」
威勢良く活気たっぷりに声を張る少年に対し、少女は呆れ気味な様子である。
「それに、甲府にはつい先月…誰もが生存を望んだあの人物が、帰ってきたそうじゃあないか。」
「硯桜華くんのことですか?あれは流石に私もビックリしましたよ、言い伝えの内容が内容だから、そりゃ死んでるよなって思ってましたもん。」
「ぜひ手合わせしてみてぇもんだ…俺はもう今から激アツだぞ…!」
「出た出た後輩いびり…程々にしとかないとまた怒られますよ〜?」
「後輩いびりなんかじゃあねぇッ!これも亡き“あの方”へ捧ぐ“推し活”だッ!」
「知ったこっちゃね〜…」
発車のアナウンスが流れ、新幹線が動き出す。
加賀の“炎熱”は向かう、甲府へ向けて。
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─2031年4月9日 9:00頃─
〔江戸府 千代田区 江戸城 西の丸 大老執務室「杏葉の間」〕
江戸での研修開始日、研修担当との顔合わせに呼び出された場所は、江戸城西の丸。
本丸の南西にある区画で、先代将軍や将軍の世嗣が住まう場所だ。
生まれて初めて来た江戸城は、何もかもがとてつもなく巨大で、とにかくビックリ。
甲府城よりも遥かに巨大で広大な城。
何人ものお侍様たちに順番に案内してもらって、ようやく辿り着いた。
案内が無かったら確実に迷子になっていた…
西の丸の入口に着くと、おかっぱ頭の小柄な美形の男の人が待っていて、その方に連れられて石野さんの執務室まで来た。
あまりにも平然と案内役として登場されたから気付かなかったけど…
僕を案内してくれたこの方は、なんと先代将軍の徳川義昭様だった。
「改めて…久しぶりだね、桜華くん♫私は第21代征夷大将軍・現大老の徳川義昭だよ♫」
【徳川 義昭】
~江戸幕府 第21代征夷大将軍(大御所) 大老「帝老」~
「え…えええええええっ!?」
とんでもなさすぎるサプライズに腰を抜かしそうになる僕を見て、大御所様はお腹を抱えてカラカラと笑った。
「アッハハハハハ!いや〜いい反応だねぇ!ドッキリ大成功〜!…でもこのドッキリが成立するってことは、桜華くんは私の顔を覚えてないってことになるね…さみしいなぁ…」
「ぼ、僕が…大御所様とお会いしたことがあるんですか!?」
「あるよ〜♫君が生まれて間もない頃から、時々君のお父さんが顔を見せに来てくれたんだよ〜♫いや〜あの頃は本当にちっちゃくてちっちゃくて、よく泣くしよく暴れるし、可愛かったなぁ〜♫お父さんから離れるとそれはもう大声で泣き喚いて、私を引っ掻いたりもしてきたし、本当に元気な子だったよ〜♫本当におっきくなったねぇ〜、菫ちゃんそっくりで可愛いねぇ〜♫」
やっぱりここでもお母様にを指摘される…じゃなくて、将軍様を引っ掻いてたって本当に…!?
いくら赤ちゃんの頃とはいえ、首がいくつあっても足りないことをしていませんか…!?
