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甲州御庭番劇帖  作者: 蕃石榴
壱ノ巻-第三章『山女魚の漣』
49/57

#49 稚魚 序「本多の言霊師」

 生命は掛け替えのない大切なもの。

 悪いことをしたら必ず罰が当たる。


 踏み潰されて、汚されて、傷付けられて。

 その度に、大人は嘘つきだと思い知る。


 あの子たちは今日も私を食い散らかす。

 私は今日も歯を食いしばって耐え続ける。

 ずっと変わらない。


 生命の価値が本当に平等なら、悪いことをしたら必ず罰が当たるなら。

 どうして、私はいつまでもこんなに惨めな暗い水底に押さえつけられているんだろう。

 どうして、あの子たちはいつまでも光の差す水面で自由に泳げるんだろう。

 

 ここは腐って淀んだ、暗くて狭い川の中。

 私はそこを漂う小さな魚。

 底にも際にもすぐ手は届くけれど、声はくぐもって響かない。


 もっと広い世界に出たら、私の声を受け止めてくれる、優しい人に会えるのかな。

 本やテレビでしか見たことのない、川よりもっと広い世界。


 私は海に行きたい。

 第三章『山女魚(やまめ)(さざなみ)


 僕は硯桜華。

 甲府御庭番衆隊員で、藩校に通う中等部七年生。


 封印された水桜を救うため、死後の世界・黄泉比良坂へ旅立った僕。

 虹牙との激しい攻防の末、僕はどうにか大神実にありつき、水桜の封印を解くことができた。

 そして御庭番衆の皆んなで、甲府城を焼き尽くさんとする鬼火を退けることができた。


 でも失ったものも多い。

 黄泉比良坂は崩壊してしまったし、甲府の街も大被害を受けてしまった。

 どんなに頑張っても、取り返しのつかないことはある…それは黄泉醜女様が教えてくれたこと。

 失ったものばかりに目を向けず、前を向かないといけない。


 僕が今すべきこと。

 それは、一人前の侍を目指して、御家人研修に励むことだ。


 僕の御家人研修は、特別に幕府高官の二人に担当していただけることになった。

 さっそく紹介されたそのうち一人が、まさかの江戸幕府側用人・本多䑓麓様。


 幕府で二番目に偉い人…そんな威厳と威光の溢れる凄い人に面倒を見てもらえるなんて、なんて光栄なことだろう。

 最初はそう思ってワクワクしていた。


 でも現実は違った。


 ──────


 序 ~本多(ほんだ)言霊師(ことだまし)~


 ─2031年4月4日 9:00頃─


 〔甲府城 本丸 御側御用人(おそばごようにん)執務室〕


 天領・甲府藩の中心である甲府城には、幕府高官が駐在して職務に従事できるよう、幕府高官用の執務室が設置されている。

 研修開始は午前九時半。

 僕は三十分前に到着していた。


 僕の目の前で執務室のデスクに顎を乗せ、だらんと前のめりにもたれかかっているのは、目に真っ黒なクマをつけ、死んだ魚のような目をし、サージカルマスクで口を覆った若いお侍様。

 この人が䑓麓(だいろく)さんだ。


「あああああもぉ〜ん!朝からだるいですうぅ〜!」


本多(ほんだ) 䑓麓(だいろく)

~徳川幕府 御側御用人 / 陸前国 国主~


 この人は側用人(そばようにん)という物凄い肩書きに反して、とてもだらしない。

 だらしないと言っても、ちゃらんぽらんな八戒さんとはまた別方向で、とにかくやる気の感じられない言動ばかり取り、ひたすら気怠そうに振る舞う。


 そしてそのまま突然歌い出す䑓麓さん。

「聞いてアロエリーナ♫ちょっと言いにくいんだけど♫聞いてアロエリーナ♫仕事が倍に増えたの〜♫うんうんそれは大御所が悪いね♫くたばれカス〜♫」

 アロエリーナの口が悪すぎる…

 とても前将軍に対する物言いとは思えない。


「だいたい僕はただでさえ江戸でのタスクが常時積もってるっつーのに、わざわざ甲府へ御家人研修担当に寄越されて、それは別にいいんですが、だったらその間江戸での代打を立てりゃいいのに、甲府も従業環境が整備されてるから側用人の仕事と研修担当の仕事を並行できますよ〜じゃねーんだよ…なんで1で中身をチェンジすればいい仕事を2にバイバインするんですかね…まあ僕の権限で仕事やーめた!なんて簡単にできるんですけどね〜!でもそんなことをして待ってるのは社会的死ですからできるわけがねー!モームリ!」

 そしてとにかくネチネチとうるさくて、発言内容はネガティブな上に、僕にかける言葉も嫌味ばかり。


 䑓麓さんはどんどん溶けるように寝そべっていくと、途中でパチッと目を開けて僕を軽く睨み付け、口を尖らせる。

「何見てんですかぁ…見せ物じゃねーぞこらぁー!君がいくら早く来ようともッ、業務開始時間になるまでッ、僕はダラけるのをやめないッ!」

 力ない怒声を上げ、喚き散らす䑓麓さんに、こちらも思わずため息が出てしまう。


「はぁ…別に急かしているわけではありませんよ、前もって早く来るに越したことはないじゃないですか。」

 すると䑓麓さんは肘を立て、不機嫌そうに返してきた。

「あのですねぇ…そういうのは早ければ早い程良いってモンじゃ無いんですよ、30分前集合とか、1時間前集合とか、たまにそういうガン待ちを要求してくる会社とか部活とかありますけど、そういうのは押し並べてクソです。」

