#41 冥途 破「布瑠」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
破 ~布瑠~
─2031年3月29日 19:00頃─
〔所在不明 石見宗家本拠地〕
「此岸で死した魂魄は、三途川を渡って彼岸へ行き、彼岸から黄泉の国へ渡る…」
氿㞑はそう呟きながら、白い石を持って石床に線を引き、所々に空いた穴に黒い術巻を嵌め込んでいく。
「此岸から黄泉の国へと続く一連の道程は『黄泉比良坂』と呼ばれ、魂魄に纏わり付いた記憶や穢れといった情報はその道中で検査・浄化された後、黄泉の国にてプールされ、転生というリサイクルを待つのです。」
「そう…黄泉比良坂…」
氿㞑の描く白線の傍には、虹牙が静かに佇んでいる。
そして虹牙の正面には、枠ごとくり抜かれた扉が一枚置いてある。
氿㞑は続ける。
「黄泉比良坂を進んだ先には、一際神々しく光り輝く高い山峰があります…『裏比婆山』と呼ばれる地です。」
「裏比婆山にはかつて国産みを為した母が眠り、亡き母から逃れようと父が残した三つの桃の実…『大神実』がそこに在ります。」
「大神実は大いなる神の霊威を宿した聖果であり、黄泉比良坂の存在を支える要石の役割を担っているのですが…」
「今回の我々の作戦は、その大神実を奪取することが目的となります。」
「虹牙…貴方にはその役を任せたい。」
「黄泉比良坂を進み、その先にある比婆山にて大神実を得て、ここに戻るのです。」
すると虹牙は、くぐもった静かな声で氿㞑に訊き返す。
「話を聞く限り…大神実を奪えば、黄泉比良坂を保つものは無くなるが、それでもいいのか?」
氿㞑はニヤけた声で答える。
「構いません…黄泉比良坂は、魂魄の通る『冥道』としては最大ですが、あくまで数ある冥道の一部に過ぎません…」
「黄泉比良坂を破壊したとしても、輪廻転生の循環には然程影響しないと見ています。」
氿㞑は線を描き終えると、裏手拍子をしながら意味不明な言語で詠唱を始める。
「『布瑠部由良由良…』」
石床に描かれた10の円と、それらを結ぶ22の直線。
そしてその奥に描かれた3の円と、それらを結ぶ3の直線。
円に嵌められた計13本の術巻が、黒く怪しく輝き出す。
虹牙は聖剣を抜くと、鋒を正面の扉に向け、剣を振り始めた。
──────
─2031年3月29日 19:40頃─
〔甲府城 楽屋曲輪 能舞台〕
舞台上に描かれた、10の円と、それらを結ぶ22の直線。
そしてその奥に描かれた3の円と、それらを結ぶ3の直線。
それぞれの円の中には、術巻が縦向きに置かれている。
舞台の上に立ち、奥の襖に向けて神樂の鋒を向ける国音さん。
そして、その傍に箏を置き、手を添える天音さん。
天音さんは真剣な表情で話す。
「これより私が弾き唄うのは『布瑠の唄』…新藤五様はその音に合わせ、先程示した通りの型で、床に描いた軌跡をなぞりながら剣舞を行ってください。」
「それでは始めます。」
天音さんが箏を鳴らしながら歌い出す。
「『布瑠部由良由良』…」
そこから先の歌詞は聞き取れない…まるで鳥の囀りや獣の唸り声に、鈴や太鼓の音が混じったような、奇怪な声。
音楽のリズムも不思議なもので、調は整っているのに、目まぐるしく拍子が変わっていく…頭が追いつかない感じがする。
国音さんは嵐のような変拍子を正確に刻んで舞い、床に描かれた模様と同じ軌跡を真正面の空に描いていく。
箏曲はだんだんと激しさを増していき、剣舞もより速く力強くなっていく。
舞台上の術巻と紋様が五色に強く輝き、舞台がガタガタと音を立てて大きく揺れる。
演奏開始からおよそ五分後。
地面がミシミシと音を立てるまで揺れが激しくなった直後、演奏も剣舞も揺れもピタリと止み、五色の光も消え…
しんと静まり返る中、奥の襖の隙間から白い霧のようなものが漏れ出してきた。
「これにて開帳、死出の路。」
天音さんはそう言い切り、箏から手を離す。
これが…これが、死後の世界・黄泉の国へ繋がる道筋…黄泉比良坂…
黄泉比良坂の存在と役割については、アズマ様がよく知っていた。
アズマ様は普通の式神と違い、夕斎様が生まれる何千年も昔から生きているらしい…その詳細を聞く暇は無かったけど、「長生きしてきた分いろいろ知っているとだけ覚えてくれればいい」と言われた。
黄泉比良坂への入口は、本来なら出雲国の松江市にある黄泉比良坂大浄界の一つのみ。
しかしこの入口は、「千引の石」というとんでもなく重く堅い岩によって塞がれていて、魂が入ることはできても人が出入りすることはできない。
そこで、本来の入口からではなく、新たに入口を作る。
今執り行われたのは、そのための儀式だ。
まず、何か「扉になるもの」を用意する。
次に、その前に特定の十三本の術巻を並べる。
そして、特定の幾何学模様・剣舞・箏曲・唄と、複数の決まった儀式を組み合わせて執り行う。
そうすることで、正面に用意された扉の先が彼岸と繋がり、黄泉比良坂へ続く道となる。
天音さんが石見家から持ち出した「天国のような音色を奏でる楽譜」は、この儀式を執り行うためのものだった。
つまり石見家の連中は、天音さんの家系の人々を利用して、黄泉比良坂に行こうとしていたということになるけど…何のためだったのだろう?