すると石野さんが一つため息を吐き、大御所様をぴしゃりと窘めた。
「大御所、お巫山戯はその程度にしてください。」
「も〜、カタイこと言わないでよアッキー♡」
「アッキー」というのは石野さんのあだ名らしい…千“秋”だからアッキー…なんだかかわいい。
「桜華君の前ですよ…大御所としてもう少し凛とした姿勢をお見せください。」
腕を組み、首を少し横に振りながら、ため息を吐く石野さん。
大御所様はそれをスルーするかのように、満面の笑顔で僕の方を向き、石野さんに両腕を向けて、手先をパラパラと動かした。
「ということで紹介するね!今回君の江戸での研修を担当する、石野千秋くんですっ!」
「かつては色々あって一度は侍を辞めて、一般企業で活躍しまくった後、また色々あって出戻って僕の側用人になった、バリキャリ旗本っ!」
「そして今は大老だよ〜!すごく偉い人だよ〜!」
すると石野さんはそれを手で制止し、一歩前へ、僕の方へ歩み寄った。
「まずはお互い挨拶から始めましょう…お早う御座います、硯桜華君。」
ピシッと背筋を伸ばし、ペコリと綺麗に30度敬礼する石野さん。
その丁寧さに僕も慌てて背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。
「あっ、は、はいっ、おはようございますっ!」
石野さんは顔を上げると、再び淡々と話し出した。
「改めて…私が今日から5日間、君の江戸での御家人研修の教官を担当する、江戸幕府大老の石野千秋と申します。よろしくお願いいたします。」
【石野 千秋】
~江戸幕府 大老「謐老」 / 播磨国 国主~
凄く礼儀正しい人だ…䑓麓さんの仰っていた通り、かっちりとした厳格な雰囲気がこっちにまで伝わってくる。
「君の御父様こと硯風弥君は、新閃目黒君とともに、かつて私の石野塾の生徒でした。」
「江戸での御家人研修を担当したのを始め、江戸で彼ら2人の教育を担当したのが私です…彼らは良き生徒であり、良き部下であり、良き仲間でした。」
石野さんは大御所が現職の将軍だった時に側用人を務めていて、その頃にお父様や目黒さんを教育していたという。
「風弥君と菫君のことは残念でしたが、君の命が助かっていて本当に良かった…それが私の率直な感想です。」
「あ、ありがとうございます…あの、はじめましてではないということは、石野様も僕のことをご存じなのですか?」
「ええ、そうですよ…君が生まれた頃から顔を見せてもらっていましたし、君のお父さんたちが忙しい時には、有給を取って代わりに面倒を見ていたこともありました。蜜柑姫や目白君と一緒に君を連れてお出掛けに行ったり、一緒に遊んであげたりもしましたね…」
「そ、そんなにお世話に…!?」
だったら何か思い出せないかな?
そう思って、うーん…と頭を押さえて唸っていると、石野さんから諌められた。
「桜華君、君が記憶を失っていることは仕方の無いことです…時が経つにつれ記憶が戻りつつあるという話は既に夕斎殿から伺っていますし、記憶を取り戻した際の君の心身にかかる負担のこともありますから、今すぐ焦って思い出す必要はありません。」
「わ、わかりました…」
「君のお父様のことはまた追々、少しずつ話してあげましょう…今君が第一に為すべきこと、それはこの初期研修をクリアすることです。」
すると大御所様が、ニヤニヤしながらわざとらしい大きな声で、石野さんに問いかける。
「質問です石野様っ!石野様の大老としてのモットーを教えてくださいっ!」
「大御所…桜華君との話の間に、脈絡もない質問を割り込ませないでください。」
「まあまあ〜、久しぶりの“恒例行事”じゃないか〜♫」
「はぁ…仕方ありませんね…」
恒例行事?僕が首を傾げていると、石野さんは息をスゥーッと吸って、これまでの落ち着いた雰囲気とは一転、声を張り上げた。
「いいですか桜華君、これはあくまで一個人の私見ですが…」
「労働とは…忌むべきものです!」
え、えええええっ!?
それってつまり、働くのが嫌ということ?
䑓麓さんが四六時中ダラダラと垂れ流すならわかるけど、厳格な雰囲気を纏った大老様が堂々とそれを言ってのける姿には…正直、困惑しかない。
石野さんは厳しい顔で続ける。
「全ての労働は、等しく社会を構成するために必要な人間の営みです。」
「一人一人の人間が、人間社会という機械を構成する部品であること…この喩えは概ね妥当ですが、私は正しいと思わない。」