 䑓麓さんはさらに捲し立てる。

「だいたいですね、30分前に来られたら、こっちもその30分前から対応しなきゃいけないわけですよ、でもその30分って別に給料発生しないんですよね、サビ残じゃねーか!側用人のサビ残とかカス・オブ・カスですよ。」

「僕は1時間前にはここに来て、30分で仕事の準備をして、残りの30分でこうやって発狂して精神を整えてるんですよ…なのに君が来ちゃったら仕事モードに強制1,2,Switch!しちゃうわけです。」

「まあ確かにここのところ執務室に居ない日もありましたけど、今日は研修の時間になるまで僕の発狂に付き合ってもらいますからね〜!」

「というわけで、待つ側も待たれる側もまあ良いことあんまり無いので、こういうのは5分前くらいに来ればいいんですよ。」

 たしかに…と、こんな感じにまともな説教をしてくれることもあるんだけど…


 御家人研修は今日で五日目。

 とにかく甲府藩の色々な部門に行き、各々の業務について学んだ。


 夕斎様からは「各部門の業務に従事」と説明されたけど、実際には研修は数年にわたって数回行うらしい。

 今回はそのファーストステップとなる初期研修。


 二週間程の期間のうちに、研修担当とともに各部門を回って業務内容を勉強しながら、比較的易しい任務を数件・比較的厳しい任務を一件こなす。

 武士の子供はこの初期研修を修了して、初めて「御家人」の肩書きを名乗ることが許される。


 ちなみに、武家以外の身分から武士になる場合は、幕府の定める試験を通過した上で同じように研修を受けることになる。


 いずれにせよ、この初期研修は「一人前の侍になるための研修」…

 蜜柑や目白ももちろん既に通過している、武士としてスタートラインに立つための大事な研修だ。


 武士でもないのに突然聖剣に選ばれ、緊急的に御庭番に任ぜられた僕の場合は、既に任務に慣れた状態からのスタートだけど、まだまだ知らないことはいっぱいある。

 お父様のように甲府の皆んなを守れる強い侍になるための大切な一歩、引き続き気を引き締めて臨んでいきたい。


 …と、僕が緊張感を持って取り組んでいるのに対し、䑓麓さんはご覧の通りのノリのまま四日間を過ごした。

 明日からはもう一人の研修担当の方と会い、今度は江戸での研修が始まる。


 言い方が悪いけど、現時点で僕から䑓麓さんに対する敬意はあまり湧いていない。

 今思えば䑓麓さんって、会った当初からこんな感じだったんだよなぁ…


 〜〜〜〜〜〜


 ─2031年3月31日 9:30頃─


 〔甲府城 屋形曲輪 屋形曲輪書院〕


 䑓麓さんとの顔合わせ当日のこと。


「は?マ?もしかして僕のことすら覚えてないんですか?」

 畏まった挨拶の後、䑓麓さんが発した言葉。

 僕が頷くと、䑓麓さんは真上を向いて大きな溜息を吐き、わざとらしく体をブラブラと左右に揺すった。

「まーじかよー!せっかく久しぶりに会ったのに記憶ほぼ全ロスからスタートしてたんですか?確かに記憶が欠落してるって報告は受けましたけど…あーはいはい、僕は君の記憶に残るに足らないモブだってことですね〜、はぁ…」

 僕に忘れられていることを知って落ち込む人はこれまで何人も見てきたけど、ここまでストレートに悪態を吐くのは䑓麓さんが初めてだ。


 䑓麓さんは向き直ると、死んだ魚のような目で僕をまっすぐ見つめてきた。

「君個人向けにわかりやすく自己紹介すると、僕は君の御父上・風弥さんの後輩です…あの方には散々シゴかれました。」

「それでもまあ?君の御父様と御母様には、めちゃ!めちゃ!お世話になったのでぇ?その恩返しといってはなんですが、その御二方のムスッコである君の面倒をぉ?帰省ラッシュの小仏トンネル並みにギュウギュウ詰めのスケジュールの合間を縫ってぇ…面倒見てやるよってわけですよぉ…」

 態度が凄く悪い。

 それにしても、天下の側用人様がお父様の後輩…そんなの聞いたこと無いな…きっと甲府の皆んなは知っているんだろうけど、僕に一気に情報を詰め込みすぎないよう配慮してくれていたんだろう。

 でも僕は、お父様やお母様に関する記憶を少しでも多く取り戻したい…

「お父様とはどのくらいの付き合いだったんですか?」

僕が尋ねると、䑓麓さんは腕を組んで顔を顰めた後、しばらくして答えてくれた。

「僕が江戸に来てからあの人が亡くなるまで…10年くらい…ですかね?」

 じゅ、十年…つまり晶印さんや国音さんと同じくらいの時間を、お父様と過ごしていることになる。


 すると䑓麓さんが怪訝な顔で訊き返してきた。

「そんなこと訊いてどうするんですか?」

「僕、お父様やお母様との思い出を取り戻したくて…」

「はあ…なんで?」

「僕が生き返るためです。」

「生き返る?どういうことですか?」

「僕は、思い出を命と同じくらい重いものだと思っていて、思い出が命を生かすとも思っています…僕の両親は、僕を生かすために、命懸けで僕を守ってくれた…だから僕は、両親の遺志に応えるために、思い出を取り戻し、人として生き返りたいんです。」

「ふーん…まあ良い心掛けなんじゃないですか?しらんけど。」


 面倒くさそうな䑓麓さんの態度に、調子良く話していた僕はピタリと固まってしまう。

 無関心の反応…なのかな?

