#46 凱旋 序「信託」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
序 ~信託~
─2031年3月29日 23:40頃─
〔黄泉の国 裏比婆山殯宮〕
とうとう来てしまった。
この裏比婆山殯宮に、魔神・虹牙が来てしまった…!
目白は?晶印さんは?
止めに入った二人はどうなったの?
恐怖と不安と焦燥が折り重なって、冷や汗が噴き出す。
黄泉醜女様は即座に自慢の長い黒髪を伸ばし、髪の毛は一瞬で境内全体を包む。
魂の通過すらも拒絶するという、真っ黒い障壁。
しかし次の瞬間には、障壁の一部分に大量の穴が空き、丸くくり抜かれた穴から虹牙が飛び込んできた。
「此奴っ…これで止まらぬのかっ!?」
あんぐりと口を開ける黄泉醜女様。
虹牙が目指すのは、大神実のなる神木。
黄泉醜女様は僕をさらに強く抱き留めたまま、背中からもう一つ自分の体を剥がれるように生やすと、虹牙の方へ向かわせた。
ギイィン!ガガガガガガッ…
な、何も見えない…目で追えない…
あまりの速さでの応酬に、僕には刃と刃が擦れ合う音しか聴こえない。
黄泉醜女様は、僕の額に口をつけて話す。
「桜華…黄泉比良坂へは布瑠の儀で入ってきたな?礎石は持っておるな?」
「は、はい…ここに…」
「帰り道はわかるな?仲間を連れ来た道を戻るのだ。」
「ま、待ってください!黄泉醜女様は、ヒドラさんはどうなるんですか?」
「殯宮の守護が我等の役目、妾とヒドラは何としても奴を食い止めねばならぬ…」
ズドンッ
大砲のような、空気が劈かれ裂ける音。
同時に僕の額に触れる口から、腹を殴られたような呻き声が漏れる。
「ぐっ…!何者だ此奴…大神実の三分の一の力を預けたとはいえ、妾の速度に追い付くとは…!」
僕に凭れるように崩れ始める黄泉醜女様。
奥に居る分身の身体は真っ二つになっていて、神木も真っ二つにへし折れていた。
虹牙の手には、既に二つの桃の実が握られている。
ああ…あの時と同じだ。
突然、激しい頭痛とともに、記憶が脳の中をかき分けて頭を出してくる。
何かがやって来て、お父様が立ち塞がって、お母様が僕を庇って…それで…
水の中を流れていく泡のように、あっという間に遠くへ行って、弾けて消えた。
もっと僕が速く泳げたら、もっと僕が手を伸ばせたら、届いていたのかな。
もっと僕に力があったら、もっと僕が強かったら、捕まえられたのかな。
そうだ、僕は。
もう二度と、目の前から尊いものを失いたくなかったから。
だから、強くなりたいと願ったんだ。
だから、お父様の背中を追ったんだ。
「魔神・虹牙っ!!」
「もう僕は何も失わない!あなたには何も奪わせない!」
今動かなくていつ動く!
魔力を絞れ!練り上げろ!
──────
記憶の再燃。
窮地の激情。
その熱が、硯桜華の魂に宿った大神実の霊威を、強く覚醒させる。
「『水龍奏術』」
「『水鞠』…」
黄泉醜女をその場に寝かせ、右手の人差し指をくるりと回しながら立ち上がる桜華。
その指先から生じた渦は、上へ上へと伸びていき、やがて大きな渦潮となって、直径5m程の巨大な水塊を作り出す。
「『波繁吹』」
それは波繁吹というには、あまりにも巨大な「水」そのもの。
まさに「津波」である。
バシャッ…ブワアァッ!