「人間はそもそも機械ではない…尊い命とともに、強い意思と自由権を持つ。」
「労働は、そんな尊い人間をただの無機質な部品に落とし込んでしまう。」
「個々の人格が尊重される今日の人間社会において、労働というものは極めて歪な概念なのです。」
「しかし同時に、労働は人間社会の維持に必要不可欠なため、排除されるべきものでも決してない…故に“忌むべきもの”なのです。」
「では、そんな大きな矛盾と不条理を抱えた労働に対し、我々は何を求めるべきか?」
石野さんは再び声を張り上げる。
「重要なのは…ワークライフバランスです!」
「社会の部品である“労働の時間”と、個人の自由である“生活の時間”…それらのバランスが最適化された日常こそが、人間社会のあるべき姿です。」
「人間は自分たちの暮らす社会…言い換えれば自分のために労働をする。」
「社会とは即ち人であり、人を尊ばなければ社会を保つことはできません。」
「人を尊重する労働…私は一般企業でキャリアを積む中でその理念を心得ました。」
「公僕などと呼ばれる武士たちもまた、社会を構成する一人一人の尊い人間…それらを守るため、私はこの江戸幕府において働き方改革を推進してきたのです。」
実はこの江戸幕府、つい三十年程前までは、一般企業にはよくある定時退勤の徹底・有給消化の推進・産休や育休の取得などといった福利厚生すらしっかりと整備されていなかったらしい。
古き悪しき伝統的な幕府の労働環境にメスを入れ、働き方改革によって人材流出の抑止・労働能率の劇的な改善を成し遂げたのが、この石野さんなのだ。
石野さんの功績の凄まじさに畏敬の念を覚えるとともに、おそらく働き方改革の途上の時期に苦労していたであろう䑓麓さんの愚痴を思い出すと、昔の幕府は本当にブラック極まりなかったんだろうな…といたたまれない気持ちも抱くのだった。
石野さんはメガネを直して息を整え、改めて話を続ける。
「さて…話を戻します。」
「世間は既に、君を硯風弥の長男として、甲府御庭番衆の一人として持て囃していますが…私は君を侍としては認めていません。」
「理由はいたって単純、君が本来侍になるにあたって通過すべき初期研修を修了していないためです。」
「そのためこの研修期間中、君はあくまで御家人見習…あくまで仮の侍の立場であることを覚えておくように。」
「はい、わかりました。」
今の僕はあくまで見習…いくら御庭番とチヤホヤされようとも、一般の侍よりもさらに下の立場にある。
そこは弁えておけという話だ。
石野さんはさらに続ける。
「風弥君はこの幕府内でも未だに大変人気な人物です…故に今日からの研修でも、あちこちで君に風弥君の話をする者に出会うと思います。」
「しかし、風弥君は風弥君、君は君です。」
「風弥君どうこうに拘らず、君は君自身が有用な人材であると認められるよう努めなさい。」
僕は石野さんの目をしっかり見つめて答える。
「お父様の評価を聞けば聞く程、石見家との戦いを重ねていく程、お父様に対して僕がいかに無力か…嫌と言うほど思い知らされてきました。」
「それでも僕はお父様の背中を追って、強くなりたい…僕を救ってくれた甲府から、これ以上大切な思い出を奪わせないために。」
「お父様の名声に驕るつもりなんてありません、仕事にも任務にも骨身を惜しまず取り組んで、必ず甲府ひいては幕府に仕えるに相応しい侍として認めていただきます。」
「よろしくお願いいたします、石野様。」
僕がそう言って深々と頭を下げると、石野さんはわずかに微笑んでくれた。
「よろしい、では研修の説明に入りましょう。」
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─2031年4月9日 11:40頃─
〔川越藩 入間市 河原町 入間市駅 西武特急ちちぶ15号車内〕
石野さんとの顔合わせから三日目。
石野さんは強面で目つきが冷たく、雰囲気も厳格で物々しい。
でもその一方、その立ち振る舞いは隅から隅まできっちり整然としていて、僕の話を親身に聞いてくれながら、一つ一つ僕が追いつけているか様子を見ながら丁寧に指導してくれる。
流石はお父様の元教育係…政治や行政のことは何でも知っていて、いつ仕事がいきなり割り込んできても冷静に対応できる、とても頼りがいのある上司だ。
五日間でようやく真意を知れた䑓麓さんと違って、石野さんへの信頼度はたった二日間で100%に達した。