 ここまでかなり真剣に話していた分、そっけない態度との温度差が大きすぎて、胸がズキッと痛んでしまう。


 気まずい空気が流れていると、突然大柄なポニーテールのお侍様が、開いた襖の奥から現れ、紙筒で思いきり䑓麓さんの頭を引っ叩いた。

「アホぉ!」

「いてっ!」


 䑓麓さんと同じ黒羽織を着ていて、内側の着物には丸に十字の紋が描かれている。

「ないをしよるど!ばかすったれ!桜華が大事なことを言ちょっところじゃろうが!」

 僕の名前を知ってる人だ…そして僕を庇ってくれてるのかな?

 でも訛りがひどくてよくわからない…でも何故か、薩摩弁であることはわかる。


「痛ってぇなぁ〜…何しやがるんですかこのサツマイモォ!」

 怒鳴り返す䑓麓さんに、薩摩弁のお侍様はさらに声を荒らげる。

「それはこっちん台詞じゃ!わいが桜華ん研修を担当すっちゅうで心配で話を聞きけ来てみたや、案ん定空気が悪うなっちょった…どうせ思い出してもれんやったでって拗ねちょっだけじゃろうが、もっと大人気んあっ振っ舞いをせんか!桜華がぐらしかじゃろうが!」

 わかんない…わかんないよ…


 すると薩摩弁のお侍様は、困惑する僕に気付くと、䑓麓さんの隣に正座をして頭を下げた。

「うちん同僚がぁ、見苦しか真似をして申し訳なか…某は島津豊三、江戸幕府の若年寄じゃ。」


島津(しまづ) 豊三(とよみつ)

~江戸幕府 若年寄 / 薩摩藩 筆頭家老~


 し、島津って…薩摩藩主の島津家!?

 そして若年寄…幕府では上から三、四番目くらいに偉い人…

 この人もとんでもない大物だ。


「䑓麓んこっを覚えちょらんちゅうこっは…俺んこっも覚えちょらんな?まあ仕方なか、俺はお前が生きちょっだけで十分じゃっでな…ほんのこてよう生きて帰ってきてくれたな、桜華。」

 薄く切れ込みのある眉に鋭い目付き、少し強面だけど…僕の目を見て優しく微笑む豊三さん。

 そんなに僕のことを心配してくれてたんだ…でもさっぱり思い出せない。


 すると䑓麓さんが口を尖らせる。

「テンション上がってめちゃ訛ってますけど、ゴリゴリの薩摩弁は桜華君はもちろん僕にも通じづらいので緩めてもらっていいですか?」

「桜華のためなら仕方ないのぅ…小せ頃にたくさん薩摩弁を仕込んでやったが…」

「洗脳教育やめてください。」

「洗脳教育とは人聞きが悪いのぅ!バイリンガルを作ろうとしただけじゃ!」

「あー良い感じに関西弁が妙に混じったエセ薩摩弁に戻ってきましたね…桜華くん、これが全国各地に長期出張しまくって各地の方言に曝露した結果、己の本来の方言を素で喋れなくなってしまった…謂わば己の真の姿に戻れなくなった、哀しきスイートポテトモンスターです。」

「誰がスイートポテトモンスターじゃ!その紹介の仕方やめい!」

 これは口論というよりは…漫才?


「お二人とも、仲が良いんですね。」

 思わず僕がそう言ってクスッと笑うと、䑓麓さんは口をへの字に、豊三さんは少し苦笑いして見せた。


「まあのぅ…十何年前やったら、俺ら2人まとめて風弥さんのゲンコツが飛んできたとこじゃ。」

「いっつも僕まで巻き込まれたんですよね〜。」

「お前がしょーもないことでケンカ吹っ掛けてくるからじゃろ…でもな、ほんのこてよう可愛がってもらったわ、桜華、お前の親父様にはな。」

 お父様は子供に優しい人だった。

 服を引っ張られたり、汚されたり、蹴られたりしても、子供相手なら窘めはすれど怒ることはなかった。

 䑓麓さんも豊三さんも、聞いた話によれば年齢は二十六歳…お父様が居た十年前なら僕より少し上の同じ十六歳。

 二人とも子供としてたくさん可愛がられたんだろうか。


「にしても、風弥さんの思い出話かぁ…色々あるけど、何がええじゃろなぁ…」

 腕を組んで唸り出す豊三さん。

 すると䑓麓さんはいきなり僕にずいっと寄ってきて、鼻息荒く語り出した。

「知っているか硯桜華くん…君の御父様がもし生きてたらなぁ…僕はまだ若年寄の位置で比較的のうのうと生きていられたものをぉ…!君の御父様が死んだおかげでぇ、側用人のお鉢が僕に回ってきたんだッ!だから僕は君の御父様には世話になりましたが、君の御父様をめちゃくちゃ恨んでいるッ!生者to死者への呪いをかけるレベルに…ごあっ!?」

 喚き散らす䑓麓さんの後頭部を、豊光さんが再び紙筒で叩いた。

 