隙間から光を漏らす襖を眺めながら、徐に話し出す。
「この儀式に術巻が必要だということがわかった今、石見家の者共が怪魔を仕向けては術巻を回収していくことの動機に一歩近付いたことになる。」
「奴等は新しく術巻を作り出しては、それを完成へと導く為に怪魔を生み出しているのではないか?」
「儂等ソウル使いの各々にグラマー界があるように、術巻の中にも人々の想像から構築されたグラマー界があるといわれる…グラマー界とは能力そのものであり、術巻にとっては“中身”といえるものであろう。」
「そして精神世界であるグラマー界やアストラル界は、魂の世界である彼岸とも近い領域といわれる。」
「これは儂の憶測に過ぎぬが…奴等は筵で世界の一部を切り取って彼岸へ渡すことで、その空間をグラマー界…謂わば“中身”とした術巻を作り出しておるのではないか?」
「そして得た術巻の中から、特定の十三本の代わりと成り得るものを探し出す。」
「儂等が既に特定の十三本にあたる術巻を持っていて、通常の手段では黄泉比良坂へ行くことができなかったが故に…」
「何かがあるのだ…石見家には、黄泉比良坂に行ってまで得たい“何か”が…」
夕斎様には、敵組織の思考を言い当てたり、災害の発生を予知したりする、不思議な力がある。
この「先見の明」が、夕斎様の藩主就任前まで荒れ果てていた甲府を立て直し、そして繁栄まで導いたといわれているそうだ。
故にただの憶測といえど、夕斎様の先見の明を端から疑ってかかる者は居ない。
夕斎様は横に鎮座するアズマ様に尋ねる。
「アズマよ…まさにこの儀式が大きな手掛かりになると思うのだが、この儀式の存在を何故今まで黙っておったのだ?」
アズマ様は少し首を傾け、喉を鳴らして答える。
「グキュキュゥ…(それは『他言無用の禁』があるからだよぉ…たとえ黄泉比良坂へ行く方法を知っていたとしても、その場に全ての儀式を実行できる要素が揃っていないと、方法について他人に話すことはできないようになってるんだ。)」
「ゲコ…(黄泉の国へは神々すらも普通には入れないといわれてるんだ…この儀式は、現世と黄泉の国の間でトラブルが起きた時、生者の神が黄泉の国へ出向いて対処する為に発明されたものなんだよ。)」
「ゲコッ(だから、黄泉比良坂へ行く方法が人々の間で広まって、みだりに黄泉比良坂へ侵入する者が現れないように、他言無用の禁で縛ってきたんだけど…)」
そう言いながら俯くアズマ様に、蜜柑が口を開く。
「そうなると、石見家の者たちは、何故黄泉比良坂への行き方を知っていたのか…ということになりますね。」
晶印さんはグッと顔を顰めながら、アズマ様に尋ねる。
「そもそも石見家側には、儀式に必要なモン自体が揃ってなかった可能性が高ぇワケだが…」
「今の話を聞いた限りじゃ…儀式に必要なモンが揃ってなくても、儀式について知ってる奴は、テメェだけで儀式の準備を進めたりはできるってことだよな?」
アズマ様は頷く。
「ゲコッ(そうだよ、一人でやる分にはね。)」
晶印さんは襖の方へ向き直る。
「つまり…石見家側にも、ウチのアズマ様と同じように、何千年も生きてきた生き字引みてぇな魔術師か何かが居る可能性がある…ってことになるなぁ。」
アズマ様のように、何千年も生きてきた存在の可能性…
間違いなく普通の人間ではないどころか、人間以外の種族や妖魔であっても難しいはずだ。
──────
─2031年3月29日 20:00頃─
〔甲府城 楽屋曲輪 能舞台〕
「ええぇーっ!ボクはお留守番ッスかぁ!?そんなぁ…」
ピョンと跳び上がって大声を上げ、そのまま俯いて体育座りする恋雪。
僕は恋雪の背中をさすって宥める。
「仕方ありませんよ、恋雪…今回の任務は低く見積もっても甲種案件なのですから。」
「わかってるッスよぉ〜…でも桜華先輩も目白先輩も行っちゃうなんて…」
今回の任務は、水桜の封印を解くための黄泉比良坂行き…
僕らは生者でありながら、死後の世界へ出向くわけだ。
その危険度は計り知れず、特種案件となる可能性も十分考えられる。