そして来る三日目、任務は舞い込んできた。
江戸から北西にある忍藩の秩父郡で、原因不明の怪死事件が発生し、等級の高い妖魔が関与している疑いが強いとして、石野さんへ緊急で捜査依頼が来たのである。
というわけで、僕と石野さんは現場へ向かうため、朝から秩父へ向かう特急電車に揺られている。
入間市駅に差し掛かった頃、僕は車掌さんの切符確認で、間違えてある二枚のチケットを差し出してしまった。
「うーん…」
チケットを眺めて唸る僕に、向かいの席の石野さんが尋ねてくる。
「桜華君、それは?」
「あぁ…䑓麓さんからの貰い物です。」
「䑓麓君からでしたか…何のチケットですか?」
「えっと…水族館のペアチケットですね…」
恙虫討伐の後、ギッシャーに乗って帰っている時に、䑓麓さんに渡されたものだ。
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「これあげます。」
「水族館のチケットですか?」
「はい、先週貰ったペアチケットなんですけど、僕使わないんで。」
「なんでですか?」
「一緒に行く相手がいねぇからだよおぉ!!そこまで説明させんなやあぁ!!」
「豊三さんとじゃダメなんですか?」
「何が悲しくて野郎2人で水族館デートしなきゃいけないんですか…僕よりもよーっぽど友達が居るであろう君の方が有効活用できそうなので、やるって言ってんですよ!ありがたく受け取れ!」
「うーん…わかりましたけど…」
「だいったい、どいつもこいつもわざわざペアチケットとかそんなんばっか僕に渡してくるのは何なんですかね、そろそろ彼女の1人でも作れという圧ですかね、残念ながらぁ?僕は年齢=彼女いない歴なのでぇ?そんなもん渡されてもどーしよーもn」
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「硯家で行っても、蜜柑や目白と行っても、どちらも三人組になっちゃうので、僕も有効活用しづらいんですよね…」
「それは困りましたね…」
二人でため息を吐いていると、石野さんの席に掛けられた小さなポーチの中から一匹のゴールデンハムスターが飛び出してきた。
そして真ん中の机の上に落ちてくると、頭をもたげて、僕のチケットを見て喋り出した。
「それはサンシャイン水族館のチケットかな?」
【シリアン】
~江戸幕府所属・本体不在の式神~
このハムスター…もといこの方は、シリアン先生。
アズマ様と同じ、自我を持っていて喋ることのできる特別な式神で、驚くべきことに本体が居ない。
本来このタイプの式神は、たとえば蜜樹さんのコモンが黄泉の国でほとんど動かなかったように、契約している本体が居ない・別次元など極端に遠い場所にいる場合には休眠状態になってしまう。
一方、アズマ様やシリアン先生はその中でも特殊なタイプらしく、本体が居なくても休眠状態になることなく自立行動を続けられるそうだ。
そんなシリアン先生は、アズマ様と同じく大昔から生きてきた式神らしく、この小さな体の中に人類の文明に関する様々な知識が詰まっている…謂わば読んで字のごとく生き字引のような存在で、知恵を授けてくれる精霊として、徳川家康公が拾い上げたことから江戸幕府に加わったそうだ。
以降は地政学を中心に様々な学問を幕府の武士たちに教授する「先生」として活躍していて、石野さんの教育係も務めていたそうだ。
お父様たちにも地政学を教えていたといい、もちろん小さい頃の僕とも何度か会ったことがあるというけど…やっぱり思い出せなかった。
「サンシャイン水族館…懐かしいなぁ、千秋がまだ3歳か4歳くらいの蜜柑姫・桜華君・目白君の三人を連れて遊びに行った場所だよ。」
鼻をひくひくさせるシリアン先生に、僕はずいっと顔を近付ける。
「そうだったんですか!?お、覚えてません…」
「私もついて行ったんだが、いやぁ…蜜柑姫と桜華君は終始大はしゃぎで、ずっと大水槽に張り付いていたよ…特に桜華君は帰るとなったら『帰りたくない、ずっとここにいる!』と大泣きして駄々を捏ねてなぁ…可愛かったよ。」
結局その時の僕は、何故かシリアン先生を自ら口に詰めて泣き止み、そのまま皆んなと一緒に甲府城まで帰ったらしい。
いくら幼少期の話とはいえ、将軍様を引っ掻いたり、幕府の教育役を口に詰めたまま帰ったり、僕の無茶苦茶が過ぎませんか…?