 どうやらお父様は、かつて先代側用人が開いた政治塾に所属していたそうで、側用人の次期候補に挙がっていたらしい。

 けれども皆んな知っての通り、お父様は甲州事変で命を落としてしまい、その後先代側用人もケガで退任。

 お父様の次に次期側用人候補に挙がっていた䑓麓さんが、繰り上げの形で側用人となったとのこと。

 お父様が側用人の最有力候補だった…これまでもお父様の凄い話は何度となく聞いてきたけど、その中でも一番とんでもない話を聞いた気がする。


 一方、仕事が大嫌いな䑓麓さんにとって、壮絶な激務を強いられる側用人の日常は相当苦痛らしい。

 お父様のことを側用人から逃げ延びたと考えているのか、お父様のことを恨んでいるみたいだ。

 

 䑓麓さんは頭をさすりながら起き上がると、面倒くさそうにため息を吐いた。

「はぁ…気を取り直しまして、だいたい僕の仕事のメインは研修担当なので…研修はめっちゃ忙しいし、思い出話をいちいちしてやる暇は無いです。」

「…って言いたいとこですけど、風弥さんの御子様をぞんざいに扱うのもアレなので、まあどっかで話してあげますよ。」

 どこかで話してはくれるんだ…なら研修を頑張りながら、それを待つことにしよう。


 〜〜〜〜〜〜


 この四日間で気付いたこと。

 䑓麓さんの言う通り、研修はとてつもなく忙しくて、思い出話なんてしている暇は本当に無かったこと。

 そして、䑓麓さんは常日頃から言葉も性格も捻くれていて大人気なく、意地悪な言動一つ一つを間に受けてやる必要は無いということ。

 加えて、䑓麓さんに業務が上手くいったことを報告しても、「そうですか」と素っ気ない返事が来るだけで、褒め言葉の一つも無いこと。

 こうして僕から䑓麓さんへの印象は、すっかり冷ややかなものになってしまっていた。


 䑓麓さんの大人気なさや頼りなさに慣れてしまった結果、僕は䑓麓さんに平然と不躾な質問をするようにもなっていた。

「䑓麓さんはどうしてそんなに大人気ないんですか?」

「はぁ〜?あのですねぇ…大人がみんな、心まで大人だと思わないでくださいよ?」

「えぇ…本当に大人気ないです…」


 すると䑓麓さんは机をバンバン叩いて喚き出す。

「恥も外聞もかなぐり捨ててオギャってなきゃ、側用人の仕事なんてロクにできねーんですよ!今ここでヤダヤダって床に転がって駄々捏ねてやったっていいんですよ!?」

「情けないとは思わないんですか!?」

「誉は浜で死にました!もはや思わないねッ!」

「僕…率直に言って、そんな䑓麓さんを素直に尊敬できません。」


 すると䑓麓さんの動きがピタリと止まり、震えた声が返ってきた。

「あ、あまり強い言葉を使うなよ…僕が泣くぞ…!」

「普通に傷付いてるんじゃないですか…」

「そりゃ傷付きますよ!桜華くんっていつもそうですよね!僕のことなんだと思ってるんですか!?」

「えっと…何もなくても突然奇声を上げたり悪口を喚いたりする、躾のなってないインコ…?」

「ほーほー?言わせておけばこのガキが…舐めてると潰すぞ…」

「そういうところが大人気ないんですってば!」

「百歩譲ってそれは認めるとして!」

「認めちゃうんですか!?」

「君も大概口悪いですからね!?毒がめっちゃ強いんですよ、クラゲか何かですか?」

「クラゲは…可愛いですね、良いかもしれません。」

「悪口で言ってんだよ!」


 ゴーン


 始業時間の鐘の音が鳴る。

 九時半だ。


 すると䑓麓さんはハァ〜と大きくため息を吐き、机の上に書類の束と大型タブレットを取り出した。

「桜華くん、とりまこっち来てください。」


 甲府藩の各部門は一通り回り終えた。

 今日は呼び出されたから来たけど、何があるかは伝えられていない。

 もしかして…


「はい…なんでしょう?」

 僕がそう言って机の前に寄ると、䑓麓さんは書類を広げ、タブレットの画面を点けてみせた。

「単刀直入に言います、任務です。」

「今日はこれから、僕と君で妖魔の討伐に向かいます。」


 やっぱり…夕斎様の言っていた、任務の実習だ!


