#42 冥途 急「黄泉比良坂」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
急 ~黄泉比良坂~
─2031年3月29日 19:20頃─
〔所在不明 石見宗家本拠地〕
「…行程としては先程お話しした通りです。」
「では、良い死出の旅を…フフフ…」
扉を開け、その先に続く真っ白な霧の中へ、虹牙は姿を消していく。
氿㞑は腕を組みながら虹牙を見送ると、部屋に残った人影に振り向いた。
氿㞑の目線の先に居るのは、全身から絶えず炎を上げる、髑髏頭の岩肌の怪人。
「貴方もそろそろ暴れないと気が済まないのではないですか?」
「魔神・『鬼火』…」
──────
─2031年3月29日 20:10頃─
〔黄泉比良坂 参道 此岸側〕
濃く白い霧が立ち込める彼岸花の畑の中を、ひたすら前に進んでいく。
黄泉比良坂は、扉から続く参道をまっすぐ進んだ先にあるという。
腕時計の示す時刻は20時10分。
普段の任務ではデジタル腕時計を使っているけど、ここは現世とは異なる次元にある空間…そのため現世からの電波は届かない。
そこで、初めに針を合わせておけば、あとは電波を受信せずとも連続的に時間を示してくれる、アナログ腕時計を使っている。
電波が届かないということは、もちろんGPSも使えないし、蜜樹さんとの通信もできない。
特に後者はリアルタイムで情報共有ができないので、任務上ではかなり厄介。
そこで蜜樹さんが僕らに送り込んだのが…
「キュイッ♫」
僕のマフラーからピョコッと顔を出して一鳴きする、掌よりちょっと大きくらいの小さなお猿さん。
この子は「コモン」。
蜜樹さんの式神で、アズマ様と同じく自律した思考・行動のできる特殊な式神だ。
〜〜〜〜〜〜
蜜樹さんもソウル使いだとはわかっていたけど、今までどんな能力かは把握していなかった。
出立前にコモンを渡され、説明してもらった。
「桜華くん、はいど〜ぞ♡私のかわいい式神よ〜ん♫」
「わぁ、かわいい…!ぬいぐるみみたいです…」
「私の能力はその名も『スムース・オペレーター』!コモンの見聞きした情報は、コモンが私からどこまで離れていても、必ず私の頭に直接送信されるのよ〜ん!」
蜜樹さんは得意げにえへんと腕を組み、鼻を鳴らした。
「3人にはコモンを連れて行ってもらって、コモンから得た情報をもとに私がサポートするって仕組みよ〜ん。」
〜〜〜〜〜〜
「この先の道中、サポートよろしくお願いしますね、コモン。」
「キュイキュイ♫」
背中を撫でてあげると、上機嫌そうな鳴き声で答えてくれるコモン。
もふもふしていて癒される…かわいいな…
しばらく歩いたところで、一行を率いていた晶印さんが急に足を止めた。
「ひとまず境目には着いた…って感じだな。」
前方には透き通った川が流れていて、こちら側とあちら側の岸を隔てている。
「晶印さん、これって…」
僕が晶印さんに尋ねると、晶印さんはゆっくり深く頷いて答えた。
「ホントにあるんだな…たぶんコイツが三途川、大きさからして支流か?」
この世とあの世の境目にある川…水面には、薄く白い霧が立ち込めている。
目白がゴクリと息を呑む。
「当然この川を越えたら…そこは死の世界、本来ならば俺たちは死んだも同然になる。」
晶印さんはカエルの形をした、水引があわじ結びされた小さな石の御守りを取り出す。
「桜華、目白、天音さんから貰った“コレ”はこの先必ず肌身離さず持っとけよ…これがオレたちの魂を現世と結び付けてくれる“命綱”になる。」
「「はい。」」
水桜を助けるためには急がなきゃいけない。
すぐそこにある石の小橋を渡ればいいだけなんだけど…
わかっていても、一歩を踏み出すには中々勇気が要る。
ゆっくり橋の方へ足を踏み出した、次の瞬間。
「ウォーノー!?だ、誰か助けてプリーズ!?」
突然向こう岸から、男性らしき悲鳴が聴こえてきた。
急に濃くなる“事件のにおい”。
匂いのする方に目を向けると、彼岸花の畑の中に赤いボストンバッグが置かれていて、そこに狼のような動物が五匹くらい…唸り声を上げながら取り囲んでいる。
すると狼のうち一匹が、ボストンバッグの上に馬乗りになり、大きな顎を開いて咬みつこうとする…
危ない!今すぐ助けないと…!