それでも笑い話として思い出してくれるあたり、皆んなの優しさが知れて幸せなことではあるけど…
この研修期間で知ったのは、僕はどうやら甲府のみならずいろんなところの人たち…それも幕府の中でもトップクラスに偉い方々にまでお世話になっていたということ。
そしてその全員が、お父様の上司や部下にあたる人だ。
お父様、本当に凄い人だったんだなぁ…そして僕はその恩恵にあずかって、他のお侍様方が頑張っても教えを乞えないような方々に面倒を見てもらっている。
この貴重な機会、決して無駄にしてはいけない…改めて身の引き締まる思いだ。
懐かしそうに話し続けるシリアン先生。
「いやぁ、本当に大きくなったな桜華君…駄々を捏ねて泣いていたあの頃を思えば、まだ14歳というがすっかり大人びた雰囲気になって…」
その言葉に、僕は思わず䑓麓さんの「どうやったらちゃんとした大人になれるかも石野さんに訊くといいですよ」言葉を思い出し、徐に石野さんに問いかけていた。
「そういえば…あの、石野さん…䑓麓さんが、石野さんに会ったら訊いてみろと仰っていたのですが…」
「うん?何ですか?」
「大人になるって、何ですか?」
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─2031年4月9日 15:00頃─
〔忍藩 秩父郡 長瀞町 荒川河川敷〕
時は戻って、長瀞町の荒川河川敷。
通報のあった怪死事件の現場だ。
石野さんの言う通り、河川敷の様子はあまりに凄惨だった。
地面や周りの岩には血が飛び散り、トマトを潰したように真っ赤に染まっている。
話によると、ここで見つかったのは、血塗れの肩の一部・腰の一部といった体の一部と、辺りに飛び散った眼球や臓物だったという。
見つかった体の一部は損傷が極めて激しく、肩や腰といった部位は骨から断定され、これらの部位は生命維持に不可欠であるという所見から「遺体」と判断されたらしい。
死亡した人数もわからないけど、この場所を訪れていた四人…付近の町立荒川尋常中学校の二年生男子三人と教員一人が行方不明となっている。
「これは…魚…?」
血みどろの惨状よりも気に掛かる、奇妙な「発見」。
それは、現場の至る所でピチピチと跳ね回る、大量の魚だった。
一匹拾い上げてみたけど、ヒレや鱗の形が歪で、目にはまぶたがあり、歯は異様に鋭利に尖っている。
「先の報告にもありましたが、どうやら普通の魚ではないようですね。」
石野さんも僕の持っている魚を覗き込む。
「外見としてはウツボ、タイ、カマス…いずれも海水魚で、このような河川上流には本来生息し得ない魚です。」
「妖魔ということでしょうか?」
「それを断定するのはまだ早い…現場にだけ大量に発見されている以上、この魚たちは遺体と何かしらの関係があると見るのが普通でしょう。しかしこの魚たちは水に入れても泳ぐことすら儘ならない…この力では、とても人間を襲ってバラバラにするなど不可能でしょう。」
「それじゃあ…他に犯人が居て、そいつが被害者を殺した上で、ここに魚を残したということは…」
「考えられます…犯人が人間であっても、妖魔であっても。」
現場近くの監視カメラは調子が悪く、事件発生時点の前後の時間しか録画していなかった。
そこに映っていたのは行方不明になった四人と、その対岸に居た一人の少女。
「桜華君、聴勁を使ってよく観察しなさい。」
「聴勁…ですか?」
眉間と頭の中心に力をかける感じで、集中力を高めていき、現場の地面を見渡す。
すると…地面にわずかな魔力の残り滓のようなものが浮かび上がり、森の方へ続いているのが見えた。
「これは…」
「魔力の残滓です。強い魔力を持つ者程、より濃い残滓を残します。これはおそらく犯人のものでしょう…辿っていけば、何かしら手掛かりに突き当たるはずです。」
「い、行きましょう!犯人を追いかけましょう!」
「慌てないこと、そして魔力を乱さないこと。」
「あっ…は、はいっ!」
「肩の力を抜きなさい。」
「はい…」
冷静に諌められ、背筋をピンと強張らせると、続けて落ち着いた声で窘められた。
──────
現場に落ちていた魚は、後から来た同心の方々が回収し、鑑識に回すという。
僕らは魔力の残滓を追いかけて、木々の間を進んでいく。
「防犯カメラに映っていた女の子については、どうするんですか?」
僕が尋ねると、石野さんは残滓の続く方を見つめて歩きながら答えた。
「補佐役の鳥居忠愛君に身元調査を進めてもらっていますが、どうやら行方不明者たちと同じ荒川中学校に通う生徒のようです。」
「その人が犯人の可能性も…?」
「当然考えられます、今どこに居るかはわかりませんが…」
そう言いかけたところで、石野さんは口を噤み、僕の前にサッと腕を出した。
すると正面の木陰から…人の手足が八本生えた、コブダイのような怪物が這い出してきた。
片手に竹刀を一本持っている。
「ぎょおぉ…くおぉらぁ…なにぃ…してるうぅうぅ〜…」
死にかけの鹿のような声で喋る怪物。
浄化瘴気の匂いは感じない…これは妖魔!