 ──────


 ─2031年4月4日 11:00頃─


 〔甲府藩 甲府市 白井町 笛吹川河川敷〕


 空は青く澄んでいて、マシュマロのようにコロコロした綿雲がいくつも浮かんでいる。

 爽やかな春の空とは正反対に、相変わらず死んだ魚ような目をしてぐったりした様子で草むらをかき分ける側用人様が居る。


「あーもーやだ!脚痛い〜!これだからフィールドワークは嫌なんですよね〜…」

 自分から行こうと言い出したのに、さっきから䑓麓さんはずっとブーブー文句を言い続けている。


 ここは甲府城の南東を流れる笛吹川、その河川敷。

 僕と䑓麓さんは、藩から支給されたツナギを着込んで、河川敷の草むらの中を歩いている。

 登山用ハットを深く被り、頸にはタオルを巻き、手足には手袋と長靴…徹底的に肌の露出を防ぐ服装だ。


 もちろんこの完全防備には訳がある。


 〜〜〜〜〜〜


 ─2031年4月4日 9:30頃─


 〔甲府城 本丸 御側御用人執務室〕


「つつがむし…ですか?」

「はい、ツツガムシです…知ってます?」

「ゲッコー師匠から教わってはいます、草むらに行ったら気を付けろと言われますが…確かダニでしたよね?」


 僕が尋ねると、䑓麓さんはタブレットの画面をスワイプし、ダニらしき生物の写真を表示した。

「これが一般的なツツガムシ…君の仰る通り、ダニの一種です。──


 ──ツツガムシは草むらに生息するダニで、虫の卵なんかを食べて生きてるんですが、卵から生まれた幼虫は一生に一度だけ人なんかの動物を咬んで、組織液を吸います。

 コイツらには“ツツガムシリケッチア”というやべー細菌が寄生していて、咬まれた人は細菌に感染して“ツツガムシ病”という病気になります。

 ツツガムシ病になると発熱や発疹などの症状を起こして、治療が遅れたりすると致死率は最高60%…悪魔の病気です。


 で、ツツガムシ病は普通春と秋の2つの時期を中心に流行するんですが、甲府藩の福祉保健部から今年のツツガムシ病患者の増え方がおかしいという連絡がありました。

 普通この時期に報告される患者数は1人か2人くらいですが、今年は先週時点で既に80人も報告されています。

そしてその患者のほとんどが、白井町の笛吹川河川敷に行ったことのある、あるいはその地点周辺に住んでいる人でした。──


 ──まあまず情報はこんな感じです。」


「例年に比べてたくさんツツガムシが増えてる…ということですか?」

 僕がそう言うと、䑓麓さんはまたため息を吐く。

「はぁ…まあそうとも解釈できますが、僕らに捜査依頼が来てるってことは、そういうことじゃ無さそうってことです。」

「ツツガムシは草むらの中に居るので、草むらに入らない限りは感染するリスクも低いはずですが…」

「川の側を通りがかっただけなのに感染したり、川の近くに住んでるだけなのに感染したりしてる人も多く居るんですよ…普通のツツガムシは道路に飛び出したり人家に侵入したりしません。」


 それって、つまり…

「人を狙って病気に感染させる“何か”が居るということですか?」

 僕が改めて尋ねると、䑓麓さんは顰めっ面のまま頷いた。

「そーゆーことです。」


 〜〜〜〜〜〜


 草むらの中には、病気を持ったマダニやツツガムシがうじゃうじゃ居る。

 特にツツガムシの幼虫は大きさが0.2mmくらいしかないから、肉眼では発見しづらく、ますます咬まれないよう肌を守る必要性が高まる。

 というわけで、ちょっと暑苦しいけど…草むらの中で活動する際は、普段からこうした装備をすることが大切なのだ。


 それにしても、お目当てのものはなかなか見つからない…どこに居るんだろう?

 任務開始から一時間程経ち、僕も䑓麓さんも薄々とこの捜索が長時間にわたることを予感しつつあった。


 ──────


 ─2031年4月4日 12:30頃─


 任務開始から二時間半。

 捜索はほぼ進展なし。

 時間も時間なので、ここでひとまずお昼を食べることにした。

 二人で河原の石の上に座って、風呂敷を開く。


 お昼ごはんは、棗さんの作ってくれた鰆の塩焼き弁当だ。

「う〜ん、おいしい〜!」

「さすが棗さん、わかってますね。」

 いつも不機嫌そうな顔をしている䑓麓さんだけど、お魚を食べている時はちょっと幸せそうな顔をする。

 そんな顔もするんだ…と見つめていると、䑓麓さんが怪訝な顔でこちらに視線を向けてきた。

「何ですか?芋けんぴでも髪についてます?」

「いえ、その…䑓麓さん、お魚さん好きなんですか?」

「ああ、はい、好きですよ、週5で昼飯に海鮮丼かっ喰らう程度には。」

「僕もお魚さん大好きです!」

「知ってますよ、君は覚えてないみたいですけど、君がもっとガキの頃に延々と魚図鑑読み聞かせさせられましたからね。」

「僕たち、気が合うところもあると思いませんか?」

 

 僕が笑いかけて見せると、䑓麓さんは目を細めて上を向き、頬を掻く。

「どうでしょうね〜、僕は海鮮は好きですけど川魚はそれほどでもって感じなので、川魚がメインで好きな君とは住む世界が違う気がしますけど。」


 せっかく気の合うところを探して、少しでも距離を縮めようとしたのに…

 そんな失望感からか、僕は䑓麓さんを突き刺すように言葉をかける。

「そうやって理由をつけて人を遠ざけてたら、友達できませんよ。」

「は、はぁ…?カッチイィーン!ふふふ…まったく僕をイライラさせるのがうまいやつだ…それは僕の地雷だぁ!」

「そんなに気にしてるなら尚更ですよ、もっと人に優しくしないと。」

「フンッ…いくら頑張っても友達ができない人間っていうのも居るんですよ、君はまだ子供だから努力すれば何でも何とかなると思ってるのかもしれませんが、大人になるとどうしようもないことの方が多いなんてことをイヤでも思い知ります。」