頭より先に体が動いた。
「おい、桜華!何して…」
引き止めようと叫ぶ目白を他所に、僕は勢いよく地面を蹴り、向こう岸へ跳ぶ。
〜〜〜〜〜〜
出立前のこと。
水桜を抜けなくなった僕に、国音さんが急遽刀を渡してくれた。
「か、刀…ですか?」
水桜以外の真剣を持つのは初めてだ。
「そうだ、刀だ。」
国音さんはそう言うと、僕の左胸を拳で軽くトンと叩いた。
「“刀は武士の魂”…お前は御庭番、甲府を守る立派な侍の一人だ。」
「刀は単に敵を斬る為のものではない…そこには武士の精神が宿り、ある時は忠義の証となり、ある時は名誉の象徴となる。」
「残念ながら、今の水桜にお前の魂を預かる力は無い…故に、代わりにこの刀にお前の武士の魂を預けるのだ。」
僕の、武士の魂…
国音さんから受け取ったのは、紺青の柄に花菱の鍔の打刀。
「これは俺が造った無銘の魔剣…水桜の封印が解けるまで、この刀がお前の相棒だ。
「銘と始令はお前が決めてやれ。」
〜〜〜〜〜〜
腰に提げた魔剣に手をかけ、空を蹴って狼の群れへ突っ込む。
刃は濤乱刃、菖蒲造り。
その名は…
「『懸河に瀉げ…“送梅雨”』!」
始令を唱えて剣を抜くと、刀身がゼリー状に変化し、長く伸びて鞭のようにしなった。
~魔剣~
【送梅雨】
この刃の質感…こんな使い方はどうかな?
「はぁっ!」
まずはボストンバッグに馬乗りになっている狼目がけて、刀身を前に押し出す。
刀身はグニョーンと伸びると、狼の脇腹に当たって大きく突き飛ばした。
「んっ…せいっ!」
さらに空を蹴り、前宙しながら刀身をリボンのようにクルクルと振り回す。
「『水月・末広滝』!」
真下へ広がる螺旋を描いて、ボストンバッグを取り囲む狼たちを次々に叩いていく。
ベチベチベチィッ!
鞭の猛打にひっくり返った狼たちは、耐えかねたのか慌てて起き上がると、キャンキャンと吠えながら散り散りに走り去っていった。
ここは神聖な領域…普段以上に殺生には慎重になりたいところだ。
「あの、あの!大丈夫ですか?おケガは…」
慌ててボストンバッグに駆け寄り、覗き込むも…
そこにあるのはバッグだけで、人の姿は見当たらない。
「え…あ…そんな…」
もしかして遅かった…?
助けようとした人、食べられちゃった…?
「桜華!大事ねぇか!」
「急に飛び出しやがって…何があったんだ?」
晶印さんと目白が駆け寄ってくる。
みだりに彼岸へ飛び出した上に、要救助者も助けられなかった…
詫びようと二人の方を向いたその時、二人が僕の方を見て目を見開くと、晶印さんが慌てて僕の背後を指差して叫んだ。
「お、おおおお、桜華!後ろ!後ろ!」
「え、うしろ…?」
晶印さんの呼び掛けに首を傾げつつ、背後に振り返ると…
「ばぁっ!」
そこに居たのは、歪な手足を生やして縦向きに立ち上がり、表面に斜めに大きく裂けた口と三つの目がついた、巨大なボストンバッグの…怪物だった。
大きく裂けた口から、ゆっくりと滑った長い舌が伸びてくる。
「う、うわあああっ!?」
な、なにこれ…!?
あまりに予想外の出来事に、思わず尻餅をつく。
そこに、目白がすぐさま稲妻を纏いながら一瞬で詰め寄ると、怪物を押し倒して霆喘を突きつけた。
「…名前と目的を言え。」
鋭い眼光を飛ばす目白に、怪物は汗を垂らしてたじろぐ。
「い、いえその…ワタクシ、決して怪しい者では…」
「名前と、目的だ…それ以外の回答は許さない。」
怪物はさらに冷や汗を垂らすと、必死に頷くような素振りを見せた。
──────
─2031年3月29日 20:30頃─
〔黄泉比良坂 参道 彼岸側〕
「イヤ〜、ホントに助かりましたよ〜桜華サマ!ワタクシあの狼たちに引き裂かれ、ワタが出てしまうかと思いました〜!ア!ワタというのは綿毛のワタのことで…」
この怪物…改めこの人の名前は「ヒドラ」。
黄泉の国に生また黄泉の国の住民で、三途川の辺りを散策していたところ、突然先程の狼たちに襲われてしまったらしい。
ヒドラさんは、長い頭をブンブン振り回しながら語る。
「ワタクシ元々冥道の点検員で御座いまして〜、本日も禁術を使っての生者侵入がないか…此岸から無理やり渡ってくる不届者が居ないか、目をピッカピカに光らせていたので御座います〜。」
「ですがワタクシ如何せん武力が皆無で御座いまして〜…近頃彼岸は荒れ気味にも拘わらず、油断して一人で歩いていたのが愚かで御座いましたぁ〜タハぁ〜…」
「しかしアナタが向こう岸から飛んで来てくれたお陰で、ワタクシはこうして命拾い!骨拾いにならずに済みましたぞ〜!そう!向こう岸から飛んで来てくれたアナタのお陰で…って、向こう岸から…?」
ようやく気付いたらしい。
僕らはまさに、ヒドラさんの言う不届者だ。
「アナタたち侵入者じゃないデスかぁ〜!?これはいけない!とてもいけない!」
ヒドラさんは口からペッと二つ折りの小さな機械を吐き出すと、開いて番号の書かれたボタンを押し始めた。
「お伝えせねば、お伝えせねばっ…!」
すると晶印さんが、積土を思い切り地面に叩きつけ、轟音を鳴らす。
ドスンッ!