僕が剣の柄に手を置くと、石野さんが口を開いた。
「お待ちを、君にはあちらを片付けてもらいます。」
石野さんがそう言って左に目をやると…左手の木陰からも、六つ目のカマスからムカデのように無数の人の手足が伸びた怪物が、顔を出してきた。
「あっあっ、あそそぼぼっ、よおぉっ!」
見た感じだとどちらも強さはそこそこだと思うけど、左手の怪物の方が魔力は弱そうだ。
「あの…石野さん…」
「私はあちらを片付けますが、もし苦戦するようであれば私を呼ぶこと。」
「あの…僕、そんなに弱くないですっ!」
「これは君が弱いかどうかの話ではありません…私は大人で君は子供、私には君の安全を保障した上で教育を受けさせる義務があります。」
「それって、子供扱い…ですか…?」
「子供を子供として扱っているのですから、確かに子供扱いといえるでしょうね。」
それは流石に不本意だ。
たしかにまだ段位は低いし、なりたての御庭番ではあるけど、僕には既に丙位程度の怪魔なら一人で相手できるだけの力はある。
すると石野さんは、腰に提げた脇差…ではなく、隣のもっと大きな刀の柄に手をかけ、スルッと抜く。
刃渡り80cmを超える、長く分厚く先端にかけて太くなっていく、巨大な中華包丁のような刀身…俗に「マチェーテ」とも呼ばれる山刀を、さらに大きくしたものだ。
石野さんは右手に山刀を持ち、走って来るコブダイの怪物の方を向いて、直立したまま動かずに語り始めた。
「桜華君…ここに来る途中、君は『大人になるとは何か?』と質問してきましたね。」
「まず、大人になるためには必要なものがあります…私はそれを『絶望』と考えます。」
「人間は常日頃から、大なり小なり絶望を覚えながら生きています。」
「休日なので時間をいっぱい使おうと思って起きたら昼過ぎだったとか、20連勤した自分へのご褒美にケーキを買おうと思ったら洋菓子屋の閉店時間に間に合わなかったとか…」
「たとえば君の場合は、小さい頃のことですが、まだ水族館で遊び足りないのに帰りの時間になってしまったとか…」
「絶望はそこら中にあるもので、大人も子供も関係なく、人生を生きる限りは永遠に繰り返し続けます。」
「ではその絶望に対してどうするか?」
怪物が石野さんに肉薄し、勢いよく竹刀を振り下ろす。
「石野さん、危ない!」
僕が叫ぶも石野さんはその場から動かず、喋り続ける。
石野さんの右手が少し動いた…?と思った次の瞬間…
ズパッ…
怪物の竹刀を持った腕が、綺麗に斬り落とされた。
「事実には冷徹に、然れども誠実に。」
「目の前にある絶望を受け止め、己の納得の内に収めること…」
「それらを淡々と、合理的に処理できるようになること…」
「それが『大人になる』ということです。」
す、すごい…何も見えなかった…。
目にも留まらぬ速さの攻撃といえば、これまでにも虹牙や黄泉醜女様で経験してきたけど、それでも攻撃の気配は察知できた。
石野さんの斬撃は、その気配すら察知する余地が無かった…なんて速さ…
そういえば䑓麓さんが言っていた。
〜〜〜〜〜〜
「移動速度最速は風弥さんと目黒さんでしたけど…」
「攻撃速度最速はぶっちぎりで石野さんですよ、あの2人でさえ捌き切れてなかったんですから。」
「僕にはどっちも速すぎてわかんねーけどなぁー!」
〜〜〜〜〜〜
日本に十三人しか居ない、特位の侍。
その中でも別格の実力を誇る、名実ともに日本最強の侍。
人々は彼をこう呼ぶ。
「氷神・石野千秋」
䑓麓さんから追加で聞いた話によると、風の二大筆頭が一緒になって襲いかかっても、石野さんには敵わないらしい。
日本最強…お父様の背中を追う僕の目の前には、お父様を超える「圧倒的強者」が立っている。
「い、今何を…?」
僕が呆然としながら尋ねると、石野さんは悲鳴を上げる怪物の胸に対し、スーッと山刀で真横に線を引く仕草をする。
すると、怪物の胸に、横一文字に氷がつく。
「一、対象へ冷気を吹き付け、線状に着氷させる。」
「ニ、氷の線に沿い、打撃を与える…このように…!」
バキイィンッ!