解放と同時に、浮世絵のような荒波が、白い泡を立てながら境内いっぱいに巻き起こる。
バキバキと音を上げながら、床を捲り上げ、柱をへし折り、壁を穿つ。
風によって水面が巻き上がる波浪と異なり、津波は水底から水面まで水全体が押し寄せる波である。
故に風浪よりも遥かに高いエネルギーを持ち、1mの津波は1㎡あたり1t以上の圧力を有する。
飲み込まれた際の致死率は100%。
大神実の霊威がソウル能力の精度を底上げすることにより、生じた津波は桜華のイメージがより正確に反映・再現されたものとなっている。
その速度は時速約700km、ジェット機に匹敵する超高速である。
さしもの虹牙も、突然襲い来る豪速の津波には、対処が一手遅れる。
荒波は境内を四方へ、虹牙もろとも吹き飛ばした。
──────
殯宮の中がめちゃくちゃだ。
何が起きたのかわからない。
ただ一つわかるのは…
僕は虹牙を吹き飛ばした。
ぽかんとしてへたり込んでいると、突然黄泉醜女様が僕を脇に抱え、片手でヒドラさんを引き摺りながら大鬼道側へ飛び出した。
「計画変更だ、硯桜華!」
「今から妾が其方を連れて、黄泉比良坂を戻り、此岸まで届ける!」
「黄泉醜女様…!変更って…」
僕が問い掛けると、黄泉醜女様は落ちてくるガラスの塊のようなものを避けて駆けながら、押し潰されるような声で答えた。
「大神実が全て奪われた…黄泉比良坂は直に崩れ行く…」
「ほ、崩壊するんですか…!?」
「大神実は黄泉比良坂を支える柱である故、全て抜かれてしまってはな…」
「そんな…間に合わなかった…」
「彼奴の手にあった大神実…其方が吹き飛ばすよりも前に、その気配が消えたのだ。」
「き、消えた?大神実が?」
「彼奴はもしかすると、大神実を別の空間へ転送したのかもしれぬ…妾も存ぜぬ未知の手段故、其方が気に病む事ではない。」
〔黄泉比良坂 大鬼道〕
周りの景色が線のように見える程、黄泉醜女様は猛スピードで大鬼道を駆け抜けていく。
そしてその途中…
「黄泉醜女様!あれです!僕の仲間があそこに!」
指差した先には、その場に倒れている人影が二つ。
目白と晶印さんだ。
凄い血の匂いがする…きっとたくさん出血しているんだろう。
近付くにつれ、二人とも聖鎧や隊服がボロボロになっていて、特に晶印さんは肩や脚に深い太刀傷を負って血みどろになっていた。
今は取り乱している場合じゃない…焦りや不安を必死に飲み込む。
「仲間か!?ヒドラ、拾え!」
「わ、ワタクシ、人の収容には慣れておりませ…」
「いいから黙って拾え!ウダウダ言っておる時間は無いぞ!」
「は、はいぃ!」
ヒドラさんは黄泉醜女様の怒声に縮み上がりながら、通りすがりに目白と晶印さんをペロリと舌で絡め取って飲み込んだ。
後方を見ると、空間にヒビが入ってどんどん割れて崩れていき、渦のようなものができて崩れたものが、流しに溜めた水を抜くように吸い込まれていく。
〔黄泉比良坂 棺袼街〕
黄泉醜女様はさらにギアを上げ、大鬼門を出ると棺袼街の大通りを駆け抜けていく。
建物が次々と沈むように崩れ、人々が騒ぐ声があちこちから聴こえてくる。
「キュイ!」
黄泉醜女様は人々を吹っ飛ばしながら走り抜ける中、コモンが一声鳴くと光の筋が棺袼街の外れへ向けて伸びていく。
「黄泉醜女様!コモンは僕らの来た道を正確に記憶して示してくれています!出口はその先に…!」
僕が呼び掛けると、黄泉醜女様はコクリと頷き、光の筋に沿って急カーブした。
〔黄泉比良坂 参道 彼岸側〕
少しして僕らは彼岸の野原に出た。
「はぁ…はぁ…」
黄泉醜女様が息を切らしている…ただでさえ力の要である大神実を奪われ、さらに依代たる黄泉比良坂も崩壊しつつあるのに、それでも死力を尽くして僕らを逃がそうと走っているんだ。
行先の空すらもひび割れてきた頃、僕らは此岸へ続く橋を渡り、ようやく大きなカエルの石像が置かれている場所まで辿り着いた。