黄泉比良坂行きの一行は、水桜封印の当事者である僕に加え、段位の一番高い方から晶印さん、そして目白の計三人に決まった。
国音さん、蜜柑、そして恋雪は城にお留守番。
僕らが黄泉比良坂に行くことは石見家に把握されているはず…その隙を突いて街や城に襲撃が来た時に備えてもらう。
「帰ってきたらお団子奢ってあげますから、ね?」
僕がそう言って恋雪の頭を撫でると、恋雪は一転してパァッと顔を輝かせた。
「ほんとッスか!?やったー!約束ッスよ!」
目白は僕らの様子を少し呆れ気味に見ていた。
「桜華、あまり恋雪を餌付けしすぎるなよ…そのうち口を開けて待つようになるぞ。」
「ボクは鯉じゃないッスよ?」
氿㞑が提示した解呪条件は「今宵」。
現在時刻は20時ちょうど。
「山」とやらがどこにあるかもわからない以上、今すぐにでも突入しなければならない。
出立前の確認作業の最中、夕斎様が舞台を離れてまた戻ってきたかと思ったら、その横には廿華の姿があった。
「兄様…」
こちらに向けて、瞳を震わす廿華。
黄泉の国は死後の世界…当然ながら安全策は立てているものの、必ずしも無事に帰って来れる保証があるとは限らない。
正直なところ、リスクはかなり高いだろうと思っている。
僕が廿華に歩み寄ると、廿華は僕の腰に手を回して抱きついてきた。
小さな背中を支え、トントンと優しく叩いてあげる。
「いつも心配ばかりかけてごめんね、廿華…」
僕がそう声をかけると、廿華は震える声で返してきた。
「兄様…廿華は大丈夫です、廿華はわかっております…兄様には、大事な御庭番としての御勤めがあるって…」
わかっていたら大丈夫というわけじゃないだろうに…どう聞いたって強がっているのがわかる。
御庭番になってからというもの、廿華には心配をかけてばかりだ。
「廿華、心配なら、不安なら、素直にそう言っていいんですよ。」
廿華は、僕に自分を心配させたくないのだろう、だから…
「廿華の心配も不安も、僕はちゃんと背負えます…大丈夫、必ず無事に帰ってくるから。」
僕がそう言うと廿華は顔を上げ、頭に手をやり、ツインテールを結んでいる翼の髪飾りの片方を外し、胸元に握った。
「兄様、廿華はその言葉を信じます…」
「だから…必ず返しに戻って来てくださいね。」
「はい…必ず。」
廿華の願いが込められた、小さな白い翼。
小さな手から差し出されたそれを、僕は両手で包んで受け取った。
「…目白、晶印さん、行きましょう。」
「ああ。」
「おうよ!」
晶印さんは大声で宣誓する。
「甲府御庭番衆隊長・雁金晶印、並びに隊員・新閃目白、隊員・硯桜華、これより、水の聖剣・水桜の解呪に関する実地検分の為…黄泉比良坂へ向け出立致す!」
一同が息を呑んで見守る中、晶印さんが襖を開けると…
その先の地面は、舞台側へ溢れんばかりの大量の彼岸花でびっしりと埋まっていた。
真っ白な濃い霧が立ち込め、先の景色を見渡すことはできない。
待っていてください、水桜。
必ずあなたの封印を解いてみせる。
真っ黒になってしまった水桜を背負う。
僕は、襖の先に広がる真っ白な世界へ、足を踏み出した。
〔つづく〕
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〈tips:地理〉
【黄泉比良坂】
日本神話に登場する、生者の住む現世と死者の住む他界との境目にあるとされる坂。
その実態は、死者の魂魄を此岸→彼岸→黄泉の国へと渡す通り道「冥道」の中でも最大級のもの。
通常の入口は出雲国松江市東出雲町にある「黄泉比良坂大浄界」であり、入口となる部分は「千引の石」という超質量の岩石によって塞がれ、魂以外の侵入は制限されている。
天音の箏曲を中心に複数の儀式を組み合わせて行った「布瑠の儀」は、通常の入口とは異なる場所に黄泉比良坂への入口を生成する禁術である。
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