石野さんがそう言って、返す刀で氷の線を真横に斬ると、氷が砕ける音とともに怪物は横に真っ二つになった。
氷の結晶が舞い散り、光を反射してキラキラと光る。
す、すごい…一撃で…これが最強…
「着氷部位を“急所”に設定し、その部位への攻撃を強制的に、硬度・弾性を無視した会心の一撃…所謂クリティカルヒットとする、それが私のソウル能力。」
さらに斜め左後ろの方向から、サバの姿をした怪物が飛びかかってくるも…
バリイィンッ!
石野さんは瞬時にそれを縦に一刀両断した。
「名を『氷壊魔術』。」
「説明は以上です。」
か、かっこいい…!
僕が見惚れていると、石野さんは視線を僕の方にキッと向けた。
「桜華君、余所見はいけませんよ。」
後ろを振り向くと、カマスの怪物が僕の頭目がけて飛びかかってきているところだった。
石野さんの戦いぶりがあまりに見事で、こっちの注意が疎かになっていた…接触まで三秒程も猶予はない…!
でも…
──────
流石の桜華君でも、この急襲には対応が間に合わないだろう。
そう踏んで、刀を構えたが…
「『鏡花水月・流れよ“水桜”』」
スパパパパッ
次の瞬間には桜華君は剣を抜いており、カマスの怪物の左側の手足は一列に斬り落とされ、さらに返す刀で右側の手足も一列に斬り落とされた。
鋒からは水がポタポタと、雨漏りのように滴り落ちている。
成程…鞘の内部を水で満たし、刀身との摩擦を最小限に抑えることで、超高速の抜刀を実現したのか。
瞬時の判断力と巧みな工夫…あの子のセンスをしっかりと受け継いでいる。
魔力操作も剣技もまだまだ未熟だが、伊達に風弥君の後継者として高い期待を寄せられてはいないという訳か。
さらに頭上からアジの姿をした怪物が落ちてくる…桜華君はそれにも瞬時に反応し、角を伸ばして頭を勢いよく真上に突き出し、怪物の胸に突き刺した。
ドスッ!
「ギョウオォッ!?イダッ、イダアァ〜…」
胸に空いた2つの傷穴から血を噴き出し、涙を流しながらのたうち回るアジの怪物。
勝負は決まった。
桜華君のところへ歩み寄ろうとしたその時、グニャッとした感触がして思わず足元を見た。
先程のコブダイの怪物の左腕だ…妖魔は死ねば消滅するはずなのに、何故この妖魔は絶命しても消滅が始まらない?
未だに反射でピクピクと動く左腕をよく観察すると…左手の薬指に、銀色の指輪がキラリと光った。
「まさか…」
嘘だろう…
だが、この状況で一番高い可能性を考えるのであれば、間違いなく…
すぐに桜華君のところへ駆け出し、カマスの怪物とアジの怪物の首を一薙ぎで切断する。
「い、石野さ…」
唖然とする桜華君に、私はこの俄かに信じ難い事実をゆっくりと伝える。
「桜華君、落ち着いて聞いてください。」
「今私たちが対峙していた敵は、妖魔ではなく…」
「人間です。」
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:人物〉
【石野 千秋】
江戸幕府大老で、播磨国国主。
石野家(中原氏流石野家)の現当主で、先代御側御用人。
57歳で、日本に13人しかいない「特位」の段位を冠する侍の一人。
日本人とアイスランド人のハーフ。
「事実には冷徹に、然れども誠実に」をモットーとし、常に冷静沈着で物事を俯瞰的に観ることのできる人物。
武道と芸事の両方に秀で、幕府の働き方改革などを推進した政治能力の高さに加え、徹底した品行方正な振る舞いから、幕臣たちからは「パーフェクト・ジェントルマン」とも呼ばれる。
身長210cmの巨躯と冷徹かつ厳格な雰囲気から怖がられやすいが、実際は目下の者への愛情が非常に強く、むしろ甘いとすらいえる程のお人好し。
10年前までは先代将軍の側用人を務めており、桜華の父・硯風弥は自身の政治塾「石野塾」の塾生の一人として教育していた。
その戦闘能力は風弥や目黒を軽く凌ぎ、特位の侍の中でも別格で、名実ともに「日本最強の侍」。
彼の存在自体が大部分の妖魔やテロリストの活動を抑制し、日本の治安の均衡を保っているといわれている。
風弥の息子である桜華のことも可愛がっており、両親を失いながらも父親の背中を追おうと奮闘する姿勢には感心と心配の入り混じった複雑な思いを抱いている。
実は甘いもの好きで、特に姫路名物・アーモンドバターは大好物。
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