ここが、僕らが最初にこの空間に突入した場所だ。
僕を降ろす黄泉醜女様。
その体は、あちこちにヒビが入って、緑色の光が噴き出している。
「よ、黄泉醜女様…」
黄泉醜女様は僕の呼び掛けに対し何も言わず、カエルの石像の方を真剣な面持ちで見つめると、裏手拍子一回に短い呪文を唱えた。
「『開』」
するとカエルの石像が襖に置き換わり、勝手に開くとその先に光の渦が見える。
次にヒドラさんが、目白と晶印さんを吐き出す。
二人とも隊服はボロボロのままだけど、拾われる時に見たひどい傷はどこにも見当たらない。
「あれ…二人ともケガしてたのに…どうして…?」
すると黄泉醜女様は、フッと得意気に笑みを浮かべた。
「妾を誰と心得る?癒術の祖であるぞ。」
けれども口元はすぐに苦しそうに歪み、彼岸花の畑に膝をついてしまう。
「ぐっ…」
「黄泉醜女様っ!」
僕が慌てて駆け寄ると、黄泉醜女様は僕をぎゅっと抱き締めてきた。
「黄泉比良坂を駆けたのはこれで二度目だ…一度は主の愛する者を捕えるため、主の意思で…」
「そしてもう一度は、託した力を未来へ繋ぐため、己の意思で…」
「桜華よ、其方はげに強い男の子だ…己の聖剣という“家族”を助けるため、死後の国までやって来て、喰めば死ぬやもしれぬ大神実を喰むため、殯宮の番人である妾を説得しようとした…」
「本当に凄い男の子だ…」
「大神実を二個も奪われた今、その霊威が現世で振るわれることになれば、未曾有の禍を起こすことは間違いなかろう…」
「だが、妾は其方に託した…其方と、其方の聖剣に…」
「でも、でも…黄泉比良坂が無くなったら、黄泉醜女様は…」
涙をじわじわと浮かべながら、黄泉醜女様の顔を見上げると、黄泉醜女様は髪の隙間からたくさん並んだ目をチラリと見せ、ニコリと笑った。
「桜華…」
「其方にはこの先、何度も、何度も、取り返しのつかない瞬間が訪れる…」
「その度に強く怒り、悲しみ、悔いることだろう…だが、それでも前に進むことだけは止めるな。」
「まだ全てが失われた訳では無いのだ…」
「人の記憶を…思い出を守るのだろう?」
「その戦いの中、たとえ屍を築くことがあっても、二度と戻れぬ一線を越えようとも、其方は残ったものに手を伸ばし続けろ。」
「手の届く限りの全てを救うこと…それを止めるな。」
「返事は要らぬ…さあ行け…っ!」
黄泉醜女様は僕の両肩を持つと、ドンと襖の向こうへ押し飛ばした。
続いて目白と晶印さんも放り込まれていく。
「黄泉醜女様っ…黄泉醜女様っ!!」
いやだ、それでも失いたくない。
手の届く限りというなら、あなたのことも救いたい。
彼岸花の畑の景色が遠退いていく中、僕は必死に黄泉醜女様の方へ手を伸ばす。
徐々に黄泉醜女様の体が、光の粒になって解けていく…僕は徐に送梅雨を抜き、刀身を全力でまっすぐ伸ばす。
けれども、黄泉醜女様がそれを掴んでくれることはなく…鋒は黄泉醜女様の指先を掠めるだけだった。
──────
─2031年3月30日 0:00頃─
〔甲府城 清水曲輪〕
黄泉比良坂で繰り広げられた虹牙との戦闘が「実質的な長期戦」ならば、甲府城で繰り広げられる鬼火との戦闘は「文字通りの長期戦」。
真夜中の甲府の中心に、赤く灯る舞鶴城。
その延焼範囲は二の丸にまで及び、火の手は本丸一歩手前まで迫る。
甲府城、甲府空襲以来の大規模火災である。
鳴り響く半鐘。
しかし火消したちは来ない。
来ないのではなく、来れないのである。
火の海と化した清水曲輪には、聖鎧や隊服が全身にわたって焼け、露わになった肌も焼け爛れた、少女の御庭番が二人。
「お…鬼火…っ!」
蜜柑は剣を地面に突き立てながらも、うつ伏せのままそれ以上動けない。
「もう…だめッス…指一本も、動かない…」
恋雪もまた、仰向けに大の字に倒れたまま、全く身動きが取れない。
本丸を見上げ、歩を進めようとする鬼火の背後に、もう一人の御庭番が立ちはだかる。