 頑固な上に捻くれ者だなぁ…まるで水桜と話しているようだ。


 そこからお互い黙ったまま、気まずい沈黙が流れる。

 僕の方から話題を変えることにした。

「それにしても見つからないですね、目的の相手は…」

「見つかんないですね〜…てか君も竜でしょ?なんか匂いとかでわかんないんですか?」

「相手の匂いがわからない限り追跡は難しいです…怪魔なら浄化瘴気の匂いで存在を察知できますけど、妖魔だとそれもできません。」

「チッ、使えねーな…」

「悪かったですね、使えなくて。」


 䑓麓さんは箸を置くと、タブレットを取り出して弄り出した。

「敵はそんなに小さくないはずなので、ひたすら草かき分けて探したのに出てこないってことは、何か探し方が悪いってことなんですよ。」

「探し方…ですか?」

「そうです、探し方…たとえば時間とか場所とか、僕らは何かの見当を違えているはずです。」

「敵が河川敷の外に居る可能性はないでしょうか?」

「僕も考えましたけど、アリナシでいえば可能性は二分八分くらいですかね。患者の発生域はあくまで河川敷周辺ですし、細菌の供給源は草むらに生息するツツガムシなので、河川敷辺りに居る可能性は高いと思ってます。」


 䑓麓さんから「ほら、見てください」と渡されたタブレットの画面には、保健福祉課からのメッセージが数件表示されていた。

「一番上のメッセージを見てください、さっき来たやつなんですけど…気になりませんか?」

 読んでみると、「一部の患者は起床後にツツガムシに刺されたと話していた」と書かれていた。

「これって…つまり、敵は夜中に人を襲っている…夜行性ということですか?」

「そういうことになりますね、じゃあ夜行性の敵は日中どこに潜んでるんだって話になります。」

「潜んでる場所…うーん…」

 草をいくらかき分けても、流木やゴミを取り払っても、何も見つからなかった。

 残る場所の候補は…


「䑓麓さん、場所がわかったかもしれません。」

「早いですね、言ってみそ。」

 空の弁当箱を風呂敷に仕舞う䑓麓さんに対し、僕は地面を指差して見せる。

「この中です。」


 ──────


 䑓麓さん立ち会いのもと、水桜の鋒を地面に向ける。

「お願いします、水桜。」

〈妾を河原の土に埋めるとは、心底不愉快だ…用が済んだらすぐ引き抜けよ。〉

「わかりましたよ。」

 水桜はこんな態度をしているけど、最近はますます僕の言うことを素直に聞いてくれるようになった。

 

「『鏡花水月・流れよ“水桜”』!」

 始令とともに鋒を土に突っ込み、目を閉じる。

 河原の土は水をたっぷり含んでいる。

 それでも水桜の探知機能なら、生物の体内の水分を、外界と隔てられた水塊として認識できる。

 探せ…周囲500mの範囲内に、無数の小さな水塊と、巨大な水塊の反応が一、ニ、三、四つ!

 何かが居る…!


すると䑓麓さんが声をかけてくる。

「見つかりましたか、桜華くん?」

「あっはい、見つかりました!」

「じゃあ大まかな場所を教えてください、できます?」

「できます!」

 僕からの方角・平面上の距離・深さの大まかな情報を四つ分、䑓麓さんに伝えていく。


「…はいはい、わかりました。じゃあ君はいったん僕の後ろに控えといてください。」

 位置は伝えたけど、何をするつもりなんだろう?

 僕が首を傾げながら䑓麓さんの後ろへ行くと、䑓麓さんはマスクをずり下げ、口元を露わにする。


 顔合わせの時にも見た、口の両端と舌に描かれた、歪んだ音符の紋様。

 そうだ、連日の研修が忙しくてつい忘れてたけど、䑓麓さんは…


「すぅ〜っ…」

「『出 て こ い』」


 ドバババッ!


 河原の地面や川面から、泥と一緒に次々と大きな何かが飛び出してくる。


 発する言葉に魔力を込め、呪詛としてそれを現実に反映する。

 䑓麓さんは、ソウカと同じ言霊師だ。


 飛び出してきた四つの物体の正体…

 それは、体長3mはあろうかという、大きなサソリのような怪物。

 クワガタのような大顎に、エビのような細い脚が無数についていて、目は出目金のように飛び出してギョロギョロと互い違いの方向に動いている。


~乙種特定疾病妖魔~

恙虫(つつがむし)

 

 これが恙虫。

 僕らの追っていた“何か”の正体だ。

 

 恙虫のうち一匹が䑓麓さんの眼前まで迫り、大顎を開いて威嚇する…けれども䑓麓さんは動じない。

「甲府藩では27年前にもツツガムシ病の異常な流行が発生して、その際にサソリ型の妖魔を駆除したという記録が残っています…その時は詳しい生態まではわかってなかったんですけどね。」

「まあ何はともあれ、今回も似たようなことが起きたから疑ってみたわけでしたが、ドンピシャでしたねこれは。」

「恙虫…人間によるツツガムシ病への恐怖のイメージから発生し、ツツガムシを捕食して得た細菌を体内で増幅、それを密かに人間に咬むことで伝染させる妖魔。」


「䑓麓さん危ないです!…はぁっ!」

 すぐさま䑓麓さんを威嚇する恙虫の方へ飛び出し、両脚で側頭部を蹴飛ばす。

「おーやりますねー、流石は風弥さんの息子、いきなり御庭番をやれる身体能力なだけはありますね。」


 䑓麓さんはサッと飛び退くと、九字を切って呪文を唱え始める。

「『鬼術・七十番』」

「『夜を照らして夜より聡く 可惜夜(あたらよ)の宿す霽月(せいげつ)よ 穢れを映し隔て給え』」

「『(ねや)』」

 綿雲の泳ぐ青空に黒い幕が下り、一気に星空へと変わる。


 場は整った。

 あとは䑓麓さんと一緒に、この妖魔たちを成敗する!