「ひぇっ!?」
驚いて思わず飛び上がるヒドラさん。
そこに細い稲妻が走り、ヒドラさんの持っていた機械を貫いた。
「これガラケーみたいなもんだろ…誰に何を伝えようとしてたんだ?上司に俺たちのことを報告するっていうなら放置できねぇな…」
目白はヒドラさんの手を掴み上げる。
「め、目白っ、あまり乱暴は…」
僕が目白に訴えると、目白は厳しい顔付きで見返してきた。
「ダメだ桜華、本当なら俺だってこういう状況は話し合いで解決すべきだと思ってる…だがそのための時間が足りなさ過ぎる。」
「ぼ、暴力はノーです…ノー…」
呻くヒドラさんに、目白は言い放つ。
「じゃあ大人しく従ってもらおうか…俺たちは聖剣の封印を解くためにこの黄泉比良坂に来た。とある山を探しているんだが、案内できるか?」
「せ、聖剣ですって…!?何故それを先に仰ってくれなかったのデスか!?」
「いや…先に騒ぎ出したのはそっちだろ…」
「聖剣に何かがあっては黄泉の国にとっても緊急事態で御座います!ホワッツ!?何があったので御座います!?」
聖剣は、遥か昔に神々が遺した遺物の一種といわれている。
世界の均衡を保つ楔であるということから、聖剣に何かが起きたら黄泉の国にも影響しかねないというのはわかる。
ここに至るまでの事情を大まかに説明すると、ヒドラさんはちゃんと理解を示してくれ、いったん通報するのはやめてくれた。
「ふむふむ…氿㞑という人物に心当たりはナッシングですが、提示された解呪条件とやらの内容には心当たりが御座います。」
「本当ですか!?そこを詳しく…」
僕が慌てて尋ねると、ヒドラさんは両手を出して宥める仕草をしつつ、答えてくれた。
「“山”というのは、おそらく『裏比婆山』という山のことデス…黄泉比良坂を進んだ先、黄泉の国にある霊峰でして、かつて国産みを為したとされる伊邪那美命の御霊が眠るとされております。」
「“桃”というのは、おそらく『大神実』という桃の実のことデス…かつて黄泉の国を訪れた伊邪那岐命が、死した伊邪那美命の追手から逃れるため、投げた三つの桃で御座います。そこには大変な霊威が込められておりまして、現在は黄泉比良坂の維持のための要石として機能しております。」
「おいおい…氿㞑のヤローは、んな大層なモンを桜華に食わそうとしてんのか?食って大丈夫なのかよ?」
怪訝な顔で口を尖らせる晶印さん。
「国産みを為した神の霊威が宿った果実…それが本物だとしたら、常人が食えばまず間違いなく、魔力量が膨大過ぎて死ぬでしょうね。」
不安そうにため息を吐く目白。
するとヒドラさんは目を触覚のように伸ばし、僕の目をジロジロと見つめてきた。
「確かにその心配はございますが〜…フムフム、桜華様は何やら特別な御身体をお持ちのようで…竜族の類で御座いますかな?」
「わ、わかるんですか!?ぼ、僕は風雲竜という竜種です…」
「ワタクシ、魂の鑑定を生業としておりますので、魂の姿形からの種族推定は得意も得意で御座います!風雲竜なる種族は寡聞どころか初耳で御座いますが、大変魔力容量に優れた魂をお持ちのようで…」
「つまりその大神実にも耐え得る身体だと…?」
「正確なところはやってみなければわかりませんが〜…聖剣の封印を解く術がそれしか無いというのなら、善は急げと言いましょう!ご案内いたしますので…」
「案内?どこへですか…?」
するとヒドラさんは振り返り、体を大きく開いて笑って見せてきた。
「それはもちろん!黄泉比良坂の中心地…『棺袼街』で御座います!黄泉比良坂は真っ直ぐの道などでは御座いませんので、ワタクシが御案内せねば…大神実について詳しい御話もそこで致しましょう。」
「か、棺袼街…?死後の世界に街があんのか…?」
きょとんとする晶印さん。
ここは死出の異空間・黄泉比良坂。
現世の者には知る由もない未知の世界へ、僕らはまだ一歩踏み出したばかりだ。
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─事件記録 2031/03/29 21:09─
─発生場所 甲府藩甲府市屋形一丁目および三丁目─
─火球墜落とともに特種怪魔が発生。─
─当該地域の建物約180棟が消失。─
─御庭番3名が対処にあたったが、─
─甲府城内城にて大規模火災発生に至る。─
〔つづく〕
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〈tips:魔剣〉
【魔剣の位列について】
世界各地の名工たちによって製作された刀剣等の武器のうち、特に優れた性能を誇るものを「業物」という。
業物の位列は以下の四階級に分類される。
◎最上大業物15工
◎大業物21工
◎良業物58工
◎業物98工
小笠原長宗の「鰯雲」は、最上大業物15工の一振である。
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