「フゥ…ハァ…ッ…まだ立つか、剣の筆頭…ッ!」
全身に深い太刀傷を負った鬼火は、息を切らしながら声を荒らげる。
「延焼範囲は二の丸まで…夕斎様たちが本丸まで退避したことは聞いたが…」
「この始末…筆頭家老として、失態も甚だしい…面目次第もござらぬ…」
「切れるものなら…ここで腹を切って見せたいものだ!!」
新藤五国音は、潰れて乾涸びた声を、強く大きく張り上げる。
聖鎧や隊服は全身にわたって焼け爛れ、ポニーテールは解けて長く波打つ髪が下り、傷だらけの顔面には血の赤と煤の黒が散りばめられている。
しかし瞳は強くまっすぐと鬼火を捉えている。
「死に体だからってヘロヘロとした戦いは許さんぞ…やるなら徹底的に来い!」
鬼火は右腕に炎を炸裂させながら駆け出すと、そのまま国音の頭上から斜めに振り下ろす。
「C」
ところが国音の剣は、鬼火の腕に当たると、スルリと腕を這うように動いた後、強く弾き飛ばした。
「なにっ!?」
狼狽える鬼火に、国音はニィッと歯を見せて笑みを浮かべる。
「完成したぞ…『楽譜』がっ!」
《く、国音くーーーーん!!ようやくできたのね〜!!》
「こいつ…今何をした…?」
鬼火は首を軽く捻ると、マグマの鞭のようなものを手から伸ばし、国音に向かって3連続で振り翳す。
「D, Fes, A…G!」
ガシュッ
国音の剣撃が鬼火の肩を深く斬り刻む。
「ぐおッ!?…ぬおおっ!」
鬼火は一瞬怯むも、もう片方の手からも鞭を伸ばし、すぐ再び国音へ襲い掛かる。
「うおおおおおおお〜ッ!!」
バチバチバチバチバチイィッ!
凄まじい火花と熱波を撒き散らす、鞭の猛撃。
「A, Ais, Es, C, G, B, Ces!!」
ガガガガガガガガッ!!
鈴の音を響かせながら、襲い来る鞭を弾き、その隙を突く剣の猛撃。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜ッッ!!!!」
「うおおおおおおおおおおお〜〜っっ!!!!」
辺りに凄まじい風圧を起こしながら、剣と鞭の応酬は熾烈を極めていく。
「な、なんスか…見えないから、わかんないッス…でも、凄い、凄いことが起きてるッス…?」
仰向けのまま蜜柑に問い掛ける恋雪。
「ええ、起きていますよ…私たちでは足元にも及ばない…“強者の激突”です…」
国音と鬼火の猛攻の応酬は、互いに傷を負いながらも激しさをさらに増していき、そして…
ドスッ
国音の剣は、鬼火の胸のコアのすぐ傍を深く刺した。
「くそっ…ハズレか…」
鬼火は神樂の刀身を握り込むと、もう片方の手に炎を滾らせる。
「ウグッ…フゥ…よくやった、新藤五国音…!先程の猛撃に敬意を表し、貴様は…最高火力で荼毘に付してやろうッッ!!」
《うわーっ!?ダメよ国音くーーーんっ!!》
「国音さーーーんっ!!」
「な、何が起きてるのかわかんないッス〜!!」
国音が鬼火を強く睨み付け、一同の絶叫が曲輪に響く中…
「『鏡花水月』───」
「『流れよ“水桜”』───ッ!!」
天守より、清水曲輪の獄炎へ…
干天の慈雨が降る。
〔つづく〕
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〈tips:地理〉
【裏比婆山殯宮】
国産みを為した母なる神・伊邪那美命の亡骸が眠る宮殿。
黄泉比良坂の棺袼街より、大鬼門から続く大鬼道の先に存在する。
黄泉の国の主神・黄泉津大神の神体である伊邪那美命の亡骸を守護するとともに、伊邪那岐命より霊威を授かった3個の桃の実・大神実を置くことで黄泉比良坂を維持している。
管理者は黄泉醜女であり、殯宮の関係者や、黄泉津大神より賜った通行手形あるいはそれに準ずる霊威を有する神具を持った者でなければ、侵入できない。
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