「ジュロオオオォ!!」

 咆哮を上げながら大顎をガチガチと鳴らし、こちらに突っ込んでくる恙虫。

 僕はタンタンと地面を後ろへ蹴っていき、一定の距離を取り続ける。

 跳びながら水桜を真正面に構え…

 恙虫の動きに一瞬遅れが生じた一瞬を見逃さず、縦に回転しながら恙虫の背を斬り刻む。


ザクザクザクッ!


「…『水月・青海波(せいがいは)・縦断』」


 甲殻に覆われてはいるけど、読了撃でなくとも簡単に斬り刻める…そんなに硬くはない。

次の恙虫に取り掛かろうと腰を上げた時…僕の左右両側を、恙虫の大顎が取り囲んでいた。

 い、いつの間に…!?接近されていたことに全く気付けなかった。


 恙虫がそのまま大顎を勢いよく閉じようとしたその時…

「『止 ま れ』」

 

 ビタッ


 䑓麓さんの大声がキーンと響き、恙虫の動きが完全に停止する。

 …驚くところはそこじゃない、僕も一緒に声を浴びたはずなのに、僕は一切固まっていない。

 ソウカのように、言霊は効果が強力な分、敵味方問わず声を浴びた全員を巻き込むリスクがあるはずなのに…


「突っ走りすぎですよ桜華くん…コイツらはそこそこ魔力が強いくせに、人に気付かれずに民家を出入りできたりするんです。相応に隠密性が高いことを警戒すべきです。」

 䑓麓さんは何食わぬ顔で僕を引っ張り上げると、きょとんとする僕の顔を見てため息を吐いた。

「はぁ…危ないことしてくれるなって顔してますけど、言霊っていうのはちゃんと指向性や選択性を付与すれば、味方を巻き込むことなく目標物にだけ作用させることができるんです。あと常日頃からペラペラ喋っていても、オンオフの切り替えがきちんとできれば暴発はしません。」

「野良の言霊師とは“声質”が違うんですよ、ナメないでください。」

 すると䑓麓さんの後ろから、もう一匹の恙虫が飛び掛かってくる。

「䑓麓さん!うしろ!うしろ!」

 僕が叫ぶと、䑓麓さんはくるっと後ろを振り向き…


「はぁ…」

「『爆 ぜ ろ』」


 ドカアアアァンッ!


 䑓麓さんの大声に合わせて、飛び掛かってきた恙虫と、目の前で固まった恙虫と、両方ともが爆炎を上げて飛び散った。

 つ、強い…これが本多家の当主、プロの言霊師の実力…!


「呆気に取られてる暇は無いですよ、ほら、一匹逃げてる。」

「あっ…僕が斬りますっ!」

 最後の一匹は、他の三匹が次々にやられていくのを見て恐れをなしたのか、河原から堤防を上がろうとしていた。

 その先には民家がある…そっちには行かせない!



 三個の水鞠をそれぞれ平たく圧縮し、四菱形の手裏剣の形にして発射。

 水の手裏剣は緩いカーブを描きながら、高速で恙虫目がけて飛んでいく。

 僕もそれを追いかける形で、恙虫に向かって駆ける。


 ドスドスッ!


 両眼に一発ずつ命中!

 恙虫はたまらず大きく仰け反り、堤防を川側へ転がり落ちていく。

 チャンスだ!このままトドメを刺しに行く!


「『水月・水平閃』」

 水平に斬撃を放ち、視界を塞ぐ丈の高い草を薙いでいく。


「ジュロオオオォ〜!」

 恙虫が甲高い声でまた叫び出す…今度は何?

 すると地面から一斉に白い粉のようなものが噴き上がり、波のようになって覆い被さってきた。

 これは…もしかして、小さなツツガムシの群れを呼び出したの!?

 

 すると今度は、腰に掛けてある小さなポーチが口の形に大きく裂け、中から巨大な舌が出てきてツツガムシの大群をペロリと舐め取った。

「ベローン!さあ桜華様!立ち止まらずにあの不届者を成敗なさってください!」

「ヒドラさん、ありがとうございます!」

〈相変わらず気色悪い奴だ…〉


 今度は足首目がけて鋭く尖った尻尾が飛んでくる。

 速い…これまで特種怪魔とばかり戦ってきたから感覚が麻痺してしまっているけど、相手は乙種…藩レベルの脅威。

 いくら大神実の力で強くなったとはいえ、今の僕の実力だと一人で勝てるかどうかというレベルの相手だ。

 一体目はうまく一撃で倒すことができたけど、あの個体は「危険のにおい」が一番弱かった。

 一方、こっちの個体は「危険のにおい」が一番強い…四匹の中で一番強い個体だ!


 ガン!ガキィン!


 鞭のようにしなり、高速で何度も襲い来る尻尾を前に、僕はとうとう足を止めて防戦一方となってしまう。

 尻尾の先端の針には触れてはいけない…顎と同じように、刺した人間を病気にする能力を持っているかもしれない。

 

 両手が塞がっている今、この状況を打破するためには…

「来て!イクチ!」

 背後の川面から勢いよく水柱が噴き出すとともに、上空に水の大蛇が飛び出し、急降下して恙虫の尻尾の付け根に咬みつく。

 恙虫の悲鳴とともに、尻尾の乱打が止まる…今度こそチャンス!


 勢いよく空を蹴りながら再度抜刀し、空中で翼を開いて前転しながら、ひっくり返った恙虫の腹に、刃を向こう側に向けて水桜の鋒を突き立てる。

 そしてそのまま、まっすぐ頭へ向かって剣を引っ張り、斜め前へ斬り上げる。

「『二巻読了』…『水月・昇龍間欠(しょうりゅうかんけつ)』!」

 

 高く噴き上がる水柱とともに、恙虫は縦に大きく裂け、そのまま黒煙を上げながら消滅していった。


「ふーん…まあ風弥さんの息子だから強いとは思ってましたが、一人で頑張って乙種一匹討伐とは、思った以上に強いですね。」


【乙種妖魔 恙虫】

─成敗─


 ──────


 恙虫が消滅しきると、䑓麓さんが残った灰をかき集めて持ってきた。

「君はこれまで怪魔とばかり戦ってきたでしょうから、妖魔と戦った後のことについて教えてあげます。」

「まず、妖魔は死ぬと、こんな風に灰になって消滅します。」

「次に、妖魔やソウル使いが死んだ場合、その魂が怨霊となってこの世に残らないよう、鎮魂の儀を行います。」

 

 䑓麓さんは灰を足元に集めると、両手を合わせて目を瞑り、呪文を唱え出す。

「『鬼術・八番』」

「『命を分かち 霊を通はし 清め輝かし給はむ』」

「…これで完了です、魂が逃げないうちになるべく早くやるのが大事です。」

 

 䑓麓さんはまた大きくため息を吐くと、荷物を肩に持ち上げ、踵を返した。

「任務記録や後片付けは同心の方々に任せて、僕らは帰って終了報告です。」


 それだけ言って帰ろうとする䑓麓さんを、僕は徐に呼び止めた。

「あの、䑓麓さん!」

「…なんですか?」

「えっと、その…さっきはありがとうございました!あの時䑓麓さんが助けてくれなかったら、僕…」

「そんなことですか、別に礼を言われるまでもないですよ。」

「で、でも…」

「研修生から目を離さず、最低限の安全を確保しながら、実務や実働をこなさせる…研修担当の教官としてやるべきことをやっただけです。」


 䑓麓さんの態度の悪さにばかり気を取られていたけど、言われてみればそうだ。

 研修中、何か行き詰まったことがあったら嫌味を言いながらも手伝ってくれたし、さっきの戦闘でもピンチに陥ったらすぐ助けてくれた。

 最初は僕に興味なんか無いんじゃないかとさえ思っていたけど、本当は僕のことをよく見てくれていたんだ。

「ふふっ…䑓麓さんって、思ったより良い人なんですね。」

「思ったよりって言い方はムカつきますが、良い人なんですかね…どうなんでしょうね。」

「…じゃあ悪い人なんですか?」

「はぁ…そういうゼロヒャクじゃないんですよ、世の中の人間なんて大半は良い人でも悪い人でもないグレーです。一人の人間の中にすら、善の部分と悪の部分があるんですよ。たくさん人と仲良くなりたいなら、そういう清濁は併せ呑むことを覚えといてください。」

「は…はいっ!」


 僕が勢いよく返事すると、䑓麓さんはうげーという表情をしながら、またため息を吐いた。


「うわー良い返事…僕って良い返事苦手なんですよね…でもまあその意気に応えて、風弥さんの思い出話の一つでもしてやりましょう。」


 ようやくお父様の話が聞ける…僕はゴクリと息を呑む。


「いやそんな緊張するような話じゃないですよ…僕の思い出話だから、君の記憶の足しになるかわかんないですし…言っときますけど、感動エピソードとかそういうのは求めないでくださいね。」


 〔つづく〕


 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

〈tips:人物〉

本多(ほんだ) 䑓麓(だいろく)

 江戸幕府御側御用人で、陸前国国主。

 本多家(平八郎家)の現当主で、徳川四天王の一人に数えられる本多忠勝の子孫。

 26歳で、段位は甲位。

 日頃から愚痴や嫌味を垂れ流し続け、神経質でわがままで意地っ張りな上、他人に対して妬みや恨みばかり抱く陰険な性格の持ち主。

 江戸幕府No.2の側用人という立場にあり、その壮絶な激務によるストレスの程は、両目に刻まれた真っ黒なクマから伺い知れる。

 オフ時は態度が悪く騒がしいが、オン時の仕事ぶりは真面目であり、若年ながらも10年間にわたって側用人を務め続けた実力は本物。

 桜華の父・硯風弥は先輩にあたり、本人曰く厳しく優しくシゴかれてまくってきたとのこと。

 ソウカと同じ言霊師でもあるが、䑓麓の言霊の制御能力はソウカに比べ遥かに高く、暴発リスクも最小限なのでよく喋る。

 平八郎家は元来武芸に秀でた家系として名を馳せていたが、途中から兄弟に言霊使いが生まれるようになり、䑓麓は本多家初の言霊師の当主であるという。

 好きなものは海鮮料理とソシャゲの課金。

 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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䑓麓さん、めちゃくちゃ面白い人ですね(*≧∀≦*) 桜華くんとのやりとりがもはやコントと化してて、めっちゃ笑いました。 好きだわぁ〜、この人\(//∇//)\ ホントはいい人なのに、偽悪ぶってると…
䑓麓さん想像以上にアレな性格で笑った 口を開けばネタばっかりで、すでに結構好きかも
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